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★番外編 エリーゼのために②
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出会った時と同じ、月のない夜だった。
フロックは静かにテラスのガラス戸を開けた。
ほとんど掛布を持ち上げない、苦しみの多い生に打ちひしがれた薄い身体が、ベッドに横たわっている。
側に寄って、しばらく見つめていた。
小鳥特有の透ける瞼が少しだけ、持ち上がる。
彼が顔を寄せると、深い水底のようにしんとした闇の中ですら、耳を澄ませてようやく聞き取れる密やかさで、少女は囁いた。
――やねのうえに、つれていって
梟は翼を広げて、手品のように、八重咲きの白い花を取り出した。
「ああ、行こう。でも、その前にこれを飲んでくれ。甘いよ、花の蜜だ」
豊かな芳香に誘われて薄く開いた嘴の隙間に、花芯から蜜を垂らす。
細い喉が、上下した。
もう一口与えようとしたところに、彼女の目が、ぱっちりと開いた。
屋根のいつもの場所に、連れて行った。
エリーゼは自分の足で立って、雲一つない磨き抜かれた夏の星空に、気持ちよさそうに翼を伸ばした。
薄い寝巻きの裾が、夜風にひらめいている。
「不思議、苦しくない! 息ができる、身体が軽い! ねえわたし死んじゃったの?」
初めて聴く、伸びやかな明るい声だった。咳き込むこともなかった。
フロックは胸苦しいほどの切なさを隠して、教えてやった。
「生きてるよ」
「じゃあ夢ね、でもいいわ、フロックさんがいて、こんな素敵な夢ないわ!」
夢と思うのも仕方ないほどの変化だった。
たとえ一夜限りであろうと、奇跡だった。
「エリーゼ、飛んでみるかい。手伝ってやるから」
エリーゼはつぶらな目を輝かせる。
「飛べるかしら?」
「飛べるさ」
「落っこちそうになったら、助けてくれる?」
「大丈夫。傷一つつけない」
「やってみるわ!」
フロックは最大限の風の魔力で、穏やかに彼女を包みこむ。
不揃いな風切羽根の隙間を埋める。
膨らむ期待を抑えきれずに羽ばたいた彼女は、初めて風を翼で受けて、よろめいた。
梟の大きな翼が、巣立とうとする小鳥を柔らかく支えた。
「そうだ、上手い。怖がらなくていい、次の風が来たら行こう」
「うん!」
夜の澄んだ風を掴んで、少女は屋根を蹴った。
「そう、後は脚、揃えて畳んどきな。ずっと羽ばたかなくていい、風を受ければ、どこまでだって飛べる」
絶えず細心の注意を払って、魔力の付与を続けながら、彼女のそばで導いた。
「飛んでる! 飛んでる! ねえ見て、みんなちいさいわ! 空って広いのね、本当、どこまでもいけるんだわ!」
街の東の城壁を超えて、小高い丘に降りた。
はじめての飛翔の興奮で息を弾ませているエリーゼを休ませた。
「辛いか?」
「ううん、全然! 大丈夫よ、想像してたよりずっとずっと、気持ちよかったわ」
「ああ、上出来だ」
エリーゼは得意げに翼を震わせた。
木立が途切れて、薄紫のホタルブクロが咲いている草原からは、街の全体が見える。
丸く城壁に包まれて、道が蜘蛛の巣のように細かに張り巡らされている。雨上がりの雫のように煌めく魔灯が散っている。
こうして見下ろすと、ひとの営みが詰め込まれた街が、かけがえなく美しく見える。
ふらりふらり、街から街へ流れの傭兵として渡りをしていたフロックが、珍しく長居をしている理由だった。
「街ってこんなふうだったのね」
「うん。俺はこの眺めが好きなんだ。エリーゼと見たかった」
「とっても素敵! わたし、もうだめ、嬉しくて喉が張り裂けそうなくらい、うずうずするの!」
「そりゃ困った」
「ねえ、ねえ、わたし歌ってみる! 下手っぴいでも、笑わないでくれる?」
「笑うもんか」
エリーゼの初めての歌は、どこまでも響いて、遠く星空に溶けていった。
彼女は満足な身体に生まれていたら、間違いなく歌手になった。
豊かな才能に、恵まれた家柄の後押しを受けて、治療でなく音楽の教育に、惜しげもなく金をかけられて。
王都か、音楽の都と名高い南街道中央街かの音楽ホールいっぱいの聴衆を、その歌声で魅了して、割れんばかりの喝采を浴びただろう。
そんなもしもを、梟は幻に見た。
そうであれば、彼は彼女と出会うことも、なかっただろう。
歌い終えたエリーゼは、たったひとりの聴衆に、急に不安そうに訊く。
「どうだったかしら?」
「……なんて言ってやればいいか、わからないくらいさ」
軽々しく褒めることすら、躊躇われた。
「この歌、フロックさんに作ったのよ」
「俺なんかにゃ、もったいないよ。こんなダミ声じゃ歌い返してもあげられないのに」
「聴いてくれるだけでいいの。わたしがあげられるの、これだけなの」
エリーゼは、身体を投げ出すように抱きついてきた。
「……わたし、フロックさんの声、好きよ。ゴロゴロクルクル、不思議な低い音、落ち着くの。わたしの大好きな魔法使いさん」
どちらともなく、嘴をよせた。
触れ合って、身体中繕いあった。
やがてエリーゼはされる一方になって、身をくねらせて、艶かしい囀りを漏らしはじめる。
自分をまさぐる男の頭を、両の翼で包んで、言葉ばかり幼なげにねだった。
「……あのね、もっとわるいこと、したい」
風の魔力で操られるリスのぬいぐるみのように、ただ最後、花の魔力で動いている、あまりに細い身体だ。
それでも、まだ、彼女の魂はそこにあって、恋した男を知りたがっていた。
無茶は承知で、耐えられなかった。
「エリーゼ、許してくれ」
初夜の床の花嫁のように、恥じらいながらも幸せそうに、エリーゼは答えた。
「……はい」
服を解いて、身体を重ねた。
尾羽を交差させて、敏感な部分を擦り合わせる。
名を呼んでくれるから、呼び返す。彼女が好きだと言ってくれた声で、小鳥が囀り交わすように。
少女は男の手管に鳴いて、あっけなく果てた。
「……しちゃったあ」
男を知ってもあまりに無垢な物言いに、フロックは喉奥をクルクル鳴らして目を細めた。
寝転がった上に、エリーゼを乗せて撫ぜている。
「気持ちよかったか?」
「うん。……フロックさんも、ちゃんと気持ちよかった?」
「好きな女を抱くくらい、気持ちいいことないよ」
「ありがとう。フロックさんは、優しい……」
エリーゼは、フロックの首筋に嘴を埋めて震え出した。
「なんで泣くんだ。嫌だったか」
「……違うの、あんまり、優しいから。わたしずるいわ、もう死んじゃうのよって同情引いて、恋が欲しいってねだったわ。こんなボロボロの、不細工な痩せっぽちのくせに!」
「違う、同情なんかじゃない!」
こんなひどい誤解はないと、フロックは身体を起こす。
「俺には、エリーゼよりかわいい女はいないんだ。やっぱり歌ってやれる鳥ならよかったよ、そうしたらきっとわかってもらえたのに」
泣きじゃくる彼女に、どう言えば伝わるのだと、火に煽られるように焦れた。
もう時間がないのに。
そんな惨めな思いのまま、逝かせるわけにはいかなかった。
「エリーゼ。俺の嫁さんになってくれ」
「そんなこと言っちゃ、いけないわ」
「嫌だ、俺はお前が欲しい。もう泣かせない、辛い思いをさせない、絶対に幸せにしてやる!」
くだらない軽口ばかりつるつる出て、肝心なことを伝えられていなかった嘴で、歌えない鳥は最後まで、嘘を語る。
少女の最後の一瞬一瞬を、星の瞬きのように澄みきった喜びで満たすために。
「そうだ、朝になったらエリーゼのパパとママに挨拶に行こう。こそこそして悪かったって謝って、大切にするから結婚させてくれって頼むよ」
「本当に?」
「ここまで言って嘘なら、優しいどころか詐欺だろう?」
「うん、そうね。……ふふ、パパとママ、ひっくり返って驚くわ。でもそのあと、きっとすごく喜ぶわ!」
エリーゼが笑う。
フロックはその顔を見るためなら、なんだってしてきたのだ。
「わたしが好き?」
「好きだよ」
「どこが好き?」
「声も、歌も、顔も、身体も、話し方も、考えてることも、全部。エリーゼみたいにかわいい子は、世界で一人っきりだ」
「じゃあ、わたし、フロックさんのお嫁さんになる! これからずっと、一緒よ」
「ああ、これから一生、一緒だ」
「朝も昼も夜もよ! ごはんもお風呂も、寝るときも、ぜーんぶ!」
「わかった、全部な」
「わたし、ちっちゃいころにママに心配されてたの。パパがあんまりわたしを可愛がるから、わたしに、パパより愛してくれる未来の旦那様なんて、見つかるかしらって。大丈夫だったわ! 早く教えてあげなくちゃ!」
彼は、彼女のとめどない希望を全て、笑って、受け止めた。
空の端が白み始める。
星が一つ、また一つ、消えていく。
「ねえ、眠いの、寝ちゃいそう……」
エリーゼはフロックの胸に寄りかかって、ふわふわの羽根にほとんど埋もれていた。
フロックはその上に、さらに両翼を重ねて包んでやっている。
「いいよ、休みな。家のベッドに運んどいてやるよ」
「ちょっとだけ……ねえ、朝になったら、起こしてね。パパとママのところに、一番に行くのよ」
「もちろん」
エリーゼはうっとりと瞼を閉じた。
「フロックさん、ありがとう。いっぱい、ありがとう。愛してる」
「エリーゼ、俺もだ。歌、嬉しかったよ。なにより、誰より、愛してる……」
食べてしまいたかった。
まだエリーゼの身体が柔らかく、温かいうちに。
真っ黒な潤んだ瞳も、自分のためだけに歌ってくれた舌も喉も。
肉付きの薄い腹も、ずっと彼女を苦しめた、不完全な肺と心臓も。
ちいさな嘴すら、噛み砕いて呑んでしまいたい。
全部腹に収めたら、フロックはひと喰いの罪人で、でもこの先ずっと、約束通り、彼女と一緒だ。
それでも、しなかったのは。
「梟なんかに攫われて喰われたなんてさ、パパとママがさ、悲しむよなあ……」
大切にされている娘なのは、よくわかっていたのだ。
彼らが気づいていないはずがないことも。
彼女の歌と恋は、確かに自分が貰っていく。
せめて身体は、彼女を心底愛しんだだろう両親のもとに、返さなければいけないと思った。
フロックはシャツの胸にエリーゼを包んで、朝焼けの空を飛んだ。
小夜啼鳥の屋敷に戻った。
ベッドに休ませて、ほんのひとしずく蜜をとっただけの、リファリールの白い花を、胸に抱かせてやった。
「さようなら、エリーゼ」
――俺の、世界で一番かわいい嫁さん。
フロックは静かにテラスのガラス戸を開けた。
ほとんど掛布を持ち上げない、苦しみの多い生に打ちひしがれた薄い身体が、ベッドに横たわっている。
側に寄って、しばらく見つめていた。
小鳥特有の透ける瞼が少しだけ、持ち上がる。
彼が顔を寄せると、深い水底のようにしんとした闇の中ですら、耳を澄ませてようやく聞き取れる密やかさで、少女は囁いた。
――やねのうえに、つれていって
梟は翼を広げて、手品のように、八重咲きの白い花を取り出した。
「ああ、行こう。でも、その前にこれを飲んでくれ。甘いよ、花の蜜だ」
豊かな芳香に誘われて薄く開いた嘴の隙間に、花芯から蜜を垂らす。
細い喉が、上下した。
もう一口与えようとしたところに、彼女の目が、ぱっちりと開いた。
屋根のいつもの場所に、連れて行った。
エリーゼは自分の足で立って、雲一つない磨き抜かれた夏の星空に、気持ちよさそうに翼を伸ばした。
薄い寝巻きの裾が、夜風にひらめいている。
「不思議、苦しくない! 息ができる、身体が軽い! ねえわたし死んじゃったの?」
初めて聴く、伸びやかな明るい声だった。咳き込むこともなかった。
フロックは胸苦しいほどの切なさを隠して、教えてやった。
「生きてるよ」
「じゃあ夢ね、でもいいわ、フロックさんがいて、こんな素敵な夢ないわ!」
夢と思うのも仕方ないほどの変化だった。
たとえ一夜限りであろうと、奇跡だった。
「エリーゼ、飛んでみるかい。手伝ってやるから」
エリーゼはつぶらな目を輝かせる。
「飛べるかしら?」
「飛べるさ」
「落っこちそうになったら、助けてくれる?」
「大丈夫。傷一つつけない」
「やってみるわ!」
フロックは最大限の風の魔力で、穏やかに彼女を包みこむ。
不揃いな風切羽根の隙間を埋める。
膨らむ期待を抑えきれずに羽ばたいた彼女は、初めて風を翼で受けて、よろめいた。
梟の大きな翼が、巣立とうとする小鳥を柔らかく支えた。
「そうだ、上手い。怖がらなくていい、次の風が来たら行こう」
「うん!」
夜の澄んだ風を掴んで、少女は屋根を蹴った。
「そう、後は脚、揃えて畳んどきな。ずっと羽ばたかなくていい、風を受ければ、どこまでだって飛べる」
絶えず細心の注意を払って、魔力の付与を続けながら、彼女のそばで導いた。
「飛んでる! 飛んでる! ねえ見て、みんなちいさいわ! 空って広いのね、本当、どこまでもいけるんだわ!」
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はじめての飛翔の興奮で息を弾ませているエリーゼを休ませた。
「辛いか?」
「ううん、全然! 大丈夫よ、想像してたよりずっとずっと、気持ちよかったわ」
「ああ、上出来だ」
エリーゼは得意げに翼を震わせた。
木立が途切れて、薄紫のホタルブクロが咲いている草原からは、街の全体が見える。
丸く城壁に包まれて、道が蜘蛛の巣のように細かに張り巡らされている。雨上がりの雫のように煌めく魔灯が散っている。
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「うん。俺はこの眺めが好きなんだ。エリーゼと見たかった」
「とっても素敵! わたし、もうだめ、嬉しくて喉が張り裂けそうなくらい、うずうずするの!」
「そりゃ困った」
「ねえ、ねえ、わたし歌ってみる! 下手っぴいでも、笑わないでくれる?」
「笑うもんか」
エリーゼの初めての歌は、どこまでも響いて、遠く星空に溶けていった。
彼女は満足な身体に生まれていたら、間違いなく歌手になった。
豊かな才能に、恵まれた家柄の後押しを受けて、治療でなく音楽の教育に、惜しげもなく金をかけられて。
王都か、音楽の都と名高い南街道中央街かの音楽ホールいっぱいの聴衆を、その歌声で魅了して、割れんばかりの喝采を浴びただろう。
そんなもしもを、梟は幻に見た。
そうであれば、彼は彼女と出会うことも、なかっただろう。
歌い終えたエリーゼは、たったひとりの聴衆に、急に不安そうに訊く。
「どうだったかしら?」
「……なんて言ってやればいいか、わからないくらいさ」
軽々しく褒めることすら、躊躇われた。
「この歌、フロックさんに作ったのよ」
「俺なんかにゃ、もったいないよ。こんなダミ声じゃ歌い返してもあげられないのに」
「聴いてくれるだけでいいの。わたしがあげられるの、これだけなの」
エリーゼは、身体を投げ出すように抱きついてきた。
「……わたし、フロックさんの声、好きよ。ゴロゴロクルクル、不思議な低い音、落ち着くの。わたしの大好きな魔法使いさん」
どちらともなく、嘴をよせた。
触れ合って、身体中繕いあった。
やがてエリーゼはされる一方になって、身をくねらせて、艶かしい囀りを漏らしはじめる。
自分をまさぐる男の頭を、両の翼で包んで、言葉ばかり幼なげにねだった。
「……あのね、もっとわるいこと、したい」
風の魔力で操られるリスのぬいぐるみのように、ただ最後、花の魔力で動いている、あまりに細い身体だ。
それでも、まだ、彼女の魂はそこにあって、恋した男を知りたがっていた。
無茶は承知で、耐えられなかった。
「エリーゼ、許してくれ」
初夜の床の花嫁のように、恥じらいながらも幸せそうに、エリーゼは答えた。
「……はい」
服を解いて、身体を重ねた。
尾羽を交差させて、敏感な部分を擦り合わせる。
名を呼んでくれるから、呼び返す。彼女が好きだと言ってくれた声で、小鳥が囀り交わすように。
少女は男の手管に鳴いて、あっけなく果てた。
「……しちゃったあ」
男を知ってもあまりに無垢な物言いに、フロックは喉奥をクルクル鳴らして目を細めた。
寝転がった上に、エリーゼを乗せて撫ぜている。
「気持ちよかったか?」
「うん。……フロックさんも、ちゃんと気持ちよかった?」
「好きな女を抱くくらい、気持ちいいことないよ」
「ありがとう。フロックさんは、優しい……」
エリーゼは、フロックの首筋に嘴を埋めて震え出した。
「なんで泣くんだ。嫌だったか」
「……違うの、あんまり、優しいから。わたしずるいわ、もう死んじゃうのよって同情引いて、恋が欲しいってねだったわ。こんなボロボロの、不細工な痩せっぽちのくせに!」
「違う、同情なんかじゃない!」
こんなひどい誤解はないと、フロックは身体を起こす。
「俺には、エリーゼよりかわいい女はいないんだ。やっぱり歌ってやれる鳥ならよかったよ、そうしたらきっとわかってもらえたのに」
泣きじゃくる彼女に、どう言えば伝わるのだと、火に煽られるように焦れた。
もう時間がないのに。
そんな惨めな思いのまま、逝かせるわけにはいかなかった。
「エリーゼ。俺の嫁さんになってくれ」
「そんなこと言っちゃ、いけないわ」
「嫌だ、俺はお前が欲しい。もう泣かせない、辛い思いをさせない、絶対に幸せにしてやる!」
くだらない軽口ばかりつるつる出て、肝心なことを伝えられていなかった嘴で、歌えない鳥は最後まで、嘘を語る。
少女の最後の一瞬一瞬を、星の瞬きのように澄みきった喜びで満たすために。
「そうだ、朝になったらエリーゼのパパとママに挨拶に行こう。こそこそして悪かったって謝って、大切にするから結婚させてくれって頼むよ」
「本当に?」
「ここまで言って嘘なら、優しいどころか詐欺だろう?」
「うん、そうね。……ふふ、パパとママ、ひっくり返って驚くわ。でもそのあと、きっとすごく喜ぶわ!」
エリーゼが笑う。
フロックはその顔を見るためなら、なんだってしてきたのだ。
「わたしが好き?」
「好きだよ」
「どこが好き?」
「声も、歌も、顔も、身体も、話し方も、考えてることも、全部。エリーゼみたいにかわいい子は、世界で一人っきりだ」
「じゃあ、わたし、フロックさんのお嫁さんになる! これからずっと、一緒よ」
「ああ、これから一生、一緒だ」
「朝も昼も夜もよ! ごはんもお風呂も、寝るときも、ぜーんぶ!」
「わかった、全部な」
「わたし、ちっちゃいころにママに心配されてたの。パパがあんまりわたしを可愛がるから、わたしに、パパより愛してくれる未来の旦那様なんて、見つかるかしらって。大丈夫だったわ! 早く教えてあげなくちゃ!」
彼は、彼女のとめどない希望を全て、笑って、受け止めた。
空の端が白み始める。
星が一つ、また一つ、消えていく。
「ねえ、眠いの、寝ちゃいそう……」
エリーゼはフロックの胸に寄りかかって、ふわふわの羽根にほとんど埋もれていた。
フロックはその上に、さらに両翼を重ねて包んでやっている。
「いいよ、休みな。家のベッドに運んどいてやるよ」
「ちょっとだけ……ねえ、朝になったら、起こしてね。パパとママのところに、一番に行くのよ」
「もちろん」
エリーゼはうっとりと瞼を閉じた。
「フロックさん、ありがとう。いっぱい、ありがとう。愛してる」
「エリーゼ、俺もだ。歌、嬉しかったよ。なにより、誰より、愛してる……」
食べてしまいたかった。
まだエリーゼの身体が柔らかく、温かいうちに。
真っ黒な潤んだ瞳も、自分のためだけに歌ってくれた舌も喉も。
肉付きの薄い腹も、ずっと彼女を苦しめた、不完全な肺と心臓も。
ちいさな嘴すら、噛み砕いて呑んでしまいたい。
全部腹に収めたら、フロックはひと喰いの罪人で、でもこの先ずっと、約束通り、彼女と一緒だ。
それでも、しなかったのは。
「梟なんかに攫われて喰われたなんてさ、パパとママがさ、悲しむよなあ……」
大切にされている娘なのは、よくわかっていたのだ。
彼らが気づいていないはずがないことも。
彼女の歌と恋は、確かに自分が貰っていく。
せめて身体は、彼女を心底愛しんだだろう両親のもとに、返さなければいけないと思った。
フロックはシャツの胸にエリーゼを包んで、朝焼けの空を飛んだ。
小夜啼鳥の屋敷に戻った。
ベッドに休ませて、ほんのひとしずく蜜をとっただけの、リファリールの白い花を、胸に抱かせてやった。
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