ロレンツ夫妻の夜の秘密

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5.首輪(赤)

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「あれではあんまりだと思ったんです。気に入ってもらえるといいんですが」

 ステファンがディアナに贈った箱の中身は、皮革製品の工房に、彼女に相応しいものをと特注した品だ。見切り発車だったが、実際に渡せる日がきたのでよしとしよう。

 紅に染色されたなめし革は、柔らかくも強靭だ。彫金が施された金のバックルと錠は、機能と装飾を兼ねる。
 輪の表はエナメル加工で照りがあるが、内側はやすりで起毛処理され、肌を傷つけないよう配慮されている。また、これも内側に筆記体のカリグラフィーを金で箔押しし、「ディアナ」と名を入れてもらっていた。
 リードは鎖か革か迷った。鎖の音色にも惹かれるが、見本の革の色味の美しさに軍配が上がった。付け替えができるから、後に買い足してもいい。

 ディアナは、膝の上に箱に入ったままの赤い首輪を置いて、硬直していた。
 ステファンは待っている。まだ彼女を手の内にしきれたとは思っていない。おそらく反発する。怒るだろうか。泣くだろうか。なんにせよ楽しみだった。

「……許してくださいませ」

 彼女は常にない、か細い声で言った。
 ステファンは訊く。

「許す?  何をですか?」
「貴方は優しいから、合わせようとしてくださっているんですわよね? でも、こんな望みはおかしいって、私、わかっているんです……!」

 昨夜、あれだけ嬲られても、ディアナは夫を買いかぶっているらしかった。ステファンは奥歯で笑いを噛み潰す。
 ディアナは縋るような目で彼を見た。

「治しますから……ねえ、貴方はお医者様ですもの、治し方、ご存知でしょう?」
「そうやって、ずっと一人で悩んでいらっしゃったんですね」
「……ええ」
「可哀想なお嬢様」

 ステファンは彼女の髪に指を潜らせる。彼の寝癖かなんだかわからないくしゃくしゃの髪と違い、彼女の自然にくるりくるりと巻いた焦茶の髪は、張りがあって光を含んでいる。
 指先でうなじをなぞりながら、彼女の耳元で宣告した。

「治りません」
「え……」

 ステファンは説明する。

「性的嗜好は人格の根底に結びついていますので、特に成人以降はそう変わるものではありません。それどころか、無理に抑えるほど、内で膨れて苦しいでしょうね」
「そんな……」
「大丈夫ですよ。治さなくていいんです。性衝動を持て余して、逸脱行為に及ぶのは宜しくないですが、社会的に問題のない方法で発散できればいいんです。幸い、配偶者の僕は、性的嗜好は嗜虐側です。貴女さえよければ、無理なくパートナーを務められます」

 ディアナは黙っている。しかし、箱に添えられたままの、彼女の手に手を重ねてみても、逃れようとはしなかった。

「昨日は怖かったですか?」

 つとめて優しく問うと、ディアナは首を縦に振った。強がりはやめたらしい。

「これまでの貴方では、なくなってしまったみたいで……」
「すみません。つい、夢中になってしまいました。でも、変わらず大切に思っているんですよ。本当に嫌なことを強いたりしないと約束します」
「……でも……」

 迷って揺れる様に、湯上りでも紅をさしているような唇を奪いたくなるのを我慢した。

「ディアナ、僕など不相応とわかっていても、諦められずに、六年も焦がれ続けたんです。哀れと思うなら、どうか僕の腕の中に降りてきて……」

 婚礼の誓いの言葉すら、ここまで真に迫って彼の口をつかなかった。
 今宵、月は十六夜にして欠けはじめる。
 月の美しさは移ろいにあるとステファンは思う。
 日に日に満ち欠け、時に夕日を受けて紅く映え、時に中天に黄金に輝き、時に虚空に蒼ざめた貌を見せる。
 だからこそ飽きず、空に探す。
 口先で惑わして、天の女神に枷をかけようなど、自分は罪深く愚かだ。
 せめて、彼女に求婚したときの言葉をもう一度、捧げた。

「お嬢様、僕は、一生涯、全身全霊をかけて、貴女に尽くすと誓います」

 彼女の髪を片側の肩に集める。
 彼女との結婚指輪をした手で、新しい密やかな誓いの品を、その細い首に巻いた。こくりと喉が動いたが、彼女は拒まなかった。
 ステファンは、金の錠に鍵をかけた。

 ディアナは怖々と首輪に触れている。
 品の良い作りで、リードさえ繋がっていなければチョーカーのようだ。

「よく似合いますよ」
「本当に……?」
「ええ。受け取ってくれて、嬉しいです」
「貴方……」

 ディアナは彼に身を寄せてきた。
 無防備なものだった。素直になってくれた返礼に、手を尽くして彼女の渇きを癒してやろうと決めた。
 まずは腰に手を添え、促した。

「鏡で見てみましょうか」

 玄関は飾り窓が切られており、薄明るい。
 全身が映る姿見の前に、彼女を立たせた。
 ステファンは後ろに回り、片手にリードの先の輪をかけたまま、彼女のワンピース型の夜着の前ボタンを一つ一つ外しはじめる。

「貴方、だめ……」

 ステファンは手を止めない。彼女の表情から、言葉と裏腹の望みを汲んでいる。

「見たいんです」

 微かな衣摺れの音とともに、白い夜着が玄関の絨毯に落ちた。彼女は鏡から目を逸らし、胸元を手で覆う。下に一枚身につけているのがむしろいやらしいくらいだった。

「脱いでください」
「できません……」
「こちらも、脱がされたいですか?」
「貴方ぁ……」

 ステファンは彼女の腰に手をかけ、ドロワーズを引き下ろした。

「いや……!」

 床にしゃがみこんだのをいいことに、脚から最後の一枚も抜き取った。

 白い背は、髪に半ばまで覆われている。合間から覗く肩から腕、床に伸びる脚の曲線美は、東部神話の神々の像そのままだ。
 だが彼女は今、虜囚だ。
 赤いリードを引いて顔を上げさせれば、翠玉の目が潤み、唇が物欲しげに薄っすらと開いている。

「ほら、ロミーのお下がりより、ずっといいでしょう」

 ステファンは屈んで、彼女の肩に手を置いた。
 手足も尻も床についているディアナを、鏡に向き合わせる。

「これを頼んだ時、どんないい犬をお飼いですかと職人に聞かれましたよ」

 ステファンは首輪と肌の境を撫でる。締まり過ぎてはいないようだ。

「綺麗です。とびきり血統が良くて、賢くて、素晴らしい毛並みのお嬢様……ずっと、大切に飼ってあげます」

 身体の前面に降りていた髪を全て後ろに流した。ふっくらとした双丘が露わになる。頂きは髪色と同じくらいくっきりと濃く色づいている。
 寒さのためか、見た目にも硬く凝っているのを手のひらで包むと、ディアナは息を漏らした。
 鏡越しに見つめながら愛撫する。赤い首輪のかかった身体に、男の手が這っていく。
 片手はやわやわと左の乳房全体を揉み、もう片手では指をたてて、胸の谷間から平かな腹部をなぞる。
 ステファンは腕の中の女の耳に唇を当てる。彼女はその小器官の曲線の一つまで、優雅な造形をしている。
 夜の静けさのなかで、彼女の呼吸が荒くなっていく。
 腿を撫で、脚を割る。秘所に触れると、彼女は切なそうに願った。

「貴方、せめて、お部屋で……」

 ステファンは手を止めた。このまま鏡の前で抱くのも捨てがたかったが、季節が悪い。暖房の効かない場所で強いて、体調を崩させたくない。
 なにより、間接的にでも、彼女から求める言葉に満足した。

「そうですね」

 背を支え、腿の裏に腕を通した。

「首につかまってくれますか」

 ディアナは彼の言葉通りに両腕を回してきた。低い姿勢からで多少難しかったが、重心を意識して引き上げた。
 ディアナは驚いたようだった。

「あ、あの……重いですわよね……」
「お背の割には軽いですよ」

 裸のままで寝室に引き回すなどと手荒い真似はしたくなかった。
 ステファンはあくまで、彼女を満たしたいのだ。
 そして、少しは見栄をはりたい。
 軽く彼女を揺すり上げて持ち直すと、彼は寝室へ向かった。
 落とさずに寝台に置けたのに、ほっとした。
 お姫様抱っこが嬉しかったのか、ディアナは腕を外さないまま、紅の口元を綻ばせていた。
 口付けをした。舌で唇を舐めると、すんなりと開き、内に誘い入れてきた。神経の集中した組織と粘膜をねっとりと絡め合わせながら、彼女を寝台に沈めた。
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