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花嫁修行25日目 なんでもない日(ヴァン)

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【25日目】(発情度??%)

 結婚式まで、あと3日。

 浅い眠りの中で、ミノリを探した。

 ちっこいけれど、出るとこの出た、柔らかくて抱き心地のいい身体。撫でてやれば甘ったるく鳴いて、しがみついてくる。

 抱きしめて眠ったはずなのに、いなくなっているのに気付いて、ぞっとして目が覚めた。
 カーテンの隙間から差し込んでくる光は、もう真昼の強さだ。

 寝室から出て、リビングを覗くと、エプロンをかけたミノリがいた。

「おはようございます」

 その笑顔が眩しくて、俺は馬鹿みたいに突っ立っていた。

「ふふ、お寝坊してお昼前になっちゃった。お腹空きましたよね。卵、すぐ焼き上がりますから、座っててね」

 ミノリの腰に、エプロンの紐が弾む。開け放った窓に白いカーテンが揺れて、爛れた記憶を洗い流す、光と澄んだ空気が入ってくる。

 ミノリは魚のダシと砂糖を使った、卵焼き……わざわざ薄く広げて、フライパンの中でクルクル巻いて一塊にするやつ……を手際よく焼き上げて、まな板に上げた。焼きたてでナイフを入れると崩れるからって、そうやって少し冷ますんだ。
 小鍋で沸かした湯で炒り麦茶を淹れて、大小の素焼きのマグに注ぎ分ける。香ばしい匂いが、鼻をくすぐった。
 大人しくマグを二つ受け取って戻ると、食卓には、もうサラダやパンが並んでた。

 炒り麦茶を啜りながら、食卓の端によけられてたノートを、なんとなくめくる。
 ミノリは几帳面で、俺が渡した金の使い道、初めっから全部書きとめといて、見せてくれてる。そこまでしなくてもいーのにさ。野菜の底値とか調べてんの。ぱっと見、弱っちく見えてもさ、しっかりした嫁さんになるよ。間違いねえ。

 でも、今見てるノートは金の記録じゃなかった。
 飯の作り方だ。材料とか、塩や砂糖の量とか、火加減なんかを細かく順々に書いてある。絵までついてる。
 今までに作ってくれたやつには、俺が美味いって言ったとか、日付と一緒に書き添えてある。
 材料はちらほら聞いたことねえもんもあった。ミソとかショウユとか。わざわざ、発酵した大豆のペーストとソースだって説明がついてる。
 大事な材料みたいで、それを使う料理はまだ作ってなかった。

「おまたせしました! あ……」

 切り分けた卵焼きに赤カブのすり下ろしを添えた皿を持ってきたミノリが、恥ずかしそうにした。

「ヴァンさん、あのね、ご飯食べたらお買い物行きたいです。食材、少なくなってきちゃって。食べたいもの、教えてください」
「……ん、いーよ」

 このごろ、ミノリを見てると喉が詰まったみてえになって、上手く喋れねえんだよな。
 出てこない言葉の代わりに、ミノリの頭を撫でると、柔らかい長耳の手触りが気持ちよかった。




 市場で荷物持ちになって歩く。ミノリはあちこちの店の馴染みになっていて、明るく言葉を交わして、おすすめを教えてもらったり、オマケを貰ったりしてる。

「あ、ミノリちゃーん!」

 向こうからやってきたのは、エリーとロイだ。エリーは真新しい首輪をつけて、ロイの腕にしっかり腕を絡めてる。

「結婚式済んだ!?」

 はしゃいだ様子で聞いてくるのに、ロイが答えてやってた。

「まだだろ、ベルついてねえじゃん」
「そっかー!」

 エリーは、えへへって舌を出す。元々ノリの軽い女だけど、ロイと婚約してさらに機嫌がよさそうだ。

「エリーさん、ロイさん、おめでとうございます」
「うふふ、ありがと!」
「ったく、誰が話早えって?」

 俺がやり返すと、ロイは長いマズルの端をくいっと吊り上げた。

「ウサギは逃げ脚早えから」
「みんなのエリーさんも、狼に捕まっちゃったら年貢の納め時よねー。ミノリちゃんとヴァンから、幸せお裾分けもらっちゃった」
「そーいうことにしとくか」

 ドレス見に行くんだって二人と別れて、また歩き出す。

「よかったですね」
「そーだな」

 ミノリが、俺の腕にくっついてくる。

「……羨ましくなっちゃった」
「何言ってんだか。俺らのほうが先に結婚すんだろ」

 荷物を片腕にまとめて、空いた方でミノリとしっかり手を繋ぐ。ついでに屈んで頬にキスすると、ミノリの顔がみるみる赤く染まっていく。あんまり刺激すると辛くなんのはわかってんだけどさ。

「……絶対、幸せにしてやるよ」
「はい、あの」

 ミノリが、きゅっと俺の手を握りなおす。

「わたしも……ヴァンさんが、幸せになれるように、頑張りますから」

 ホント、いい女。

「あれあれ、ミノリちゃん! 耳長くして、すっかり山羊の嫁っこになっちゃって!」

 空気読まねえ香辛料屋のタヌキ親父が、腹を揺する。

「ホラ!」

 真っ黒な液体が入ったビンを寄越してきた。得体の知れねえもんに眉をしかめる俺の横で、ミノリはビンの栓を抜いて嗅ぐと、声を弾ませた。

「おじさん、これ、おショウユ!」
「ミノリちゃんはそう言ってたねえ。問屋仲間にきいたらさあ、似たもん作ってる街があるってんで取り寄せたよ。合ってるかい」
「はい。すごい、こっちにもあったんだ……! あの、おいくらですか?」
「いーよいーよ、結婚祝いにゃなんねえが持ってきな。そんで今度、それ使った料理教えておくれ。美味いんならもっと仕入れるよ」
「ありがとうございます!」

 ニクジャガ? とか、テリヤキ? とか、とにかくミノリはそれ使って飯作れるって喜んでた。

 タヌキ親父の店で他にも買い足して、並びの花屋でミノリが足を止めるから、どれがいいって聞いて花束も作ってもらった。
 ミノリは花、飾るのも好きなんだ。俺にとっちゃ花は飯だけど。
 思いついて、オレンジ色の花を一本抜き出して、ミノリの髪にさした。
 ミノリは髪留めを使って花をとめなおすと、俺を見上げた。

「似合う?」
「……うん」

 ミノリは、はにかんで笑う。
 光の輪ができる髪が、そよ風に遊ぶ。

 こんななんでもない日が、ずっと続きゃいいのにな。
 ミノリが、この世界に生まれた女だったら、よかったのに。




 帰って、ミノリは早速ショウユを使った料理に取り掛かった。なんか独特の匂いするし、舐めさせてもらったらすげえ塩辛かったけど……ミノリの腕は信用してるからな。任せた。
 俺は一人、黒猫の師匠のところに出かけた。
 ミノリには、式の立ち会いを頼むからと言った。手土産に、小魚の干物を持たされた。

 師匠は、相変わらず、路地の奥の狭っ苦しい工房にいた。窓際に丸まったまま、ちらっと目を開けて、また閉じる。
 俺が来ることなんか、師匠にはお見通しだったんだろう。
 俺は机の上に無造作に置かれている未来視の水晶を手に取った。別に魔力はかけないし、視ないけど。

「……ミノリちゃんの薔薇、すげえ上手くいってんだ」
「ふーん」
「ミノリちゃん、俺と生きていきたいって、言ってくれた。ミノリちゃんの父ちゃんと母ちゃんの結婚式の話してくれてさ。……元の世界の話、ほとんどしなかったのにな……なあ、師匠。あの子、わかってて言ってんだよな……」

 自分はもう、忘れちまうから。かわりに、俺に覚えててくれって、話してくれたんだ。
 料理のメモも、そういうことなんだろう。ミノリが食って育った、きっと母ちゃんに教わった料理。俺が能天気に美味いって喜んだ料理。
 忘れても、作れるようになんだ。

「うん」
「かわいいんだ。大事なんだ。絶対に、幸せにしてやりてえ」
「そんなら、そうしな。あの子、僕には結局、なんにも頼まなかった」
「……俺さあ、死ぬほど、考えたんだぜ」

 水晶玉には、ぐんにゃり歪んだ俺が、映っている。

「満開の月下の薔薇は、誓願の印としちゃ最強だ。祭壇に落とした薔薇の血を媒介にすりゃ、できる。そうだよな?」

 師匠が目を開ける。俺は屈んで、その金色の目を真っ直ぐ見て、頼んだ。

「師匠、教えてくれ。万に一つも失敗できねえ。俺は、どんな恐怖も苦痛も感じさせずに……ミノリちゃんを、元いた時間と場所に、帰したい」




 ニクジャガも鳥のテリヤキも、めちゃくちゃ美味かった。

「……美味い」

 そう言ったら、ミノリは口元に手をやって笑った。
 ああ、どんなささいな仕草だって、なにひとつ俺は忘れねえよ。




「もーすこしだな」

 寝床で声をかけてやれば、こくりと頷いた。
 ミノリの白いすべすべの腹に、本当に一輪置かれているような赤い薔薇が浮かび上がって、ふわり、甘い香りを漂わせてる。
 薔薇に舌を這わせると、ミノリは細かに震えて、蜜を溢れさせはじめる。昼間から、ぎりぎり限界なの、気づいてたよ。

「いーこ。声、我慢すんなよ。いっぱいイって、いいからな」

 何度も、何度も、抱きこんで、探って、鳴かせて、精魂尽き果てて眠りに落ちるまで、しつこいほど責め立てる。

 俺のかわいい番。
 夜が明けなきゃいい、式の日なんかこなけりゃいい。

 決めたはずなのに、ぐらついて。不安をかき消すように、ミノリを貪る。
 ミノリの腕が伸びてきて、俺の頭を抱いた。宥めるみてえに、角の間を撫でる。

「……ヴァンさん?」

 気遣わしげな、声。

「なんでもねえ」

 ガキみてえに泣きたくなるのを堪えて、唇を噛んだ。
 もう一度、深く、強く、犯しはじめれば、ミノリは快楽に叩き落とされて、いらねえことを考えなくなる。
 お前のためなんだよ。変に察し良くなりやがって、優しくすんじゃねえよ。手放せなくなったらどうすんだよ。
 俺は……拾いもんの異界人をおもちゃにした、くだらねえ、柄の悪い山羊なんだ。



 
 大丈夫だ。
 そうなっちまえば、躊躇わない。
 式の祭壇で、俺は結局のところ、獣じみた欲望のままに、ミノリの薔薇を散らすだろう。

 それで、終いだ。
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