紙杯の騎士

信野木常

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最終話 テイクアウトのスープカップ

6. 誤算

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 雨の中で、ウルスラは現状を確認する。カレドヴール隊とクレイノンがダゴン級と交戦中。ダゴン級の足止め、クリア。ケイは〈星に伸ばす手リーチフォーザスターズ〉で〈落とし仔〉に挑むもまた通じず、行動を陽動に切り替えた。色々と悔しいけど〈落とし仔〉のダゴン級からの引き離し、クリア。イセのコンゴウ改甲は所定の位置に。いつでも弾体射出可能。
 アメノハバキリと徹界弾。ウルスラが海浜警備隊から提供された資料と仕様を見る限りでは、起源体に通用しうる代物だった。不満な点があるとすれば、肝心要の徹界弾の材質が機密で黒塗りだったことだろうか。同盟国でも明かせない情報なんて、ボク自身山盛りで持ってるから、文句が言えたもんじゃないけどさ。
 今回の作戦。プランAは星辰コード"ALDEBARAN"をセットした〈星に伸ばす手リーチフォーザスターズ〉による起源体撃破。プランBはコンゴウ改甲のアメノハバキリによる撃破に当たる。もう一つ、皆に明かしていないプランAダッシュもあるにはあるけれど、大博打過ぎるので本当に最後の手段にしたい。
 現在はプランBを遂行中。ウルスラは各騎体の現在位置を改めて確認する。全て異常なし。〈夜明けの風〉も、徹界弾の効果範囲外にある。〈夜明けの風〉での撃破に未練はあれど、拘り過ぎはきっと自身も騎士も滅ぼしてしまう。まあボクの指揮で撃破するんだから良しとしないと。
 ウルスラはコンゴウ改甲に合図する。
「イセ、撃って!」


* * * * *


『イセ、撃って!』
 ウルスラ嬢の合図に、ソウリはコンゴウ改甲の繰傀系を天羽々斬《アメノハバキリ》に切り替えた。右手の人差し指に引き金の感触が発生する。照準はとうにC類起源体の丸くブヨブヨした頭部の中心に据えてある。的は外しようもなく巨大で、ダゴン級と比べてもはるかに移動速度は遅い。射線上にも障害物は一切ない。外すはず、ない。
 ソウリは照準をいま一度確認する。クロスの中心は起源体頭部のほぼ中央、巨大な眼の上に合っている。後は引き金を引くだけ。迷わず引き金を引

 目が、巨大な眼と合った。

 すでに引き金は引かれた後。唐突な浮遊感の中で、ソウリは暗い曇天を見上げていた。落下の感覚が冷たく背筋を駆け上る。落ちている。それだけしかわからない。砕けた瓦礫が視界を覆ってゆく。その中に。
 瓦礫をかき分けるように砕き散らす、超大な触手を見た。



* * * * *



 コンゴウ改甲が撃つまさにその瞬間、その足場となった廃ビルが内側から砕け散った。射ち放たれた徹界弾は〈落とし仔〉を逸れ、遥か上空に消え去った。
「なっ!?」驚愕するウルスラが見たものは、廃ビルのあった海面から暗雲に向かって生え伸びる、一本の超大な触手だった。「イセ! 状況は!?」
 呼びかけても反応がない。騎手のバイタルを確認。生命維持に異常はないものの、意識が失われている。
 まんまとしてやられたのだと、すぐにウルスラは理解した。触手に海中を、否、海底を進ませてあの廃ビルを破壊したのだ。あの〈落とし仔〉は。
 観測に飛ばしたのがエイリイたち翅翔妖精だったなら、その優れた感知能力で何らかの兆候を感じ取れたはず。能力に劣る使鬼を使ったのが裏目に出たか。永きに渡る友だちを、死ぬことを前提に使い潰すことなどできようもないけれど。
 廃ビルを破壊した触手は、人類と妖精たちを嘲るように宙を一巡りすると、海中に消えていった。
 その様を見て、ウルスラは直観する。アレは、クトゥルーの〈落とし仔〉は理解していた。アメノハバキリと徹界弾を。
 しかしどうやって? ケイと〈夜明けの風〉について警戒するのはわかる。何せ一度やりあって傷を負わせている。しかしアメノハバキリと徹界弾については、先の特務部隊は〈落とし仔〉に向けることもできず瓦解したはずだ。警戒などしようもないはず。
 ボクは何を見落としている? ウルスラは自問する。考えろボク。あれは見目は醜悪でも神とも呼べる存在の眷属。ボクらの安易な想像など遥かに超えた力を持ちうる……まさか!?
「吸い出したのか……? MIAとなった特務部隊員の、脳から」
 イセの報告にあった、破壊された方術甲冑の、頭のない騎手の肉体。ダゴン級か〈落とし仔〉の攻撃で、損壊しただけと思っていたけれど。
 全ては想像に過ぎない。過去のアメノハバキリ試射が〈深きもの〉を通じて伝わった可能性、あるいは海浜警備隊に内通者がいた可能性もある。いずれにせよ〈落とし仔〉を打倒するには、一度でも認識された手段は使えないのかもしれない。
 と、なれば
「ケイ、今の見てた?」



* * * * *



 〈深きものども〉が謳う奇声の只中にあっても、そのビルの倒壊音は聞こえてきた。
 次々に迫る〈落とし仔〉の触手を黄衣の柱で斬り払いながら、ケイは騎内モニタで僚騎の状況を確認する。伊勢警士のコンゴウ改甲のみが騎体と騎手ともにイエロー。それはコンゴウ改甲本体と伊勢警士が中度の損傷を負ったことを示していた。
 何か、良くないことが起きている。
『ケイ、今の見てた?』
「見えては、ない」黄炎が衣のように踊る柱を振るいながら、ケイはウルスラの問いに答える。「何が、あったの?」
『イセが狙撃ポイントを奇襲された。コンゴウ改甲は行動不能。グリフを救援に行かせたいけど、ダゴン級周りの掃討で動かせない』
 ウルスラの言葉は、プランABともに破綻したことを告げていた。
 と、なれば
『やれる?』
 それだけで、彼女が何を問うているのかケイにはわかる。だから。
「ああ、やる」
 ただそれだけ答えて、黄衣の柱となった剣を右肩に担ぐと、後ろに跳んで〈落とし仔〉から距離を取った。触手がこちらに届くまでの間の、ほんの少しの時間を稼ぐ。
『頼んだよケイ!』〈夜明けの風〉にウルスラの声が響いた『深淵発動機潜行、深度限界到達。セット、星辰コード"UNCHARTED STARS"!』
 刹那、ケイは両肩に走った激痛に咆え、背を仰け反らせて、みた。
 どことも知れぬ光の世界の中心に、あらゆる形に変幻する奇怪ないきものたちを。走るもの、羽ばたくもの、吼えるもの、牙を剥くもの、剣を振るうもの、うねるもの、炎を吐くもの、踊るもの、這うもの……そして僕は高らかに歌いながら、四本の腕をもって空中から無数の刃の剣を引き出し、振るってはそのいきものたちを斬り、刺し、貫いて放り投げて、宇宙のすべてに響き渡るような笑い声を上げて……
 瞬きの間にその光景は消えた。替わりに〈夜明けの風〉の剣の鍔元から、暗く輝く宝石のような結晶が顕われた。結晶は成長を始め、急速に黄衣の柱を喰らい呑み込んでゆく。

 ――――――――――!!

 〈夜明けの風〉の暗く輝く宝石の大剣を前にして、クトゥルーの〈落とし仔〉が一際大きな咆哮を上げた。その超大な触手をすべて振り上げて。蛸めいた頭部が上へと持ち上がり、鉤爪を備えた両腕が顕わになる。
 クトゥルーの〈落とし仔〉の、海中にあった上体が現れ出た。



* * * * *



 あと一撃。とキースは見積もった。渾身の力で錨鎖《アンカー》を引いて、ダゴン級〈深きもの〉の右腕を封じながら。
 ダゴン級の背に乗ったクレイノンのコリネウス。その穿撃戦鎚《パイルハンマー》の執拗な攻撃によって、ダゴン級は背の鱗を砕かれ、皮を裂かれ、肉を穿たれ、その中枢系を晒すまであと僅かに見えた。
『しぶてぇが、これで終わりだ!』
 コリネウスが止めとばかりに穿撃戦鎚を振りかぶった。まさにその時

 ――――――――――!!

 クトゥルーの〈落とし仔〉の、これまでにない大きさの咆哮が轟いた。
 同時に、ほんの一瞬、鈍く青く粘るような光がダゴン級の巨体を包んで消える。

 PpPppPpHHhHHHHHHHHh'nNnNNnNNnnNNnnnnnn!!

 〈落とし仔〉に呼応するようにダゴン級が咆え、これまでにない力でその身をうねらせ大きく仰け反らせた。
『どわぁっ!』
 脚部でダゴン級の背を挟み、クレイノンは落ちまいと足掻く。ダゴン級の両腕を封じるキースとセドリックも無事ではなく、急に増大したその膂力に、自身の肉体と騎体が限界に近付きつつあった。
『隊長、こいつ急に力が……ぐぁあっ!?』
「セドリック!」
 セドリック騎がダゴン級の左手に錨鎖ごと引き上げられ、競技のハンマーのように振り回され、飛ばされた。
 あの咆哮か。キースは理解した。あの咆哮が轟いた瞬間、ダゴン級は青い光とともに力を増した。ダゴン級の〈深きもの〉は長生者《エルダー》個体だと言われている。奉仕種族の長生者《エルダー》は主神に貢献し力を授かるもの。今、目にしたのはまさにそれではないのか。
 このままでは危険だ。即、キースは錨鎖《アンカー》を騎体左腕から切り離そうとして
「っ!?」
 背後からの重い一撃に騎体ごと飛ばされ、倒壊したビルの壁に突っ込んだ。
 くらくらする頭を振って眩暈を払い除けながら、キースはすぐに騎体を起こす。何をされた? グリフの奮戦で〈深きもの〉個体の接近はなかったのは、直前の騎内モニタで確認している。
 そして唐突な浮遊感。急上昇した視界に、キースは見た。自身の騎体に巻き付いた触手が、自分を空中へと持ち上げているのを。
『隊長! コイツは……』
『蛸が混ざったか! このクソがっ』
 グリフ騎とクレイノンのコリネウスもまた、キース騎同様に触手に巻かれて空中に在る。
 触手の強力な力に締め上げられ、軋む騎体内に緊急除装アラートが鳴り響く。しかし除装はできない。した途端に生身が触手に巻かれて挽き肉だ。
 最新鋭騎体ハイランダーとほぼ同等の機関出力を持つウォードレイダーMkIII。そのフルパワーでもがいても、巻き付く触手を振りほどけない。
「く……」
 それでも空中でもがきながら、キースは見た。
 クトゥルーの〈落とし仔〉同様の長大な触手が無数に、海中にあるダゴン級の下半身から生え伸びているのを。



* * * * *



 腕なんかあったのか。上体を現したクトゥルーの〈落とし仔〉を見てそんなこと思いつつ、ケイは大きく寄せてくる波を蹴り、暗い宝石の大剣を振るおうとして
 剣の重量に耐え切れず、膝を着いた。
 何が起きた? ずっと手ごろな重量に感じられていた剣が、今は電柱か何かを背負わされているかのように重い。
「うぁっ!」
 更に急激に重さは増し、〈夜明けの風〉の肩から背へと圧し掛かかってくる。ケイはやむなく柄から左手を離して海面に着く。しかしそれでも重さに耐え切れず、海面に縫い留められたようにその場から動けなくなった。
「ウルスラ! どうなって……!?」
『柄から手を離して離脱! 急いで!』
 彼女は言うが、無理だ。今、手を離せばそれこそこの剣は〈夜明けの風〉もろとも僕の身体を圧し潰す。
 ――――――!
 高く、大きく〈落とし仔〉が咆える。
 嗤っている。その咆哮を聞いてケイは直観する。僕の有様を見て、ほんの少しだけ、あの異形の神の仔は悦んでいる。
 大きな、何も掴めそうにないほど大きな鉤爪の付いた左手が暗天へと持ち上がる。
 その様を、ケイは見ていることしかできなかった。
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