紙杯の騎士

信野木常

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最終話 テイクアウトのスープカップ

5. 作戦開始

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 最も高い廃ビルを見定めると、ウルスラは〈夜明けの風〉の肩を蹴って跳んだ。海面から聳えるビルの壁面を駆け、跳んでまた別のビルを駆け、目的のビル屋上に辿り着く。
 そこはクトゥルーの〈落とし仔〉と、姿を現したダゴン級の〈深きもの〉を一望にできた。
「そんなにあの一撃が痛かったのか? 随分とでかい番犬じゃあないか」
 海上に聳える〈落とし仔〉を睨み据え、ウルスラはキースに呼びかけた。
「キース、聞こえるね?」
『Yn eich ewyllys!(御意に)』
 通信感度は良好だ。〈夜明けの風〉をサーバにして構築した、ローカルエーテルリンクによる通話システム。急拵えだったが、不可触領域内でも正常に稼働する。この事実は今後、〈古く忘れられた統治者〉たちとの戦いを行っていく上での朗報と言える。起源体、〈落とし仔〉級の敵を相手に、騎体間の通信が不可能な環境で戦うのは至難という言葉を超えている。
 しかしこれで、エーテルリンクの存在がニホンの知るところとなった。今後、開示を要求されるのは間違いない。
 時間の問題ではあったけれど。本国の連中、良い顔しないだろうなあ。ウルスラは戦鎚を置くと、左手を巡らせ宙から紙束を取り出した。黒筆で文字と図形、記号が書かれたそれは、戦術陰陽士が操る人工精霊・使鬼の喚起媒体、呪符だ。
 不可触領域内で、翅翔妖精たちは使えない。大地とのつながりを断たれ、おそらくは数分程度で消滅してしまう。それは使鬼も同じだが、こちらは術士の被造物。使い捨て前提の運用ならば何も問題はない。ウルスラはこの使鬼の呪符を、海浜警備隊の戦術陰陽士から手に入れ、独自の仕様に書き換えた。
「これも現場の判断さっ、と」
 ウルスラは屋上から紙束を放る。紙束はバラバラと宙に舞い散り、その一枚一枚が赤い羽の烏に変じた。
 赤烏たちは方々に飛び、観測情報をウルスラのタブレットに送ってくる。こちらも感度は良好だ。部隊各員の現在位置、〈落とし仔〉とダゴン級、この領域に点在する〈深きもの〉個体の位置が把握できる。
 今のところ、状況は作戦どおり推移している。
「位置情報を送るよ。みんな、後は手筈どおりに」



* * * * *



 なんてでかさだ。キース・ボーエンは驚愕した。アルビオンの創設期から星辰装甲を駆り、〈深きものども〉を始めとした界獣と戦い続けて20余年。大型亜種を含めて数えきれないほど、その個体を目にしてきた。が、これほどまで巨大なものは初めて見る。海面に出ている上体部だけで、ゆうに20メートルを超えている。海中の下体と尾を含めれば、更にその倍に届くのではないか。
『位置情報を送るよ。みんな、後は手筈どおりに』
 我が心の主君からの通信と同時に、各騎体の位置情報が送信されてくる。ダゴン級を避けて〈夜明けの風〉は右に、コンゴウ改甲は左に駆け抜け〈落とし仔〉を目指す。それぞれが〈星に伸ばす手〉とアメノハバキリという切り札を持つ騎体だ。ここで損耗させるわけにはいかない。
 このダゴン級〈深きもの〉の足止め、可能ならば殲滅は、我々アルビオン戦士団の役目だ。
「グリフは周辺を警戒。セドリック、クレイノン、続け!」
『『了解!』』『おう!』
「Y Ddraig Goch!」
 キースが鬨の声を上げ、三騎の星辰装甲がダゴン級に肉迫する。



* * * * *



 海没ビルの合間を抜け、伊勢ソウリは目的のポイントを目指してコンゴウ改甲を駆る。断続的に樹海の巨木のような起源体の触手が降りかかってくるが、躱しきれないほどの速度ではなかった。
 ウルスラ嬢から送られてくる位置情報を確認。当初の予想どおり、C類起源体は少しずつ御幡少年の〈夜明けの風〉に寄っている。最初の遭遇戦で傷を負わされた影響で、C類起源体は〈夜明けの風〉の脅威度をより高く見積もるのではないか。そんな予想をウルスラ嬢は立てていた。
 それでも、このコンゴウ改甲が放っておかれているわけでもなかった。D類特種害獣が海面から湧いてくる。その全てをソウリは避け、躱した。馴染みの現場で地の利は熟知している。廃ビル、廃屋、水深の浅い区画……その全てを利用してソウリは狙撃ポイントを目指す。C類起源体に射線の通る場所。再突入前にピックアップしていた候補の内の一つは、もう目前だ。
 傀体内モニタに、D類の接近が知らされた。左前方。数は二体。
 いちいち相手をしてはいられない。コンゴウ改甲は海面を蹴って跳び、廃ビル四階の窓枠に手をかけた。足元の空隙を、跳ねたD類の牙列が過ぎてゆく。それを顧みず、ソウリはビルを這い上る。右に左に順に手をかけ、爪先を壁面に叩き込んで進む。
 屋上に到達すると、ソウリはすぐにC類起源体の位置を確認した。先の位置からほぼ動いていない。よし。
 コンゴウ改甲をC類起源体に向け、ソウリは射撃固定具を展開する。両脚部の側面と脹脛から装甲が分離。装甲はビル屋上床面に接地すると、スパイクを打ち込んでコンゴウ改甲の傀体を固定した。
 右肩の砲身を下げ、照準をC類起源体に合わせる。的はでかい。そのブヨブヨの蛸頭を塵も残さず消し去ってやる。
「さあ、終わらせてやる」
 後は、合図を待つだけだ。



* * * * *



 巨大な〈深きもの〉、ダゴン級をアルビオン勢に任せ、ケイは〈夜明けの風〉で右へ駆けた。海面の至る所で姿を現す〈深きもの〉を避けるため、左腕の錨鎖アンカーを廃ビル上部に射出。即巻き上げて、騎体を壁面に張り付け這い上る。
 屋上に出るとすぐに駆け、縁から跳躍、別のビル屋上に着地してまた駆ける。劣化し脆くなった床面に、幾度となく足を取られながら。廃ビル群が続く限り、このまま距離を稼ぎたい。
 〈夜明けの風〉は一路、クトゥルーの〈落とし仔〉を目指して跳び、駆ける。視界に徐々に大きくなる山のような影。顕わになったその巨大な眼と、ケイは目が合った気がした。瞬間

 ――――!

 〈落とし仔〉から、音楽の時間に聞いたオーボエに似た、奇怪な咆哮が上がった。
「ぐっ!」
 耳から頭を殴られたような衝撃に、ケイの胸の空気が強制的に吐き出される。が、かつてのように前後不覚になるほどではなかった。慣れたのか。あるいはノッカーの薬酒のお蔭か。
 左から薙ぎ払うように、〈落とし仔〉の超大な触手が襲いかかった。ケイはこれを前に向かって跳躍し、ビル屋上を転がってやり過ごす。転がる勢いのまま立ってまた駆ける。見れば〈落とし仔〉は変わらず其処にいる。
 よし、このまま。流れる汗を拭う間もなく、ケイは〈夜明けの風〉を駆る。僕の役目は陽動、兼、切り札。どちらの役を果たすにも、〈落とし仔〉をダゴン級から引き離し留めねばならない。
 間もなく廃ビル群が終わる。そろそろ決着をつける時だ。

 ――――――――!

 再びの咆哮を聞き流し、ケイは廃ビルからその身を躍らせた
「ウルスラ!」
『深淵発動機潜行、深度限界』ケイの呼びかけに応え、ウルスラが〈星に伸ばす手リーチフォーザスターズ〉の機能を解放する。『セット。星辰コード"ALDEBARAN"』
 振りかぶった〈夜明けの風〉の大剣が一瞬で、黄色い炎の衣をまとう巨大な柱と化す。その刹那、ケイの視界にかつて見た異様な世界の光景が押し込まれた。高く聳え立つ尖塔群、黒い液体で満たされた湖とか知るかうるさい。この光景を押し込んできたモノへ向け、ケイは声に出さずに言い放つ。今はそれどころじゃないんだ。怒りを奮い起こして、吐き気と眩暈に耐える。
 降下の勢いに乗って〈夜明けの風〉の大剣を振り下ろす。黄衣の柱が真っ向、縦の軌道を描いて、〈落とし仔〉の膨れた頭頂部に当たって、僅かに喰い込み
 ぬめるように、逸れた。
 海面に着水した〈夜明けの風〉の剣は、〈落とし仔〉の触手を幾本か斬り飛ばすに留まった。
「クソっ!」
 悪態をつきながら、ケイはすぐにその場を飛び退いた。直後に〈夜明けの風〉が居た位置を、一際太い触手が叩く。
「ダメだウルスラ!」巻き上がる飛沫を切り拓くように、ケイは黄衣の柱を振るって迫る触手の群れを薙ぎ払う。「前より手応えはあったけど、今のままじゃ、剣は通らない!」
『ケイ、プランBだ!』
「了解!」
 即座に頭を切り替えると、ケイは〈落とし仔〉を巡るように全速で駆け出した。



* * * * *



 巨岩のような右手を掻いくぐり、キースはダゴン級〈深きもの〉の背後を取った。跳びかかると同時に、双手の戦斧をその背に叩き込む。浅い。もう一度。

 yyYYYgGAGGaaaAAaaa!!

 ダゴン級が苦鳴のような咆哮を上げ、その巨体をうねらせる。
 振り落される前に、キースはダゴン級の背を蹴って跳び下りた。単純に巨体故に構成組織が厚く、ウォードレイダーMkⅢの戦斧では、脊柱に類する中枢系まで刃が届かない。巨木を伐る要領で何度も叩いて削れば、いずれは届くかもしれない。しかし〈深きもの〉の再生力を考えると、それは現実的な策ではない。コリネウスの穿撃戦鎚であれば、あるいは。
「セドリック! クレイノン! "磔刑"だ!」キースはアルビオン勢に、対大型亜種用戦術の一つを指示した。「鎗はクレイノン!」
『了解!』
『おう、任せな!』
 返事を皆まで聞くまでもなく、キースはダゴン級の右側面に回る。振り落される水かきの右腕を避け、騎体左腕の錨鎖を射出。ダゴン級の右手首に錨を撃ち込んだ。
 ダゴン級がキースを認め、左腕を振り上げる。その左腕に、今度はセドリック騎の射出した錨が撃ち込まれた。
 キースとセドリックは互いの錨が固定された瞬間に、高速で後退を開始。ダゴン級の腕を右と左に引っ張った。

 giGgGaaaiiiAyyyAAA!!

 両腕を広げた状態で固定され、ダゴン級が呻くように咆えた。それでも無事な上体を激しくゆすり、拘束を逃れようと足掻く。
『させるか!』クレイノンがダゴン級の背に錨を撃ち込むと、鎖を巻き上げその背に取りついた。『死んでオレの武勲いさおしとなれ! デカブツ!』
 クレイノンが咆え、コリネウスの穿撃戦鎚をダゴン級の背に打ちつける。瞬間、ボボッという乾いた音とともに鎚頭から三本の尖杭《パイル》が射出され、ダゴン級の背を穿った。

 GI..GGGAgagaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!

 一際大きな咆哮を上げ、ダゴン級が激しくその身をよじる。
 クレイノンは落とされまいとしがみつき、ダゴン級の背を穿った尖杭を固定する。
 キースは数を数えた。un、dau、tri、pedwar……何秒経っても、ダゴン級が崩れる気配はない。まだ浅いか。
「クレイノン! もう一度だ!」
『おうよ!』
 コリネウスは穿撃戦鎚を振りかぶると、再度、穿った背の穴に目掛けて叩きつけた。
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