紙杯の騎士

信野木常

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最終話 テイクアウトのスープカップ

4. 神性移植者

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 黒く強固な装甲に覆われた腕を上げ、指を動かしてみた。いつも扱ってきた丁種ヨロイより、少しだけ重いような気がする。メイハはコンゴウの傀体越しにそう告げた。何せ界獣と戦うなど初めてのことだ。少しの不安要素も解消しておきたかった。
「甲種と言っても20年前の傀体ですからね」
 アヤハが立ち上がったコンゴウを見上げて言った。その隣でマキが不安げにこちらを見上げている。マキには悪いことをしてしまったな、とメイハは思う。今はそんなゆとりはないが、みんな終わったら謝らねば。
「宿曜炉の出力は今の丁種ヨロイでも比べものになりませんが、繰傀レスポンスは幾分劣ります。が」そこで言葉を切ると、アヤハは星図の円柱を出して見せる。「わたしが書いたこっちの星図を使えば、カバーできます。現行の甲種方術甲冑平均のおおよそ三・八倍の出力を出して、余剰分の星辰出力で擬筋組織を構成する星辰伝導繊維を賦活。伝導効率を上げてレスポンスをカバー。結果的には、後継傀体コンゴウ改の三倍程度の傀動力を引き出せます」

 一般に、方術甲冑の動力源たる星図の記述は宿曜書士の職能範囲、方術甲冑本体の製作・整備・改装は甲冑技士の職能範囲とされる。アヤハはその双方の知識に通じていた。双方ともに、中等部生には学習困難な知識とされているのに。どうしてそんなことができるのか。かつてメイハが訊いた時、アヤハは言った。

 わたしには、強いて言うなら星々の音が聞こえるんです。姉さん。

「ただ星辰伝導繊維の耐久性は、純粋に素材に左右される部分なのでどうにもなりません。昨夜も言いましたが、高出力で動かす間は、常に繰傀者に負荷がかかり続けます。姉さん以外の人間がこれを扱えば、全身の筋繊維が千切れ関節から骨が砕ける。汎人でも、恐らくは正しく発現した遺伝子調整者でも」
 アヤハがこのコンゴウに施したのは、強大な力と引き換えに、それを繰る者の肉体を破壊する調整。常人がこれを扱うのは自殺行為でしかない。しかし異常なまでの頑健さと回復力を持つメイハだけは、これを扱える。
 御幡ケイを取り戻すため、彼が戦う理由を無くしてしまうため、新トウキョウ湾に現れた〈大きく、強く、底知れぬほど深く、臨めぬほど高いモノ〉を、界獣どもを殺すにはどうすればよいのか。
 二人の力で、界獣以上の怪物を造り出してしまえ。
 それが、玖成姉妹の出した結論だった。
 メイハは傀体内の時刻表示を見た。現在15時52分。再突入作戦が開始される一六時まで、あと僅か。調整に思っていたより時間がかかってしまった。さっさと行かねばケイが出る。メイハはコンゴウの右手で、脇に置いておいた大剣の柄を掴むと肩に担ぐ。りぃんと澄んだ音を鳴らすその緋色の刀身は、甲種方術甲冑であるコンゴウのおおよそ倍、十メートル近くあった。
「傍にあった以上、これがこのコンゴウの主武装だったのでしょう」アヤハがノートPCのモニタを見る。「このPCでの解析だけでも、高い星辰伝導率がわかります。これに比べれば、そこらに散らばった武装の類はそれこそガラクタです」
「そろそろやってくれ、アヤハ」
 時計が進む。時間がない。
 アヤハが手にした円柱をコンゴウ腰部のスリットに装填した。途端に、傀体内モニタ下部に赤い警告文が走り出す。『不正な星図の利用を直ちに停止してください。不正な星図の利用を直ちに――』鬱陶しいことこの上ない。
「何とかならないのかアヤハ」
「この機能だけロックが解けませんでした。諦めて我慢してください」
 なら仕方ないか。メイハは気にするのを止め、膝を曲げてコンゴウを前傾させた。その動作だけで、レスポンスが向上したのがわかる。
「あ、あのさメイ」それまで黙っていたマキが、意を決したように顔を上げて言った。「ミハタっちに何かあったんだろうなとは思うんだけどさ。帰って、くるよね?」
「ああ、必ず」そのために行くのだから。メイハは告げると駆け出し廃屋を抜け、湾の廃ビル目掛け跳躍する。「!?」
 メイハは驚愕に目を見張る。少し距離を稼ごうと軽く跳んだだけのつもりが、コンゴウの傀体は軽く中空を舞っていた。
 しかし重力に従ってすぐに下降する。即座にメイハは落下先を見据え、湾に出る最短の経路を頭に描く。緋色の巨剣を持つ武者は、鉄筋の廃屋の屋根に着地した。即、これを踏み砕いて跳び、次は傾いた廃ビルの壁面を蹴って先へ。更に先へ。目指す場所は、中空に出ればひと目でわかる。晴れた新トウキョウ湾の空の中で、市街に迫る暗雲がある。
 全身が、特に足が痛み出し、訴えるように痙攣した。ばつん、と右腿で何かが切れる感触にメイハは顔を顰める。右腿の痛みはすぐに消えたが、次は左足首が痛みをもって止まれと訴えてくる。しかし止まってなどやらない。どこぞの金持ちが愛人の胎を使って造った、無駄に丈夫なこの身体、今は大いに利用させてもらう。
 回復したての右脚で、ビルを蹴ってまた壊して。自身の身体を壊し、直してを繰り返して。
 メイハは緋色の巨剣を携え、空を翔ける。



* * * * *



 行ってしまった。数秒前まで目の前にいた親友は、既にはるか先の空の下。そのヨロイの後姿はもう、豆物サイズにしか見えない。
「メイ、大丈夫だよね」
 空に向かって、マキは言った。誰にともなく願うように。アヤハは、コンゴウ改の三倍の力が出せる代わりに、繰傀者にとんでもない負荷がかかるとか言っていた。いかにメイハが頑丈でも、そんなヨロイに乗って無事で済むとも思えない。
「もっと強力な調整でも、姉さんだけは死にはしません。マキさんのお蔭で、あれだけ食べられましたし」マキのすぐ傍らから、アヤハの言葉が聞こえてきた。姉妹故の信頼なのか。ひと欠片の疑念も心配も感じさせない声で。「実は三倍の傀動力云々も、ここだけの話、割と適当というか……もっと出てます、たぶん」
「ちょ、アヤっち。一体全体、何しようとしてるのさ?」
 マキは問う。他にもメイハの目のこととか、訊きたいことはあったけれど。そもそも避難もしないで姉妹揃って、こんな廃墟で、とんでもない改造ヨロイを組み立てて何をしようとしているのか。
 マキが隣に目を向けると、アヤハが膝を折って崩れるところだった。
「アヤっち!」地面にぶつらかぬよう、マキは慌てて抱き留める。「ちょ、すごい熱あんじゃん!」
 触れた肌が常人にありえないほど熱い。額に手を当てるともっとだ。四〇度近くあるんじゃないのこれ? 医者、じゃなくて救急車。ってここは封鎖区画の上に、今は緊急事態宣言下だ。呼べもしないし来るわけない。
「大丈夫ですよ、マキさん」あうあうと慌てるマキに、アヤハは言った。「ちょっと全力で星をみたので……すぐに治まります。水だけ少しください」
 本当かな。マキは訝しむものの、今は他に何かできるわけでもなかった。傍にあったブルーシートにアヤハを横たえて、ミネラルウォーターの入ったボトルを持ってくる。
 上体を起こしたアヤハにボトルを渡すと、彼女はおいしそうに一口飲んで
「何をしようとしてるのか……そうですね」メイハが飛んでいった空を見上げて、言った。「悪い魔女に攫われた騎士さまを、昔、助けられた怪物が助け出そうとしている。そんなところです」
 ああ、アヤっちってやっぱり不思議系だと、マキは思った。
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