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最終話 テイクアウトのスープカップ
3. ワイルド・ハント
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タブレットに流れる「完了」を意味する文字を見て、ウルスラはほっと安堵の溜息をついた。現在の時刻は14時53分。やった。間に合った。昨夜、伏莉とヒヨリに見せてもらった秘儀の舞踊と、かつてクトゥルーの〈落とし仔〉を20年余の長きに渡って封じたスズヤシノの舞う映像。この二つの映像資料を、エーテルリンクを介してアルビオンのロンディニウム本部に送り、解析と星図の算出を頼んでいたのだ。こっそり撮影してデータを録画してたのがバレたら事だが、背に腹は何とやらだ。
ダウンロードが完了した星図データの付記には、ウルスラの推測どおり、舞踊の中に、星々の座標を示す情報が散りばめられていたことが述べられていた。あと『この短時間に無茶も大概にして。こっちは残業続きなのに全員徹夜だわ。帰ったら覚えてなさい』とも。
この星図は、既に一度クトゥルーの〈落とし仔〉を放逐寸前まで追い詰めた力、その持ち主たる神格、高位存在を示す座標だろう。この価値に比べればモイヤ姉さまの小言など何でもない。〈大いなるクトゥルー〉に敵対する神格、〈名状しがたきもの〉の力で足りないのなら、次はこっちを試してやる。ウルスラ自身、賭けに近い自覚はある。しかしどのみちここで〈落とし仔〉一柱も滅ぼせねば、四年後に予想されるルルイエ浮上の阻止など、夢のまた夢だ。海浜警備隊に向けて切った啖呵に嘘はない。
ウルスラは早速、〈夜明けの風〉に星図を設定し、〈星に伸ばす手〉機構の深淵発動機を起動した。星界探査針が〈大いなる天河〉に潜行。星図に従ってその神の座を、力の源を探り……当てた。
「星辰コード……"UNCHARTED STARS"?」
タブレットに示された文字列に、ウルスラは首をかしげた。常ならば人や妖精の発声に近い音声表記で、その神格の座の名が表示されるはず。しかし今、出ている文字列は"UNCHARTED STARS(未踏の星々)"。深淵発動機はエーテルリンクを介して、アルビオン図書館のセラエノデータベースを参照。探り当てた座標に対応する星々や、次元世界の名を示すのだけれど。
「セラエノデータベースにも記述がない神格か……」
ニホンの秘儀舞踊から抽出された星図が示したのは、〈古く忘れられた統治者〉について余すところなく記されているはずの、セラエノデータベースにもない神の座。
興味は尽きないけれど、ゆっくり調べている時間は無さそうだ。
* * * * *
沙凛……と鳴った剣鈴の音が、再突入開始の合図。凛、凛と鈴の音は続き、玲瓏たる謡が始まる。もはや人の発する音に聞こえないそれは、この地から遥かな過去に去った神への呼びかけなのだと、伏莉と名乗った綺麗なひとが説明してくれた。
埠頭に造られた仮設演台で、面を付けた巫女が舞い始める。たん、と板張りの床を踏んで跳び、着地して、ダン。
「あの足の踏む位置、音の大きさが、星々の地図なんだ」〈夜明けの風〉の左肩で、戦装束のウルスラが言った。「遠く失われた神への道標。聞けば、ミスティックレイスに頼ることなく伝えていたそうじゃないか。この国の民の気の長さに畏怖すら覚えるよ」
舞う巫女の右手には剣鈴、左手に六支の扇。鈴を鳴らし、扇を返して円を巡り、跳んで着地。同時に鈴の音。悪疫病魔、妖魅邪怪を追い払う秘儀。大海嘯後、人の生きる場所を護るために為されてきたそれは今、海を回遊する奉仕種族、〈深きものども〉を押しのけるために。
境界、不可触領域までの道行きは、ヒヨリの舞でおおよそなんとかなろう。
〈落とし仔〉の潜む領域までの海路の安全を、伏莉と神事院の巫女、演者たちが請け負ってくれた。
「カレドヴール隊、先行する」〈夜明けの風〉を駆るケイに、キース隊長からの通信が入る。「ケイ卿、殿下を頼むよ。露払いは我らにお任せを! Y Ddraig Goch!」
キース隊長が雄たけびを上げ、星辰装甲ウォードレイダーMkⅢを駆って先頭に出る。
「「Y Ddraig Goch!!」」
セドリックとグリフも同じく叫ぶや躍り出た。
あ、ずらいぐ、ごーっほって何だろう? そんなことを考えながら、ケイも後に続く。シミュレーションでは叫んだりしなかったのに、三人とも何であんなにテンションが高いのか。まだ叫んでるし。それにデンカって……ウルスラのことじゃないよね。
「ねえ、ウルスラ。キース隊長たち、何であんなに元気というか、テンション高いのさ?」
「彼らは、その、何と言えばいいのかな」ケイの視界左に映ったウルスラは、珍しく居心地が悪そうに目を逸らした。「そう、懐古主義。少し懐古主義者なだけなんだ」
「懐古主義者?」
ケイは何だかよくわからなかったけれど、とりあえず作戦行動の支障は無さそうなので放っておくことにした。
キース隊長の騎体を先頭に、カレドヴール隊の三騎が先行。その後をケイの〈夜明けの風〉、伊勢警士のコンゴウ改甲の順に続き、クレイノンの星辰装甲コリネウスが最後尾を務めて不可触領域へひた走る。
その隊列は、上空から見れば矢の形のように見えるかもしれない。ケイは空を見上げてみた。不可触領域に近づくにつれて、雲の色がその濃さを増してくる。ゆらめく壁の向こう側は、雨の只中なのか。
ポツ…と雨粒が一つ、ケイの視界を横切り装甲に弾かれた。
「舞踊結界の効果範囲はここまでみたいだ」映像のウルスラが表情を引き締める。「そろそろ〈深きものども〉が湧く。皆、油断しないで」
隊直上を中心に警戒にあたっている翅翔妖精たちから、D類特種害獣〈深きものども〉の位置が送られてくる。隊の前方に二体、右に一体、後方から一体……
隊前方、ほん僅かに頭頂部を突き出した〈深きもの〉に、キース隊長のウォードレイダーMkⅢが躍りかかった。左右の手それぞれに携えた戦斧で、頸部と背骨に類する部位をほぼ同時に断ち割る。キース隊長の騎体が戦斧を叩き込んだ姿勢を保つこと数秒。〈深きもの〉は崩れていった。
しかしその数秒の隙を、次の〈深きもの〉は見逃さなかった。体勢を戻そうとするキース隊長の騎体に向かって牙列を剥いて襲いかかる…… その前に、グリフのウォードレイダーMkⅢが隊長同様の技術でこれを仕留めた。その間、セドリックの騎体が周辺を警戒。更に湧いた〈深きもの〉を、セドリック騎が迎え撃つ。
D類特種害獣、〈深きものども〉の特性として損傷の再生があり、通常の生物であれば致命傷と思える傷でも、〈深きものども〉は瞬く間に再生してしまう。これを防いで消滅させるには、損傷組織に再生命令を出す中枢系、即ち頭部から脊椎に類する部位を二箇所以上同時に断ち、数秒を待たねばならない。
カレドヴール隊の戦い方は、この数秒、騎体を動かせない隙を互いに連携して埋める見事なものだった。
「すごい……」
「まあブリタニアの海を20年以上、護り抜いてる連中だからね」感嘆するケイに、ウルスラは言った。「そろそろこっちも来るよ!」
脚に翅を生やして、ウルスラが〈夜明けの風〉の肩から跳んだ。
右から来る巨影はケイも把握していた。黄色の光を帯びた大剣を袈裟懸けに斬り下ろして、〈深きもの〉の頭部を斜めに割る。数秒を待つまでもなく、〈深きもの〉は崩れていった。
これは〈夜明けの風〉だけが持つ特異な力だった。〈深きものども〉の再生力を無視して戦える。〈星に伸ばす手〉機構による対立神性の自動付与。要は傷つけた敵にとって、猛毒となる力を剣に与えられる。
そんな便利なシステムがあるなら、この〈夜明けの風〉以外にも、もっと量産すればいいのに。
今日の昼食時。ウルスラの解説を聞いたケイは、素直に感じた疑問を口にした。
ウルスラは海浜警備隊名物のカレーライスのスプーンを銜えたまま、そっぽを向いて俯いた。
「え、なんか変なこと訊いちゃった?」
「…………」沈黙すること数秒、ウルスラは蚊の鳴くような声を出した。「…………いんだ」
「え、何?」
うまく聞き取れなくて、ケイは訊く。するとウルスラは少しだけ声を大きくした。
「どうやってあのシステムを造ったのか、覚えてない……」
「は?」
思いがけない答えに、ケイは素っ頓狂な声を出してしまう。ネリマ保安部の食堂で、衆目が一気に集まった。
「あ、すみません。何でもないです」ケイは立って周囲の海浜警備隊員の人たちに謝ると、席に戻って改めて訊いた。「覚えてないって……作ったのはウルスラじゃないの?」
「造ったのはボクで間違いないよ。理論を組んだのもボクだし」憮然とした顔でウルスラは言う。「ただあの時、ゴファノンのジジイが……あ、ゴファノンはクレイノンの親父ね、あのジジイがどっかでドラゴンの秘蔵酒を見つけてきて、もらって飲んだらこれが美味くて、飲んで飲んで完全に酔っぱらってて……気づいたら工房で寝てて、起きて見たら〈夜明けの風〉の〈星に伸ばす手〉機構が出来上がってた」
あんまりな話に、ケイが開いた口が塞がらない。
そんなケイを余所に、ウルスラは話し続けた。ちょっと恥ずかしそうに俯いて。
「試しに起動したら、構想してた仕様どおりに動いた。苦戦して詰まってた部分も全部クリアしてて……当然、同じものを造ろうとしたさ。でもダメだった。やっぱり詰まる。同じことができないかと思って、何度か深酒してみたりもしたんだけどさ」
そういえば、とケイは思い出す。初めて会って〈夜明けの風〉で戦った時、彼女がそんなことを言っていた。機構をいじってる時に酒飲んでたとか何とか。
「そりゃあ、誤作動するよね。うん」
まあ、あの日から変な動作不良はない。ケイは問題ない、と思うことにした。作戦開始まで残り三時間もない。もうこのまま行くしかない。
しかしそんなケイの言い方が癇に障ったのか。ウルスラは言った。キレ気味に。
「今はちゃんと動いてるんだからいいじゃないか! 技術者あるあるなんだよ! 何だかよくわからないけど、まあ仕様どおり動いているからヨシ!ってのは!」
とりあえず、この場に海浜警備隊の偉そうな人とかいなくてよかったと、ケイは心の底から思った。
次は正面から一体。少し間合いが近い、とケイが思う間に、滞空したウルスラがその〈深きもの〉の横っ面を戦鎚で殴り飛ばした。
ケイは体勢を崩した〈深きもの〉の横腹に剣を突き入れる。こちらはこちらで、界獣相手に戦い続けてきた者同士。自ずと呼吸は合っていた。
強力な白兵戦力を持たないコンゴウ改甲を、間に置いて護るように、〈夜明けの風〉とウルスラ、クレイノンのコリネウスは動く。
隊後方に現れた〈深きもの〉を見とめ、クレイノンのコリネウスが襲いかかった。騎手本人の体型にも似たフォルムと裏腹に、コリネウスは俊敏に駆け回ると、〈深きもの〉の背後に巨大な戦鎚を一撃する。同時にボッという音とともに、鎚頭の接触面から三本の尖杭が突き出し〈深きもの〉を串刺しにした。穿撃戦鎚とクレイノンが呼ぶそれは、当て処さえ間違えなければ、これも最小の動きで〈深きもの〉を仕留める機構を備えていた。
押し寄せる〈深きものども〉を排除しながら、隊は少しずつ前進する。
やがて暗い空の下、陽炎のようにゆらめく幕が見えてきた。
「エイリイ、皆を戻して」ウルスラは〈夜明けの風〉の肩に戻ると、翅翔妖精たちを呼び集めた。「お疲れ様。キミたちの仕事はここまでだ」
翅翔妖精は不可触領域内で活動できない。行けば世界とのつながりを絶たれて死んでしまうのだという。翅翔妖精たちは、ウルスラの手のひらに吸い込まれるように消えていった。
「皆、準備はいいですか?」ウルスラが隊の全騎体、傀体に呼びかける。たまに見せる、大人びた雰囲気で。「ここから先は、祀りえぬ神、強大にして悍ましい忘れられた統治者の王国。人類の敵の腹の中。人が人でいることすら困難な領域。神秘の種族も其処では無力。それでも私たちは進まねばなりません。人間の土地を護るために。我らの歩みを終わらせないために」
ここまで脱落者はいない。ケイは大剣の柄を持つ手に力をこめる。
「我ら〈荒々しい狩り〉となって〈古く忘れられた統治者〉どもを狩り尽くす」
ケイの内に、恐怖を塗り潰すように高揚感が湧き上がる。ウルスラの言葉には、何か不思議な力があるのかもしれない。高まる緊張と昂りに身を任せながら、そんなことを思う。
「総員、突入」ウルスラが戦鎚を振り下ろし、真っすぐ前を指し示す。「eu lladd i gyd!!(皆殺しにせよ!)」
一気呵成。今、人と妖精が手を結び、祀りえぬ神の仔を討つべくその王国へと踏み入った。
腹の底から激しい熱が吹き上がる。獣の咆哮のような雄たけびを上げて、ケイは不可触領域へ飛び込んだ。瞬間、いつか感じた頭を揺さぶられるような衝撃を受ける。軽く頭を振って酩酊感を払いのけながら、ケイは目の前の光景を正確に把握しようと努めた。
キース隊長を先頭にカレドヴール隊の三騎が先を行く。ここまでは予定どおりだ。暗天を映して昏い海面の、そこかしこに〈深きもの〉が頭を出して謳っている。
nnNngggGgGggggllLuuUUuuuuiiiIIi!
降り注ぐ雨が祝福であるかのように。大いなる御子の復活を、讃えるように。祝うように。
濃い灰色の廃ビル群を背景に、黒く影した山のような隆起がある。
海を割って伸びあがる超大な触手を前に、ケイは〈落とし仔〉までの最短の道筋を探す。幸い、ある程度は人間の建造物が残っている区画だ。上手く使えば〈深きものども〉に邪魔されずに、〈落とし仔〉の近くまで辿り着けるかもしれない。
しかしそんな考えを嘲笑うかのように。
CthulhuuUUuuUUU rRrrRR'LlLlyEeEEeehhEeeeheeeEEe!!
聞く者の頭を殴るような、巨大な咆哮が轟く。海面が割れ、巨大な〈深きもの〉、ダゴン級と称される個体が姿を現した。
ダウンロードが完了した星図データの付記には、ウルスラの推測どおり、舞踊の中に、星々の座標を示す情報が散りばめられていたことが述べられていた。あと『この短時間に無茶も大概にして。こっちは残業続きなのに全員徹夜だわ。帰ったら覚えてなさい』とも。
この星図は、既に一度クトゥルーの〈落とし仔〉を放逐寸前まで追い詰めた力、その持ち主たる神格、高位存在を示す座標だろう。この価値に比べればモイヤ姉さまの小言など何でもない。〈大いなるクトゥルー〉に敵対する神格、〈名状しがたきもの〉の力で足りないのなら、次はこっちを試してやる。ウルスラ自身、賭けに近い自覚はある。しかしどのみちここで〈落とし仔〉一柱も滅ぼせねば、四年後に予想されるルルイエ浮上の阻止など、夢のまた夢だ。海浜警備隊に向けて切った啖呵に嘘はない。
ウルスラは早速、〈夜明けの風〉に星図を設定し、〈星に伸ばす手〉機構の深淵発動機を起動した。星界探査針が〈大いなる天河〉に潜行。星図に従ってその神の座を、力の源を探り……当てた。
「星辰コード……"UNCHARTED STARS"?」
タブレットに示された文字列に、ウルスラは首をかしげた。常ならば人や妖精の発声に近い音声表記で、その神格の座の名が表示されるはず。しかし今、出ている文字列は"UNCHARTED STARS(未踏の星々)"。深淵発動機はエーテルリンクを介して、アルビオン図書館のセラエノデータベースを参照。探り当てた座標に対応する星々や、次元世界の名を示すのだけれど。
「セラエノデータベースにも記述がない神格か……」
ニホンの秘儀舞踊から抽出された星図が示したのは、〈古く忘れられた統治者〉について余すところなく記されているはずの、セラエノデータベースにもない神の座。
興味は尽きないけれど、ゆっくり調べている時間は無さそうだ。
* * * * *
沙凛……と鳴った剣鈴の音が、再突入開始の合図。凛、凛と鈴の音は続き、玲瓏たる謡が始まる。もはや人の発する音に聞こえないそれは、この地から遥かな過去に去った神への呼びかけなのだと、伏莉と名乗った綺麗なひとが説明してくれた。
埠頭に造られた仮設演台で、面を付けた巫女が舞い始める。たん、と板張りの床を踏んで跳び、着地して、ダン。
「あの足の踏む位置、音の大きさが、星々の地図なんだ」〈夜明けの風〉の左肩で、戦装束のウルスラが言った。「遠く失われた神への道標。聞けば、ミスティックレイスに頼ることなく伝えていたそうじゃないか。この国の民の気の長さに畏怖すら覚えるよ」
舞う巫女の右手には剣鈴、左手に六支の扇。鈴を鳴らし、扇を返して円を巡り、跳んで着地。同時に鈴の音。悪疫病魔、妖魅邪怪を追い払う秘儀。大海嘯後、人の生きる場所を護るために為されてきたそれは今、海を回遊する奉仕種族、〈深きものども〉を押しのけるために。
境界、不可触領域までの道行きは、ヒヨリの舞でおおよそなんとかなろう。
〈落とし仔〉の潜む領域までの海路の安全を、伏莉と神事院の巫女、演者たちが請け負ってくれた。
「カレドヴール隊、先行する」〈夜明けの風〉を駆るケイに、キース隊長からの通信が入る。「ケイ卿、殿下を頼むよ。露払いは我らにお任せを! Y Ddraig Goch!」
キース隊長が雄たけびを上げ、星辰装甲ウォードレイダーMkⅢを駆って先頭に出る。
「「Y Ddraig Goch!!」」
セドリックとグリフも同じく叫ぶや躍り出た。
あ、ずらいぐ、ごーっほって何だろう? そんなことを考えながら、ケイも後に続く。シミュレーションでは叫んだりしなかったのに、三人とも何であんなにテンションが高いのか。まだ叫んでるし。それにデンカって……ウルスラのことじゃないよね。
「ねえ、ウルスラ。キース隊長たち、何であんなに元気というか、テンション高いのさ?」
「彼らは、その、何と言えばいいのかな」ケイの視界左に映ったウルスラは、珍しく居心地が悪そうに目を逸らした。「そう、懐古主義。少し懐古主義者なだけなんだ」
「懐古主義者?」
ケイは何だかよくわからなかったけれど、とりあえず作戦行動の支障は無さそうなので放っておくことにした。
キース隊長の騎体を先頭に、カレドヴール隊の三騎が先行。その後をケイの〈夜明けの風〉、伊勢警士のコンゴウ改甲の順に続き、クレイノンの星辰装甲コリネウスが最後尾を務めて不可触領域へひた走る。
その隊列は、上空から見れば矢の形のように見えるかもしれない。ケイは空を見上げてみた。不可触領域に近づくにつれて、雲の色がその濃さを増してくる。ゆらめく壁の向こう側は、雨の只中なのか。
ポツ…と雨粒が一つ、ケイの視界を横切り装甲に弾かれた。
「舞踊結界の効果範囲はここまでみたいだ」映像のウルスラが表情を引き締める。「そろそろ〈深きものども〉が湧く。皆、油断しないで」
隊直上を中心に警戒にあたっている翅翔妖精たちから、D類特種害獣〈深きものども〉の位置が送られてくる。隊の前方に二体、右に一体、後方から一体……
隊前方、ほん僅かに頭頂部を突き出した〈深きもの〉に、キース隊長のウォードレイダーMkⅢが躍りかかった。左右の手それぞれに携えた戦斧で、頸部と背骨に類する部位をほぼ同時に断ち割る。キース隊長の騎体が戦斧を叩き込んだ姿勢を保つこと数秒。〈深きもの〉は崩れていった。
しかしその数秒の隙を、次の〈深きもの〉は見逃さなかった。体勢を戻そうとするキース隊長の騎体に向かって牙列を剥いて襲いかかる…… その前に、グリフのウォードレイダーMkⅢが隊長同様の技術でこれを仕留めた。その間、セドリックの騎体が周辺を警戒。更に湧いた〈深きもの〉を、セドリック騎が迎え撃つ。
D類特種害獣、〈深きものども〉の特性として損傷の再生があり、通常の生物であれば致命傷と思える傷でも、〈深きものども〉は瞬く間に再生してしまう。これを防いで消滅させるには、損傷組織に再生命令を出す中枢系、即ち頭部から脊椎に類する部位を二箇所以上同時に断ち、数秒を待たねばならない。
カレドヴール隊の戦い方は、この数秒、騎体を動かせない隙を互いに連携して埋める見事なものだった。
「すごい……」
「まあブリタニアの海を20年以上、護り抜いてる連中だからね」感嘆するケイに、ウルスラは言った。「そろそろこっちも来るよ!」
脚に翅を生やして、ウルスラが〈夜明けの風〉の肩から跳んだ。
右から来る巨影はケイも把握していた。黄色の光を帯びた大剣を袈裟懸けに斬り下ろして、〈深きもの〉の頭部を斜めに割る。数秒を待つまでもなく、〈深きもの〉は崩れていった。
これは〈夜明けの風〉だけが持つ特異な力だった。〈深きものども〉の再生力を無視して戦える。〈星に伸ばす手〉機構による対立神性の自動付与。要は傷つけた敵にとって、猛毒となる力を剣に与えられる。
そんな便利なシステムがあるなら、この〈夜明けの風〉以外にも、もっと量産すればいいのに。
今日の昼食時。ウルスラの解説を聞いたケイは、素直に感じた疑問を口にした。
ウルスラは海浜警備隊名物のカレーライスのスプーンを銜えたまま、そっぽを向いて俯いた。
「え、なんか変なこと訊いちゃった?」
「…………」沈黙すること数秒、ウルスラは蚊の鳴くような声を出した。「…………いんだ」
「え、何?」
うまく聞き取れなくて、ケイは訊く。するとウルスラは少しだけ声を大きくした。
「どうやってあのシステムを造ったのか、覚えてない……」
「は?」
思いがけない答えに、ケイは素っ頓狂な声を出してしまう。ネリマ保安部の食堂で、衆目が一気に集まった。
「あ、すみません。何でもないです」ケイは立って周囲の海浜警備隊員の人たちに謝ると、席に戻って改めて訊いた。「覚えてないって……作ったのはウルスラじゃないの?」
「造ったのはボクで間違いないよ。理論を組んだのもボクだし」憮然とした顔でウルスラは言う。「ただあの時、ゴファノンのジジイが……あ、ゴファノンはクレイノンの親父ね、あのジジイがどっかでドラゴンの秘蔵酒を見つけてきて、もらって飲んだらこれが美味くて、飲んで飲んで完全に酔っぱらってて……気づいたら工房で寝てて、起きて見たら〈夜明けの風〉の〈星に伸ばす手〉機構が出来上がってた」
あんまりな話に、ケイが開いた口が塞がらない。
そんなケイを余所に、ウルスラは話し続けた。ちょっと恥ずかしそうに俯いて。
「試しに起動したら、構想してた仕様どおりに動いた。苦戦して詰まってた部分も全部クリアしてて……当然、同じものを造ろうとしたさ。でもダメだった。やっぱり詰まる。同じことができないかと思って、何度か深酒してみたりもしたんだけどさ」
そういえば、とケイは思い出す。初めて会って〈夜明けの風〉で戦った時、彼女がそんなことを言っていた。機構をいじってる時に酒飲んでたとか何とか。
「そりゃあ、誤作動するよね。うん」
まあ、あの日から変な動作不良はない。ケイは問題ない、と思うことにした。作戦開始まで残り三時間もない。もうこのまま行くしかない。
しかしそんなケイの言い方が癇に障ったのか。ウルスラは言った。キレ気味に。
「今はちゃんと動いてるんだからいいじゃないか! 技術者あるあるなんだよ! 何だかよくわからないけど、まあ仕様どおり動いているからヨシ!ってのは!」
とりあえず、この場に海浜警備隊の偉そうな人とかいなくてよかったと、ケイは心の底から思った。
次は正面から一体。少し間合いが近い、とケイが思う間に、滞空したウルスラがその〈深きもの〉の横っ面を戦鎚で殴り飛ばした。
ケイは体勢を崩した〈深きもの〉の横腹に剣を突き入れる。こちらはこちらで、界獣相手に戦い続けてきた者同士。自ずと呼吸は合っていた。
強力な白兵戦力を持たないコンゴウ改甲を、間に置いて護るように、〈夜明けの風〉とウルスラ、クレイノンのコリネウスは動く。
隊後方に現れた〈深きもの〉を見とめ、クレイノンのコリネウスが襲いかかった。騎手本人の体型にも似たフォルムと裏腹に、コリネウスは俊敏に駆け回ると、〈深きもの〉の背後に巨大な戦鎚を一撃する。同時にボッという音とともに、鎚頭の接触面から三本の尖杭が突き出し〈深きもの〉を串刺しにした。穿撃戦鎚とクレイノンが呼ぶそれは、当て処さえ間違えなければ、これも最小の動きで〈深きもの〉を仕留める機構を備えていた。
押し寄せる〈深きものども〉を排除しながら、隊は少しずつ前進する。
やがて暗い空の下、陽炎のようにゆらめく幕が見えてきた。
「エイリイ、皆を戻して」ウルスラは〈夜明けの風〉の肩に戻ると、翅翔妖精たちを呼び集めた。「お疲れ様。キミたちの仕事はここまでだ」
翅翔妖精は不可触領域内で活動できない。行けば世界とのつながりを絶たれて死んでしまうのだという。翅翔妖精たちは、ウルスラの手のひらに吸い込まれるように消えていった。
「皆、準備はいいですか?」ウルスラが隊の全騎体、傀体に呼びかける。たまに見せる、大人びた雰囲気で。「ここから先は、祀りえぬ神、強大にして悍ましい忘れられた統治者の王国。人類の敵の腹の中。人が人でいることすら困難な領域。神秘の種族も其処では無力。それでも私たちは進まねばなりません。人間の土地を護るために。我らの歩みを終わらせないために」
ここまで脱落者はいない。ケイは大剣の柄を持つ手に力をこめる。
「我ら〈荒々しい狩り〉となって〈古く忘れられた統治者〉どもを狩り尽くす」
ケイの内に、恐怖を塗り潰すように高揚感が湧き上がる。ウルスラの言葉には、何か不思議な力があるのかもしれない。高まる緊張と昂りに身を任せながら、そんなことを思う。
「総員、突入」ウルスラが戦鎚を振り下ろし、真っすぐ前を指し示す。「eu lladd i gyd!!(皆殺しにせよ!)」
一気呵成。今、人と妖精が手を結び、祀りえぬ神の仔を討つべくその王国へと踏み入った。
腹の底から激しい熱が吹き上がる。獣の咆哮のような雄たけびを上げて、ケイは不可触領域へ飛び込んだ。瞬間、いつか感じた頭を揺さぶられるような衝撃を受ける。軽く頭を振って酩酊感を払いのけながら、ケイは目の前の光景を正確に把握しようと努めた。
キース隊長を先頭にカレドヴール隊の三騎が先を行く。ここまでは予定どおりだ。暗天を映して昏い海面の、そこかしこに〈深きもの〉が頭を出して謳っている。
nnNngggGgGggggllLuuUUuuuuiiiIIi!
降り注ぐ雨が祝福であるかのように。大いなる御子の復活を、讃えるように。祝うように。
濃い灰色の廃ビル群を背景に、黒く影した山のような隆起がある。
海を割って伸びあがる超大な触手を前に、ケイは〈落とし仔〉までの最短の道筋を探す。幸い、ある程度は人間の建造物が残っている区画だ。上手く使えば〈深きものども〉に邪魔されずに、〈落とし仔〉の近くまで辿り着けるかもしれない。
しかしそんな考えを嘲笑うかのように。
CthulhuuUUuuUUU rRrrRR'LlLlyEeEEeehhEeeeheeeEEe!!
聞く者の頭を殴るような、巨大な咆哮が轟く。海面が割れ、巨大な〈深きもの〉、ダゴン級と称される個体が姿を現した。
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小説家になろうでも掲載しています。
URLはこちら→「https://ncode.syosetu.com/n7001ht/」
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