紙杯の騎士

信野木常

文字の大きさ
上 下
53 / 63
最終話 テイクアウトのスープカップ

2. ノッカーのゴブレット

しおりを挟む
 午後になって、急に風が強くなりはじめた。雨が近いのだろう。ネリマ保安部施設の埠頭から新トウキョウ湾を臨むと、東の空に暗い雲が集まっているのが見える。
 ケイが左手首の時計を確かめると、針は14時18分を示していた。普段はケータイの時刻表示を見ているから、まだ少し慣れない。腕時計は、ケータイが先の〈落とし仔〉との戦いで故障していたために、海浜警備隊から支給されたものだ。
 今、もしケータイが手元にあったら、僕は何をするだろう? ケイは自問した。誰かに電話? それともメール? 心に一瞬、二人の顔が浮かんで消える。打ち棄てられた遊園地で出会ってから六年。母さんの回復と、病気の再発と、幸と不幸が目まぐるしく入れ替わった日々を、どうにか拗ねずにいじけずに生きてこられたのは、きっと二人といたからだと思う。
 ケイは頭の左の傷痕に手を当てた。この傷はあの日に負った罪だ。幼い全能感で何でもできると思い上がって、二人を危険に晒した。もしかしたら今もまた、同じ過ちを繰り返そうとしているのかもしれない。
 一緒にテスト勉強をしていたあの夜、この傷に触れたメイハは何を言おうとしていたのか。ケイは無性に訊いてみたくなった。そんな時
「Ciao!  Sir Cai!」
 威勢よく陽気な異国の挨拶が、背後から投げかけられた。チャオってブリタニアじゃなくて、確かEUの、どこだかの挨拶じゃなかったっけ? ケイがそんなことを思いながら振り返ると、翠色の目を持つ髭のブリタニア人がそこにいた。
「キース隊長」
 ついさっき、ケイはアルビオンの彼の部隊と、シミュレーターで作戦行動の確認を終えたばかりだった。
「何を黄昏れているんだ。戦いはこれからだぞ?」
 彼は流暢なニホン語で話しかけてくる。今朝、ウルスラから本場の軍人の人と一緒に戦うと聞いて、どんな恐い人だろうと緊張したのが記憶に新しい。でも会って話して、シミュレータを使ってみたら、すごく気さくな人物だった。
「やっぱり恐くて」ケイは正直に言った。「キース隊長は、平気なんですか?」
「平気なわけない。死んだことがないからな。死を恐れないのは、狂人と死者だけだ」飾らない言葉で、キース隊長は答える。「若者よ、正しく恐れよ。恐れながらも、立ち、動け。さすれば勝利を得るだろう」
「誰か有名な人の言葉ですか?」
「そうとも」キース隊長はニヤリと笑う。「この私の言葉さ」
 この人流の冗談なんだろうか。ケイは自分の口元もゆるんでることに気づいた。気を遣ってもらってるなあと思って、話題を変える。
「チャオって、ブリタニア語の挨拶じゃないですよね?」
「キミに何となく似ている友人がローマにいてね。てっきりそっち系なのかと思ったのだが。違うのかい?」
「僕は生まれも育ちもニホンですよ」
 ケイ自身、同級生の顔と比べると、少し彫が深いかなくらいは思っている。しかし家系に外国人がいるなんて聞いたことはない。
「そうかね」そう言うものの、キース隊長の顔は納得していなかった。「ま、そういうことにしておこうか」
 ケイがキース隊長と他愛もない話をしていると、ジャラジャラと鋼同士がぶつかる音が近づいてきた。
 まず目につくのは腹まである黒髭と、眼光鋭い灰色の目。隆々とした筋肉で膨れ上がった太い右腕に、幾つもの鋼の輪が嵌っている。今朝この人物をウルスラに紹介されて、ケイが連想したのは"手足の生えた達磨人形"だ。
 左脇に小さな樽を抱えてやって来た彼は、クレイノン。ブリタニアのミスティックレイス。髭もじゃ短躯の鉱工妖精《ノッカー》だ。なんでもウルスラがお世話になった人の息子さんらしい。
 当のウルスラは今、試験場で〈夜明けの風〉を始めとした再突入部隊の星辰装甲、方術甲冑の最終調整に没頭している。
「おう坊主、戦の前だ。呑んでおけ」
 クレイノンは赤銅色のゴブレットに樽の中身を注ぐと、ケイに差し出した。
「ありがとうございます」
 何だろう? ケイはゴブレットを受け取ると、中身をみて、匂いをかいでみた。色は透き通ったこげ茶。ミントのような澄んだ香りがする。
「ほらぐっといけ、ぐっと」
 ケイはちょっと怪しい気もしたが、キース隊長が飲め飲めと目で言っているので一気に呷った。
「っ!?」
 そして即、後悔した。ほのかな甘みのある灼熱に喉と鼻と胃を焼かれ、ゲホゲホと思い切りむせ返る。
「な、なんですかこれ? お酒じゃないですか!」
 呼吸を整えながらケイが恨みがましい目を向けるも、キース隊長とクレイノンは吹き出しゲラゲラ爆笑している。
「ノッカーの薬酒さ。飲めばここが」訳知り顔のキース隊長が、頭を指さす。「少々鈍くなる」
「……ふぅ。って、戦いの前に鈍くなったらまずいじゃないですか」
「この世のモノが相手なら、な」クレイノンがニヤリと不敵な笑みを浮かべて言った。「〈古く忘れられた統治者〉を、その眷属を相手にする時は、少々頭が鈍いほうがいい。でないと、いらんものが頭に入ってきて戦うどころじゃなくなっちまう」
 そういうものなのか? ふとケイは思い出す。そういえば前、ウルスラに「いい意味で鈍感だね」みたいなことを言われた覚えがある。待てよ、ということは。
「もしかして」ケイは空になったゴブレットを、クレイノンに差し出した。「界獣と戦うのに向いてる人って……」
「あっちのヤツらを殴るのに必要なもんは」ゴブレットを受け取りながら、クレイノンが言う。「鈍さと不屈、そしてちょっとの勇気だけだ」
「それって暗にバカが最適って言ってません?」
「そうとも言えるな!」
 キース隊長は言うと、クレイノンと二人で再び爆笑した。
「何を皆で大笑いしてるんだい?」
 大きな笑い声を聞きつけたのか。海浜警備隊一等警士の伊勢が、キース隊長率いるカレドヴール隊の残りの2名、セドリックとグリフと一緒にやって来る。
「おう、ちょうどいいところに来たな。エイジアの戦士よ」
 クレイノンがゴブレットに薬酒を注いだ。
 あ、同じことをやるつもりだ。ケイが皆を見渡すと、伊勢を除くこの場の皆が顔を引き締め無表情を装っている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悠久の機甲歩兵

竹氏
ファンタジー
文明が崩壊してから800年。文化や技術がリセットされた世界に、その理由を知っている人間は居なくなっていた。 彼はその世界で目覚めた。綻びだらけの太古の文明の記憶と機甲歩兵マキナを操る技術を持って。 文明が崩壊し変わり果てた世界で彼は生きる。今は放浪者として。 ※現在毎日更新中

【R18】異世界なら彼女の母親とラブラブでもいいよね!

SoftCareer
ファンタジー
幼なじみの彼女の母親と二人っきりで、期せずして異世界に飛ばされてしまった主人公が、 帰還の方法を模索しながら、その母親や異世界の人達との絆を深めていくというストーリーです。 性的描写のガイドラインに抵触してカクヨムから、R-18のミッドナイトノベルズに引っ越して、 お陰様で好評をいただきましたので、こちらにもお世話になれればとやって参りました。 (こちらとミッドナイトノベルズでの同時掲載です)

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する

美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」 御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。 ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。 ✳︎不定期更新です。 21/12/17 1巻発売! 22/05/25 2巻発売! コミカライズ決定! 20/11/19 HOTランキング1位 ありがとうございます!

処理中です...