紙杯の騎士

信野木常

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最終話 テイクアウトのスープカップ

1. バンディット・ガールズ

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 鬱蒼と茂る葛と雑木に隠れるように、フェンスに穴が開いていた。数年前に新築されて塗装もまだ新しい安全柵が、捻じ曲げられ、千切れている。ちょうど人ひとりが通れるくらいの穴の形に。
 大倉マキは、それを眺めて思う。これ、メイがやったんじゃないよね。いくらメイが力持ちでも、こんなこと…… きっと交通事故でヨロイか車がぶつかって、役所が修繕の仕事をさぼってるだけだ。そうに決まってる。
「いいのかなあ、こんなことしちゃって」
 ひとりごとを言いながら、マキは手提げ袋を抱えて第六封鎖区画のフェンスの穴を通り抜けた。ケータイを出して、改めてメールの内容を読む。そこにはフェンスの穴から、メイハがいるという大きな廃屋までの経路が書かれていた。
 昨夜遅く、行方知れずだった親友兼モデルから来た一通のメール。そこには、集めてほしいもののリストと、届けてほしい場所、遊園地跡の大きな廃屋までの地図が記されていた。末尾には「これで石崎ナニガシの件は帳消しにする」と。そして「玖成メイハ」の署名の後に「無理を頼んですまない」と思い出したように書き加えてあった。
 あのメイハが頼みごとかあ。マキは経路に従って歩きながら、中等部一年からの親友について思いを馳せた。ぱっと見、すごい美少女なのに、浮世離れという言葉を明後日の方向にかっ飛ばした変人。最近はマシになってきたものの、団体行動が苦手を通り越して不可能。クラスメイトで同性で、割と近くにいたマキは大層苦労させられた。社会科見学中に列を離れる。給食を食べ尽くす。何度ミハタっちと方々に謝って回ったか知れない。
 それでも、いいやつでもあるのだ。マキが上級生女子のグループに難癖をつけられスケブを奪われた時など、目にも止まらぬ速さで奪い返してくれた。その上級生女子連中の鞄もすべて奪って、湾から臨む水平線の彼方にぶん投げたのはまあ、やり過ぎだとは思ったけど。
 そんなメイハが、マキに何かを要求したことはこれまでなかった。
 あたしはしょっちゅう絵のモデルを頼んだりするのに。ここは一肌脱がねばなるまい。マキは避難所の人々がまだ起き出してこない頃を見計らって、シェルターを抜け出した。こちとら生まれも育ちもこのネリマだ。ガキんちょの頃の探検活動で、警備の穴や非常用通路など知り尽くしてる。
 昼の陽射しが、水浸しの遊具に反射して眩しい。しかし東の空を臨んで見ると、暗く濃い雲が徐々に迫ってきていた。
「でもこんなに……どうするんだろ?」
 手提げ袋の中身を見て、マキは首をかしげた。メイハのリストに書かれていたのは、魚、肉系の缶詰、カルシウムやビタミンの錠剤、ペットボトルのミネラルウォーター。缶詰系は大倉家の非常食として備蓄していたからすぐに揃えられたものの、錠剤は集めるのに苦労した。明け方に開きっぱなしのドラッグストアを探して歩き、代金と書置きを残して持ち出す羽目になった。
 ゆるやかな坂を上って、マキは目的の大きな廃屋に着いた。開けっ放しの入口から入ってみると、屋根は半分かた崩れ落ち、残った半分も所々破れて陽射しが射し込んでいる。
 その日陰となって薄暗い場所に、親友とその妹はいた。
「おーい。来たよー」挨拶代わりに呼びかけて、マキは二人の元へ向かう。「こんな時に二人して何してんのさ……って何それ!?」
 日陰に目が慣れてくると見えてきた。黒い、巨大な武者の像が。
 屈んだ武者像の横腹からケーブルが伸び、アヤハが膝に抱えるノートPCにつながっている。更にノートPCからは別のケーブルが伸び、巻物が高速で回転する装置へとつながっていた。
 アヤハは視力矯正ゴーグルを着けたまま、マキに関心を示すことなく一心不乱にキーを叩いている。液晶画面に何かが流れていくが、あまりに速くて、マキが近寄って見ても何が打ち出されているのかさっぱりわからない。
 落ち着いて近くで武者像を見上げると、見覚えがあるような気がする。マキは記憶を掘り起こした。確かあれは、中等部二年の社会科見学の時。歴史の勉強で、資料館の映像で観た。失地回復戦、当時に使用された武装祭器。最初の甲種方術甲冑。確か名前は
「コンゴウ……」
「よく知ってるな」
 マキが振り返ると、メイハがそこに立っていた。学校指定のあずき色ジャージ姿で。もりもりと骨付きチキンを食べながら。
「ん、持ってきて、くれたんだな」メイハはマキの手提げ袋を覗き込んだ。言葉を区切る度に、ガリゴリと軟骨をかみ砕く音が混ざる。「助かったよマキ。来てくれなかったら、その辺の魚を獲らなきゃならなかった。ありがとう」
 メイハはぽいと骨を放ると、呆然と立つマキから手提げ袋を受け取った。
 骨は食べないんだ、骨ごといきそうな勢いだったのに。じゃなくって。マキは我に返ると、溢れる勢いのまま矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「それみんな一人で食べんの? いやいやちがくて、こんなとこでアヤっちと何してんのさメイ? んで、あのヨロイは何? そもそもなんでシェルターに避難しないのさ!」
「まず、これは全部ワタシが食べる」
 言いながらメイハは袋からツナ缶を出すと、プルトップを引き開け中身を一息に飲み干した。
 マキは唖然と親友のあんまりな食べっぷりを見つめた。ツナ缶は飲み物って? カレーは飲み物なノリかよう。
 マキの視線を余所に、メイハはカルシウム剤の小瓶を出すと、蓋を開けてこれもジャラジャラと口に投げ入れる。ガリガリとかみ砕きながら彼女はミネラルウォーターのボトルの封を開け、口をつけて錠剤を腹に流し込んだ。
「ちょ、そんな食べ方、お腹壊すよ!」
「食べながらで、すまん」マキが言っても、メイハはサバ缶を開ける手を止めない。「血肉と骨が要る。時間が、ないんだ」
「時間がないって……」
 マキは食べ続けるメイハと、キーと叩くアヤハを交互に見た。どちらもその顔が強張り余裕がない。例え明日に世界が終わるとしてもマイペースを貫きそうなこの二人が、こんな顔になる原因は一つくらいしか思い当たらない。
「これから、そのヨロイで」言ってメイハは顔を上げると、廃屋に続く浅い水溜まりの彼方を見据えた。「湾にいる、でかい界獣を、殺しに行く」
「メイ、その目……」
 マキは最後まで言葉を続けられなかった。在り得ないものを目の当たりにして。
 普段なら少し青みがかって見えるだけのメイハの瞳。その左目の青い部分が濃さを増し、うねうねとアメーバのように蠢きながら、目の周りから左半顔へと広がりつつあった。
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