50 / 63
第6話 不可触領域
9. 誓約
しおりを挟む
ケイがその意志を告げた時、父は驚き、嘆き、怒り、ありとあらゆる激しい感情が混じって噴き出したような顔をした。
「な、許すわけないだろうそんなこと!」父、コウはケイの左手首を掴む。「すぐに帰るぞ! おまえはまだ学生だ。界獣のことは海浜警備隊に任せるんだ」
ネリマ保安部施設の病室で、父と息子は対面した。緊急事態下において、父は当然、息子を連れて安全な場所へと逃げようとする。
掴まれた左手の力強さが、ケイには嬉しい。でも、と思う。
「ウルスラの話を聞いてただろ、父さん。海浜警備隊だけじゃ、あの界獣、怪物は倒せないって」
「ご子息の言葉どおりです。父君」ケイの横で、ウルスラは言った。「迫る災禍の源、クトゥルーの〈落とし仔〉は、ご子息の剣でなければ届かぬ敵です」
「だからと言って……」苦みを堪えるような表情を浮かべて、父は尚も言い募る。「その剣とやらを扱うのは、ケイでなければならないのか? もっと、そう、大人の適任者はいないのか?」
「いません」ウルスラは即答した。冷然と。「私が選び、彼が選んだ。剣は選択の元にある。"選ばれる者"の元にはない。では逆に問いましょう父君。いったいどれだけ歳月を重ねれば、その命の価値は変わるのか」
それは暗に告げていた。家族以外の者が戦いに赴くのは構わないのか、と。
「少し意地の悪い問いでしたね」言葉に詰まる父と姉を前に、ウルスラは少し目を伏せる。「謝罪しましょう。ご家族ならば、抱いて当然の思いです」
「できることが、あるんだ」父と姉を交互に見つめて、ケイは告げる。自らの選択を。上手い言葉が見つからなくて、もどかしいけれど。「だからやる。できることの最大限を。幾度もやってくる理不尽を、ただ受け入れ続けるのはもう嫌だ。選べるなら、選ぶのなら」
母が病に倒れた時から、ずっと胸にあるこれを、八つ当たりじみたそれを、言い表すならきっと怒りが最も近い。
「理不尽を切り拓く道を、僕は選ぶ」
激しさを含んだ沈黙が病室を支配する。上手く伝わっただろうか、とケイがもう一度口を開こうとしたその時
「メイハとアヤハはどうするの?」思いがけないことを、姉が問うた。「あの子たち、怒るわよきっと」
瓦礫の山で、何もできない自分が嫌で、逃げ込んだ先で出会った二人。あの時だって結局、父が海浜警備隊に通報していてくれなかったら、三人まとめて死んでいた。もっと早く、父に姉に相談すべきだったのだ。
今はもう、二人には父さん姉さんも、山城先生もカコちゃんもタケヤも大倉さんもいる。だから、きっと大丈夫だ。
「メイハにはちゃんと勉強しなって、アヤハにはピーマンとかセロリとか苦いものも食べるように言っておいて」
ケイが言伝を頼むと、姉は深い深い溜息をついてから言った。
「諦めましょう、父さん」
「シグネ?」
「これはダメだわ」姉はケイに近寄ると、手首を掴む父の手に触れる。「きっとこの子、手足を失くしても這って行ってしまう。思いきったら何をされても止まらない。母さんと一緒よ」
父が目を閉じて、開けた。激しい感情はなりを潜めて、替わりにひどく苦し気な表情が浮かぶ。まるで自身の身体の一部を、今まさにもぎ取られてでもいるかのような。
ケイはその表情をかつて見たことがあった。それは二度。医師に母の病名を告げられた時と、母の心音が止まった時だ。
「勘違いするなよケイ」言う父の手が、静かに解かれてゆく。「戻ったら半年は無給で店を手伝わせるからな。それとウルスラさん、だったか」
「はい」
「ケイのことを、頼みます」父はウルスラに向かって深く頭を下げた。「あなたはミスティックレイスだ。人知を超えた知識と力をお持ちのはずだ。だからどうか、どうか、この子のことを助けてやってください」
「頭を上げてください、父君」ウルスラは父が頭を上げたのを見とめると、天を仰いで朗々と、歌い上げるように言葉を紡ぐ。「今ここに、アーサラ・アウレリアナは蒼天にかけて誓う。〈星に届く手〉のケイを、持ちうるすべてをかけて助力することを。もし、われこの誓いを破ることあらば、大地よ裂けてわれを呑み込め。海よ押しよせてわれを溺れさせよ。天の星よわれに落ちてわが命を絶て」
何かの誓い、なのだろう。ケイには後に続いた言葉の意図がわからなかった。何かとても重大なことを言っているらしいことしか、わからない。
ただこの場で、姉のシグネだけはウルスラの意図を察したようで。
「誓約ね……」姉が問いかける。「本当にいいの?」
「もちろん!」
答えたウルスラは、ケイがこれまで見たこともないほど、とびっきりの笑顔だ。
「な、許すわけないだろうそんなこと!」父、コウはケイの左手首を掴む。「すぐに帰るぞ! おまえはまだ学生だ。界獣のことは海浜警備隊に任せるんだ」
ネリマ保安部施設の病室で、父と息子は対面した。緊急事態下において、父は当然、息子を連れて安全な場所へと逃げようとする。
掴まれた左手の力強さが、ケイには嬉しい。でも、と思う。
「ウルスラの話を聞いてただろ、父さん。海浜警備隊だけじゃ、あの界獣、怪物は倒せないって」
「ご子息の言葉どおりです。父君」ケイの横で、ウルスラは言った。「迫る災禍の源、クトゥルーの〈落とし仔〉は、ご子息の剣でなければ届かぬ敵です」
「だからと言って……」苦みを堪えるような表情を浮かべて、父は尚も言い募る。「その剣とやらを扱うのは、ケイでなければならないのか? もっと、そう、大人の適任者はいないのか?」
「いません」ウルスラは即答した。冷然と。「私が選び、彼が選んだ。剣は選択の元にある。"選ばれる者"の元にはない。では逆に問いましょう父君。いったいどれだけ歳月を重ねれば、その命の価値は変わるのか」
それは暗に告げていた。家族以外の者が戦いに赴くのは構わないのか、と。
「少し意地の悪い問いでしたね」言葉に詰まる父と姉を前に、ウルスラは少し目を伏せる。「謝罪しましょう。ご家族ならば、抱いて当然の思いです」
「できることが、あるんだ」父と姉を交互に見つめて、ケイは告げる。自らの選択を。上手い言葉が見つからなくて、もどかしいけれど。「だからやる。できることの最大限を。幾度もやってくる理不尽を、ただ受け入れ続けるのはもう嫌だ。選べるなら、選ぶのなら」
母が病に倒れた時から、ずっと胸にあるこれを、八つ当たりじみたそれを、言い表すならきっと怒りが最も近い。
「理不尽を切り拓く道を、僕は選ぶ」
激しさを含んだ沈黙が病室を支配する。上手く伝わっただろうか、とケイがもう一度口を開こうとしたその時
「メイハとアヤハはどうするの?」思いがけないことを、姉が問うた。「あの子たち、怒るわよきっと」
瓦礫の山で、何もできない自分が嫌で、逃げ込んだ先で出会った二人。あの時だって結局、父が海浜警備隊に通報していてくれなかったら、三人まとめて死んでいた。もっと早く、父に姉に相談すべきだったのだ。
今はもう、二人には父さん姉さんも、山城先生もカコちゃんもタケヤも大倉さんもいる。だから、きっと大丈夫だ。
「メイハにはちゃんと勉強しなって、アヤハにはピーマンとかセロリとか苦いものも食べるように言っておいて」
ケイが言伝を頼むと、姉は深い深い溜息をついてから言った。
「諦めましょう、父さん」
「シグネ?」
「これはダメだわ」姉はケイに近寄ると、手首を掴む父の手に触れる。「きっとこの子、手足を失くしても這って行ってしまう。思いきったら何をされても止まらない。母さんと一緒よ」
父が目を閉じて、開けた。激しい感情はなりを潜めて、替わりにひどく苦し気な表情が浮かぶ。まるで自身の身体の一部を、今まさにもぎ取られてでもいるかのような。
ケイはその表情をかつて見たことがあった。それは二度。医師に母の病名を告げられた時と、母の心音が止まった時だ。
「勘違いするなよケイ」言う父の手が、静かに解かれてゆく。「戻ったら半年は無給で店を手伝わせるからな。それとウルスラさん、だったか」
「はい」
「ケイのことを、頼みます」父はウルスラに向かって深く頭を下げた。「あなたはミスティックレイスだ。人知を超えた知識と力をお持ちのはずだ。だからどうか、どうか、この子のことを助けてやってください」
「頭を上げてください、父君」ウルスラは父が頭を上げたのを見とめると、天を仰いで朗々と、歌い上げるように言葉を紡ぐ。「今ここに、アーサラ・アウレリアナは蒼天にかけて誓う。〈星に届く手〉のケイを、持ちうるすべてをかけて助力することを。もし、われこの誓いを破ることあらば、大地よ裂けてわれを呑み込め。海よ押しよせてわれを溺れさせよ。天の星よわれに落ちてわが命を絶て」
何かの誓い、なのだろう。ケイには後に続いた言葉の意図がわからなかった。何かとても重大なことを言っているらしいことしか、わからない。
ただこの場で、姉のシグネだけはウルスラの意図を察したようで。
「誓約ね……」姉が問いかける。「本当にいいの?」
「もちろん!」
答えたウルスラは、ケイがこれまで見たこともないほど、とびっきりの笑顔だ。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~
モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎
飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。
保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。
そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。
召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。
強制的に放り込まれた異世界。
知らない土地、知らない人、知らない世界。
不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。
そんなほのぼのとした物語。

余命宣告を受けた僕が、異世界の記憶を持つ人達に救われるまで。
桐山じゃろ
ファンタジー
剣と魔法の世界にて。余命宣告を受けたリインは、幼馴染に突き放され、仲間には裏切られて自暴自棄になりかけていたが、心優しい老婆と不思議な男に出会い、自らの余命と向き合う。リインの幼馴染はリインの病を治すために、己の全てを駆使して異世界の記憶を持つものたちを集めていた。
【祝・追放100回記念】自分を追放した奴らのスキルを全部使えるようになりました!
高見南純平
ファンタジー
最弱ヒーラーのララクは、ついに冒険者パーティーを100回も追放されてしまう。しかし、そこで条件を満たしたことによって新スキルが覚醒!そのスキル内容は【今まで追放してきた冒険者のスキルを使えるようになる】というとんでもスキルだった!
ララクは、他人のスキルを組み合わせて超万能最強冒険者へと成り上がっていく!

聖女の力を隠して塩対応していたら追放されたので冒険者になろうと思います
登龍乃月
ファンタジー
「フィリア! お前のような卑怯な女はいらん! 即刻国から出てゆくがいい!」
「え? いいんですか?」
聖女候補の一人である私、フィリアは王国の皇太子の嫁候補の一人でもあった。
聖女となった者が皇太子の妻となる。
そんな話が持ち上がり、私が嫁兼聖女候補に入ったと知らされた時は絶望だった。
皇太子はデブだし臭いし歯磨きもしない見てくれ最悪のニキビ顔、性格は傲慢でわがまま厚顔無恥の最悪を極める、そのくせプライド高いナルシスト。
私の一番嫌いなタイプだった。
ある日聖女の力に目覚めてしまった私、しかし皇太子の嫁になるなんて死んでも嫌だったので一生懸命その力を隠し、皇太子から嫌われるよう塩対応を続けていた。
そんなある日、冤罪をかけられた私はなんと国外追放。
やった!
これで最悪な責務から解放された!
隣の国に流れ着いた私はたまたま出会った冒険者バルトにスカウトされ、冒険者として新たな人生のスタートを切る事になった。
そして真の聖女たるフィリアが消えたことにより、彼女が無自覚に張っていた退魔の結界が消え、皇太子や城に様々な災厄が降りかかっていくのであった。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
「愛さない」と告げるあなたへ。ほか【短編集】
みこと。
恋愛
逆境を跳ね返すヒロインたち!
異世界恋愛を中心としたお話を「短編集」としてまとめました。コメディ、ダーク、いろいろ取り揃えています。章ごとに独立したお話なので、お好きなタイトルからお楽しみください。
『「愛さない」と告げるあなたへ。奇遇ですね? 私もです。』『おっとり令嬢ですが、婚約破棄なら受けて立ちましょう!』『ある公爵家における、父親の苦悩~娘が突然「婚約破棄」されたらしい』『嘘つき彼女がドレスを脱いだら』『わたくし、恋する相手を盛大に間違えていました。〜婚約していた王子殿下が、私を嵌めようとした結果。』他、順次、更新していきます。
※他サイトでも各タイトルで掲載中。
※表紙は楠結衣様にご制作いただきました。有難うございます!

ド田舎からやってきた少年、初めての大都会で無双する~今まで遊び場にしていたダンジョンは、攻略不可能の規格外ダンジョンだったみたい〜
むらくも航
ファンタジー
ド田舎の村で育った『エアル』は、この日旅立つ。
幼少の頃、おじいちゃんから聞いた話に憧れ、大都会で立派な『探索者』になりたいと思ったからだ。
そんなエアルがこれまでにしてきたことは、たった一つ。
故郷にあるダンジョンで体を動かしてきたことだ。
自然と共に生き、魔物たちとも触れ合ってきた。
だが、エアルは知らない。
ただの“遊び場”と化していたダンジョンは、攻略不可能のSSSランクであることを。
遊び相手たちは、全て最低でもAランクオーバーの凶暴な魔物たちであることを。
これは、故郷のダンジョンで力をつけすぎた少年エアルが、大都会で無自覚に無双し、羽ばたいていく物語──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる