紙杯の騎士

信野木常

文字の大きさ
上 下
50 / 63
第6話 不可触領域

9. 誓約

しおりを挟む
 ケイがその意志を告げた時、父は驚き、嘆き、怒り、ありとあらゆる激しい感情が混じって噴き出したような顔をした。
「な、許すわけないだろうそんなこと!」父、コウはケイの左手首を掴む。「すぐに帰るぞ! おまえはまだ学生だ。界獣のことは海浜警備隊に任せるんだ」
 ネリマ保安部施設の病室で、父と息子は対面した。緊急事態下において、父は当然、息子を連れて安全な場所へと逃げようとする。
 掴まれた左手の力強さが、ケイには嬉しい。でも、と思う。
「ウルスラの話を聞いてただろ、父さん。海浜警備隊だけじゃ、あの界獣、怪物は倒せないって」
「ご子息の言葉どおりです。父君ちちぎみ」ケイの横で、ウルスラは言った。「迫る災禍の源、クトゥルーの〈落とし仔〉は、ご子息の剣でなければ届かぬ敵です」
「だからと言って……」苦みを堪えるような表情を浮かべて、父は尚も言い募る。「その剣とやらを扱うのは、ケイでなければならないのか? もっと、そう、大人の適任者はいないのか?」
「いません」ウルスラは即答した。冷然と。「私が選び、彼が選んだ。剣は選択の元にある。"選ばれる者"の元にはない。では逆に問いましょう父君。いったいどれだけ歳月を重ねれば、その命の価値は変わるのか」
 それは暗に告げていた。家族以外の者が戦いに赴くのは構わないのか、と。
「少し意地の悪い問いでしたね」言葉に詰まる父と姉を前に、ウルスラは少し目を伏せる。「謝罪しましょう。ご家族ならば、抱いて当然の思いです」
「できることが、あるんだ」父と姉を交互に見つめて、ケイは告げる。自らの選択を。上手い言葉が見つからなくて、もどかしいけれど。「だからやる。できることの最大限を。幾度もやってくる理不尽を、ただ受け入れ続けるのはもう嫌だ。選べるなら、選ぶのなら」
 母が病に倒れた時から、ずっと胸にあるこれを、八つ当たりじみたそれを、言い表すならきっと怒りが最も近い。
「理不尽を切り拓く道を、僕は選ぶ」
 激しさを含んだ沈黙が病室を支配する。上手く伝わっただろうか、とケイがもう一度口を開こうとしたその時
「メイハとアヤハはどうするの?」思いがけないことを、姉が問うた。「あの子たち、怒るわよきっと」
 瓦礫の山で、何もできない自分が嫌で、逃げ込んだ先で出会った二人。あの時だって結局、父が海浜警備隊に通報していてくれなかったら、三人まとめて死んでいた。もっと早く、父に姉に相談すべきだったのだ。
 今はもう、二人には父さん姉さんも、山城先生もカコちゃんもタケヤも大倉さんもいる。だから、きっと大丈夫だ。
「メイハにはちゃんと勉強しなって、アヤハにはピーマンとかセロリとか苦いものも食べるように言っておいて」
 ケイが言伝を頼むと、姉は深い深い溜息をついてから言った。
「諦めましょう、父さん」
「シグネ?」
「これはダメだわ」姉はケイに近寄ると、手首を掴む父の手に触れる。「きっとこの子、手足を失くしても這って行ってしまう。思いきったら何をされても止まらない。母さんと一緒よ」
 父が目を閉じて、開けた。激しい感情はなりを潜めて、替わりにひどく苦し気な表情が浮かぶ。まるで自身の身体の一部を、今まさにもぎ取られてでもいるかのような。
 ケイはその表情をかつて見たことがあった。それは二度。医師に母の病名を告げられた時と、母の心音が止まった時だ。
「勘違いするなよケイ」言う父の手が、静かに解かれてゆく。「戻ったら半年は無給で店を手伝わせるからな。それとウルスラさん、だったか」
「はい」
「ケイのことを、頼みます」父はウルスラに向かって深く頭を下げた。「あなたはミスティックレイスだ。人知を超えた知識と力をお持ちのはずだ。だからどうか、どうか、この子のことを助けてやってください」
「頭を上げてください、父君」ウルスラは父が頭を上げたのを見とめると、天を仰いで朗々と、歌い上げるように言葉を紡ぐ。「今ここに、アーサラ・アウレリアナは蒼天にかけて誓う。〈星に届く手〉のケイを、持ちうるすべてをかけて助力することを。もし、われこの誓いを破ることあらば、大地よ裂けてわれを呑み込め。海よ押しよせてわれを溺れさせよ。天の星よわれに落ちてわが命を絶て」
 何かの誓い、なのだろう。ケイには後に続いた言葉の意図がわからなかった。何かとても重大なことを言っているらしいことしか、わからない。
 ただこの場で、姉のシグネだけはウルスラの意図を察したようで。
誓約ゲッシュね……」姉が問いかける。「本当にいいの?」
「もちろん!」
 答えたウルスラは、ケイがこれまで見たこともないほど、とびっきりの笑顔だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

なろう380000PV感謝! 遍歴の雇われ勇者は日々旅にして旅を住処とす

大森天呑
ファンタジー
〜 報酬は未定・リスクは不明? のんきな雇われ勇者は旅の日々を送る 〜 魔獣や魔物を討伐する専門のハンター『破邪』として遍歴修行の旅を続けていた青年、ライノ・クライスは、ある日ふたりの大精霊と出会った。 大精霊は、この世界を支える力の源泉であり、止まること無く世界を巡り続けている『魔力の奔流』が徐々に乱れつつあることを彼に教え、同時に、そのバランスを補正すべく『勇者』の役割を請け負うよう求める。 それも破邪の役目の延長と考え、気軽に『勇者の仕事』を引き受けたライノは、エルフの少女として顕現した大精霊の一人と共に魔力の乱れの原因を辿って旅を続けていくうちに、そこに思いも寄らぬ背景が潜んでいることに気づく・・・ ひょんなことから勇者になった青年の、ちょっと冒険っぽい旅の日々。 < 小説家になろう・カクヨム・エブリスタでも同名義、同タイトルで連載中です >

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】炎輪の姫巫女 〜教科書の片隅に載っていた少女の生まれ変わりだったようです〜

平田加津実
ファンタジー
昏睡状態に陥っていった幼馴染のコウが目覚めた。ようやく以前のような毎日を取り戻したかに思えたルイカだったが、そんな彼女に得体のしれない力が襲いかかる。そして、彼女の危機を救ったコウの顔には、風に吹かれた砂のような文様が浮かび上がっていた。 コウの身体に乗り移っていたのはツクスナと名乗る男。彼は女王卑弥呼の後継者である壱与の魂を追って、この時代に来たと言うのだが……。

処理中です...