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第6話 不可触領域
9. 誓約
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ケイがその意志を告げた時、父は驚き、嘆き、怒り、ありとあらゆる激しい感情が混じって噴き出したような顔をした。
「な、許すわけないだろうそんなこと!」父、コウはケイの左手首を掴む。「すぐに帰るぞ! おまえはまだ学生だ。界獣のことは海浜警備隊に任せるんだ」
ネリマ保安部施設の病室で、父と息子は対面した。緊急事態下において、父は当然、息子を連れて安全な場所へと逃げようとする。
掴まれた左手の力強さが、ケイには嬉しい。でも、と思う。
「ウルスラの話を聞いてただろ、父さん。海浜警備隊だけじゃ、あの界獣、怪物は倒せないって」
「ご子息の言葉どおりです。父君」ケイの横で、ウルスラは言った。「迫る災禍の源、クトゥルーの〈落とし仔〉は、ご子息の剣でなければ届かぬ敵です」
「だからと言って……」苦みを堪えるような表情を浮かべて、父は尚も言い募る。「その剣とやらを扱うのは、ケイでなければならないのか? もっと、そう、大人の適任者はいないのか?」
「いません」ウルスラは即答した。冷然と。「私が選び、彼が選んだ。剣は選択の元にある。"選ばれる者"の元にはない。では逆に問いましょう父君。いったいどれだけ歳月を重ねれば、その命の価値は変わるのか」
それは暗に告げていた。家族以外の者が戦いに赴くのは構わないのか、と。
「少し意地の悪い問いでしたね」言葉に詰まる父と姉を前に、ウルスラは少し目を伏せる。「謝罪しましょう。ご家族ならば、抱いて当然の思いです」
「できることが、あるんだ」父と姉を交互に見つめて、ケイは告げる。自らの選択を。上手い言葉が見つからなくて、もどかしいけれど。「だからやる。できることの最大限を。幾度もやってくる理不尽を、ただ受け入れ続けるのはもう嫌だ。選べるなら、選ぶのなら」
母が病に倒れた時から、ずっと胸にあるこれを、八つ当たりじみたそれを、言い表すならきっと怒りが最も近い。
「理不尽を切り拓く道を、僕は選ぶ」
激しさを含んだ沈黙が病室を支配する。上手く伝わっただろうか、とケイがもう一度口を開こうとしたその時
「メイハとアヤハはどうするの?」思いがけないことを、姉が問うた。「あの子たち、怒るわよきっと」
瓦礫の山で、何もできない自分が嫌で、逃げ込んだ先で出会った二人。あの時だって結局、父が海浜警備隊に通報していてくれなかったら、三人まとめて死んでいた。もっと早く、父に姉に相談すべきだったのだ。
今はもう、二人には父さん姉さんも、山城先生もカコちゃんもタケヤも大倉さんもいる。だから、きっと大丈夫だ。
「メイハにはちゃんと勉強しなって、アヤハにはピーマンとかセロリとか苦いものも食べるように言っておいて」
ケイが言伝を頼むと、姉は深い深い溜息をついてから言った。
「諦めましょう、父さん」
「シグネ?」
「これはダメだわ」姉はケイに近寄ると、手首を掴む父の手に触れる。「きっとこの子、手足を失くしても這って行ってしまう。思いきったら何をされても止まらない。母さんと一緒よ」
父が目を閉じて、開けた。激しい感情はなりを潜めて、替わりにひどく苦し気な表情が浮かぶ。まるで自身の身体の一部を、今まさにもぎ取られてでもいるかのような。
ケイはその表情をかつて見たことがあった。それは二度。医師に母の病名を告げられた時と、母の心音が止まった時だ。
「勘違いするなよケイ」言う父の手が、静かに解かれてゆく。「戻ったら半年は無給で店を手伝わせるからな。それとウルスラさん、だったか」
「はい」
「ケイのことを、頼みます」父はウルスラに向かって深く頭を下げた。「あなたはミスティックレイスだ。人知を超えた知識と力をお持ちのはずだ。だからどうか、どうか、この子のことを助けてやってください」
「頭を上げてください、父君」ウルスラは父が頭を上げたのを見とめると、天を仰いで朗々と、歌い上げるように言葉を紡ぐ。「今ここに、アーサラ・アウレリアナは蒼天にかけて誓う。〈星に届く手〉のケイを、持ちうるすべてをかけて助力することを。もし、われこの誓いを破ることあらば、大地よ裂けてわれを呑み込め。海よ押しよせてわれを溺れさせよ。天の星よわれに落ちてわが命を絶て」
何かの誓い、なのだろう。ケイには後に続いた言葉の意図がわからなかった。何かとても重大なことを言っているらしいことしか、わからない。
ただこの場で、姉のシグネだけはウルスラの意図を察したようで。
「誓約ね……」姉が問いかける。「本当にいいの?」
「もちろん!」
答えたウルスラは、ケイがこれまで見たこともないほど、とびっきりの笑顔だ。
「な、許すわけないだろうそんなこと!」父、コウはケイの左手首を掴む。「すぐに帰るぞ! おまえはまだ学生だ。界獣のことは海浜警備隊に任せるんだ」
ネリマ保安部施設の病室で、父と息子は対面した。緊急事態下において、父は当然、息子を連れて安全な場所へと逃げようとする。
掴まれた左手の力強さが、ケイには嬉しい。でも、と思う。
「ウルスラの話を聞いてただろ、父さん。海浜警備隊だけじゃ、あの界獣、怪物は倒せないって」
「ご子息の言葉どおりです。父君」ケイの横で、ウルスラは言った。「迫る災禍の源、クトゥルーの〈落とし仔〉は、ご子息の剣でなければ届かぬ敵です」
「だからと言って……」苦みを堪えるような表情を浮かべて、父は尚も言い募る。「その剣とやらを扱うのは、ケイでなければならないのか? もっと、そう、大人の適任者はいないのか?」
「いません」ウルスラは即答した。冷然と。「私が選び、彼が選んだ。剣は選択の元にある。"選ばれる者"の元にはない。では逆に問いましょう父君。いったいどれだけ歳月を重ねれば、その命の価値は変わるのか」
それは暗に告げていた。家族以外の者が戦いに赴くのは構わないのか、と。
「少し意地の悪い問いでしたね」言葉に詰まる父と姉を前に、ウルスラは少し目を伏せる。「謝罪しましょう。ご家族ならば、抱いて当然の思いです」
「できることが、あるんだ」父と姉を交互に見つめて、ケイは告げる。自らの選択を。上手い言葉が見つからなくて、もどかしいけれど。「だからやる。できることの最大限を。幾度もやってくる理不尽を、ただ受け入れ続けるのはもう嫌だ。選べるなら、選ぶのなら」
母が病に倒れた時から、ずっと胸にあるこれを、八つ当たりじみたそれを、言い表すならきっと怒りが最も近い。
「理不尽を切り拓く道を、僕は選ぶ」
激しさを含んだ沈黙が病室を支配する。上手く伝わっただろうか、とケイがもう一度口を開こうとしたその時
「メイハとアヤハはどうするの?」思いがけないことを、姉が問うた。「あの子たち、怒るわよきっと」
瓦礫の山で、何もできない自分が嫌で、逃げ込んだ先で出会った二人。あの時だって結局、父が海浜警備隊に通報していてくれなかったら、三人まとめて死んでいた。もっと早く、父に姉に相談すべきだったのだ。
今はもう、二人には父さん姉さんも、山城先生もカコちゃんもタケヤも大倉さんもいる。だから、きっと大丈夫だ。
「メイハにはちゃんと勉強しなって、アヤハにはピーマンとかセロリとか苦いものも食べるように言っておいて」
ケイが言伝を頼むと、姉は深い深い溜息をついてから言った。
「諦めましょう、父さん」
「シグネ?」
「これはダメだわ」姉はケイに近寄ると、手首を掴む父の手に触れる。「きっとこの子、手足を失くしても這って行ってしまう。思いきったら何をされても止まらない。母さんと一緒よ」
父が目を閉じて、開けた。激しい感情はなりを潜めて、替わりにひどく苦し気な表情が浮かぶ。まるで自身の身体の一部を、今まさにもぎ取られてでもいるかのような。
ケイはその表情をかつて見たことがあった。それは二度。医師に母の病名を告げられた時と、母の心音が止まった時だ。
「勘違いするなよケイ」言う父の手が、静かに解かれてゆく。「戻ったら半年は無給で店を手伝わせるからな。それとウルスラさん、だったか」
「はい」
「ケイのことを、頼みます」父はウルスラに向かって深く頭を下げた。「あなたはミスティックレイスだ。人知を超えた知識と力をお持ちのはずだ。だからどうか、どうか、この子のことを助けてやってください」
「頭を上げてください、父君」ウルスラは父が頭を上げたのを見とめると、天を仰いで朗々と、歌い上げるように言葉を紡ぐ。「今ここに、アーサラ・アウレリアナは蒼天にかけて誓う。〈星に届く手〉のケイを、持ちうるすべてをかけて助力することを。もし、われこの誓いを破ることあらば、大地よ裂けてわれを呑み込め。海よ押しよせてわれを溺れさせよ。天の星よわれに落ちてわが命を絶て」
何かの誓い、なのだろう。ケイには後に続いた言葉の意図がわからなかった。何かとても重大なことを言っているらしいことしか、わからない。
ただこの場で、姉のシグネだけはウルスラの意図を察したようで。
「誓約ね……」姉が問いかける。「本当にいいの?」
「もちろん!」
答えたウルスラは、ケイがこれまで見たこともないほど、とびっきりの笑顔だ。
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