紙杯の騎士

信野木常

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第6話 不可触領域

8. 戦士への祝福

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 足を、腕を、全身を使って、ソウリは発射口を、ダゴン級を模した巨大なD類特種害獣の体幹部に合わせた。手の繰傀系を天羽々斬に切り替えると、右手の人差し指に引き金トリガーの感触が発生する。即、引き金を引く。天羽々斬の発射口から弾体・徹界弾が発射され、命中。この三時間ほどシミュレータに取り組んで、ようやく当たるようになってきた。ダゴン級は一見、巨大で的が大きく、当てやすいように感じられるが、慣れない動作で動いている目標に弾体を当てるのは至難だった。コンゴウ改の視界と弾体射出兵装・天羽々斬の照準レティクルが重なる感覚にも、なかなか慣れない。日地ケイタに言わせると「ゲームみたいなもんですよ伊勢さん」だそうだが。
「日地、もう一度だ。今度はもっとダゴン級を動かしてくれ」
「そろそろ休んだほうがいいじゃないですか?」
 ケイタが言ってくる。時刻はもう0時を回っていた。
「ようやく慣れてきたんだ。だからもう少しだけ頼む」
 試験場のシミュレータを使った訓練を終えて、方術甲冑を降りた時には一時を過ぎていた。除装、巻物への収納を行う前に、ソウリは改めて自身の方術甲冑を眺める。頭から胸までの部分はコンゴウ改のそれだが、他の部分はすべてトリュウのものに置換されている。一際目立つのは、右肩に装着された弾体射出兵装・天羽々斬の砲身だ。
 先の戦いで、トウキョウにあるトリュウは全て喪失。キョウトから運び込まれていた補修用の骨格柱と宿曜文をかき集めて、足りない部分をコンゴウ改で代替した結果、生まれたのがこの方術甲冑だ。
「コンゴウ改甲、とでも名付けましょうかね」甲冑技士の日地ケイタが寄ってきた。突貫で換装と再設定を行った上にシミュレータ訓練まで手伝ってくれたせいか、目の下に疲労の隈が濃い。「明日も……ってもう今日ですが、また言いますけど、無理に双炉を積んでるんで、傀体の強度から安全に撃てるのは一発だけです。二発目の発射は、保障できません」
「責任重大だな、これは」
 ソウリは言った。予備に残されていた徹界弾は二発のみ。そしてまともに撃てるのは一発だけときた。
 その一発でも命中さえすれば、原理上は特種害獣をこの世界から消滅させられる。異なる属性の星辰が衝突時に発生させるフェートンなにやらで。起源体に対しては実績がなく未知数なものの、有効である可能性は高い。ソウリは事前に説明を受けたが、細かな部分はもう憶えていなかった。とにかく一発逆転の目を持つ新武装祭器を任されたことになる。その経緯は、瑞元隊長曰く「今、動ける繰傀士の中で、射撃成績の平均スコアが最大だったから」。
 銃なんて年二回の技能再訓練でしか撃たないのに。ソウリが、それが判断基準になるのかと訊けば
「射撃スコアは、ないよりマシ、くらいの重要度しかないし、実は後付けの理由よ」
 至極あっさり否定された。そして続けて言うことには
「貴方はあの不可触領域で、特務部隊の壊滅を冷静に観察し、更に行動不能に陥ったバディを救助して、生きて情報を持ち帰った」瑞元隊長は、いつも誇張も世辞も虚飾もなく、事実をのみを挙げる。「だから切り札を任せられる。恐らくだけど、今、最も必要なのはその資質。異質な刺激が心と身体を蝕む空間で、普通に行動できること。言い換えるなら、どれだけ高い能力があっても、不可触領域で正常な意識を保てない人間は役に立たない。汎人でも、遺伝子調整者でも」
 ことがここに至って、これまでの価値観がひっくり返ってしまった。今日この日、C目標駆除作戦に参加するまで、この国を護る仕事は有能な後の世代に引き継いで、自分は別の生き方を探そうとしていたのに。
 ソウリはコンゴウ改甲をケイタに任せると、休むために試験場を後にした。明朝7時に第一会議室へ集合。アルビオン勢とのミーティングの後、シミュレータで作戦時の行動と連携の確認。後、16時には不可触領域へ再突入することになる。
 深夜帯で人の少ない浴場で体を温め、コンタクトレンズを外して眼鏡に換える。施設内の共有寝室へ向かって歩いていると、自販機のある休憩所にひとり、見慣れない人影を見つけた。
 束ねてまとめた黄金色の髪に、尖った耳が伸びる後ろ姿。アルビオンのミスティックレイスだ。赤毛の女の子と言い合っていた姿が記憶に新しい。その時は毅然として見えた姿が、今は少し萎れて見える。
 ソウリは素知らぬ振りで通り過ぎようとして、何故か自販機に小銭を入れている自分に気づいた。あれ、何やってんだ俺? 思う間もなく缶のミルクティーとスポーツドリンクを出すと、ミルクティーを差し出して、慣れぬブリタニア語を発していた。
「How about a cup of tea with milk ?  If you want.(もしよければ、いかがですか?)」
 通じているだろうか? ソウリは全く自信がなかった。ブリタニア語は海浜警備隊員になるための必須科目だが、一般の隊員が実際に使う機会はほぼ皆無だ。
 話しかけられると思っていなかったのか。ミスティックレイスの女性は、その不思議な色の目を驚きで丸くした。その顔が何だか幼い少女のように見えて、可愛いな、とソウリは思う。失礼かもしれないが、まあ内心で思うだけならいいだろう。美女のこんな顔を独り占めできるのは、こんな時間まで仕事をしていた役得だ。
「Thank you for your concern.(お気遣い感謝します)」ミスティックレイスの美女は、缶を受け取ると小さく微笑んだ。「ブリタニア語がお上手ですね。でもニホン語で問題ありませんよ。勇敢なお方。確かミスタ・イセ、でしたか」
「私のことをご存じなんですか?」
 ソウリは驚いた。ミスティックレイスと言えば、現存する何処の国でも重鎮だ。そんな人が、一介の繰傀士である自分のことを知っているとは思わない。
「ええ、キースのリストに写真と経歴がありましたから。先の戦いで、大きな戦果を挙げられたとか」
「戦果なんてそんな。逃げ帰ってきただけですよ」
「情報も重要な戦果だと認識しています。特に起源体については、私たちでも不明な点がほとんどなのですから」
 言いながら、ミスティックレイスの女性は缶をしげしげと眺めている。何を、とソウリは考えてから思い至る。もしかして、開け方がわからないのか? プルタブの形がニホンとブリタニアでは違うとか、聞いたか読んだかした覚えがある。
 ソウリはそっと彼女の手から缶を取ると、プルタブを開けてからその手に戻した。
「ありがとうございます。良い香り……」ミスティックレイスの女性は、飲み口を形の良い唇に運ぶ。「甘くて美味しい。ニホンのものも悪くはありませんね」
 その顔がまた少女のように見えて、ソウリは何故か気恥しくなった。いい歳こいて何をドキドキしてるんだ俺は。
「申し遅れました」ミスティックレイスの女性は、缶をテーブルに置いて椅子を立つ。身長はソウリと同程度。170センチ代半ばくらいか。「私はフィオナ・マッカラム。アルビオンで渉外を担当しております。階級は大尉に当たるでしょうか」
「こちらこそ失礼を」ソウリも居住まいを正し、背筋を伸ばして敬礼した。「俺、いや私は伊勢ソウリ。海浜警備隊の一等警士。軍の階級に合わせるなら曹長に相当します」
「イセ、ソウ」フィオナは少し戸惑った表情を見せたものの、すぐに理解したとばかりに手を打った。「ああ、イセが氏族名でソウが名なのですね。soul、sooill、暖かい良い名です」
 ソウ、ソル? 恐らくブリタニア語ではない単語を口にされ、ソウリも少し戸惑った。後で調べてみるか、と思う。
 フィオナは椅子に腰を下ろすと、一口飲んでから大きく息をつく。
 その姿に、言おうか言うまいか随分迷ったものの、ソウリは結局口にした。
「お疲れのようですね」
「そう見えますか?」フィオナは驚くと、今、気づいたとばかりに頷いた。「そう、そうですね。疲れています。詳細を貴方に話すことはできませんが。上司と我がままな同僚に振り回されて。上も横も下も皆が皆、好き勝手なことばかり言って、やって……」
「少し、わかります」ソウリは言った。「私もバディが割と独断専行する性質だったもんで、組んだ当初は振り回されるは上官に小言を言われるわ……こっちの身にもなってみろってものです」
「でしょう? 方々に調整に出向いて事を収めてるのは誰なのか、いつかわからせてやらないと。そう、今回の件が終わったら溜まった休暇を使ってバカンスへ……」休暇に思いを馳せているのか。フィオナは楽し気に語り始めたものの、急に何かに気づいた様子でソウリを見つめた。「明日、行くのですね」
「はい。C目標の殲滅に向かいます」深刻になるのは本意ではない。ソウリは努めて軽く振舞う。「ま、ちゃちゃっと行って、一発ぶち込んできますよ」
 瑞元隊長から今回の再突入について打診された時、拒否も許されていた。再突入はほぼ第三管区の独断であった上に、作戦参加者の生命の危険があまりに大きいためだ。
 しかしソウリは再突入部隊への編入を承諾した。大きな正義感があったわけじゃないのは、自身でもわかっている。ではバディを、同僚たちをひどい目に遭わされたことへの復讐のためか。近いように思うが、たぶんこれも違う。
「これは単に、私の興味本位で訊くことです。だから、答えがなくとも気分を害したりしません」フィオナは問う。「どうして貴方は、この戦いに?」
「私が……俺が生まれたのは大海嘯のすぐ後で。当時は生き残った人たちが皆、安心して生きられる場所を探して彷徨ってた」
 彼女の虹色の瞳に魅入られるように、ソウリは口に出していた。自身でも、明確に自覚していなかった衝動を。
「大きな都市以外は、テンコ、ニホンのミスティックレイスが作る結界に住むしかなくて。でもその数と広さには限りがあって。生きる場所や糧を巡って人間同士の争いも絶えなくて。うちの家族も、巻き込まれないために家財を抱えて何度も逃げた。ようやく落ち着いて暮らせるようになったのは、十歳になった頃だったな。だから」
 この胸にあったのは、やっと安心して暮らせる家に辿り着いた冬のあの日、家族で鍋を囲んで思ったことだ。
「これ以上、人が生きる場所を失くしたくない」
 言ってからソウリは我に返る。何を気障ったらしいことを、と後悔するのも束の間。フィオナが立ち上がると、ソウリの手にしたスポーツドリンクのボトルに触れた。彼女は結露した雫を数滴、指に載せる。
 フィオナはその指先で、ソウリの左手の甲に何か模様のようなものを描いた。
「何を……?」
「良き戦士への祝福です。おいしいお茶のお礼と思ってください」戸惑うソウリに、フィオナは告げる。「太陽と月が、貴方の道を照らしますように」

 去ってゆく彼女の後姿を見て、ソウリは改めて後悔した。話しかけるんじゃなかった。彼女の優しい眼差しが心に焼き付いて離れない。眠れなくなっちまうじゃないかちくしょう。
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