紙杯の騎士

信野木常

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第6話 不可触領域

1. アルビオン戦士団

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 ブリタニア人だから紅茶を出しておけばいい、というのも安易だと思うんだよなあ。まあ、嫌いじゃないけど。
 心のなかでぼやきつつ、ウルスラはティーカップをテーブルに置くと、椅子の背に身を預けて大きく伸びをした。ブリタニア使節団の面々に捕捉され、ネリマ市の海浜警備隊施設の一室に放り込まれてから、既に三日ほどが経っている。その間、フィオナに随う水妖たちとニホンの使い魔"シキ"に監視され、自由に出歩けない事実上の軟禁状態に置かれていた。
 そろそろかな、と胸の内で呟きながら、ウルスラは翅翔妖精たちを呼び出した。ニホンの海浜警備隊による〈落とし仔〉討伐作戦が始まろうとしていることは、エイリィたちに探らせて既に知っている。見逃したくはないものの、ここからはなかなか出られそうにない。だから翅翔妖精たちに飛んでもらって、自身の目の替わりを務めてもらおうとしたのだけれど。
「そこまでよ、ウルスラ」扉がスライドして開き、フィオナが入って来た。「大人しくしてくれるなら、席を用意してあげてもよいのだけど」
「どういう風の吹き回しだい? スカイ島のアザラシ女」ウルスラは翅翔妖精たちを収納結界に戻した。「梱包されてブリタニアに送られるものだとばかり思ってたよ」
「これ以上、状況を引っ掻き回してほしくないだけよ。カムリの仔熊」フィオナは溜息をついて言葉を続ける。「海浜警備隊の許可が下りたわ。先の遭遇戦で、アレを撃退した貴女の意見も伺いたい、と。先方の好意に感謝することね」
 言い置いて、フィオナが身を翻す。
 ウルスラも席を立つと、フィオナの背を追った。速足で行き交う海浜警備隊員たちを横目に見ながら、無機質な廊下を進んでゆく。エレベーターを経由して地下へ。二つの扉を抜けて、大きな喧騒の空間に着いた。前面に大きなスクリーンを置いた室内で、海浜警備隊員たちが慌ただしく立ち働いている。
「ここが、海浜警備隊の指揮所(Combat Information Center)か」ウルスラはざっと室内を見渡した。今いる位置は艦橋めいた高所になっていて、観測情報の処理は下段で為されている。「アルビオンのそれとは、大きく違わないみたいだけど」
「まあ彼らも、星辰装甲の部隊を中核に据えて運用しているわけですからな」壮年の男が、ウルスラたちに歩み寄ってくる。「自ずと似たものになりましょう」
「キース」男の姿を認めて、ウルスラは顔を僅かに綻ばせた。「先に国に帰ったものだと思っていたよ」
「見くびられては困ります。我らカレドヴール隊、姫君を置いては帰れませぬ」キース、と呼ばれた男は苦笑する。彼の制服の左肩には、咆える白獅子の図章。それはアルビオン、即ちブリタニア連合王国対神話害獣機関の星辰装甲騎手の証だ。「そのようなことをすれば、私が故郷の面々に殺されましょうぞ」
「ボクはただのフェイだ。姫君はよしてくれ。オウエンの子、キース」
 ウルスラはキースのダークグリーンの目を見上げて言った。この男、キース・ボーエン大尉とはアルビオン発足当時からの付き合いだった。彼は最初期の星辰装甲、ウォードレイダーが実戦に投入された頃からの叩き上げの古強者ヴェテランだ。歳は四〇を越えていて、短く刈った髪にも白いものが目立つ。彼は幾度も昇進の話があったが全て断り、今なお現場で剣を振るい続けている。同郷なせいか気やすくもあり、ウルスラは多少目をかけて彼の星辰装甲の改装を手掛けてきた。ただ同郷故に、何かにつけて姫様扱いしてくるところが苦手でもあった。
「そんなことより、状況はどうなってるのさ? 会議の期間はとっく終わってる。例の交渉は進んだのかい?」
 ウルスラが今回の合同会議について、気にしているのはその一点だけだった。
「気になるなら、貴女も会議に出たらよかったでしょうに」フィオナが答えた。「交渉は可もなく不可もなく、よ。彼らにしても、考える時間が必要でしょう。ニホンのミスティックレイスたちも、予測については半信半疑の様子だったわ」
「あまり時間はないのだけど、ね」ウルスラは、正面大スクリーンを見遣った。「〈落とし仔〉の出現は、その意味で彼らにとってもいい判断材料になる」
 スクリーンには、不可触領域付近の映像が映し出されていた。海上のある一線から先が、陽炎のようにゆらぎ、歪み、判然としない。
「ボクとケイに痛い目に遭わされて、引きこもってやがる」ウルスラが、スクリーンのその先を睨む。「次は確実に、この次元から放逐してやる」
「その時はオレを呼べよ」じゃらんと右腕の鋼輪を鳴らして、灰色の目の鉱工妖精ノッカーがやって来た。「つーか面白そうなことしやがって。仔熊よ、どうしてオレを誘わなかった? こんな鉄火場見逃したとあっちゃあ、親父と父祖に笑われちまう」
「クレイノン、キミも残ってたのか」
「あだぼうよ」長い黒ひげを毟りながら、クレイノンが筋肉で厚い胸を張る。「親父とつるんで何かやらかすとは思ってたんだ。残って正解だったぜ」
「勝手な行動は慎んでほしいのだけど」窘めるようにフィオナが言った。「私たちは、ブリタニア連合の代表としてここにいるのよ。ウルスラ、今回の貴女の行動で、どれだけの国益が損なわれたか……」
「なに、それ以上のものを得たさ」ウルスラは不敵に笑う。「女王と円卓会議も納得すると思うよ」
 20年前、この地で起きた失地回復戦。半ば沈んだ歪曲空間、接触呪文の痕跡、大量の人骨、そして目前に迫るクトゥルーの〈落とし仔〉の再襲来。そう、アレは20年前にこの地に顕現した個体と同じものだ。
 尖った耳がぴくりと跳ねる。違和感にウルスラが振り向くと、扉が開いて男女二人の海浜警備隊員と一人の和装の女が入ってきた。
「Nice to meet you, Ms.……」
「ニホン語で問題ありませんよ、オノ一等監」
「これは失礼」フィオナに言われ、男、恰幅のよい初老の海浜警備隊員は挨拶をニホン語に切り替えた。「はじめまして。私は尾野ケンジ、ここ第三管区の本部長を務めております。ミス・ウルスラ、お噂はかねがね」
 差し出された手を、ウルスラは軽く握って返した。
「はじめまして、オノ一等監。この度は私と我が騎士への寛大な処置に感謝を」
「貴女の人類に対する貢献に比べればこの程度、大したことではありません」尾野は手を解き、柔和な笑みを浮かべる。「ただ今後は、事前に一報願いたいものですな」
「危急の用だったので、ね」ウルスラも笑みを返した。「ボクも〈落とし仔〉が討伐されたこの地で、あんなものを目にするとは思わなかった」
 含みのこもったウルスラの言葉にも、尾野は笑みを崩さなかった。
「そなたであったか」黒髪の、和装の女が口を開いた。「夜気に混じったツツジの香。地霊どもが騒いでおった。目くらましを振りまき、よう暴れてくれたものよ」
 その物言いが気に障り、ウルスラは和装の女を睨んだ。黄金色の瞳に、縦長の虹彩。話す際にちらりと見える犬歯は、人のものでは在り得ない。ニホンで活動するミスティックレイスは、主に二種族。角を持つキシンと、歳月を経た狐を祖とするもの。
「キミらが不甲斐ないからだろう? 四つ足。ボクらがやらねば、少なからぬ民が死んでいたさ」
「何も知らぬ夷狄の蛮族が勝手を申すな」
「キミらの罪過、ボクが知らないと思うのか?」
 その言葉にほんの微か、狐の瞳がゆらいだのをウルスラは見逃さなかった。半ば当て推量だったけれど、どうやら図星だったらしい。
「ま、いいさ」ウルスラは尾野一等監に向き直った。「それで勝算はあるのかい? 起源体、クトゥルーの〈落とし仔〉は……と、これはブッダに教えを説くと言うやつだね。愚問だったよ。キミらは既に一度、アレに勝ってる」
「これは手厳しいですな。元より、いずれまたこのような日が来ることはわかっていました」尾野は同伴した女の隊員に、持参した資料を配るよう促した。「我々も準備を怠ったつもりはありませんよ」
 ウルスラたちは手渡された紙の資料をめくった。ご丁寧に全文ブリタニア語訳が付いている。双炉式方術甲冑、弾体射出兵装、徹界弾……記述どおりの威力を発揮できるなら、確かに起源体殲滅の可能性は低いものではなかった。
「二基の星辰発動機構で、異なる星辰のフェートン効果から弾道を生成、同時に高伝導体の弾体を撃ち込む、か」自身、考えたこともない発想だったので、ウルスラは素直に感心した。「よく安定させたものだね。一歩間違えれば、星辰装甲と周囲の空間ごと〈大いなる天河グレート・スカイ・リバー〉に還元されてしまうのに」
「ヤタガラスたちの協力もあって、完成にこぎつけました。増産体制が整えば、我々人類の戦いも勝利に向けて大きく前進することになるでしょう」尾野一等監は腕時計を見ると、ブリタニアの一行を座席へいざなった。「そろそろ状況開始の時刻になります。では、こちらへ」
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