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第4話 あなたと休日を
8. 休日の終わりに
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驚愕に見開かれる、琥珀色の目。口を抑えて倒れるウルスラを、ケイは抱え込むように支えた。
「ウルスラ!」
彼女が抑えきれなかった吐瀉物に、一張羅がびしゃびしゃにされてしまう。つんと鼻を衝く臭いには、映画館で食べたキャラメルポップコーンのそれが混じっていた。たくさん食べてたしなあと思い出しつつ、ケイはウルスラの背を撫ぜさする。
「大丈夫、じゃないよね」
食べ過ぎだろうか。とにかく休ませようと、ケイは手近なベンチへとウルスラを運ぼうとして
「……だ、ケイ」
袖を掴まれ、止められた。絞り出すようなその声は聞き取り辛い。ケイは聞き取ろうと顔を近づける。すると、ぐいと思いがけない強い力で引かれ、真正面からウルスラと向き合った。
「〈夜明けの風〉を出すんだ! 急いで!」琥珀の瞳が、これまで見たことのない険しさを帯びてケイを射る。「早く! ボクは平気だから」
ここは湾岸公園の只中、人目だってまだまだあった。
そんなケイの躊躇を、海面を突き破る波砕音が吹き飛ばす。散る水飛沫がパラパラと、通り雨のようにここまで届く。手すりの向こう、僅か数十メートル先で、海棲型界獣が大顎を上向け、夕刻の空に向かって咆哮を轟かせた。
pHh'nnnnnnnnnnnngGGgluuuuuuUUuuiiiIIIiiiiiiii!!!!
応えるように、方々より更に咆哮が上がる。重なり合うその咆声は、いくつあるのか数えきれない。いつの間に? どうして? 市の警報だって鳴っちゃいない。ケイの脳裏を疑問が渦巻く。しかし界獣は答えるはずもなく街に迫る。
ケイはウルスラを放し、そっと立たせると駆け出した。具合の悪い彼女の近くでは戦えない。駆けながら、何かを掴むように右手を突き出す。大剣が顕れ、鞘が滑ると銀の輪が巡り鎖が伸びる。絡まり合う暗い銀の螺旋は少年の身体を覆い、巨大な騎士へと変貌させる。
脚に翅を生やしたウルスラが、〈夜明けの風〉の左肩に跳び乗った。
「危機だ、我が騎士。〈深きもの〉の大群が顕れた」ウルスラはパーカーの袖で口元の汚れを拭う。「やっぱりアレは、〈落とし仔〉は放逐しきれちゃいなかった」
オトシゴって何さ? ケイが思う間もなく、界獣は間近に迫る。
とにかく市街に上陸させるわけにはいかない。背の大剣を手に取ると、ケイは手すりを跳び越え〈夜明けの風〉を駆る。瞬く間に迫る海獣を正面に捉え、黄色に光る刃を振り抜き頭部を断ち割る。海面へと崩れるその背を踏んで跳び、更に前へ。左右から、また僅かに間を開けて海中からの接敵が、翅翔妖精たちからもたらされる。
しかしそれは、まだ近くに来ているものだけだ。その後方から更なる数の巨影が市街に接近しつつある。
「ボクも、今回はナビだけとはいかないか」
〈夜明けの風〉の肩の上で、ウルスラが身を翻す。次の瞬間、その姿は戦鎚を手に甲冑を帯びた戦装束となった。
「もしかして、戦うつもり? 生身で?」まさかと思いつつ、ケイは問う。「まだ具合だって……」
「気遣いは無用さ、我が騎士。こう見えて、それなりにやれるんだぜ」ウルスラは不敵な笑みを浮かべ、戦鎚を右肩に担ぐ。尖った耳先がぴょんと立つ。「キミと出会ったあの夜だって、何度も追い払ったんだ。援護くらいわけない……来るよ! 左は任せて!」
ウルスラは兜を被ると〈夜明けの風〉の肩から跳んだ。脚の翅から光の粉を散らして。
本当に大丈夫なのか? 一抹の不安を覚えるものの、ケイに心を配り続ける余裕はなかった。右から、次いで足元に界獣が迫る。近いのは右。軟体とも脊椎動物ともつかぬ身をくねらせて、右前から界獣が牙を剥いて襲い来る。
短く息を吐きながら、ケイは膝をゆるめて右に倒れ込む。転んだように見えれば僥倖だ。がつん、と界獣の空を咬む音が聞こえる。〈夜明けの風〉が擦り上げるように斬り上げた刃が、界獣の頸部を下から捉えた。
gYi…と呻き一つを残して界獣が崩れ去る。
ケイはそのまま海面を転げて身を起こす。戦えば戦うほどにこのヨロイ、〈夜明けの風〉は身に馴染む。身体に覚え込ませた技術がそのままに使える。手にした剣は思い描いた線をなぞる。三度目の装着でも、これを造ったという彼女に驚嘆せずにはいられない。
海中から次の界獣が跳ね上がり、前肢をかざして落ちてくる。牙から滴る涎が兜に降りかかる。
ケイは右手の柄に左手を添えただ真っすぐに、天を衝くように剣を立てた。
黄の光を帯びた切っ先が、界獣の鼻先に刺さる。重力がその巨体を押し落とす。前肢が〈夜明けの風〉を捉える前に、巨体は砕けて水面に散った。
「ウルスラ!」
ケイはすぐさま小柄な貴婦人の姿を探す。ゴギャン!と響く打撃の音に振り向けば
「Ewch allan !!」
宙を舞い跳ぶウルスラが、牙を剥く界獣の頭に戦鎚を叩きつける。打突の瞬間、戦鎚の鎚頭が巨大化し、界獣の頭をその上体もろとも叩き伏せた。
GyyyYYYYyyiiIII!!
呻くような咆え声を上げ、界獣が水中に倒れ込む。
「とどめは頼むよ、Sir!」界獣の背を蹴飛ばして、ウルスラは〈夜明けの風〉の肩に舞い戻る。「この戦鎚、〈夜明けの風〉や雌鴉の鎗ほどの決定力はないんだ」
ケイは体勢を戻そうとする界獣目掛けて駆け、大剣を振り下ろす。刃が鼠径部から体幹まで潜り込み、界獣の巨体を破砕した。
これで四体の界獣を撃破。残りはどれくらいなのか。騎内の俯瞰映像を見て、ケイは息を呑んだ。
「何なんだよ、これ!?」
海棲型界獣〈深きもの〉を示す無数の青い光球が、新トウキョウ湾岸に沿って浮かび上がる。一見してその数は数十を下らない。そのことはまだ理解できる。海棲型界獣は、太平洋から出現しニホン列島に接近するものだ。
ケイが理解できないのは、界獣を示す青い光球が、今なお唐突に湾上に現れることだ。湾の外から入り込んでくるのではなく、湾内に。何もない海中に、いきなり顕れたとでもいうのか。
「呼び寄せてるのさ」ケイの疑問に、ウルスラが答えた。「南太平洋の海底にある、ヤツらの巣から」
「南太平洋って、冗談でしょ? 距離だって……」
「できるんだよ」告げるウルスラの目は真剣そのもの。いつもの遊び心は欠片もない。「〈深きものども〉が奉仕する高位存在なら、海中に低位のモノを通す"穴"を開けるのなんて容易いことさ。20年前の資料でも、この現象は記録されてる」
ケイにはウルスラの言っていることの意味が半分もわからない。しかし、押し寄せる界獣の大群、20年前の現象という言葉は簡単に一つの事件に結び付く。この国で生まれ育った者なら誰でも同じだろう。
「失地回復戦」
「そうだよ。ケイ」兜の面頬を上げ、ウルスラは頷いた。ケイの発したたった一つの単語に、すべてを理解したかのように。「20年前、キミの国は新トウキョウ湾に顕れたアレと、アレの呼び込んだD類奉仕種族〈深きものども〉の大群によって、滅亡する寸前まで行ったんだ。だから総力を挙げてアレを撃退、放逐してこの国を護り抜いた。それが、20年前にこの地で起きた出来事の"半分"だ」
そんな事、ケイは聞いたことがなかった。学校の社会の授業でも何でも、失地回復戦は"大海嘯で界獣に奪われた旧統京圏の奪還"を目指し、達成した出来事だと教えられる。
それが、新トウキョウ湾に顕れた何かとの戦いだったというのか。知らされた事実に愕然となりながら、ケイは翅翔妖精たちから送り込まれる映像を見た。界獣を示す青い光球は、徐々にだが今なお増殖している。
事態が察知されたのか。市街から、けたたましいサイレンの音が鳴り響く。続いて緊急避難警報の放送が流れている。しかしその言葉は、ケイの頭にほとんど入ってこない。このヨロイ〈夜明けの風〉がどれくらい高性能でも、界獣が市街に達する前に、そのすべてを殺し尽くせるとは思えない。数が、違い過ぎる。
「選択肢は、いくつかあるよ」沈黙するケイに、囁くようにウルスラが告げた。「ここで踏ん張ってとにかく〈深きものども〉を殺しまくれば、この一帯の市民の退避と、海浜警備隊が来るまでの時間を多少なりとも稼げる。あるいは到底相手にしきれる数じゃないから、退却するのも現実的かな。いずれにせよ、犠牲者は出るだろう。せいぜいその数が若干変わるくらいさ」
降りかかる理不尽と、突きつけられる選択肢。背後の都市にはメイハがいてアヤハがいて、姉がいて父がいる。タケヤをはじめとした友だちがいて、児相の霧島さんやらお世話になった人たちがいて。手にした武器は強力だけど、大切なすべてを、理不尽から護り抜くには足りそうもなくて。
それでも、とケイは思う。できることがあるのは、幸運なのか凶運なのか。きっと彼女は、僕の答えを知ってて言ってる。
「ウルスラ、やっぱり君は魔女なんだね」
「出会った時に、そうだと言ったよ」
今さらだね、と薄く笑むウルスラに、ケイは言った。
「あれはできないのかな。前にやった『敵対者の力の模倣』とか何とかいうやつ」
「ああ、いいねキミは。最高だよSir Cai」ケイの言葉にその意図を察して、ウルスラが笑みを深くする。「〈星に伸ばす手〉起動。対立神性模倣開始。セット、星辰コード"HYADES"」
ウルスラが宙に浮く文字をさっと撫ぜると、〈夜明けの風〉の大剣が黄色の光を増し、強くしていく。刃を伝う黄色の光は、炎のようにゆらめき躍る。
「寄ってくるよ、Cai。世界を侵す、祀りえぬ神の手勢どもが」赤い髪の魔女は面頬を下ろし、戦鎚を構える。「さあやろう、我が騎士。カトライスへ駆けた三百騎のように。うるわしのカナンのように。殺して、殺して、殺すのさ!!」
「ウルスラ!」
彼女が抑えきれなかった吐瀉物に、一張羅がびしゃびしゃにされてしまう。つんと鼻を衝く臭いには、映画館で食べたキャラメルポップコーンのそれが混じっていた。たくさん食べてたしなあと思い出しつつ、ケイはウルスラの背を撫ぜさする。
「大丈夫、じゃないよね」
食べ過ぎだろうか。とにかく休ませようと、ケイは手近なベンチへとウルスラを運ぼうとして
「……だ、ケイ」
袖を掴まれ、止められた。絞り出すようなその声は聞き取り辛い。ケイは聞き取ろうと顔を近づける。すると、ぐいと思いがけない強い力で引かれ、真正面からウルスラと向き合った。
「〈夜明けの風〉を出すんだ! 急いで!」琥珀の瞳が、これまで見たことのない険しさを帯びてケイを射る。「早く! ボクは平気だから」
ここは湾岸公園の只中、人目だってまだまだあった。
そんなケイの躊躇を、海面を突き破る波砕音が吹き飛ばす。散る水飛沫がパラパラと、通り雨のようにここまで届く。手すりの向こう、僅か数十メートル先で、海棲型界獣が大顎を上向け、夕刻の空に向かって咆哮を轟かせた。
pHh'nnnnnnnnnnnngGGgluuuuuuUUuuiiiIIIiiiiiiii!!!!
応えるように、方々より更に咆哮が上がる。重なり合うその咆声は、いくつあるのか数えきれない。いつの間に? どうして? 市の警報だって鳴っちゃいない。ケイの脳裏を疑問が渦巻く。しかし界獣は答えるはずもなく街に迫る。
ケイはウルスラを放し、そっと立たせると駆け出した。具合の悪い彼女の近くでは戦えない。駆けながら、何かを掴むように右手を突き出す。大剣が顕れ、鞘が滑ると銀の輪が巡り鎖が伸びる。絡まり合う暗い銀の螺旋は少年の身体を覆い、巨大な騎士へと変貌させる。
脚に翅を生やしたウルスラが、〈夜明けの風〉の左肩に跳び乗った。
「危機だ、我が騎士。〈深きもの〉の大群が顕れた」ウルスラはパーカーの袖で口元の汚れを拭う。「やっぱりアレは、〈落とし仔〉は放逐しきれちゃいなかった」
オトシゴって何さ? ケイが思う間もなく、界獣は間近に迫る。
とにかく市街に上陸させるわけにはいかない。背の大剣を手に取ると、ケイは手すりを跳び越え〈夜明けの風〉を駆る。瞬く間に迫る海獣を正面に捉え、黄色に光る刃を振り抜き頭部を断ち割る。海面へと崩れるその背を踏んで跳び、更に前へ。左右から、また僅かに間を開けて海中からの接敵が、翅翔妖精たちからもたらされる。
しかしそれは、まだ近くに来ているものだけだ。その後方から更なる数の巨影が市街に接近しつつある。
「ボクも、今回はナビだけとはいかないか」
〈夜明けの風〉の肩の上で、ウルスラが身を翻す。次の瞬間、その姿は戦鎚を手に甲冑を帯びた戦装束となった。
「もしかして、戦うつもり? 生身で?」まさかと思いつつ、ケイは問う。「まだ具合だって……」
「気遣いは無用さ、我が騎士。こう見えて、それなりにやれるんだぜ」ウルスラは不敵な笑みを浮かべ、戦鎚を右肩に担ぐ。尖った耳先がぴょんと立つ。「キミと出会ったあの夜だって、何度も追い払ったんだ。援護くらいわけない……来るよ! 左は任せて!」
ウルスラは兜を被ると〈夜明けの風〉の肩から跳んだ。脚の翅から光の粉を散らして。
本当に大丈夫なのか? 一抹の不安を覚えるものの、ケイに心を配り続ける余裕はなかった。右から、次いで足元に界獣が迫る。近いのは右。軟体とも脊椎動物ともつかぬ身をくねらせて、右前から界獣が牙を剥いて襲い来る。
短く息を吐きながら、ケイは膝をゆるめて右に倒れ込む。転んだように見えれば僥倖だ。がつん、と界獣の空を咬む音が聞こえる。〈夜明けの風〉が擦り上げるように斬り上げた刃が、界獣の頸部を下から捉えた。
gYi…と呻き一つを残して界獣が崩れ去る。
ケイはそのまま海面を転げて身を起こす。戦えば戦うほどにこのヨロイ、〈夜明けの風〉は身に馴染む。身体に覚え込ませた技術がそのままに使える。手にした剣は思い描いた線をなぞる。三度目の装着でも、これを造ったという彼女に驚嘆せずにはいられない。
海中から次の界獣が跳ね上がり、前肢をかざして落ちてくる。牙から滴る涎が兜に降りかかる。
ケイは右手の柄に左手を添えただ真っすぐに、天を衝くように剣を立てた。
黄の光を帯びた切っ先が、界獣の鼻先に刺さる。重力がその巨体を押し落とす。前肢が〈夜明けの風〉を捉える前に、巨体は砕けて水面に散った。
「ウルスラ!」
ケイはすぐさま小柄な貴婦人の姿を探す。ゴギャン!と響く打撃の音に振り向けば
「Ewch allan !!」
宙を舞い跳ぶウルスラが、牙を剥く界獣の頭に戦鎚を叩きつける。打突の瞬間、戦鎚の鎚頭が巨大化し、界獣の頭をその上体もろとも叩き伏せた。
GyyyYYYYyyiiIII!!
呻くような咆え声を上げ、界獣が水中に倒れ込む。
「とどめは頼むよ、Sir!」界獣の背を蹴飛ばして、ウルスラは〈夜明けの風〉の肩に舞い戻る。「この戦鎚、〈夜明けの風〉や雌鴉の鎗ほどの決定力はないんだ」
ケイは体勢を戻そうとする界獣目掛けて駆け、大剣を振り下ろす。刃が鼠径部から体幹まで潜り込み、界獣の巨体を破砕した。
これで四体の界獣を撃破。残りはどれくらいなのか。騎内の俯瞰映像を見て、ケイは息を呑んだ。
「何なんだよ、これ!?」
海棲型界獣〈深きもの〉を示す無数の青い光球が、新トウキョウ湾岸に沿って浮かび上がる。一見してその数は数十を下らない。そのことはまだ理解できる。海棲型界獣は、太平洋から出現しニホン列島に接近するものだ。
ケイが理解できないのは、界獣を示す青い光球が、今なお唐突に湾上に現れることだ。湾の外から入り込んでくるのではなく、湾内に。何もない海中に、いきなり顕れたとでもいうのか。
「呼び寄せてるのさ」ケイの疑問に、ウルスラが答えた。「南太平洋の海底にある、ヤツらの巣から」
「南太平洋って、冗談でしょ? 距離だって……」
「できるんだよ」告げるウルスラの目は真剣そのもの。いつもの遊び心は欠片もない。「〈深きものども〉が奉仕する高位存在なら、海中に低位のモノを通す"穴"を開けるのなんて容易いことさ。20年前の資料でも、この現象は記録されてる」
ケイにはウルスラの言っていることの意味が半分もわからない。しかし、押し寄せる界獣の大群、20年前の現象という言葉は簡単に一つの事件に結び付く。この国で生まれ育った者なら誰でも同じだろう。
「失地回復戦」
「そうだよ。ケイ」兜の面頬を上げ、ウルスラは頷いた。ケイの発したたった一つの単語に、すべてを理解したかのように。「20年前、キミの国は新トウキョウ湾に顕れたアレと、アレの呼び込んだD類奉仕種族〈深きものども〉の大群によって、滅亡する寸前まで行ったんだ。だから総力を挙げてアレを撃退、放逐してこの国を護り抜いた。それが、20年前にこの地で起きた出来事の"半分"だ」
そんな事、ケイは聞いたことがなかった。学校の社会の授業でも何でも、失地回復戦は"大海嘯で界獣に奪われた旧統京圏の奪還"を目指し、達成した出来事だと教えられる。
それが、新トウキョウ湾に顕れた何かとの戦いだったというのか。知らされた事実に愕然となりながら、ケイは翅翔妖精たちから送り込まれる映像を見た。界獣を示す青い光球は、徐々にだが今なお増殖している。
事態が察知されたのか。市街から、けたたましいサイレンの音が鳴り響く。続いて緊急避難警報の放送が流れている。しかしその言葉は、ケイの頭にほとんど入ってこない。このヨロイ〈夜明けの風〉がどれくらい高性能でも、界獣が市街に達する前に、そのすべてを殺し尽くせるとは思えない。数が、違い過ぎる。
「選択肢は、いくつかあるよ」沈黙するケイに、囁くようにウルスラが告げた。「ここで踏ん張ってとにかく〈深きものども〉を殺しまくれば、この一帯の市民の退避と、海浜警備隊が来るまでの時間を多少なりとも稼げる。あるいは到底相手にしきれる数じゃないから、退却するのも現実的かな。いずれにせよ、犠牲者は出るだろう。せいぜいその数が若干変わるくらいさ」
降りかかる理不尽と、突きつけられる選択肢。背後の都市にはメイハがいてアヤハがいて、姉がいて父がいる。タケヤをはじめとした友だちがいて、児相の霧島さんやらお世話になった人たちがいて。手にした武器は強力だけど、大切なすべてを、理不尽から護り抜くには足りそうもなくて。
それでも、とケイは思う。できることがあるのは、幸運なのか凶運なのか。きっと彼女は、僕の答えを知ってて言ってる。
「ウルスラ、やっぱり君は魔女なんだね」
「出会った時に、そうだと言ったよ」
今さらだね、と薄く笑むウルスラに、ケイは言った。
「あれはできないのかな。前にやった『敵対者の力の模倣』とか何とかいうやつ」
「ああ、いいねキミは。最高だよSir Cai」ケイの言葉にその意図を察して、ウルスラが笑みを深くする。「〈星に伸ばす手〉起動。対立神性模倣開始。セット、星辰コード"HYADES"」
ウルスラが宙に浮く文字をさっと撫ぜると、〈夜明けの風〉の大剣が黄色の光を増し、強くしていく。刃を伝う黄色の光は、炎のようにゆらめき躍る。
「寄ってくるよ、Cai。世界を侵す、祀りえぬ神の手勢どもが」赤い髪の魔女は面頬を下ろし、戦鎚を構える。「さあやろう、我が騎士。カトライスへ駆けた三百騎のように。うるわしのカナンのように。殺して、殺して、殺すのさ!!」
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