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第4話 あなたと休日を
6. メイハとアヤハ
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二人連れだって歩くその姿は、傍から見ればニホン人の少年と異国の少女の、それはそれは初々しいカップルで。
少年少女が歩き出す際のほんの一瞬、メイハは少女と目が合った。その琥珀色の瞳は、見せつけ、勝ち誇るような色をしていた。
「姉さん、缶、潰してます」
妹に言われ、メイハは左手のコーヒー缶を見る。小さなスチール缶が、いつの間にかひしゃげて更に小さくなっている。ほとんど飲み切っていたので、あまり手が汚れずに済んだのは幸いだった。
「サンシャイン通りに向かってますね」
その方向を見もせずにアヤハが言う。メイハが見ると実際にそのとおりで、ケイとウルスラは行き交う人ごみの中を、サンシャイン60ビルに続く通りへと向かっていた。
「プラネタリウムの前に、食事のはずです」アヤハは見えない何かを読み上げるように諳んじる。「通り裏の異人街あたりのお店でしょうか」
「たぶんそうだろうな。ケイの財布の中身からして」
答えながらメイハは歩き出す。そのすぐ傍らをアヤハが続いた。傍から見れば、こちらも兄妹かあるいはカップルのように見える。
メイハはパンツルックに薄いサングラス。アヤハは赤のベレー帽に縁の太い伊達眼鏡で変装していた。変装だけでなく、見た目の関係も偽装するのは男避けのためだ。メイハもアヤハも一人あるいは一緒に歩くと、見知らぬ男が寄って声をかけてくる。面倒でかなわないので、姉妹二人で行動する時はよくこうしていた。ふとメイハは思い出す。そういえば以前、男装姿をマキに見られて「いいよメイいいよー!」と興奮され、何枚も写メを撮られたことがあった。何がいいのか今でもさっぱりわからないが。
メイハは潰した缶を自販機横のゴミ箱へ放りこむ。ケイと異国娘が、予想どおりサンシャイン通りの裏通り、メイハたち学生が呼ぶところの「異人街」へと入っていくのが見えた。サンシャイン通りから一本外れたこの通りは、大海嘯で帰国が困難になった外国人が営業する店が多く立ち並ぶ。USAのハンバーガーショップや、バラタ藩王国のカレー屋等々。もはや気軽に訪れることのかなわない異国の料理が、学生でも手が出るリーズナブルな金額で味わえる。そのためメイハらネリマ市の学生は休日、イケフクロに遊びに行くとなると、大抵はこの異人街をコースに入れた。
この異人街、更に一本通りをずれると、男女が逢瀬に使うホテルが幾つもある。メイハは遠目に、無駄に煌びやかな看板を眺めて思う。ケイはああいった施設に行ったことが、行きたいと思うことがあるのだろうか。いやあるわけない。当たり前だ。そうに決まっている。行かせるはずもない。ケイもワタシもまだ未成年なのだからな。行かせてなるものか。そもそも今日、せっかくの休日を潰してこんな格好で尾行するような真似をしているのも、ケイが不埒なことをしないか、怪しいことをされないか監視するためだ。ブリタニアやUSAはふしだらなことが色々と進んでいるとか聞くしな。
3日前、ケイが早々に夕食を終えて店の二階に戻った後、メイハはシグネに言った。あの異国娘は得体が知れない。危ないのではないかと。
「あら、ケイが心配?」訊き返すシグネは、楽し気にメイハを見つめている。食後のほうじ茶を飲みながら。「大丈夫よ。とぼけて見えて、人を見る目だけは確かだから。あなたたちだってそうだったでしょ?」
「む……」
そう言われてしまうと、メイハは返す言葉がない。初めてケイと出会った時の有様は妹ともども、今、振り返ってみると相当ひどかった。風体的な意味でも、行動的な意味でも。
しかしあの娘は違うのだ。自分たちのような出来損ないとも、ケイやシグネら汎人とも。言いたいことは喉元まで来るのに、上手く言葉にできない自分がもどかしい。
メイハの沈黙を別の意味に取ったのか。シグネは諭すように話し出す。
「よくある短期留学生とか、転校生とかとの思い出作り。大人になってから懐かしく思い出す、少年の頃の記憶……邪魔するのは野暮ってものよ」
シグネの言葉に、そんなものか? とメイハは胸の内で反論する。あのブレナンとかいう娘、間違いなくケイに対してよからぬことを考えているぞ。ケイはあれこれと誤魔化すが、夜ごと連れ回されてもいるようだし。何よりワタシを「Ras gymysg」と呼んだあの逆さまの目つき。言外に「オマエは相応しくない」と言っているのが聞こえた。言葉自体の意味は、アヤハ曰くブリタニアのカムリ地方の言葉で「混ざりモノ、混合物」らしいが……
「ケイを獲られたりしないわよ。幼馴染って、けっこう強いのよ? 姉と弟みたいとか、兄と妹みたいとか言われてたのに限って、唐突に赤ん坊の写真付き年賀状送ってくるんだから。ユキナとかヤヨイとか。気づけば独り身は私とミユキくらいで。あいつら、出会いがなくてーとか言ってた癖に……」
話しながら何を思い出しているのか。語るシグネの目が徐々に生気を失い濁ってゆく。口の端に笑みが浮かぶが、その目はまったく笑っていない。御幡の家で暮らし始めて6年余。メイハはシグネが誰かと付き合っているとかいないとかの話を聞いたことがなかった。
とりあえず、メイハは理解した。あの娘に関してシグネはあまり当てにならない。さっさとアジフライを尾まで口に入れバリバリとかみ砕いて飲み込むと「ごちそうさま」と手を合わせる。
アヤハと相談せねばならない。ケイがよからぬ女に惑わされぬように。メイハは食器をキッチンに運ぶと、手早く済ませるため勢いこんで洗い始めた。
ケイと異国娘がハンバーガーショップに入るのを見届けてから、メイハは屋台のケバブサンドを二つ買った。一つをアヤハに渡すと、自分の分に無造作に齧りつく。
「しかしあの娘、何者なのだろうな?」
サングラス越しの視線の先では、ケイとウルスラが窓際のカウンター席に着いたところだった。
「姉さん、食べながら話すのは行儀が悪いですよ……って、ああもうこぼれてます」
「今更だぞアヤハ」窘める妹の言葉を受け流しながら、メイハは手のひらに付いたソースを舐め取る。「ケイに会うまで野犬と大差なかったんだ。それを思えば、ワタシたちも随分と文明化したものさ」
メイハと対照的に、アヤハはサンドの具材がこぼれないように、器用に千切りながら食べている。
「わたしたちだけならともかく、御幡の家の評判や、児相の心象にも響くから言ってるんです」
「む……」
痛いところを突かれ、メイハは言葉に詰まる。今でも月に一度は児童相談所の査察があり、御幡家が玖成姉妹の生育環境として適正か否かチェックされている。当然、姉妹の素行が悪ければマイナスの評定が下されるわけで。マイナスが積み重なれば、最悪、御幡家から引き離されてしまうかもしれない。食べ方の行儀作法くらいで、とも思うが万一のことも考えてしまう。どう転んでも、親権喪失状態の実父実母の元に戻ることはなかろうが。
メイハはハンカチを出すと手を拭い、ソースをこぼさぬように丁寧に食べ始める。
「で、あの女が何者かですけど」アヤハはサンドを千切る手を止めた。「姉さんには、どう見えてますか?」
「アヤハと同い年くらいの、娘だな。背丈も似たようなものだ」
メイハがハンバーガーショップに視線を戻すと、カウンターの小娘はハンバーガーにケチャップとマスタードを盛りまくり、隣のケイがそれを引き気味に見ていた。身長はケイより少し低いくらいだから、160センチあるかないかか。ニホン人にはまずいない赤い髪に、琥珀色の目。
「顔は、まあ美しいのだろうな。世の男どもはああいった顔が好きそうだ」
その男の中にはケイも入るのか。入るのだろうな、と思うとメイハはひどく胸がざわざわした。なんなのだこの感覚は。
「そうですか。わたしには美しいとか醜いとかが、まだよくわかりませんが」アヤハは紅い瞳を宙空に彷徨わせる。「あの女の足音は、ひどく年を経たものの音。あの女の声は、幾星霜を超えた遥か遠くから聞こえてきます。きっと見た目どおりの存在では……人間では、ありません」
少年少女が歩き出す際のほんの一瞬、メイハは少女と目が合った。その琥珀色の瞳は、見せつけ、勝ち誇るような色をしていた。
「姉さん、缶、潰してます」
妹に言われ、メイハは左手のコーヒー缶を見る。小さなスチール缶が、いつの間にかひしゃげて更に小さくなっている。ほとんど飲み切っていたので、あまり手が汚れずに済んだのは幸いだった。
「サンシャイン通りに向かってますね」
その方向を見もせずにアヤハが言う。メイハが見ると実際にそのとおりで、ケイとウルスラは行き交う人ごみの中を、サンシャイン60ビルに続く通りへと向かっていた。
「プラネタリウムの前に、食事のはずです」アヤハは見えない何かを読み上げるように諳んじる。「通り裏の異人街あたりのお店でしょうか」
「たぶんそうだろうな。ケイの財布の中身からして」
答えながらメイハは歩き出す。そのすぐ傍らをアヤハが続いた。傍から見れば、こちらも兄妹かあるいはカップルのように見える。
メイハはパンツルックに薄いサングラス。アヤハは赤のベレー帽に縁の太い伊達眼鏡で変装していた。変装だけでなく、見た目の関係も偽装するのは男避けのためだ。メイハもアヤハも一人あるいは一緒に歩くと、見知らぬ男が寄って声をかけてくる。面倒でかなわないので、姉妹二人で行動する時はよくこうしていた。ふとメイハは思い出す。そういえば以前、男装姿をマキに見られて「いいよメイいいよー!」と興奮され、何枚も写メを撮られたことがあった。何がいいのか今でもさっぱりわからないが。
メイハは潰した缶を自販機横のゴミ箱へ放りこむ。ケイと異国娘が、予想どおりサンシャイン通りの裏通り、メイハたち学生が呼ぶところの「異人街」へと入っていくのが見えた。サンシャイン通りから一本外れたこの通りは、大海嘯で帰国が困難になった外国人が営業する店が多く立ち並ぶ。USAのハンバーガーショップや、バラタ藩王国のカレー屋等々。もはや気軽に訪れることのかなわない異国の料理が、学生でも手が出るリーズナブルな金額で味わえる。そのためメイハらネリマ市の学生は休日、イケフクロに遊びに行くとなると、大抵はこの異人街をコースに入れた。
この異人街、更に一本通りをずれると、男女が逢瀬に使うホテルが幾つもある。メイハは遠目に、無駄に煌びやかな看板を眺めて思う。ケイはああいった施設に行ったことが、行きたいと思うことがあるのだろうか。いやあるわけない。当たり前だ。そうに決まっている。行かせるはずもない。ケイもワタシもまだ未成年なのだからな。行かせてなるものか。そもそも今日、せっかくの休日を潰してこんな格好で尾行するような真似をしているのも、ケイが不埒なことをしないか、怪しいことをされないか監視するためだ。ブリタニアやUSAはふしだらなことが色々と進んでいるとか聞くしな。
3日前、ケイが早々に夕食を終えて店の二階に戻った後、メイハはシグネに言った。あの異国娘は得体が知れない。危ないのではないかと。
「あら、ケイが心配?」訊き返すシグネは、楽し気にメイハを見つめている。食後のほうじ茶を飲みながら。「大丈夫よ。とぼけて見えて、人を見る目だけは確かだから。あなたたちだってそうだったでしょ?」
「む……」
そう言われてしまうと、メイハは返す言葉がない。初めてケイと出会った時の有様は妹ともども、今、振り返ってみると相当ひどかった。風体的な意味でも、行動的な意味でも。
しかしあの娘は違うのだ。自分たちのような出来損ないとも、ケイやシグネら汎人とも。言いたいことは喉元まで来るのに、上手く言葉にできない自分がもどかしい。
メイハの沈黙を別の意味に取ったのか。シグネは諭すように話し出す。
「よくある短期留学生とか、転校生とかとの思い出作り。大人になってから懐かしく思い出す、少年の頃の記憶……邪魔するのは野暮ってものよ」
シグネの言葉に、そんなものか? とメイハは胸の内で反論する。あのブレナンとかいう娘、間違いなくケイに対してよからぬことを考えているぞ。ケイはあれこれと誤魔化すが、夜ごと連れ回されてもいるようだし。何よりワタシを「Ras gymysg」と呼んだあの逆さまの目つき。言外に「オマエは相応しくない」と言っているのが聞こえた。言葉自体の意味は、アヤハ曰くブリタニアのカムリ地方の言葉で「混ざりモノ、混合物」らしいが……
「ケイを獲られたりしないわよ。幼馴染って、けっこう強いのよ? 姉と弟みたいとか、兄と妹みたいとか言われてたのに限って、唐突に赤ん坊の写真付き年賀状送ってくるんだから。ユキナとかヤヨイとか。気づけば独り身は私とミユキくらいで。あいつら、出会いがなくてーとか言ってた癖に……」
話しながら何を思い出しているのか。語るシグネの目が徐々に生気を失い濁ってゆく。口の端に笑みが浮かぶが、その目はまったく笑っていない。御幡の家で暮らし始めて6年余。メイハはシグネが誰かと付き合っているとかいないとかの話を聞いたことがなかった。
とりあえず、メイハは理解した。あの娘に関してシグネはあまり当てにならない。さっさとアジフライを尾まで口に入れバリバリとかみ砕いて飲み込むと「ごちそうさま」と手を合わせる。
アヤハと相談せねばならない。ケイがよからぬ女に惑わされぬように。メイハは食器をキッチンに運ぶと、手早く済ませるため勢いこんで洗い始めた。
ケイと異国娘がハンバーガーショップに入るのを見届けてから、メイハは屋台のケバブサンドを二つ買った。一つをアヤハに渡すと、自分の分に無造作に齧りつく。
「しかしあの娘、何者なのだろうな?」
サングラス越しの視線の先では、ケイとウルスラが窓際のカウンター席に着いたところだった。
「姉さん、食べながら話すのは行儀が悪いですよ……って、ああもうこぼれてます」
「今更だぞアヤハ」窘める妹の言葉を受け流しながら、メイハは手のひらに付いたソースを舐め取る。「ケイに会うまで野犬と大差なかったんだ。それを思えば、ワタシたちも随分と文明化したものさ」
メイハと対照的に、アヤハはサンドの具材がこぼれないように、器用に千切りながら食べている。
「わたしたちだけならともかく、御幡の家の評判や、児相の心象にも響くから言ってるんです」
「む……」
痛いところを突かれ、メイハは言葉に詰まる。今でも月に一度は児童相談所の査察があり、御幡家が玖成姉妹の生育環境として適正か否かチェックされている。当然、姉妹の素行が悪ければマイナスの評定が下されるわけで。マイナスが積み重なれば、最悪、御幡家から引き離されてしまうかもしれない。食べ方の行儀作法くらいで、とも思うが万一のことも考えてしまう。どう転んでも、親権喪失状態の実父実母の元に戻ることはなかろうが。
メイハはハンカチを出すと手を拭い、ソースをこぼさぬように丁寧に食べ始める。
「で、あの女が何者かですけど」アヤハはサンドを千切る手を止めた。「姉さんには、どう見えてますか?」
「アヤハと同い年くらいの、娘だな。背丈も似たようなものだ」
メイハがハンバーガーショップに視線を戻すと、カウンターの小娘はハンバーガーにケチャップとマスタードを盛りまくり、隣のケイがそれを引き気味に見ていた。身長はケイより少し低いくらいだから、160センチあるかないかか。ニホン人にはまずいない赤い髪に、琥珀色の目。
「顔は、まあ美しいのだろうな。世の男どもはああいった顔が好きそうだ」
その男の中にはケイも入るのか。入るのだろうな、と思うとメイハはひどく胸がざわざわした。なんなのだこの感覚は。
「そうですか。わたしには美しいとか醜いとかが、まだよくわかりませんが」アヤハは紅い瞳を宙空に彷徨わせる。「あの女の足音は、ひどく年を経たものの音。あの女の声は、幾星霜を超えた遥か遠くから聞こえてきます。きっと見た目どおりの存在では……人間では、ありません」
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