紙杯の騎士

信野木常

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第4話 あなたと休日を

2. 既視感、違和感

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 仮にニホンの界獣戦記、といったものがあるのなら、今日はきっと記録に残る日になる。
 対B類特種害獣武装のコンゴウ改を駆りながら、伊勢ソウリは傀内スクリーンこと神観鏡に映る資料を流し読む。W類特種害獣、ウィンディゴ(Windigos)。高速で飛行、急上昇降下する巨大な人型奉仕種族。性向は極めて狂暴で、攻撃時に繰り出す大きな鉤爪は易々と星辰装甲の積層紋晶装甲板を貫通する。また攻撃対象を高高度に連れ去り、落として殺す……
 そんな敵性特種生物を相手に、対B類害獣の装備は心許なかった。飛行型界獣のB類を相手取る装備とは言っても、せいぜいが投網銃の射程が多少長くなった程度のものだ。他は換刃薙刀、ナイフ、月山刀といったD類相手の装備と大差ない。ソウリ自身、繰傀士として任務に就いて7年になるが、B類特種害獣を直接目にしたことは二度しかない。しかもその内一回は戦術陰陽士が召喚したもので、D類の群れを相手に共闘を仕掛けた味方側だった。敵としてのB類と対峙したのは、実質一度きりだ。


 出動前のブリーフィングで開口一番、瑞元隊長が言った。
「みんな、喜んで。私たちはニホンで最初にW類特種害獣と交戦する部隊になるわ!」
 いつもローテンションな口調が妙にハイなことが、逆に事態の深刻さを思い知らせた。隊長は続けて任務の説明に移る。そんな彼女の目はいつにも増してどんより濁っていた。ソウリたち第三防衛隊第一小隊の面々が渡された資料の紙束は、質の悪い画像に必要事項が箇条書きになった、いかにも急造のそれで。
「まだこの国では誰も戦ったことのない敵、何だか燃えるっすね! センパイ!」
 トウカが能天気に話しかけてくる。ことの次第と深刻さを理解しているのかいないのか。性格は少々アレでも、彼女は遺伝子調整者。きっと資料も今の状況も読み込んだ上でこうなのだろう。自分たちに課されたのは、ある種の威力偵察。未知の敵と交戦し、可能なら殲滅。叶わなければ、可能な限りその情報を持ち帰れというものだ。ブリタニア連合との協定で、彼の国の持つW類特種害獣の情報は入手できる。しかし空戦可能な武装祭器も人員もないニホンの対界獣体制では、参考になる情報はごく一部だ。実際の交戦データがほしいという上の思惑も理解はできる。できるが、どこか当て馬感が拭えない。自分たちの後に第三管区の精鋭、第一防衛隊が控えていることは、心強くもあったが。
「ま、できることをやるだけさ」
 ソウリは意識して軽く言った。胸の内の引っかかりを上手く隠せただろうか。バディに不安を与えてはバディ失格だ。
「現在、新トウキョウ湾上空に四体のW類特種害獣が接近中」戦術陰陽士のユミが、ノート型端末を確認しながら告げる。「使鬼の観測情報から、進路からの予想到達位置はネリマ市東部。第五防衛ラインに接する推定時刻は、2305」
「限定的とはいえ、防衛システムは復旧したはずでは?」この場の全員が抱いた疑問を、方術甲冑技士の日地ケイタ二等警士が発言した。彼は傀体装備輸送車両の運転士でもある。「それで、界獣にそこまでの接近を許すのは……」
「今、ネリマ市とトヨシマ市の防衛システムがダウンしてるのよ」瑞元隊長が、前面スクリーンに映し出されたスライドを切り替える。「サイノカミ、結界塔頂部で遂行中の舞踊儀礼が、未知の敵性生物の襲撃を受けている。十分予想できた事態なのに、最悪よ」
 隊員一同が小さくどよめく。ソウリたちの前に、奇怪な存在とそれが起こした惨事のモノクロ映像が映し出された。画質が荒くて見難いことが、却って幸いだったかもしれない。ユミなどは感受性が強いためか、こみ上げる吐き気を抑えてハンカチで口を覆っている。
「特安の保安官が対処してるけど、今はその映像を最後に通信も途絶。現場で何が起きてるのかは不明」瑞元隊長は苛々とペンを回す。「だから結界塔頂部に、方術甲冑を最低でも二傀体は配備しろって上申したのに。最悪よ、まったく」
 ソウリは上官の愚痴を聞き流しながら、スクリーンの映像を見た。場所はトヨシマ市結界塔頂部。蠢く蚯蚓か線虫のようなものの塊で構成された怪物が、保安官や舞踊儀礼の演者を触腕で刺し解体し撒き散らす様は現実感が乏しく、どこかマネキンで造ったオブジェのように見える。
「先の都市防衛システムの一斉ダウン事件、今、キョウトでやってる特種生物災害対策会議で俎上に上ったそうよ」
 ま、当然よね。と付け足しながら、瑞元隊長が追加の資料を隊員たちに配布した。
 訳付きのブリタニア語資料には、狂気誘導媒体(medium)、呼応者(responser)、ザムザ症候群(zamza syndrome)……初めて目にする数々の用語の記述がある。ざっと目を通したソウリがその最後の一枚をめくると、二枚の写真が添付されていた。
「で、それが我が国の引き出せた情報。最後の写真は、情報開示と引き換えにブリタニア側が提示した条件よ。彼女の捜索に手を貸してほしいって」
 写真に写っていたのは、今、進行している陰惨な現象や事件に似つかわしくない、ローティーンと思しき赤毛の少女だった。


 ソウリは傀体内でブリタニアの資料を読んだ。小さく声に出しながら。
「ザムザ症候群。学者や芸術家等、感受性の高い人間が、狂気誘導媒体、人知を超えた知識を記した書物等に触れた際に発症する一連の症状群。発熱を伴う幻聴、幻視等の後、精神の変容と同時に身体が不可逆的に変質する。大海嘯以後、ブリタニアで2例、USA、EU諸国で数例が確認される……か」
 そして、ザムザ症候群で変質した人間を呼応者と呼ぶ。"あちら側"からの呼び声に応えた者として。一連の用語の命名者は、EUプロイセンに本部を置く魔女結社の魔女にして医師、ヘルガ・P・タカハシ。彼女はかつて、狂気に蝕まれ変質しつつあるザムザ症患者と対話を成し得たという。
 ザムザ症患者による都市防衛システムの破壊が、新トウキョウ湾岸に界獣を呼び込んだ。数日の間隔を開けて、今回で二度目。資料を読む限り、過去の事例と比べても、このような頻度で連続して呼応者が発生したことはない。ザムザ症疾患者は、呼び声に応えた者。ならば呼んだものは誰、否、"何"だ?
 ソウリは軽く頭を振って、浮かんだ疑問を追いやった。一介の海浜警備隊繰傀士が考えることではないなと思う。今、考えるべきはW類害獣への対処だ。幸い、今向かっている第二封鎖区画付近の住民の退避は完了している。敵は自在に宙を舞う。やはり接近してきたところをワイヤーネットで捕縛、行動を封じて白兵武装で止めを刺す、の対B類のセオリーを試すしかないか。
 後に第一防衛隊も控えている。無理をして命を危険に晒すことはない。安全マージンを取って戦えばいい。そんなソウリの事なかれ思考を、後輩女子の発言が吹き飛ばす。
『いやーセンパイ、腕が鳴るっすね!』トウカからの通話は、士気が溢れて吹きこぼれていた。『憧れてたんすよこういうシチュ。迫り来る未知の敵に立ち向かう。ヒーローっすよヒーロー!』
「いつもみたいに突っ込み過ぎるなよ? 相手はいつものD類じゃないんだ。今回はフォローしきれる自信がない」
『わかってるっすよ。意気込みっす意気込み。でもセンパイも燃えてこないっすか? 男の子でしょ? こういうの好きでしょ?』
「そういうのは中等部に上がる頃に卒業したさ」言い返しつつも、ソウリはほんの少しだけ心の片隅が湧き立っていることを否定できなかった。もう数年若ければ、案外彼女と同じ感想を抱いたのかもしれない。歳くったな、俺。「慎重に行くぞ。資料どおりなら相当危険な相手だ」
『りょーかい。後衛よろしくっす!』
 こちらの思いが果たしてどこまで通じているのか。先行して駆けるヒエイの足取りが、普段の任務より幾ばくか軽く見える。いつもなら一応は上官でもあるソウリの言うことを汲んで状況に臨んでくれるが、今回はどうなることか。遺伝子調整者の能力でスタンドプレーに走られれば、危険な目に遭うのはただの汎人のバディであるこちらだ。俺、三十まで生きて退官できるかな……
 ソウリが自身の将来に茫漠とした不安を抱いたところで、後方の指揮車両から通信が入った。
『報告! ネリマ市上空に接近していたW類害獣の反応が、消失』ユミの戸惑いが、通話越しでもわかる。『使鬼に辺りを捜索させてますが、今のところどんな痕跡も見当たりません』
 ソウリのコンゴウ改は、既に目的地である第二封鎖区画の手前まで到達していた。
「反応消失って……」
 驚きながら、ソウリも周囲を見渡した。ヨロイの視界に、霧に煙る封鎖フェンスが見えるのみだ。夜空を見上げても、漂う霧に遮られて判然としない。しかし何故霧が? 辺りに雨が降った様子もないのに。
「トウカちゃん! そっちはどうだい?」
『霧のせいでわからないっす』
 観測されたポイントに近づけば、何かわかるかもしれない。ソウリはコンゴウ改でフェンスを跳び越え、第二封鎖区画内部へと侵入した。瓦礫の中を進めば進むほど霧が濃くなり、有効視野は数メートル程度になる。
 これ以上は危険だ。仮にW類でも何でも、今、この視界の状態で界獣に襲われればまともに対処できない。ソウリがトウカを呼び戻そうと通信を開いたその時
 風が吹き、ほんの一瞬、霧が隙間を覗かせた。
「……え?」
 ソウリはその一瞬に見たものを確かなものにしようと、目を瞬かせる。
 夢か、妄想か。ソウリは確かに見えた気がした。鬣を持つ巨大な鎧の騎士が、左肩に小柄な少女を載せて駆けてゆくのが。
 少女の横顔に既視感を覚え、ソウリは傀内スクリーンに資料を呼び出した。最終ページのその先の、二枚の写真と記憶を比べる。コンゴウ改の夜間視界なので色まではわからない。しかし記憶の中の横顔は、写真の少女の面立ちとよく似てはいなかったか?
 慌てて後を追おうとするも、辺りは霧に覆い尽くされていて、騎士と少女が何処へ向かったのか皆目見当がつかない。
『ソウリセンパイ! 何かあったっすか?』
 ソウリの様子に何かを察したのか。トウカが通話を入れてくる。
「……いや、何でもない」僅かな逡巡の後、ソウリは返答した。色のない視界のことだ。きっと海鳥か何かを見間違えたのだろう。6年前、あの台風の日についてもそうだった。見間違いを報告に上げて一笑に付された。「周辺を探索しよう。W類、D類ともに反応がない。頭部を除装しての肉眼での目視確認も許可する」
『了解っす』
 霧が徐々に晴れ、辺りが見えてくる。視界に映るのは、大海嘯で水没し失地回復戦で破壊された街の残骸だけだ。
 ソウリは見間違いと己に言い聞かせたものの、やはり心に引っかかるものは消しきれなかった。そう言えばこの前の防衛システムダウンの日のことで、ユミちゃんが言ってたな。ネリマ市湾岸のD類撃破数。観測された数と俺たち海浜警備隊の撃破数が、あの日に限って観測不備の誤差を考慮しても合わないとか何とか。
「気のせいさ、きっと」
 巡る思考を停めるため、ソウリは再度己に言い聞かせる。面倒はご免だ。いずれ無事に退官して、普通のニホンの一般市民として暮らすのだから。昇進にも興味はない。三十まで繰傀士を続けるのはまあ、この道を選んだ自分へのけじめみたいなものだ。
 周囲を警戒し先行するヒエイの位置を確認。ソウリはコンゴウ改を水上へと進めた。
 波の音だけが、静かに寄せては返してゆく。何処かでウミネコがナーと鳴いた。
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