紙杯の騎士

信野木常

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第3話 食卓の風景

5. サイノカミ中央塔屋上

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 確かに当たった弾丸は、絡まり合う線虫のような表皮を力なく転がり落ちた。対象を撃ち抜くこともなく跳ね返されることもなく。
「どうしろってんだ? あんなモノっ」
 悪態をつきながら、多村タツキは空になった弾倉を換えて駆ける。駆けながら撃つ。このネリマ市のサイノカミ中央塔屋上に、這い上ってきた異形に向けて。この場にあって、今なお進行する結界維持の舞踊儀式。これはひと時たりとも止めるわけにはいかない。これが止まれば、再びこの街の護りは消える。防衛ラインが下がっている今、界獣どもが押し寄せればどれだけの被害が出るか想像もつかない。
「こっちだ! バケモノ!」
 言葉が通じるか甚だ疑問だったが、タツキは声を張り上げて叫ぶ。異形の怪物の注意を少しでも、演者たちから逸らしたかった。幸い、深い変性意識《トランス》状態に入った謡い手と舞い手は、混乱の只中にあってもその舞踊を継続してくれている。
 しかし異形の怪物は、タツキたち特安部保安官らの努力を意に介した様子もなく、ズルズルと絡まり合う蚯蚓のような四肢で演者たちに向かって這いずってゆく。全長三メートル超のその姿は四肢から成り、輪郭だけはヒトめいていた。頭部と思しき盛り上がりには、蛸や烏賊といった頭足類のそれに似た眼が幾つも不規則に張り付き、太い紐状の組織が常に蠢いている。しかしその様を人に近づけて解釈する行為は、あまりに冒涜的に思えた。タツキは一目見ただけで、吐き気と一緒にこみ上げる生理的嫌悪感に、一目散にこの場を離れたくなったくらいだ。
 閃光、音響といった対人制圧用のスタングレネードは用を為さず、実弾も効かない。反遺伝子調整技術、反ミスティックレイスの組織犯罪やテロに対応すべく訓練を受けてきた自分たちには荷が重い。こいつは小さいが界獣と同じ部類のものだ。殲滅するには方術甲冑が要る。さもなければ遺失知識、魔法や秘術に通じた高位の術者かミスティックレイスが。しかし今のこの場に、そんな者はない。
 しかし超常の存在が現れること自体は、上の予想の範疇だったのか。タツキは怪物を挟んだ反対にいるであろう同輩に向かって呼びかけた。「坂城、近接戦に移行する!」
「無茶だ!」
 坂城の警告を聞き流しながら、タツキはベルトの背部に装着した小太刀を抜いた。今回の、舞踊儀式の警護任務において、装備を義務付けられたのがこの小太刀だ。ニホンのミスティックレイス、月山の鬼が鍛えたこれは、遺失知識を使う犯罪者の、超常の技術を封殺できる。この怪物にも通じる可能性がある。
 急拵えの板張りの演台に向かって、人型の戯画めいた怪物は這う。触腕の先端をコンクリートの床に突き立て、己が醜悪な体を引き寄せて進む。あの触手はどのような原理なのか、しなやかに柔らかく見えながら、コンクリートの床面を易々と刺し抉った。いわんや人体をや。この場にはタツキ自身と坂城の他に三名の保安官がいたが、その三名の内一人は胸を触腕に貫かれ、、一人は右腕を上腕から切断、もう一人は脇腹を抉られ倒れている。胸を貫かれた安堂は、おそらく即死。負傷した宮武と久我も倒れ、出血がひどく意識があるかも怪しい。
 南無三と念じながら、タツキは怪物の脇腹に相当する位置に小太刀を突き立てた。拳銃弾と異なり、刃は軟体の表皮を貫きその奥へと潜り込む。
「いけるぞ!坂城!」
 確かな手応えを感じて、タツキは小太刀に体を乗せる。鍔元まで押し込むと、手首を回してから刃を引き出した。斬り開かれた傷口から、赤黒い体液が撒き散らされる。その臭いは錆と潮にも似た、人の血の臭いに似ていた。
 怪物はブルっと身じろぐように体を震わせると
 i……iT………
 おおよそ地上の動物の発声器官では例えにくい、奇怪な呻きを漏らす。
 小太刀を血振りしてまとわり着いた体液を落とし、タツキは次の一撃を見舞うべく小太刀を振るう。その瞬間
「!?」
 怪物の体から突如として生え伸びた新たな触腕が、タツキに襲いかかった。
 薙ぎ払うようなその一撃に、反応できたのは奇跡に近く。タツキは小太刀を立て刃を前に、峰に手を添え受け止める。しかしその重さと衝撃を受け止めきれず、立てた小太刀ごと後方に押し飛ばされた。咄嗟に体を丸め、後ろに転がって衝撃を殺そうとするも、背をコンクリートに強打し肺から空気が押し出される。
「かはっ……」
 息が止まり、激痛に身動きできない。倒れたタツキの目に、篝火に照らされた演台と、その直前に至った怪物の姿が入る。
 iiiiiIIIIIIIITAtaaaaaaaaAAAAAA!!!!
 轟く呻きで夜気を震わせると、怪物は右の触腕の先を床面に突き刺し、そのまま演台へ、謡い舞う演者たちへと触腕を走らせた。コンクリートの床面が割り裂かれ、板張りの演台が砕けて木片が飛び散る。剣鈴と六支扇を持って舞う五眼面の演者をも裂かんと、触腕が迫る。
 もう駄目だ。間に合わない。タツキは触腕に切り裂かれる舞い手の、緋袴の少女の姿を想像した。名前は確か、柊木ヒヨリ。この警護任務の対象、オクタマ神事院で学ぶ対神芸能士は、一般社会ならまだ学校高等部に通っているであろう十代の少女だった。
 タツキは痛ましさに目を伏せたくなるも、それはできなかった。万に一つの奇跡でも起こってこの場を生き延びられたなら、何が起きたかを可能な限り記憶して報告する義務がある。またそのように訓練されてきた身だ。
 しかし、タツキの目の前に繰り広げられた光景は、彼の想像を裏切り乗り越え遥か明後日の方向にすっ飛んだものだった。
 …ったるでえ! と、若い男の関西弁が聞こえたような気がした。あろうことか夜空から。苦痛の生んだ幻聴かと、タツキは己の耳を疑った。
 次いで大きく響き渡った風切り音が、おぞましい怪物の呻きを吹き飛ばす。同時に重い衝撃が、タツキの伏した床を震わせる。揺れる彼の視界に、半ばから切断された触腕が宙を舞った。
 AAAAaaaaaaaaiiiiiIIIIIIIItaaaaaAAAA!!!!!
 べちゃりと濡れた音を立てて、触腕が落ちる。怪物は一際大きく呻き声を迸らせると、演台からその身を退いた。
 顕わになるタツキの視界に見えてきたのは、舞い手の少女を背に庇い、立ちはだかる黒い人型の異形。武者と学生の混合物とでも言うべき何か。詰襟学生服の上に、パーツの揃っていない黒い甲冑を着こんだようなそれは、武者モドキとでも名付ければいいのか。顔は鬼を模したような面頬と角兜に覆われてわからない。ただ兜の装甲の隙間から、ツンツンの尖ったハリネズミのような黒髪がはみ出ている。
 武者モドキは鷹の翼のように両手を広げてそこにいた。右手に剣、左手に短剣を携えて。
 闖入者の介入で演者は助かったものの、結界の舞は中断された。
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