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第2話 妖精の剣
9. 契約の蜜酒
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剣のような月を背に、銀の鎗が淡い光の尾を引いて閃く。鎗は少年の胸の中央を貫き、次いで人だった異形を穿ってビルの壁面に縫い留めた。
胸の穴から盛大に鮮血を迸らせ、少年は仰向けに倒れ伏す。ごぽりと口から溢れる血が、彼の褐色の肌を赤く塗ってゆく。
トヨシマジョウ公園駅前のビルの谷間に、風のように降り立つ姿が一つ。パンツスーツ姿の少女が、長い銀色の髪束を靡かせ駆けてゆく。一直線に、倒れた少年の元へ。大きな翡翠色の瞳に涙を溜めて。
壁に固定された異形は、その赤黒い蚯蚓めいた触手の束をかき集める。束はやがて人の頭と手足のような形を成して、崩れて、成して、崩れてを繰り返す。まるで人の形に戻ろうとするかのように。しかしすぐにその動きは緩慢になり……停まった。
かつん、と小さな金属の輪が落ち転がってゆく。壁に突き立った鎗を残して。
ぼろぼろと崩れて消えてゆく異形を余所に、少女は膝を着き少年を抱え起こした。
少年の胸から飛び散った血は、アスファルトとビルの壁に赤い前衛画を描き、彼の口からはなお鮮血が溢れる。目の焦点は合わず、かひゅーかひゅーと塞がる気道を確保せんと動く喉の力が、徐々に失われてゆく。
「ごめんネ、ごめんネ、痛いヨネ……」
たどたどしいニホン語で謝りながら、少女は少年の胸にその白い手を当てた。血とともに流れ落ちる命を、留めようとでもするかのように。瞬く間に手は真っ赤に染まり、やがて少女のスーツを浸す。どこか潮に似た血臭のなかで、少女は額を少年の胸に押し付けことばを紡いだ。余人に聞こえぬ調(しらべ)に乗せて。それはニホン語でもブリタニア語でもない異国のことば。歌と祈りが分かたれる前の、古い古い願いの形。高みのものへの訴えと、対価を示しての取引の形。
カッと蹄鉄を鳴らして、少女の背後に黒い鋼の馬が舞い降りる。黒馬は少女に耳を寄せると、首を横に振りヒヒンと一声いなないた。よせ、とでも言うかのように。
しかし少女はなおもことばを紡ぐ。黒馬のいななきに対し、静かに首を振りながら、血にまみれながら歌うように祈る。やがて声は小さくなり、ことばは「―yr」の音を最後に消えてゆく。
少女は血で汚れた顔を上げ、涙を湛えた翡翠色の瞳で夜空を見上げた。その目の光に、業火のような怒りが閃く。しかしそれは一瞬のこと。瞬きの間に、怒りの火は鎮まり鈍色の悲しみが取って代わる。
そして少女は抱えた少年に目を落とした。その視線にあるのは慈しみと悲しみと、ほんの少しだけ願いに似た何か。
「ごめんネ……」
謝りながら、少女はスーツの懐から黄金色の小瓶を出す。ほんの僅かな逡巡の後、小瓶の中身を口に含むと、翡翠色の目を閉じて、血を吐きこぼす少年の唇に自身の唇を重ね合わせた。
胸の穴から盛大に鮮血を迸らせ、少年は仰向けに倒れ伏す。ごぽりと口から溢れる血が、彼の褐色の肌を赤く塗ってゆく。
トヨシマジョウ公園駅前のビルの谷間に、風のように降り立つ姿が一つ。パンツスーツ姿の少女が、長い銀色の髪束を靡かせ駆けてゆく。一直線に、倒れた少年の元へ。大きな翡翠色の瞳に涙を溜めて。
壁に固定された異形は、その赤黒い蚯蚓めいた触手の束をかき集める。束はやがて人の頭と手足のような形を成して、崩れて、成して、崩れてを繰り返す。まるで人の形に戻ろうとするかのように。しかしすぐにその動きは緩慢になり……停まった。
かつん、と小さな金属の輪が落ち転がってゆく。壁に突き立った鎗を残して。
ぼろぼろと崩れて消えてゆく異形を余所に、少女は膝を着き少年を抱え起こした。
少年の胸から飛び散った血は、アスファルトとビルの壁に赤い前衛画を描き、彼の口からはなお鮮血が溢れる。目の焦点は合わず、かひゅーかひゅーと塞がる気道を確保せんと動く喉の力が、徐々に失われてゆく。
「ごめんネ、ごめんネ、痛いヨネ……」
たどたどしいニホン語で謝りながら、少女は少年の胸にその白い手を当てた。血とともに流れ落ちる命を、留めようとでもするかのように。瞬く間に手は真っ赤に染まり、やがて少女のスーツを浸す。どこか潮に似た血臭のなかで、少女は額を少年の胸に押し付けことばを紡いだ。余人に聞こえぬ調(しらべ)に乗せて。それはニホン語でもブリタニア語でもない異国のことば。歌と祈りが分かたれる前の、古い古い願いの形。高みのものへの訴えと、対価を示しての取引の形。
カッと蹄鉄を鳴らして、少女の背後に黒い鋼の馬が舞い降りる。黒馬は少女に耳を寄せると、首を横に振りヒヒンと一声いなないた。よせ、とでも言うかのように。
しかし少女はなおもことばを紡ぐ。黒馬のいななきに対し、静かに首を振りながら、血にまみれながら歌うように祈る。やがて声は小さくなり、ことばは「―yr」の音を最後に消えてゆく。
少女は血で汚れた顔を上げ、涙を湛えた翡翠色の瞳で夜空を見上げた。その目の光に、業火のような怒りが閃く。しかしそれは一瞬のこと。瞬きの間に、怒りの火は鎮まり鈍色の悲しみが取って代わる。
そして少女は抱えた少年に目を落とした。その視線にあるのは慈しみと悲しみと、ほんの少しだけ願いに似た何か。
「ごめんネ……」
謝りながら、少女はスーツの懐から黄金色の小瓶を出す。ほんの僅かな逡巡の後、小瓶の中身を口に含むと、翡翠色の目を閉じて、血を吐きこぼす少年の唇に自身の唇を重ね合わせた。
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