紙杯の騎士

信野木常

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第2話 妖精の剣

6. 伊勢ソウリは退官したい

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 コンゴウ改の眼を通して見る夜の街は、ブラウンセピアに調色された写真に似ている。そのせいか、伊勢ソウリは夜間の警邏や駆除任務に携わると、古い映像記録を観ているような気分になる。今となっては作戦行動中にもさして不自由は感じないが、駆け出しの頃は水没地帯と陸地、また水面や海面と界獣の境界が判別し難く、何度も危うい目に遭った。訓練で散々に「色で見分けるな、形で見分けろ」と教え込まれたが、その教えが完全に身になったと思えたのは、繰傀士として配属されて二年余りが経ってからだった。コンゴウ改の映像は、日中は普通に色彩がある。そのため、意識の切り替えが困難だったのだろうと、後のソウリは分析した。だというのに。
『センパイ、一体通しますんで後ヨロシクっす』
 海浜警備隊繰傀士としてのキャリア1年半ほどの田和良トウカは、夜の旧市街をこともなげにヒエイで駆けた。ヒエイは足元から飛び出す界獣を軽快に跳んで避け、廃ビルの壁面に手足をかけて器用に這い登る。
 ヒエイのあった場所で、界獣がギシリと空しく顎を閉じる。
 ヒエイに後続してコンゴウ改を駆るソウリは、界獣に照準を合わせて投網銃のトリガーを引いた。ワイヤーネットが展開し、界獣の体に絡みつく。
 ニホンのミスティックレイス、月山がっさんのキシンが鍛造したアクロ鋼製のワイヤーネットは、方術甲冑を離れても僅かな時間、界獣の動きを封じられる。その時間はおおよそ10秒。
 ソウリは投網銃をコンゴウ改の腰部ホルスターに収めると、背の薙刀を構えて突進。ワイヤーを振り切ろうともがく界獣目掛け、網の目を縫って刃を突き入れる。ゴツっとした硬い感触に、脊椎に相当する部位に達したことを確認すると、刀身を残したまま切り離し、薙刀の柄に替えの刀身を装着。今度は頸部を割き貫いた。

 GyiAAAaaa……!

 断末魔の叫びじみた咆哮を上げながら、界獣が徐々に動きを緩慢にしてゆく。数秒後、界獣は動きを止めて崩れていった。
 同時に、対象をなくしたワイヤーネットと薙刀の刀身が水中に沈んでいく。それに頓着することなく、ソウリは先行するトウカのヒエイを付かず離れず、一定の距離を保持して追いかける。視界を広く確保し、観測情報と現実の世界、ヒエイの活動を観察する。ヒエイは廃ビルに登りきると、ビルの屋上から屋上へ飛び進む。界獣を捕捉すると、ヒエイはその上空から逆持ちの薙刀で急襲した。
 刃が界獣の頭部を穿つ。ヒエイは薙刀を放って着水。頭の刃を外そうと身をくねらせる界獣目掛け、腰から一閃。月山刀の一撃を居合抜きに斬りつけ、界獣の右前肢を切断する。バランスを崩す巨体の横をヒエイはすり抜け、今度はその背部へ深く刀を突き入れた。
 もがく界獣にしがみつくように、ヒエイがその姿勢を保持すること数秒。界獣は崩れ水に溶けていった。
 ソウリは周辺の状況を確認する。使鬼の観測情報をチェックしても、駆除対象なし。この地域の界獣、D類特種害獣の駆除は完了したようだ。
 トウカの駆るヒエイが、月山刀をゆるやかに鞘に納める。歴戦の武人めいたその様を見て、ソウリは思う。
「もう、トウカちゃん一人でいいんじゃないかな」
 偽らざるソウリの本心は、知らぬうちに言葉に出た。ヒエイの性能分を差し引いてみても、彼女のセンスと成長の度合いは自分と比べて桁違いだ。遺伝子調整者、人工の天稟はかくあるものか。これからは先は、彼女たちのような者が中心となって、この国を護ってゆくのだろう。嫉妬心など湧いてこない。むしろそれでこそ、安心して退官願を書けるというもの。
 ソウリが近い将来に書く退官願の文面を考えていると
『そんなことないっす!』
 勢いよくトウカからの通話が入った。さっきの内心、口に出ていて聞こえていたのか。ソウリは少し気まずくなるが、まあ嫌味でも何でもない本心だしな、とも思う。
『センパイのバックアップがあるから、やれるんす。実際、センパイと組んでからスコアの伸びが段違いなんすから』
「なに、すぐに誰と組んでも十分にこなせるようになるさ」
 とは言ったものの、トウカの言葉も事実ではある。第一小隊の駆除戦果は第三管区の中でも常に上位にあった。戦果の伸びは、かつてトウカが所属していた第一管区の部隊にいた頃の記録と比べても明らかだった。
 田和良トウカと組む前から、繰傀士としての伊勢ソウリにはそんな傾向があった。自身のスコアは全国平均やや上くらいなのだが、バディを組んだ相手は着実にスコアを伸ばす。ソウリとしては誰と組んでも、同じように任務を遂行しているだけだったが。結果、第三防衛隊内で彼に付いたあだ名は"スーパー器用貧乏"、"永遠のバイプレーヤー"。誉められてるのか、どうなのか。
「でもまあ、あれだ」ソウリは次代を担う後輩に言った。「刀身はともかく薙刀まるごとポイは、回収班からあれこれ言われるぞ」
『う、気をつけるっす』
 水中に没した装備品は、後で防衛隊回収班のダイバーたちがサルベージして整備、再利用される。没した装備が多ければ多いほど、大きければ大きいほど、回収班の仕事は増える。それが彼らの職務なのだから表立っての文句はないが、余計な仕事が増えれば当然いい顔はされないし、遠まわしな嫌味くらいは言われる。チーフダイバーの碓井に、また奢らなきゃな……ソウリは酒好きの同期の顔を思い浮かべる。あいつ絡む上にザルなんだよなあ。
『本部から連絡です』今度は、戦術陰陽士ユミからの通話だ。『先ほどサイノカミの応急対応が最終段階に到達。またシステムの完全復旧までの間、防衛ラインを第五まで引き下げることが決定されました』
 シンジュク市を中心に、トウキョウ湾上の第一から居住区画の境界となる第七まである防衛ライン。第五となれば、市民の居住区とほんの少しの海だけが、人間の活動できる領域となる。
「ずいぶん思い切ったな」
 それがソウリの感想だった。都市防衛システム復旧までの間、これで間違いなく漁業関係は操業できなくなる。新トウキョウ湾岸の主幹産業の受ける打撃は、いかばかりか。政府がある程度の補償はするだろうが、市民の憤懣は溜まるだろう。そういった積み重ねが、ミスティックレイスの排斥運動や、遺伝子調整者への謂れのない差別、界獣保護運動などの狂った活動につながっている現実がある。
『それだけ、サイノカミの損傷が深刻なのよ』瑞元隊長が、聞いているこっちが落ち込む暗いトーンで告げてきた。『緊急で伏莉ふせり様にお出まし願ったみたいね』
「伏莉様、ですか」
 大海嘯後のニホンを護る都市防衛システム"サイノカミ"。伏莉はその構築者、ニホンのミスティックレイス天狐テンコの一人だ。現在はトウキョウ圏を含む関東、第三管区の防衛システム最高管理責任者でもある。ソウリはかつてその姿を、年に一度の大演習で見たことがあった。ヨロイ越しの望遠映像で見ただけだったが、ぞっとするような美女だったことを憶えている。腰まである長く艶やかな髪は、ぬばたまの枕詞そのままの黒。金色の瞳と獣のような縦長の虹彩が、彼女が人ではないことを示していた。平時、彼女はオクタマ山中にて特殊技能者育成に携わり、滅多なことでは山を下りないという話だったが。
『隊長、ナカノ市方面の第三小隊より増援要請です』
『了解。すぐに向かうと伝えて。伊勢君、トウカちゃん、聞いてのとおりよ。ポイントを送るから。走れる?』
 瑞元隊長の言葉とともに、ソウリの傀体に目的地の座標が送られてくる。方術甲冑を除装して、傀体装備輸送車両で向かうには時間的も微妙な距離だ。
「了解。直ちに向かいます」
 薙刀を担ぐと、ソウリはコンゴウ改をナカノ市街のポイントに向けた。
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