紙杯の騎士

信野木常

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第2話 妖精の剣

5. 承前、気まぐれな剣

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 そして、西暦2024年5月7日18時09分 トウキョウ圏ネリマ市東部、旧市街にて。

 ケイは大剣を星辰装甲〈夜明けの風〉の背に留めると、唸る界獣を見据えて向き合った。
 睨み合いは、ほんの一瞬。
 剣の動作不良によって大型化した界獣は、星辰装甲〈夜明けの風〉目掛けて一直線に襲いかかった。
 速い。巨影が瞬きの間で目前に迫る。右前方に向かって、ケイは飛び込むように〈夜明けの風〉を駆る。界獣の爪が左肩装甲を掠めるも、何とか躱してそのまま水面を前転。屈んだ姿勢のまま振り返ると、今度は左から巨大なヒレ付きの尾が横殴りに襲いかかってきた。
 これを仰け反って外し、勢いのまま今度は後転。ケイは立ち上がりながらすぐに飛び退いて間合いを取る。どうにかして時間を稼ごうと、手を着いた際に掴んだ瓦礫を投げつける。
 瓦礫は界獣に触れた途端に、弾かれることもなく体表に沿って水面へと落ちた。
 界獣に、この世界の武器や暴力はほぼ通用しない。星辰装甲のヴリル機関、あるいは方術甲冑の宿曜炉から発する力を帯びた武器だけが、これを傷つけうる。それがこの世界の常識だ。こちらへの志向を少しでも逸らせたら、と思ってのケイの行動だったが全くの無駄だった。ほんの僅かな注意すら引けない。

 rururururuuuuUUUUAAAAA!!!

 界獣は咆哮しながら尾と肢で水を蹴り、迫りくる。
 背を向けて走って逃げたい衝動にかられる。しかし走ることしかできない星辰装甲の足では、泳ぐ相手を前に逃げ切れない。右か、左か。ぎりぎりまで引き付けて、跳んで転げて距離を取る。ケイは〈夜明けの風〉を駆ってそれを幾たびも繰り返す。額の汗が頬を這う。拭いたいけれど、それで集中が切れれば、途端にあの爪の前肢か大ヒレの尾で薙ぎ払われる。それを食らってもこの星辰装甲は無事だろうが、中身の自分はどうなることか。さっきだって、恐らくは脳震盪で意識を失っていた。先月、機嫌を悪くしたメイハが作った弁当のようになるのは想像に難くない。白米と絹ごし豆腐しか入ってなかったそれは、ヨロイ通学で揺られて豆腐がぐずぐずのミンチのようになっていた。昼休みに泣く泣く調理部顧問の真宮先生を頼って、家庭科室の醤油を借りたのは記憶に新しい。せめて葱と削り節くらい付けてほしかった。
 躱して、飛び退き、睨み合う。どれくらいの時間が経っただろう。2分か、3分? あるいは30秒も経っていないのか。彼女は5分くれと言った。あとどれくらい、これを続ければいい?
「あと少し! もう少しだけもたせて!」ケイの胸の内に答えるように、赤毛の小さな貴婦人が告げる。「これを使って! 左肩から出すよ!」
 〈夜明けの風〉の左肩装甲が浮き、スリットから柄が出る。
 そんなものがあるなら最初から出してよ、と言う余裕もなく。ケイは右手で柄を引き抜く。現れたのは、片手持ちの柄に重そうな頭部ヘッドの付いた武器、鎚鉾メイスだ。
「対立神性の呪付はないけど、呪鍛鋼製だからエンジンパワーは通る」少女は光の板から顔を上げず、目まぐるしく叩く作業を止めずに続ける。「あとほんの少し、お願い!」
「やってみる!」
 ケイは迫る界獣の前肢に向けて鎚鉾を振るう。ゴツッという鈍い感触に、界獣の体が僅かによろめき勢いが鈍る。
 しかし正常動作した大剣のように、致命の一撃とはならない。界獣はすぐに体勢を立て直し、〈夜明けの風〉に襲いかかった。
 ケイは界獣の前肢、顎は鎚鉾で打ち払い、尾の一撃は飛び退いて避ける。次の前肢の一撃を打ち払いきれず、手甲越しに攻撃を押し込まれ、衝撃に意識が飛びそうになる。クラクラする頭で思う。片手の得物は得意じゃない。こんなことならタケヤにもっとアーニスの技術を教わっておくんだった。

 AAaaaaaarururururururuuuUUUUAAAAA!!

 まるで勝利を確信したかのような高らかな咆哮を上げ、界獣が地獄の門めいた大顎を開けて水面を叩き、跳躍する。
「できたよ我が騎士!」赤毛の妖精が顔を上げ、ケイを見つめて叫ぶ。「今だ!!」
 ケイはその声に弾かれるように背の長柄を掴むと、全力で振り下ろした。
 大剣の刃に黄の光が一際強く輝いて流れる。剣は界獣の左前肢を断ってそのまま頸部から胸へ抜け、その上体を斜めに断ち割った。
 Gyi……と呻く間も僅か。界獣の体が散り崩れてゆく。ほんの数秒で、全長10メートル強はあった巨体は跡形もなく水面に溶けて消えていく。
 軽く頭を振りながら、ケイはその光景を眺めていた。「終わった、のかな?」
「あの〈深きもの〉の変異種は放逐されたよ」ふぅ、と赤毛の少女は大きく息をつく。「他の個体も、こっちに向かってくる様子はないね。今のところ」
 つられて、ケイも大きく息をついた。緊張と集中が解け、どっと疲れが襲ってくる。市の緊急放送を聞いてから今の今まで、あまりに多くのことが起き過ぎた。少し振り返ってみても、己のやったことに現実味が感じられない。僕は何をやってたんだっけ。仁木さんのお婆さんの様子を見に行って……
「見事だったよ、我が騎士。単騎で、変異種を含めて十一体の〈深きものディープワン〉を撃破。さっきも言ったけど、初陣の戦果としては最高の部類さ!」
 語る少女の満面の笑みが、ケイを現実に引き戻す。そうか、僕は星辰装甲に乗って界獣と戦ったのだ、と。
「ありがとう。君のおかげだ」ここで己惚れられるほど、ケイは単純な道を歩んではこなかった。「この剣が、星辰装甲がなければ、僕はあそこで死んでた」
「だからそれはボクもだってば」少女の声が不思議な力強さを帯びる。「キミとボクの選択が、ボクらの死の運命を覆したんだ。一緒に胸を張ろうよ」
 ケイの視界の映像の中で、赤毛の少女は言葉のとおりに腰に手を当て、胸を張る。
 その様は、さながらテストで満点を取って家族に見せる子どものようで。羨ましいくらいに誇らしげで、また楽しげで。
「そうだね。僕と君で、あの理不尽をやっつけたんだ」
 ケイも〈夜明けの風〉の中で軽く胸を張ってみた。すると自然に、笑みがこぼれた。
「あ、笑ったね少年」にやにやと、目ざとく赤毛の少女も笑う。「誰も見ちゃいないのが、ちょっと口惜しいね。世が世なら、吟唱詩人に歌でも作らせて武勇を喧伝したいところさ。今の世のマスコミはご免だけどね」
 そこで不意に、少女は少し声を落とした。
「…でもゴメン。剣があんな挙動をするとは思ってもみなかった」
「僕も、ごめん。なんだかあの時はひどいことを言った気がする」
 確かにあの時は焦った。それまで割とスムーズに界獣を斬り倒していたところで、突然、界獣がパワーアップしたのだから。
 それでも落ち着いて考えてみれば、彼女がこの星辰装甲〈夜明けの風〉を貸し与えてくれなかったら、今ここでこうして生きてはいないわけで。収支を考えれば充分以上にプラスだろう。そう、ケイは思う。
「工房に戻って、チェックしないとだなあ……」赤毛の少女は手元の光る板に目を落とすと、本のページをめくるように表面を撫ぜる。「へえ、この国にも結構な魔法使いドルイドがいるんだね。結界の、都市防御システムの機能が幾らか回復してきた。この短い時間にやるなあ」
「それを見ただけで、そんなこともわかるの?」
「これのことかい?」
 ケイに指摘され、赤毛の少女は光る板を指さして問う。ケイが頷くと、少女は「うーん」と少し考えこむように目を閉じる。言いたくない、というよりは何と説明したものかと悩んでいる風だ。
「これは見た目のとおりタブレット(tablet)と言ってね」やがて目を開けた少女は、説明したいようなしたくないようなめんどくさいような、なんとも曰く言い難い表情で言った。「説明すると長くなるんだよ。まあ、あれだ。〈夜明けの風〉を調整したりコントロールしたり、翅翔妖精たちの集めた情報を見たりと色々できる装置だと思ってくれればいいよ」
 彼女がそう言うのなら、そのようなものなのだろうとケイは納得する。どのみち、ミスティックレイスの技術で作られたものについて、詳細な説明を受けても汎人の自分に理解できるか怪しいものだし。
「海浜警備隊の掃討も始まったみたいだ」再びタブレットに目を落とし、少女が言う。「とりあえずの危機は去った感じかな。鉢合わせると面倒だ。引き上げよう、我が騎士。ボクらの回収を頼むよ」
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