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第2話 妖精の剣
3. 剣と妖精
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ケータイを切ったケイは右前方に倒れ込みながら、振り向きざまに大剣を斬り上げる。やや遠い。刃は海棲型界獣の頭部を捉えられなかったが、替わりに前肢の先端を斬り飛ばした。
gGiyyyiyiyiyiiiIIII!
苦痛のような怒りのような唸りを発し、界獣は長い身をくねらせると頭を水面に向ける。その姿勢は水中に潜る予備動作だと、今日の幾度かの邂逅でケイは理解していた。
やらせない。右手の大剣の柄に左手を添え、重心を前に。倒れるように膝をゆるめて前へと突進。下がった界獣の頭目掛けて、真っ向縦一文字に剣を振り下ろす。鶏むね肉を包丁で切るような僅かな抵抗を経て、刃が界獣の頭に食い込む。刃が易々と胸部まで進んだところで黄色い光が溢れ、界獣は音もなく砕け散った。
思いのほか、動ける。
それが、鎧の騎士と化したケイの感想だった。視界は丁種ヨロイより少し高く、全高は五メートルくらいか。手足の反応はこれまでのヨロイと別物と言って良いくらいに速い。これまでの繰縦で感じていた動作の遅滞がない。引っ張られるような重さもない。自身の肉体を動かしているのと、感覚が変わらない。
「こんなヨロイがあるんだ……」
手にした剣と自身の変じた姿に、ケイはこれが方術甲冑に類する何かだと思った。
「ヨロイ? ああ、ニホンの方術甲冑のことか」違うんだなあ、とばかりに赤毛の少女が指を振る。「君が手にした剣は、星辰装甲〈夜明けの風〉。奉仕種族や独立種族、キミらの言う界獣を、更にその上位階の存在を討つために、ボクが造った魔法の剣さ。ニホンで稼働しているデッドコピーとは比べないでほしいな」
星辰装甲、という言葉についてはケイも幾らか知っていた。丁種方術甲冑免許取得の筆記試験で出る内容だからだ。ニホンの方術甲冑は、ブリタニア連合王国の対神話害獣機関アルビオンから譲渡された星辰甲冑、ウォードレイダーを参考に開発されたものだと学ぶ。
そこでケイは思い至る。「あれ、今乗ってるこれ、ひょっとして凄く貴重なものじゃないの?」
「貴重にして希少、でも諸々の事情で死蔵してた」少女は何処か遠くを眺めるような眼差しで、次いでケイを見つめて言った。「だからキミには感謝してるんだ。やっとこいつの真価を発揮させてやれる。ユピテル派の連中に、違う答えを突きつけられる…… と、まあ思惑は色々あるけれど、ほとんどはボクの趣味だ。畏まって扱う必要はないよ。むしろ使い潰すくらいの気持ちで使ってほしいな」
理解できるようなできないような回答に、どうしたものかと考える間もなく、ゆらりと波が寄せてくる。また新手の界獣が、何処からか近づいている。
当座の危機を凌ぎ切るには、この剣の力が必要だ。今はそれだけわかっていればいい。ケイは廻りかける思考を止めて、迫る脅威に集中する。六年前と、今日とで幾度、界獣と対面したことだろう。剣の力のお陰でもあるけれど、自分自身、随分と落ち着いてきたと思う。逃げ回っていた時には早鐘のようだった心臓の鼓動が、今は幾分穏やかだ。
辺りは夜を迎えたばかりの水没地域。視界の隅に居座る赤毛の少女が、宙に光る文字を操作している。同時に、彼女はケイの星辰装甲の背後10メートルほどの場所、壊れた丁種ヨロイの簡易シート上にいる。仕草が同じことから、視界の隅に浮く彼女は映像だとわかる。彼女のすぐ後ろで、仁木さんのお婆さんが目を閉じ寝息を立てている。「今、ボクらがやってることは、老婦人には少々刺激が強いからね。魔法で眠ってもらったよ」言って泉の妖精は、袋を背負った手のひらサイズの老人を見せてくれた。
ゆらゆらと寄せる波の間隔が、少しずつ小さくなってゆく。
赤毛の少女が眉根を寄せ、叫んだ。「少年! 下だ!」
「っ!?」
叫びに弾かれるように身をひねって飛び退くも、間に合わない。水面下から飛び出した界獣に右腕を噛みつかれる。懐に入り込まれ、大剣では対処できない。
「短剣を出すよ! 右襟の辺りに出るから使って!」
〈夜明けの風〉の右肩装甲が浮き、できたスリットから柄が突き出す。
ケイは左逆手で柄を引き抜くと、その勢いのまま右腕に喰らいつく界獣の頭頂部に突き刺した。急所だったのか、今度は唸る声もなく砕けて溶けていく。噛みつかれた右腕を見てみると、その暗い銀色の装甲には傷一つない。すごいな、と思う。ついさっき、丁種ヨロイの左腕は簡単に喰い千切られてしまったというのに。
「場所を移そう、少年。ここは囲まれやすい」
「そうだね。でも何処へ?」
「ちょっと待ってね」
少女が右手を握って、開く。するとお伽話の妖精そのままの、翅を生やした小さな少女たちが現れた。
それを見てケイは思い出す。霧の中で見たものは彼女たちだったのだと。
「周辺の探索をお願い。まずは周辺の奉仕種族の位置を。次に安全な場所、なんてないだろうけど、まあマシな地点があれば教えて」
赤毛の少女が頼むと、翅の生えた小さな少女たちは頷き、方々へと散ってゆく。
光の尾を引いて飛ぶ小さな姿を目で追いながら、ケイは訊いてみた。「あれって、妖精?」
「広義で言えばボクも妖精だけど、そうだね」赤毛の少女は夜空を見上げる「ボクが契約してる翅翔妖精たちだよ。普通人には見えないし、まあ色々と助けになってくれるんだ。でもこの国の妖精のイメージって、本当にあの子らなんだね。例の推理作家のせいなのかな」
赤毛の少女は光る板に視線を落として、表面を指でなぞる。
「エーテルリンク接続。〈夜明けの風〉に、翅翔妖精たちの統合情報を出力するよ」
少女が言うと、ケイの視界に合成された映像による俯瞰風景が現れた。
「ボクらの周囲に界獣ことD類奉仕種族、〈深きものども〉が迫ってるのは知ってのとおり。今、周囲には大型変異種を含めた六体が接近中。その外縁に更に複数。海浜警備隊の特殊車両がやっと動き始めたみたいだけど、遠いね。この辺りに来るまではまだかかりそうだ」
「サクラオカのシェルターへは撤退できそう?」
「お勧めはできない。水がある場では奴らの移動速度の方が速い。それにそのシェルター、界獣の群れを前にどれくらい耐えられるのさ?」
ネリマ市内のシェルターは、ミスティックレイスの技術で造られた三重の隔壁によって守られてる。と、市の広報はPRして居住者を増やそうと努力している。
しかしケイは家族とネリマ市に越してきてから、シェルターが実際に界獣に襲われたという話を聞いたことがない。それだけ市の防衛システムと海浜警備隊が、優秀なことの証左であろうとは思うのだけれど。
「ちなみにこの都市の列石結界、防衛システムは完全に破壊されてた」少女の声音が少し、強張る。「この街は今、界獣を前に丸裸の状態だ。あそこまで念入りに涜神されると、復旧までどれくらいかかるかボクでもわからない」
「つまり今、安全な場所なんてどこにもない、ってことか」ケイは確かめるように言葉を紡ぐ。「そして、戦えるのは僕らだけ、と」
メイハとアヤハ、父さんと姉さんは無事だろうか。シェルターのあるイシガミ、トヨシマジョウ、シギノミヤのある辺りは比較的、湾から遠く水没領域も少ない。界獣の接近にも時間がかかるはず。
ここで少しでも界獣の数を減らせれば、家族の安全にもつながる。そう願いながら、ケイは短剣を右肩のスリットに戻した。
「察しがいいね、我が騎士」赤毛の少女が不敵な笑みを浮かべる。「さて、どんどん寄ってきた。奴らの対立者と同じ力を使ってるから当然かな。誘蛾灯みたいなものだね」
ケイの視界の俯瞰映像内で、青く光る球が六つ―その内一つは一際大きい―が、じわじわと迫りつつある。
「とりあえず、この辺りがいいんじゃないかな」
映像内で少女が示した場所は、現在位置から150メートル程度離れた旧市街。水没深度は浅いものの、居住に適さないと判断されて放棄された地域だ。
「住居やそこそこのサイズのビルもある。遮蔽が多いから囲まれにくい。水深も3メートルもないから、界獣も少しは動きを鈍らせる」
「よし、行こう」
選択の余地はない。旧市街へ向かうため、ケイが星辰装甲の身を翻す。
赤毛の少女は眠るお婆さんを肩に担ぐと、さして力も入れずに〈夜明けの風〉の左肩に跳び乗った。
中等部女子並みの細い体の、どこにそんな力があるんだろう。あるいはミスティックレイスは見かけによらず皆、力持ちなのか。そんなことを考えながら、ケイは〈夜明けの風〉を歩行から徐々に駆け足へと移行させる。
「気を悪くしないで聞いてほしいんだけどさ」赤毛の少女が口を開いた。「よく剣で戦えるものだね。もっと手こずるかと思ってたよ。貴族や、護国庁の関係者というわけでもないんだろ?」
「剣は、父さんに習ったんだ。父さんは育った村で習ったとか言ってたかな」
ケイは思い出す。幼い頃から、父は何のつもりか遊びの中に剣の技を混ぜていた。ネリマ市に越してきて母の病気が発覚。母が入院してからは、時間を割いて稽古するようになった。きっと当時、友だちもできずろくに外で遊ばない息子を、不憫に思って稽古をつけてくれたのだろうと思う。
「確かに、僕もよく動けたなあと思うよ」
「ニンジャのジュツ、というやつかい?」
「ニンジャは違うと思うけど。サムライの技術、なのかなあ。辺那陀村の剣術とか、別に有名でも何でもないのか、余所じゃ聞かないし」
などとやり取りしている内に、〈夜明けの風〉は旧市街に入る。
「ここがいいかな。停まって、我が騎士」
ケイが〈夜明けの風〉の足を止めると、赤毛の少女は〈夜明けの風〉の左肩を踏み台に飛び上がった。お婆さんを担いだまま、少女は廃マンションの壁を駆け登ってゆく。その両脚には、光の尾を引く翅のようなものが薄く輝きを放っていた。あれもきっと、彼女の言う魔法なのだろう。瞬きの間で六階の屋上に達する。
「さて、見晴らしもいいし、ここからナビゲートするよ」少女が暗い宙に光の文字を書いて押し流す。「早速お出ましだ」
視界に俯瞰映像があるので、位置が把握しやすい。ケイは大剣を右肩に寄せ、構えて待つ。
廃マンションの角からゆらりと、窺うように界獣の頭が現れた。
その姿が全て視界に入る前に、ケイは踏み込みながら大剣を斜めに斬り下ろす。刃は界獣の首から胸まで喰い進み、一瞬、黄色く輝くと界獣を砕き散らした。
次の一体は建物の陰から強襲して殲滅。その次は廃ビルの階上から飛び降りざまに、逆持ちの大剣で突き通す。ケイは泉の妖精に導かれながら、密集した建物を利用して界獣を屠っていく。
この辺りは水深も浅く、下からの襲撃は警戒しないで済む。また遮蔽物が多いため、注意を向ける範囲も狭くて済む。
だからだろう、俯瞰映像内に浮かぶ最後の一体、一際大きな青い光球で示されたそれの接近を見過ごしたのは。大きな青い光球は、ケイの駆る〈夜明けの風〉と朽ちた雑居ビルを挟んだ反対に位置していた。
異変は、暗がりより。
轟音とともに、雑居ビルのエントランスが砕け散る。瓦礫の嵐がケイを襲った。
「何っ!?」
「少年! よけてっ!!」
塵に煙る視界の中で、蠢く大きく長い影。ケイが青い光球の位置を確かめる間もなく、〈夜明けの風〉は黒くうねる何かに弾き飛ばされた。
gGiyyyiyiyiyiiiIIII!
苦痛のような怒りのような唸りを発し、界獣は長い身をくねらせると頭を水面に向ける。その姿勢は水中に潜る予備動作だと、今日の幾度かの邂逅でケイは理解していた。
やらせない。右手の大剣の柄に左手を添え、重心を前に。倒れるように膝をゆるめて前へと突進。下がった界獣の頭目掛けて、真っ向縦一文字に剣を振り下ろす。鶏むね肉を包丁で切るような僅かな抵抗を経て、刃が界獣の頭に食い込む。刃が易々と胸部まで進んだところで黄色い光が溢れ、界獣は音もなく砕け散った。
思いのほか、動ける。
それが、鎧の騎士と化したケイの感想だった。視界は丁種ヨロイより少し高く、全高は五メートルくらいか。手足の反応はこれまでのヨロイと別物と言って良いくらいに速い。これまでの繰縦で感じていた動作の遅滞がない。引っ張られるような重さもない。自身の肉体を動かしているのと、感覚が変わらない。
「こんなヨロイがあるんだ……」
手にした剣と自身の変じた姿に、ケイはこれが方術甲冑に類する何かだと思った。
「ヨロイ? ああ、ニホンの方術甲冑のことか」違うんだなあ、とばかりに赤毛の少女が指を振る。「君が手にした剣は、星辰装甲〈夜明けの風〉。奉仕種族や独立種族、キミらの言う界獣を、更にその上位階の存在を討つために、ボクが造った魔法の剣さ。ニホンで稼働しているデッドコピーとは比べないでほしいな」
星辰装甲、という言葉についてはケイも幾らか知っていた。丁種方術甲冑免許取得の筆記試験で出る内容だからだ。ニホンの方術甲冑は、ブリタニア連合王国の対神話害獣機関アルビオンから譲渡された星辰甲冑、ウォードレイダーを参考に開発されたものだと学ぶ。
そこでケイは思い至る。「あれ、今乗ってるこれ、ひょっとして凄く貴重なものじゃないの?」
「貴重にして希少、でも諸々の事情で死蔵してた」少女は何処か遠くを眺めるような眼差しで、次いでケイを見つめて言った。「だからキミには感謝してるんだ。やっとこいつの真価を発揮させてやれる。ユピテル派の連中に、違う答えを突きつけられる…… と、まあ思惑は色々あるけれど、ほとんどはボクの趣味だ。畏まって扱う必要はないよ。むしろ使い潰すくらいの気持ちで使ってほしいな」
理解できるようなできないような回答に、どうしたものかと考える間もなく、ゆらりと波が寄せてくる。また新手の界獣が、何処からか近づいている。
当座の危機を凌ぎ切るには、この剣の力が必要だ。今はそれだけわかっていればいい。ケイは廻りかける思考を止めて、迫る脅威に集中する。六年前と、今日とで幾度、界獣と対面したことだろう。剣の力のお陰でもあるけれど、自分自身、随分と落ち着いてきたと思う。逃げ回っていた時には早鐘のようだった心臓の鼓動が、今は幾分穏やかだ。
辺りは夜を迎えたばかりの水没地域。視界の隅に居座る赤毛の少女が、宙に光る文字を操作している。同時に、彼女はケイの星辰装甲の背後10メートルほどの場所、壊れた丁種ヨロイの簡易シート上にいる。仕草が同じことから、視界の隅に浮く彼女は映像だとわかる。彼女のすぐ後ろで、仁木さんのお婆さんが目を閉じ寝息を立てている。「今、ボクらがやってることは、老婦人には少々刺激が強いからね。魔法で眠ってもらったよ」言って泉の妖精は、袋を背負った手のひらサイズの老人を見せてくれた。
ゆらゆらと寄せる波の間隔が、少しずつ小さくなってゆく。
赤毛の少女が眉根を寄せ、叫んだ。「少年! 下だ!」
「っ!?」
叫びに弾かれるように身をひねって飛び退くも、間に合わない。水面下から飛び出した界獣に右腕を噛みつかれる。懐に入り込まれ、大剣では対処できない。
「短剣を出すよ! 右襟の辺りに出るから使って!」
〈夜明けの風〉の右肩装甲が浮き、できたスリットから柄が突き出す。
ケイは左逆手で柄を引き抜くと、その勢いのまま右腕に喰らいつく界獣の頭頂部に突き刺した。急所だったのか、今度は唸る声もなく砕けて溶けていく。噛みつかれた右腕を見てみると、その暗い銀色の装甲には傷一つない。すごいな、と思う。ついさっき、丁種ヨロイの左腕は簡単に喰い千切られてしまったというのに。
「場所を移そう、少年。ここは囲まれやすい」
「そうだね。でも何処へ?」
「ちょっと待ってね」
少女が右手を握って、開く。するとお伽話の妖精そのままの、翅を生やした小さな少女たちが現れた。
それを見てケイは思い出す。霧の中で見たものは彼女たちだったのだと。
「周辺の探索をお願い。まずは周辺の奉仕種族の位置を。次に安全な場所、なんてないだろうけど、まあマシな地点があれば教えて」
赤毛の少女が頼むと、翅の生えた小さな少女たちは頷き、方々へと散ってゆく。
光の尾を引いて飛ぶ小さな姿を目で追いながら、ケイは訊いてみた。「あれって、妖精?」
「広義で言えばボクも妖精だけど、そうだね」赤毛の少女は夜空を見上げる「ボクが契約してる翅翔妖精たちだよ。普通人には見えないし、まあ色々と助けになってくれるんだ。でもこの国の妖精のイメージって、本当にあの子らなんだね。例の推理作家のせいなのかな」
赤毛の少女は光る板に視線を落として、表面を指でなぞる。
「エーテルリンク接続。〈夜明けの風〉に、翅翔妖精たちの統合情報を出力するよ」
少女が言うと、ケイの視界に合成された映像による俯瞰風景が現れた。
「ボクらの周囲に界獣ことD類奉仕種族、〈深きものども〉が迫ってるのは知ってのとおり。今、周囲には大型変異種を含めた六体が接近中。その外縁に更に複数。海浜警備隊の特殊車両がやっと動き始めたみたいだけど、遠いね。この辺りに来るまではまだかかりそうだ」
「サクラオカのシェルターへは撤退できそう?」
「お勧めはできない。水がある場では奴らの移動速度の方が速い。それにそのシェルター、界獣の群れを前にどれくらい耐えられるのさ?」
ネリマ市内のシェルターは、ミスティックレイスの技術で造られた三重の隔壁によって守られてる。と、市の広報はPRして居住者を増やそうと努力している。
しかしケイは家族とネリマ市に越してきてから、シェルターが実際に界獣に襲われたという話を聞いたことがない。それだけ市の防衛システムと海浜警備隊が、優秀なことの証左であろうとは思うのだけれど。
「ちなみにこの都市の列石結界、防衛システムは完全に破壊されてた」少女の声音が少し、強張る。「この街は今、界獣を前に丸裸の状態だ。あそこまで念入りに涜神されると、復旧までどれくらいかかるかボクでもわからない」
「つまり今、安全な場所なんてどこにもない、ってことか」ケイは確かめるように言葉を紡ぐ。「そして、戦えるのは僕らだけ、と」
メイハとアヤハ、父さんと姉さんは無事だろうか。シェルターのあるイシガミ、トヨシマジョウ、シギノミヤのある辺りは比較的、湾から遠く水没領域も少ない。界獣の接近にも時間がかかるはず。
ここで少しでも界獣の数を減らせれば、家族の安全にもつながる。そう願いながら、ケイは短剣を右肩のスリットに戻した。
「察しがいいね、我が騎士」赤毛の少女が不敵な笑みを浮かべる。「さて、どんどん寄ってきた。奴らの対立者と同じ力を使ってるから当然かな。誘蛾灯みたいなものだね」
ケイの視界の俯瞰映像内で、青く光る球が六つ―その内一つは一際大きい―が、じわじわと迫りつつある。
「とりあえず、この辺りがいいんじゃないかな」
映像内で少女が示した場所は、現在位置から150メートル程度離れた旧市街。水没深度は浅いものの、居住に適さないと判断されて放棄された地域だ。
「住居やそこそこのサイズのビルもある。遮蔽が多いから囲まれにくい。水深も3メートルもないから、界獣も少しは動きを鈍らせる」
「よし、行こう」
選択の余地はない。旧市街へ向かうため、ケイが星辰装甲の身を翻す。
赤毛の少女は眠るお婆さんを肩に担ぐと、さして力も入れずに〈夜明けの風〉の左肩に跳び乗った。
中等部女子並みの細い体の、どこにそんな力があるんだろう。あるいはミスティックレイスは見かけによらず皆、力持ちなのか。そんなことを考えながら、ケイは〈夜明けの風〉を歩行から徐々に駆け足へと移行させる。
「気を悪くしないで聞いてほしいんだけどさ」赤毛の少女が口を開いた。「よく剣で戦えるものだね。もっと手こずるかと思ってたよ。貴族や、護国庁の関係者というわけでもないんだろ?」
「剣は、父さんに習ったんだ。父さんは育った村で習ったとか言ってたかな」
ケイは思い出す。幼い頃から、父は何のつもりか遊びの中に剣の技を混ぜていた。ネリマ市に越してきて母の病気が発覚。母が入院してからは、時間を割いて稽古するようになった。きっと当時、友だちもできずろくに外で遊ばない息子を、不憫に思って稽古をつけてくれたのだろうと思う。
「確かに、僕もよく動けたなあと思うよ」
「ニンジャのジュツ、というやつかい?」
「ニンジャは違うと思うけど。サムライの技術、なのかなあ。辺那陀村の剣術とか、別に有名でも何でもないのか、余所じゃ聞かないし」
などとやり取りしている内に、〈夜明けの風〉は旧市街に入る。
「ここがいいかな。停まって、我が騎士」
ケイが〈夜明けの風〉の足を止めると、赤毛の少女は〈夜明けの風〉の左肩を踏み台に飛び上がった。お婆さんを担いだまま、少女は廃マンションの壁を駆け登ってゆく。その両脚には、光の尾を引く翅のようなものが薄く輝きを放っていた。あれもきっと、彼女の言う魔法なのだろう。瞬きの間で六階の屋上に達する。
「さて、見晴らしもいいし、ここからナビゲートするよ」少女が暗い宙に光の文字を書いて押し流す。「早速お出ましだ」
視界に俯瞰映像があるので、位置が把握しやすい。ケイは大剣を右肩に寄せ、構えて待つ。
廃マンションの角からゆらりと、窺うように界獣の頭が現れた。
その姿が全て視界に入る前に、ケイは踏み込みながら大剣を斜めに斬り下ろす。刃は界獣の首から胸まで喰い進み、一瞬、黄色く輝くと界獣を砕き散らした。
次の一体は建物の陰から強襲して殲滅。その次は廃ビルの階上から飛び降りざまに、逆持ちの大剣で突き通す。ケイは泉の妖精に導かれながら、密集した建物を利用して界獣を屠っていく。
この辺りは水深も浅く、下からの襲撃は警戒しないで済む。また遮蔽物が多いため、注意を向ける範囲も狭くて済む。
だからだろう、俯瞰映像内に浮かぶ最後の一体、一際大きな青い光球で示されたそれの接近を見過ごしたのは。大きな青い光球は、ケイの駆る〈夜明けの風〉と朽ちた雑居ビルを挟んだ反対に位置していた。
異変は、暗がりより。
轟音とともに、雑居ビルのエントランスが砕け散る。瓦礫の嵐がケイを襲った。
「何っ!?」
「少年! よけてっ!!」
塵に煙る視界の中で、蠢く大きく長い影。ケイが青い光球の位置を確かめる間もなく、〈夜明けの風〉は黒くうねる何かに弾き飛ばされた。
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