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第1話 君の選択、僕の選択
4. 騎士の擁護者
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フロート付きの水陸バスは、ネリマ市庁舎前駅で停まった。
バスを降りたウルスラは、他の乗客の流れに乗って進んだ。庁舎前を離れると、食堂、酒屋、雑貨店に靴屋、ブティックといった店舗の並ぶ商店街に入る。通りに漂う煙の旨そうな匂いにつられて行くと、そこはジャンクフードの露店だった。「ガイジンのお嬢ちゃん、一つどうだい?」捩じったバンダナを巻いた店主から勧められたそれは、ニホンのソースを塗って炙ったイカの足。ニホン人はよくこんな界獣の眷属みたいなモノを食うなあと思いながらも、匂いと好奇心に釣られて一口齧ってみれば、ことのほか旨い。思わず3串も買ってしまった。ロンディニウムでブリタニアクレジットを幾ばくかニホン円に換金しておいてよかった。
左手に焼きイカの入った袋を下げて、右手の串に刺さった焼きイカを頬張りながら、ウルスラは湾岸沿いの歩道をゆっくりと歩く。もぐもぐとイカの旨味を堪能しつつ臨む新トウキョウ湾岸の町、ネリマ市は、何のことはない漁港の街に見えた。漁船が行き交い、魚介を売り買いする人々が市に立ち並び、長閑で穏やかな時間が流れている。かつて界獣との激戦が繰り広げられた場所とは思えない。閑静な時間帯なのか、横の公道を通る車も、星辰装甲もさほど見かけない。ついさっき少年二人を乗せて飛び跳ねた星辰装甲を入れても、両手の指で数えられる程度だ。
まあ、一般人は立ち入り禁止の封鎖区域も多いので、今、見えている街の姿が全てではないのだろうけれど。
「ま、試しにちょっと探ってみるかな」
食べ終えた焼きイカの串を海に放ると、ウルスラは周囲に人目がないことを確認してから、右手を握って、開く。するとその白い手のひらの上に、体長20センチほどの翅を生やした小さな少女たち―翅翔妖精が現れた。
「この辺りで奴ら、〈古く忘れられた統治者〉(Old forgotten rulers)の兆しや、何か変わったものがあれば、何でも教えて」
ウルスラの言葉に小さな少女たちは頷くと、その蜻蛉に似た二対の翅で羽ばたき飛び立った。
海側の柵に両手を置いて、ウルスラは湾を眺めた。日射しを受けた海面が赤く染まり始めている。
今から20年前、ここで、この街のある場所を前線にして、ニホンの方術甲冑を中核とする戦団は、界獣発生の源とも言える存在を打倒、殲滅した。
その報告を聞いた時の驚愕を、ウルスラは今でも憶えている。仕事中に飲んでたミルクティーを鼻から吹いた上に、吹いた先にいた姉のモイヤの書類にかかってしこたま怒られたのだ。あれはいろんな意味で痛かった。
ありえない、ことだった。当時のニホンは、技術交換でブリタニアから譲渡された星辰装甲ウォードレイダーを解析、方術甲冑として量産、運用を開始したばかりだったはず。型式は確か、方術甲冑コンゴウ。あれは海から沸く海棲型界獣、ディープワンことD類特種害獣を相手取るには充分な性能だが、アレを……古く忘れられた神の眷属を滅ぼすことなど不可能なはずだった。少なくとも、報告に上がっていたニホンの武装祭器からはあり得ない戦果だ。
当然、同盟関係にあったブリタニア側はニホンの特種生物災害防衛組織・護国庁に対し情報の開示を求めた。しかし護国庁から提出された資料からは、当時の状況や作戦規模などは読み取れても、要所は黒塗りで、肝心な部分がはぐらかされたままだった。
こちらの世界を蝕み異なる法則で書き換える"神蝕空間"、所詮は奉仕種族であるD類特種害獣などが持つ脆弱なそれとは異なる、純粋な異次元法則の押し付けを、どうやって打ち破ったのか。
それを知りたいがために、ニホン行きの便に乗ったようなものだ。会合は会合で重要だけど、そっちはフィオナが適任だ。ニホンの奴らに普通に訊いたって、話すわけない。これまで開示を求めて幾度も問い合わせたのに、のらりくらりと躱され続けたのだ。20年もだ。思い出すだけで腹が立つ。何がノーと言えないニホン人だ。ぬるぬるのウナギのゼリー寄せみたいな奴らめ。交換条件に、星辰装甲の亜空間圧縮収納のノウハウ教えてやろうと思ってたのに。金輪際、サイクルが九たび巡ろうと絶対教えてなんかやるもんか。
あんまり腹が立ったので、2本目の焼きイカを出したその時だ。探索に出した翅翔妖精の一人が慌てふためき帰ってきた。
「エイリイ、そんなに慌ててどうしたのさ?」ウルスラは焼きイカを齧りながら訊ねた。「何か変わったものでも……って!」
エイリイ、と呼ばれた翅翔妖精は、見てきたものをウルスラの心に投影する。中央の巨塔、その頂の光景を。
「なんてこった! みんな戻って!!」
ウルスラは翅翔妖精たちを呼び戻しながら、東の空を仰ぎ見た。不規則に並ぶ五本の巨塔は、界獣の嫌気パターンを織り込んだ巨大環状列石群による都市防御結界だ。ブリタニアの都市にも似たものがある。
翅翔妖精たちが全員無事に戻ったことを確認すると、ウルスラは巨塔に向かって一直線に走り出した。走りながら屈んで両脚に駿脚の魔法をかける。翅翔妖精の翅によく似た翅が、その細い両足から展開し加速する。ガードレールを民家の壁を、体重などないかのように軽々と跳び越え、更に加速。風のように駆け鳥のように翔け、ビルの壁面を駆け登りビルの谷間を飛び降りて。ものの数分で巨塔群の元に辿り着く。
厳重に有刺鉄線の張られた施設の外壁を一跳びに越え、ウルスラは着地。あたりの様子を伺った。
誰もいない。出てこない。どの国の結界施設でもありがちな、過剰なまでの警備体制が、機能していない。巨塔の根本、閑散とした空間に、主塔機能補助の、より低い列石が立ち並ぶだけだ。
これは、まずい。本格的に、まずい。しかしまだ、エイリイの見た時点のままであれば、間に合う可能性がある。ウルスラは両脚の翅をより大きく展開すると、巨塔の壁面に足をかけ勢いよく駆け登る。信じてるぜニホンの警備兵たち。信じさせてよ頼むから。キミらはアレを、〈落とし仔〉を倒してみせたんだからさ。
たちまち頂が視界に入る。錆と潮に似た血の臭いが鼻を衝く。間に合え、念じながら強く頂の縁を蹴って、ウルスラは巨塔の頂に着地した。
大きく肩を上下させ呼吸を整えながら、ウルスラは眼前の光景を観察する。積み上がった腕、足、生首、血濡れの制服を着た胴体……警備員だったものと思しき人体の部品の山と、頂全面に撒き散らされた血と糞尿。長い臓物で描かれた奇怪な図形とも文字ともつかない形象。そして何より、幾重にも大きく深く抉られた頂の底面。そこには、界獣が共通して嫌う〈旧き御印〉が精緻に刻まれていたはずだった。
「遅かった……」
吹きつける風に、ウルスラは早くも軽い吐き気を感じ取る。やってくる。侵入してくる。この世界を蝕むモノが。
御印を潰した上で、念入りに汚し侮辱し涜神する。結界の機能を停止させ、界獣を招き寄せるには充分なやり方だった。
やったのは、たった1匹の"あっち"の生き物。
喚んだのは、人でありながら異界の神を奉ずる教団か、未確認の奉仕種族か。
いずれにせよ、これからここは、この街は戦場になる。界獣たちがやってくる。それを撃退、殲滅するのは、この国の対界獣部隊―護国庁海浜警備隊の役目だ。今となっては、状況は異邦人のボクの手を離れている。下手に介入すれば、外交問題になりかねない。この状況でどうするか。フィオナに訊けば、間違いなく不干渉を主張するだろう。
「でも……むぐ」ウルスラは吐き気を打ち消すように、焼きイカをひと齧りして飲み込むと、脚の翅を大きく広げて塔から跳ぶ。降下のさ中、叩きつける空気の壁に目を細めながら、宣誓するように、告げる。「ボクはフェイ、湖の貴婦人、泉の妖精」
騎士の擁護者、勇者の背を推すものが、人々の危機を前に背は向けられない。
バスを降りたウルスラは、他の乗客の流れに乗って進んだ。庁舎前を離れると、食堂、酒屋、雑貨店に靴屋、ブティックといった店舗の並ぶ商店街に入る。通りに漂う煙の旨そうな匂いにつられて行くと、そこはジャンクフードの露店だった。「ガイジンのお嬢ちゃん、一つどうだい?」捩じったバンダナを巻いた店主から勧められたそれは、ニホンのソースを塗って炙ったイカの足。ニホン人はよくこんな界獣の眷属みたいなモノを食うなあと思いながらも、匂いと好奇心に釣られて一口齧ってみれば、ことのほか旨い。思わず3串も買ってしまった。ロンディニウムでブリタニアクレジットを幾ばくかニホン円に換金しておいてよかった。
左手に焼きイカの入った袋を下げて、右手の串に刺さった焼きイカを頬張りながら、ウルスラは湾岸沿いの歩道をゆっくりと歩く。もぐもぐとイカの旨味を堪能しつつ臨む新トウキョウ湾岸の町、ネリマ市は、何のことはない漁港の街に見えた。漁船が行き交い、魚介を売り買いする人々が市に立ち並び、長閑で穏やかな時間が流れている。かつて界獣との激戦が繰り広げられた場所とは思えない。閑静な時間帯なのか、横の公道を通る車も、星辰装甲もさほど見かけない。ついさっき少年二人を乗せて飛び跳ねた星辰装甲を入れても、両手の指で数えられる程度だ。
まあ、一般人は立ち入り禁止の封鎖区域も多いので、今、見えている街の姿が全てではないのだろうけれど。
「ま、試しにちょっと探ってみるかな」
食べ終えた焼きイカの串を海に放ると、ウルスラは周囲に人目がないことを確認してから、右手を握って、開く。するとその白い手のひらの上に、体長20センチほどの翅を生やした小さな少女たち―翅翔妖精が現れた。
「この辺りで奴ら、〈古く忘れられた統治者〉(Old forgotten rulers)の兆しや、何か変わったものがあれば、何でも教えて」
ウルスラの言葉に小さな少女たちは頷くと、その蜻蛉に似た二対の翅で羽ばたき飛び立った。
海側の柵に両手を置いて、ウルスラは湾を眺めた。日射しを受けた海面が赤く染まり始めている。
今から20年前、ここで、この街のある場所を前線にして、ニホンの方術甲冑を中核とする戦団は、界獣発生の源とも言える存在を打倒、殲滅した。
その報告を聞いた時の驚愕を、ウルスラは今でも憶えている。仕事中に飲んでたミルクティーを鼻から吹いた上に、吹いた先にいた姉のモイヤの書類にかかってしこたま怒られたのだ。あれはいろんな意味で痛かった。
ありえない、ことだった。当時のニホンは、技術交換でブリタニアから譲渡された星辰装甲ウォードレイダーを解析、方術甲冑として量産、運用を開始したばかりだったはず。型式は確か、方術甲冑コンゴウ。あれは海から沸く海棲型界獣、ディープワンことD類特種害獣を相手取るには充分な性能だが、アレを……古く忘れられた神の眷属を滅ぼすことなど不可能なはずだった。少なくとも、報告に上がっていたニホンの武装祭器からはあり得ない戦果だ。
当然、同盟関係にあったブリタニア側はニホンの特種生物災害防衛組織・護国庁に対し情報の開示を求めた。しかし護国庁から提出された資料からは、当時の状況や作戦規模などは読み取れても、要所は黒塗りで、肝心な部分がはぐらかされたままだった。
こちらの世界を蝕み異なる法則で書き換える"神蝕空間"、所詮は奉仕種族であるD類特種害獣などが持つ脆弱なそれとは異なる、純粋な異次元法則の押し付けを、どうやって打ち破ったのか。
それを知りたいがために、ニホン行きの便に乗ったようなものだ。会合は会合で重要だけど、そっちはフィオナが適任だ。ニホンの奴らに普通に訊いたって、話すわけない。これまで開示を求めて幾度も問い合わせたのに、のらりくらりと躱され続けたのだ。20年もだ。思い出すだけで腹が立つ。何がノーと言えないニホン人だ。ぬるぬるのウナギのゼリー寄せみたいな奴らめ。交換条件に、星辰装甲の亜空間圧縮収納のノウハウ教えてやろうと思ってたのに。金輪際、サイクルが九たび巡ろうと絶対教えてなんかやるもんか。
あんまり腹が立ったので、2本目の焼きイカを出したその時だ。探索に出した翅翔妖精の一人が慌てふためき帰ってきた。
「エイリイ、そんなに慌ててどうしたのさ?」ウルスラは焼きイカを齧りながら訊ねた。「何か変わったものでも……って!」
エイリイ、と呼ばれた翅翔妖精は、見てきたものをウルスラの心に投影する。中央の巨塔、その頂の光景を。
「なんてこった! みんな戻って!!」
ウルスラは翅翔妖精たちを呼び戻しながら、東の空を仰ぎ見た。不規則に並ぶ五本の巨塔は、界獣の嫌気パターンを織り込んだ巨大環状列石群による都市防御結界だ。ブリタニアの都市にも似たものがある。
翅翔妖精たちが全員無事に戻ったことを確認すると、ウルスラは巨塔に向かって一直線に走り出した。走りながら屈んで両脚に駿脚の魔法をかける。翅翔妖精の翅によく似た翅が、その細い両足から展開し加速する。ガードレールを民家の壁を、体重などないかのように軽々と跳び越え、更に加速。風のように駆け鳥のように翔け、ビルの壁面を駆け登りビルの谷間を飛び降りて。ものの数分で巨塔群の元に辿り着く。
厳重に有刺鉄線の張られた施設の外壁を一跳びに越え、ウルスラは着地。あたりの様子を伺った。
誰もいない。出てこない。どの国の結界施設でもありがちな、過剰なまでの警備体制が、機能していない。巨塔の根本、閑散とした空間に、主塔機能補助の、より低い列石が立ち並ぶだけだ。
これは、まずい。本格的に、まずい。しかしまだ、エイリイの見た時点のままであれば、間に合う可能性がある。ウルスラは両脚の翅をより大きく展開すると、巨塔の壁面に足をかけ勢いよく駆け登る。信じてるぜニホンの警備兵たち。信じさせてよ頼むから。キミらはアレを、〈落とし仔〉を倒してみせたんだからさ。
たちまち頂が視界に入る。錆と潮に似た血の臭いが鼻を衝く。間に合え、念じながら強く頂の縁を蹴って、ウルスラは巨塔の頂に着地した。
大きく肩を上下させ呼吸を整えながら、ウルスラは眼前の光景を観察する。積み上がった腕、足、生首、血濡れの制服を着た胴体……警備員だったものと思しき人体の部品の山と、頂全面に撒き散らされた血と糞尿。長い臓物で描かれた奇怪な図形とも文字ともつかない形象。そして何より、幾重にも大きく深く抉られた頂の底面。そこには、界獣が共通して嫌う〈旧き御印〉が精緻に刻まれていたはずだった。
「遅かった……」
吹きつける風に、ウルスラは早くも軽い吐き気を感じ取る。やってくる。侵入してくる。この世界を蝕むモノが。
御印を潰した上で、念入りに汚し侮辱し涜神する。結界の機能を停止させ、界獣を招き寄せるには充分なやり方だった。
やったのは、たった1匹の"あっち"の生き物。
喚んだのは、人でありながら異界の神を奉ずる教団か、未確認の奉仕種族か。
いずれにせよ、これからここは、この街は戦場になる。界獣たちがやってくる。それを撃退、殲滅するのは、この国の対界獣部隊―護国庁海浜警備隊の役目だ。今となっては、状況は異邦人のボクの手を離れている。下手に介入すれば、外交問題になりかねない。この状況でどうするか。フィオナに訊けば、間違いなく不干渉を主張するだろう。
「でも……むぐ」ウルスラは吐き気を打ち消すように、焼きイカをひと齧りして飲み込むと、脚の翅を大きく広げて塔から跳ぶ。降下のさ中、叩きつける空気の壁に目を細めながら、宣誓するように、告げる。「ボクはフェイ、湖の貴婦人、泉の妖精」
騎士の擁護者、勇者の背を推すものが、人々の危機を前に背は向けられない。
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