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第十章 勇者と皇帝

協力

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 ダミアンは首筋に当てていた剣を取り落とし、その場に両手をついて荒い息を吐く。
 ナナシと黄金龍の交渉中は、何が決裂のきっかけになるかも知れず、身動きひとつ取れなかった。黄金龍がナナシの謝意を受け入れた瞬間、張りつめていた気力がついに限界を迎えてしまったのだ。
 うずくまるダミアンに、ルルーガとラビが駆け寄る。涙目でダミアンに縋り付くルルーガを見て、黄金龍の表情が険しくなってゆく。このままでは危ないと、ナナシはチームレジオナの面々に声をかけた。
「ダミアン殿は体調が優れぬようだ。どこか場所をお借りして、少し休むが良かろう」
 ナナシの言葉に、勝手知ったるレジオナが答える。
「はは~。ではではク……ッソお疲れの勇者ゆ~しゃさま~、こちらへよろ~」
 大仰な身振りでサロンとは別の扉を指し示すレジオナ。息も絶え絶えのダミアンを、キーラがひょいと横抱きに抱え上げた。
 ようやく顔を上げて、ナナシと目が合ったダミアンは、かすれた声でナナシに感謝を伝えようとする。
「ありがとう、ナナシ……陛下。その財産は必ず弁償……」
 その言葉を言い終わる前に、キーラ渾身の頭突きがダミアンの頭部にヒットした。驚いたルルーガがキーラに掴みかかろうとするも、ラビが間に入ってルルーガを制する。キーラは目線だけでそちらを確認し、顔を密着させたままダミアンにささやく。
「てめー、いい加減にしやがれ。ナナシの面目をつぶす気か? あ? ちょっと向こうで教育してやっから、しばらく黙ってろ」
 キーラに諭され、またも失言する所だったと気付いたダミアンは、小さく首肯する。キーラはダミアンを抱え直し、わざとらしく声を張った。
「いや~、ちょっとばかし手が滑っちまった。悪かったな勇者さんよォ。さっさと向こうで治療してもらおうぜ」
 全くの茶番ではあるが、時にはこういう方法が効果的な場合もある。レジオナに先導され、勇者たちとチームレジオナは別室へと移動してゆく。
 歩きながら、フリーダがラビに話しかけた。
「あなたんとこの勇者ヤバいわね。ちょっと育て方間違ったんじゃないの? アレ確か、10年くらい前に孤児院で預かった子でしょ」
「いやほら、私は個性を大事にする教育方針だから……っていうか、エルフに子育てとか向いてないと思うの。そもそも親が世界樹なんだし」
「まあ、それは確かに。でも人間社会というか、組織とか国との付き合い方はちゃんと教えないと」
「耳が痛いわね。私も甘やかしてきた自覚はあるわ……今回は危うく世界樹まで焼かれる所だったし。レジオナに大見得を切ってすぐにこれじゃあね……反省してる」
「あー、まあ世界樹は大丈夫だったと思うわよ。なんせナナシの生まれ故郷でもあるんだし。クゲーラ様もさすがにそこは勘弁してくれるでしょ」
「えっ、マジで……ナナシってそうなの? じゃあ、つまり私たちにとって……」
「よくできた弟って事ね。見た目オークだからあんまり実感はないけど」
「なるほど、エルフの秘儀をどうやって使ったか疑問だったけど、そりゃあ使えるわけよね。原初のオークか……ううっ、知りたくなかった……やっぱエルフの雄はオークなのね……」
「あはは、付き合ってみればそこらのクソエルフよりよっぽどまともよ。エルヴィーラとかね……」
「あー、分かるわ。っていうか、エルフの里から出て行ってる連中は、大体エルフ社会に嫌気がさしてるんだし」
「そうそう、エルヴィーラといえばさあ、このあいだ魔王城でね……」
 同郷エルフの話は尽きない。それが聞こえているのかいないのか、ダミアンはキーラの腕におとなしく抱かれたまま、別室へと消えていった。


 広間に残ったナナシと黄金龍に、ロジーナ姫とヴォルフガング伯爵が歩み寄る。お付きのカレンとアヤメ、クラウス中将は勇者の様子を見るため別室へ同行していた。
「ナナシよ、おぬし本当にグッドタイミングじゃったのう! これで勇者もおぬしに頭が上がらんじゃろ。愉快愉快!」
 ロジーナ姫が、かんらかんらと笑いながらナナシをほめる。
「あーあ、久しぶりに人間の街を火の海にしてやろうと思ったのに残念。まあナナシ皇帝陛下の仲裁となれば、無下にもできないし、ねぇ」
 黄金龍が頬に手を当て、ため息を吐く。それを聞いたロジーナ姫は、両手で自分を抱きしめ、ブルっと体を震わせた。
「いやはや、あの顔はマジじゃったからの。フレッチーリ滅亡危機一髪の顛末てんまつを知ったら、シャルルの奴がどんな顔するか見てやりたいわ。ところでナナシ、わらわに何の用じゃ? よくここにいると分かったのう」
「場所はレジオナに聞きました。何でも、ノワ先生をお嫁にもらいに行くって。自分は、ジルバラント王国の復興のお手伝いが出来ないか、ロジーナ姫に指示を仰ごうかなと」
「おぬしは本当に義理堅いのう。それはそうと、此度わらわはこちらのヴォルフガング伯爵に嫁ぐ事になったのじゃ。ノワ先生も婚姻を了承してくれた故、ダブル王妃の誕生じゃな!」
 ロジーナ姫の言葉を受け、ヴォルフガング伯爵が胸に右手を当てナナシへ会釈する。その気品あふれる振舞いに、ナナシは目を見張った。優雅な物腰に加え、とにかく顔が良い。ナナシはお似合いのふたりに心から祝いの言葉を述べる。
「それはおめでとうございます! あっでも、ノワ先生もって事は、ひょっとしていっしょに結婚式なさるんですか?」
「まあその辺の話は追々な。それより、婚礼にはおぬしも出席してもらうぞ。なにせジルバラント王国を何度も救った英雄じゃからの! いつかはお披露目も必要じゃろうし、丁度良い機会よ」
「まあ! ナナシたんも参加するのね。じゃあ、このいただいたスパイダーシルクで花嫁衣裳を仕立てようかしら。皇帝陛下からの贈り物となれば、より一層箔が付くでしょう」
 黄金龍がうっとりと反物に指を這わせる。ナナシからの贈り物は、一級品から日用品まで様々であった。それらを見ていた黄金龍の視線が、贈り物というには余りにも似つかわしくない品で止まる。
「ナナシたん、これは? どう見ても普通の石ころに見えるけれど」
 それは子供たちから贈られた、あの品々であった。全ての財産というナナシの言葉を額面通りに受け取ったレジオナが、贈り物の中でもとりわけ目立つ場所にそれを置いたのだ。
「あっ、これはですね、まあただの石ころなんですけど……」
 ナナシから由来を聞いた黄金龍は、目を細めて愛し気にその石ころを手に取る。
「ん~、いいわね。そういう逸話がある物は、他で代替できない唯一無二の価値があるわ。ナナシたんが西方諸国を席巻したあかつきには、ここのギャラリーに逸話を添えて展示しましょう」
「いやいやいや、席巻しませんから! 自分なんかとても人の上に立つ器じゃありませんし」
 ある意味物騒な黄金龍の評価を、慌ててナナシが否定した。しかし黄金龍はそんなナナシを微笑まし気に見つめ、言う。
「出来るかどうかで否定しないあたり、さすがは皇帝陛下というべきかしら。まあナナシたんが望まなくても、いつかはその時が来るでしょう。覚悟はしておいた方がいいと思うわ」
 黄金龍の言葉に真実味を感じたか、ロジーナ姫がナナシへ要望を伝える。
「その時は連邦制でお願いしたいのう。魔王も合衆国なら嫌とは言わんじゃろ」
「またまた、ロジーナ姫まで。ホント勘弁してください」
 冗談めかしたロジーナ姫の言葉ではあるが、チームレジオナの耳に入れば真に受ける者もいるだろう。レジオナあたりは面白がって、ゲーム感覚で国盗りを勧めて来るに違いない。
 ナナシは話を切り上げるべく、ダミアンの様子を見に行くことにした。
「それじゃ、自分はダミアンさんが心配なので、これで……」
 ナナシの言葉に、ロジーナ姫もはたと手を打つ。
「おお、危うく勇者の事を失念する所じゃった! こっちもきちんと始末をつけねばのう。どれ、わらわも様子を見に行くとしようかの」
 黄金龍に直訴する程の状況ならば、何が起きているか確認しないわけにはいかないだろう。ロジーナ姫は黄金龍に予定の変更を伝える。
「クゲーラ陛下、すまぬが出発はちと遅れそうじゃ。申し訳ないが、お時間いただけるかな」
「勇者なんか捨て置けばいいのに、ロジーナちゃんも苦労性ねえ。ナナシたんは優しいからしょうがないと思うけど。まあ、帰る時はその辺の子に声をかけてくれれば、私がすぐに送るから」
「お心遣い痛み入る。ではナナシ、勇者の事情を聴きに行こうかの。どうせ魔王との戦争がらみじゃろうが……」
「戦争には関わりたくないですけど、袖振り合うも他生の縁って言いますしね。まあ状況の把握くらいはしておきましょう」
 ナナシとロジーナ姫、そしてヴォルフガング伯爵は、黄金龍に会釈して別れると、勇者の運ばれた別室へと向かった。


 ダミアンが運ばれた部屋は、広々とした応接室であった。高級そうなソファが何脚も並べられ、中央には小さなテーブル席もある。聖龍連峰を訪れる人間などそうそういないことを考えれば、普段ここを利用しているのは人化した龍種であろう。
 よく見れば、部屋の一角には古今東西の様々な遊戯道具を収めた大きな棚がある。人間の文化を楽しむためには、やはり人化した方が都合が良いのだ。
 さて、その部屋へ入室したナナシたちが目にしたのは、テーブル席にぐったりと座るダミアンと、その向かいで頬杖をついて座るキーラ、そしてふたりの横でニヤニヤしながら座っているレジオナの姿であった。
 壁際のソファには、膝枕でルルーガをあやすラビと、その横にフリーダが座っている。モニカはテーブル席が良く見える場所にソファを移動していた。ふたりのやり取りを記録していたのだろう。
 ロジーナ姫のお付きである3人は、ロジーナ姫の姿を認めると起立し、礼をする。その表情からも、勇者が持ち込んで来たのはかなりの厄介事であろうことが察せられた。
 憔悴した様子のダミアンに、ロジーナ姫が声をかける。
「これはこれは、どうやらタップリと絞られたようじゃのう、勇者殿。まあ我らジルバラント王国は力になれんじゃろうが、ナナシにならば相談する価値はあるじゃろ。いったい何がどうしたのか、ちと説明するがよい」
 その問いに、ダミアンではなくキーラが、ため息を吐きながら答えた。
「ま、簡単に言やあ自国のやらかした焦土作戦から、村人千人避難させてくれってよ。そりゃ厳密にゃあ自国民じゃねえだろうけど、フレッチーリのやり方はえげつねえな」
 その説明を聞いたナナシは、当然の疑問を口にする。
「えっ、避難って、フレッチーリ王国に避難させればいいんじゃないの? 魔王の村の住人じゃないんだよね?」
 ナナシの言葉に、ダミアンが顔を上げ、かすれた声で話し始めた。
「やっぱり、ナナシもそう思うだろ。まさか籠城戦の物資節約のために、邪魔な村人を皆殺しにするなんて思わないよな。緩衝地帯である大平原の住民は国民じゃないんだってさ。死ぬべき村人を助けてしまった僕は、フレッチーリ王国の作戦を妨害した裏切り者ってわけ」
 戦争の非情な現実に、ナナシは絶句する。ロジーナ姫が腕組みをしながら、難しい顔でダミアンに言う。
「なるほどのう、それは確かに自国どころか他国にも頼れんわ。好き好んでフレッチーリ王国の火種を取り込む国は少ないじゃろ。まあ此度の戦争でフレッチーリが疲弊すればあるいはという所じゃろうが、少なくとも今ではなかろ。念のため言っておくが、大平原のイーダスハイム寄りの村へ寄越すのは看過できんぞ。大森林を超えるのは許さぬ」
 ロジーナ姫の明確な拒絶に、ナナシは驚く。
「そんな、大平原は緩衝地帯なんでしょ。だったらどこに避難したって文句言えないんじゃ」
「いーや、戦況がどう推移するかわからぬ以上、ジルバラント王国は目に見えるリスクを取る訳にはいかんのじゃ。もし魔王軍があっさり負けた場合どうなると思う? 村人の避難に手を貸したことを口実に、シャルルの奴は集結させた戦力をそのままこちらへ向けるじゃろう。わらわにはジルバラント王国とその民を守る責任があるのじゃ」
「でも、同じ人間なのに……」
 食い下がろうとするナナシをダミアンがさえぎる。
「いいんだ、ナナシ。ロジーナ殿下の言い分はもっともだよ。僕なんか、たった千人の命を守ろうとしてこのザマさ。まして国を背負ってる殿下が自分の感情だけで動けるわけがない」
 当のダミアンにそう言われてしまえば、ナナシにはどうしようもなかった。気まずい沈黙の中、キーラが声を上げる。
「まあ、だからつって聖龍連峰に避難ってのは無理があんだろ。こんな場所……っと、聞かれてねーだろうな」
 つい口をついてしまった失礼な言葉に、キーラはきょろきょろとあたりを見回す。幸い、ルルーガはラビの膝で微睡まどろんでいるようだ。
「あれだ、いい意味で! いい意味でこんだけヤバい場所に、平気なツラして暮らせんのなんて、ウチらくらいのもんだろ。その辺の村人じゃあ龍種見ただけで卒倒しちまうんじゃねえか?」
 キーラの正論に、ダミアンは自嘲の笑みを浮かべる。
「言われてみればその通りだよ。僕はルルと一緒にいるせいで、普通の人が龍種に抱く恐れを考えもしなかった。いや、僕自身が龍種へのおそれを無くしてたんだな」
「まっ、よかったじゃねーか。こうやっててめーの身の程を知ったんだからよ。それより、避難先の話をしようぜ。なんだかんだ言っても、ほっとけねーだろ。なあナナシ?」
 キーラの言葉に、ナナシは力強くうなずいた。
「そうだよ、誰の協力も仰げないからって、ほっといていいわけがない。いざとなったら別の大陸まで逃げたっていいんだし。どんな方法でも検討してみよう」
 張り切るナナシの様子を見て、レジオナがふにゃふにゃと挙手をする。
「おっ! 早速来たねレジオナ。どうぞ!」
「あんね~、ど~せ裏切ったんならさ~、魔王まお~んとこに相談そ~だんしてみんのが早いんじゃないの~? あそこならふれっち~りに敵対もクソもないでしょ~」
 思いがけぬ提案に、ダミアンは驚いてレジオナを見つめた。しかし、ロジーナ姫やチームレジオナといった魔王を知る面々は、むしろ納得の表情である。
「なるほどのう、シャルルよりは話が通じるやもしれん。じゃが、仮にも魔族の長という立場で、人間を保護できるものか? 提案するからにはそれなりの根拠がありそうじゃが」
 ロジーナ姫の疑問に、レジオナがふにゃふにゃと答える。
「ま~、これは機密情報じょ~ほ~なんだけど~」
 そして、表情をキリッと引き締め、魔王の口調を真似始めた。
「占領統治は略奪、虐殺禁止、土地財産の接収も無しだ。全ての住民はエンドローザ―法のもと平等に扱われる」
 いちどは全身をコピーまでしたレジオナの物真似である。その上、絶妙な誇張が相まって、魔王を知る面々のツボを刺激した。
「ぎゃははは! 似てんな! ちょっとスカした感じがヤバいって!」
「うーわ、それっぽすぎる。何なのその特技」
「あはは、興味深い! ちなみにどういう場面での発言なの? 正式な記録は?」
「ぶはははは! いかにも言いそうな感じじゃ! よう観察しておるの!」
「ちょっ、ダメだって……くっ……そういうの……くくっ」
 耐えるナナシにレジオナが追い打ちをかける。
「何が駄目なんだナナシ? 君にはこの戦争に一切関わらないでもらいたい」
「ぶっは! あははははは! ダメだったらもう!」
 ついに決壊するナナシ。カレンとアヤメはプルプルと震えながらも耐えている。突然起こった笑いの渦に、最初は唖然としていたダミアンもつられて笑ってしまう。
「あははは、魔王って喋るとそんな感じなんだ。あははは」
 ひとしきり起こった笑いによって、重かった空気も払拭される。ひと息ついたダミアンは、少し落ち着いた声でレジオナにたずねた。
「さっき言ってた魔王の言葉、信じていいのかな?」
「ま~、どこまでほんきかしんないけどね~。いっぺんたしかめてみれば~」
 ふにゃふにゃと答えるレジオナ。それを聞いてダミアンは思案顔になる。
「いちどは敵対した僕に、おいそれと会ってくれるかな。魔王軍には少なくない被害も出てるし。僕が行ったんじゃ、かえって保護まで拒絶されてしまうかも知れない」
 そんなダミアンの言葉に、キーラが笑って突っ込んだ。
「ははっ、おめーもちっとは成長したじゃねーか! なあに、うちの皇帝陛下がまた仲裁してやっから、心配すんなって。なあ、ナナシ!」
「魔王さんには介入するなって言われたけど、人道的な事ならいいよね。ともかく会うだけ会ってみよう」
 ナナシの決断に、ロジーナ姫も笑顔で賛同する。
「うむ、この件はナナシに任せたぞ! ちゃちゃっと終わらせて、婚礼には必ず参加せよ。もちろん、お仲間も大歓迎じゃ!」
「はい、必ず伺います。それじゃ、みんな。さっそく魔王さんのとこへ行こう。村の人たちも心配だし、急いだ方がいい」
 そして、引き止める黄金龍を振り切り、ナナシたちはダミアン一行と共に魔王軍の中枢へと出立した。
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