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第十章 勇者と皇帝

贈り物

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 時は少しさかのぼる。
 蘇生した勇者ダミアンは、眷属たちと共にドワーフ武器工房へと向かう列車に乗っていた。魔王軍との戦いで失った装備の補充と、対レジオナ用の密閉式防具を開発するためである。
 移動中の車内で、ダミアンはラビから魔王城の城下町について説明を受けた。
 ラビが魔王領を訪れたのは、もう百年以上昔の話である。それでも当時から人間の商人や亜人の家族がいたらしい。現在でもあれだけの軍を維持するためには、当然の事ながら人間との取引は続いているだろう。そして、そこには人々の生活がある。家族が、子供たちがいるのだ。
 もう少しで民間人を大量虐殺していた所だと気付いて、ダミアンの背筋が凍った。もっとも、この世界、特にフレッチーリ王国の倫理に照らし合わせれば、魔族に協力する人間など明確に敵である。戦略級殲滅魔法で消し飛ばそうが何の痛痒も無いだろう。しかし転生者であるダミアンの倫理観は違う。
 ラビが最も懸念していたのもそこだった。独自の価値観ではあるものの、善き勇者であろうとしているダミアンに、虐殺は深い心的外傷トラウマを残したに違いない。
 転生者ゆえか、ある種の繊細さを持つダミアンが、その経験によってどう変わってしまうのか。ラビにもそれは想定できなかった。自暴自棄になり自ら命を絶とうとするならば、ラビにも救う手立てはある。しかし、心の闇を混沌に侵食されてしまえば、恐るべき世界の敵対者ともなりかねない。
 そしてもうひとつ、あの場にいた危険極まりない存在。
「でもさ、人間どもはともかく、黄金クゲーラお姉様がいたのはヤバかった! あの魔法かましてたら、ブチ切れて王都は火の海だったでしょ! 王様の野郎が丸焼けになるのはいい気味だけど!」
 人化した龍である電光ルルーガの無邪気な言葉に、ダミアンはギョッとした表情でラビを見る。ただでさえショックを受けているダミアンに対し、そこまで話すつもりは無かったラビは、やれやれと肩をすくめて肯定の意を示す。
 ダミアンは両手に顔を埋めると、長々とため息を吐いて背を丸めた。そして、どのタイミングかは判らないが、確実に発動したであろう転生恩寵ギフト『日にいちどの超幸運』に深く感謝するのだった。


 武器工房に到着した列車から、ダミアンたちはホームに降り立つ。周囲は貨物を運び出そうとするドワーフやゴーレム車、そして買い付けに来た商人などでごった返している。
 喧騒から逃れるように進んでいると、獣人シモーヌの腹が盛大に鳴った。魔王城への急襲から後は、とても食事どころの状況ではなかったため、シモーヌの空腹が限界に達したのだ。
「ご主人さまぁ~、おにゃかへった~」
 身長180センチメートルの筋肉質な体をしょんぼりと丸めて訴えるシモーヌ。ダミアンがシモーヌの黒い巻毛を優しく撫でると、尻尾が嬉しそうにゆらゆらと揺れる。
 その様子を見て、斥候のエロイーズがダミアンの腕にすがり付き、豊満な胸を押し付けながら言う。
「ダミアン様ぁ、私もお腹減ったし、装備見る前にご飯にしましょうよ~」
ぬし様ぁ! ルルもルルも!」
 身長155センチメートルの黄龍が、ダミアンの背にぴょんと飛びつく。いちゃいちゃと戯れる女たちを横目に、特級魔術師オルガは優雅な仕草で周囲を見渡す。
「確かこのあたりにも食堂みたいな場所があったはず。ねえ、ラビ?」
「まあドワーフ連中は大飯食らいだから、その辺にあるとは思うけど……シモーヌ、匂いでわからない?」
 ラビに聞かれ、シモーヌが鼻をひくひくさせて周囲の匂いをかぐ。
「こっちのほうからおいしそ~なにおいがするにゃ~」
 シモーヌの鼻を頼りに進むと、立ち並ぶ工房の先に開けた区画があった。
 地下で露天というのも変な話ではあるが、仕切りのない区画に沢山のテーブルが整然と並んでいる。そこではドワーフだけでなく、ヒューマン、ティビ、亜人などが酒や食事を楽しんでいた。長いテーブルの他にも4人掛けや8人掛けの丸いテーブルなどがあり、商談や議論に使われている。
 その一画には広い厨房が設けられており、外から中の様子が見えるようになっていた。厨房の横にある搬入出口からは、料理や食べ終わった食器を載せたゴーレム車がひっきりなしに出入りしている。
 テーブルには全て番号が振られており、卓上の呼び出しボタンを押せばゴーレム車が注文を取りに来てくれる。単純労働は可能な限り機械化する事、これはドワーフ地下工房において基本であった。厨房でも皿洗いは食洗器、肉や野菜を刻むのはスライサー、撹拌や粉砕にはミキサーが活躍している。
 また、食事は全て無料であった。ドワーフは言わずもがな、地下工房にやってくる他種族も物見遊山の観光客ではない。皆それなりに高額な取引の相手なのだ。食事程度はサービスの内と言えよう。もっとも、工房のドワーフたちの食事量に比べれば、訪れる取引相手のそれなどは誤差のようなものであった。


 ダミアンたちが食事を終え、ほっと人心地ついた頃、背後からふにゃふにゃとした声が聞こえた。
「およよ~、クソ勇者ゆ~しゃはっけ~ん! 総員警戒そ~いんけ~かい! あら~と! あら~と!」
 振り向いたダミアンの目に飛び込んできたのは、武器の交渉を終え、食事にやって来たナナシたちの姿であった。両手を双眼鏡のように目に当てたレジオナが、からかうように周囲を警戒してみせる。
 いい感じに酒の入ったキーラが、拳の関節を鳴らしながら進み出て、ダミアンを睨み付けた。
「あーん? これはこれはウチのナナシをぶった切ってくれた勇者サマじゃねーか。てめー、両手両足へし折ってやっから覚悟しやがれ!」
 キーラの挑発にシモーヌが応戦する。
「は? ご主人さまににゃんてクチきいてんにゃ! へし折られるのはそっちだにゃ!」
 この挑発合戦にレジオナも嬉々として参加してきた。
「やんのか~こら~! たおれることすらゆるさぬひっさつパンチをおみまいしてやるぜぇ~!」
 ふにゃふにゃと挑発しながら、くねくねとむげんを描くように体をくねらせるレジオナ。そのふざけたような動きに、黄龍もキレた。
「このクソスライム! もう許さない! 灰にしてやる!」
 オルガとエロイーズも無言で武器を構え、戦闘態勢を取る。モニカは勇者パーティの戦闘が記録できそうな状況にご満悦だ。
 一触即発の空気に、慌てたナナシが割って入る。
「まってまって、こんなとこで暴れたら他のお客さんに迷惑だから!」
 しかしナナシの言葉とは裏腹に、周囲の酔っぱらいドワーフたちは大盛り上がりであった。
「俺は獣人のねーちゃんにビール10杯だ!」
「いーや、わしゃあのシマシマのおちびちゃんがやると見た!」
「でけえ姉ちゃんも強そうじゃねえか? あの義手は工房製だろ!」
「あのくねくねした動き……わかる……俺にはわかるぞ、あれはデンプシー……」
「おいデカブツ! ボーっとしてねえでお前もなんかやれ!」
「いいから酒もってこーい!」
 もはや収集がつかぬ混沌とした状況を、フリーダが一喝する。
「あんたたち! あんまり騒ぎを起こしたら出禁になるわよ! わかってんの!?」
 出禁の一言に周囲が静まり返った。
 見ればゴーレム車が数体、ナナシたちを中心に野次馬を取り囲むように集まっている。その頭部では、目が赤く点滅していた。これは完全に警告であろう。それに気付いたドワーフたちが自分の酒を手にそれぞれの席へと戻ってゆく。
 食堂を出禁になってしまったドワーフは、出禁が解除されるまで配給の栄養食で過ごさなければならない。栄養満点だが味はお察しである。そして何よりも酒が飲み放題でなくなるのが恐ろしい。
 野次馬たちと共にゴーレム車も去り、残されたナナシとダミアンの両陣営は所在なく立ち尽くす。もはや闘争の空気ではないが、このまま立ち去るのも遺恨を残しそうである。
 すると、意を決したようにダミアンが一歩踏み出し、ナナシへと声をかけた。
「ナナシ・オーカイザー。先日は、その……色々と誤解があったようで……いきなり攻撃してしまったことは本当にすまなかった。この通り、謝罪する」
 そう言って頭を下げるダミアンに、眷属たちが驚いて声を上げる。いっぽうのナナシは、何とも返答に困ってしまう。
「あの、もうその辺のことは水に流しましょう。勇者さんも一回死んじゃったわけですし、ほら。まあおあいこってことで」
「おあいこか……まあ君には『反物質アンチマター召喚爆破エクスプロージョン』を防いでもらった借りもあるし、そういうことにしておこうか。そういえば名乗ってなかったね、僕の名はダミアン・ドゥファン。ダミアンと呼んでくれ」
「あっ、自分もナナシって呼んでもらえれば。でもダミアンさん、いくら戦争でも、やっぱああいう民間人を巻き込む攻撃はやっちゃダメでしょ」
 ナナシの言葉に痛いところを突かれ、ダミアンは動揺する。
「あれはっ! 何を言っても言い訳に聞こえるかも知れないけど、本当に城下町の事を知らなかったんだ……てっきり魔物の巣窟だと思い込んでて……許して欲しい……」
「謝るんなら、相手が違うと思う。レジオナ、あの子たちの贈り物ある?」
 ナナシに聞かれ、レジオナが『無限収納』から子供たちの贈り物を取り出し、ダミアンに見せる。
「これは?」
 それらはキラキラ光る小石や、美しい貝殻、木の実で作った人形などであった。しかしダミアンにはこれが何を意味するのかわからない。
「これは、城下町を救ったお礼にって、子供たちがくれたんだ。何でもない物に見えるかもしれないけど、自分にとっては大切な贈り物だよ。みんなが無事で本当に良かった」
 それを聞いたダミアンの心に、幼い頃の感覚がよみがえる。大人から見ればくだらない、しかし子供にとっては本物の黄金にも勝るとも劣らぬ、ささやかな宝物。目の前のこれこそが、まさしくその宝物だった。
「あ……あっ……」
 このささやかな宝物が、ダミアンに子供たちとその家族の存在を実感として理解させた。そして、それが限界だった。自然と涙があふれ出し、ダミアンはその場にくずおれて嗚咽する。恥も外聞もなかった。虐殺への恐怖とそれが防がれた安堵の混じりあった巨大な感情に押しつぶされてしまいそうだった。
 ダミアンのあまりに強い感情は、魂の回線を通じて眷属たちにも伝わってしまう。眷属たちはうずくまるダミアンになすすべなく寄り添い、共に泣く事しかできない。
 ラビはそんなダミアンの傍らにそっと膝をつき、震える頭を優しく撫でる。幼い子供をあやすように、優しく、優しく。
 ふいに、ダミアンたちの上に巨大な影が差した。ナナシがダミアンの前にかがみこみ、そっと手を差し出す。気配を感じたダミアンが、涙に濡れた顔を上げナナシを見る。
 ナナシは差し出した手をほんの少し前へ動かし、ダミアンにうなずいてみせた。ダミアンはうながされるまま、ナナシの手にそっと自分の手を重ねる。ナナシは優しく微笑んで、ダミアンに語りかけた。
「力に振り回されるのは良くわかるよ。自分もそうだった」
「でも僕は……本当に取り返しのつかないことを……もう少しで……」
 ナナシはダミアンの手を両手でそっと包み、告げる。
「大丈夫。子供たちのために泣けるなら、きっと大丈夫」
 ナナシの言葉に、枯れたと思った涙が再びあふれ出した。優しく握り返してくるナナシの手から、温かさが伝わってくる。ダミアンはナナシの手にもう片方の手も重ね、強く、強く握り返した。
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