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第九章 嵐の前

首都フォートマルシャン

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 使節団を襲った襲撃者の包囲網。その輪の一番外側で、中級冒険者のピエールは恐怖に目を見開いていた。
 獲物の詳細は聞いていなかったし、仕事の後で消されてはたまらないので知りたくもなかった。それに上級冒険者や手練れの傭兵がこれだけ雇われているのだから、自分は後ろで精々にぎやかし程度の働きをしていればいいはずだった。
 しかし現実はそれほど甘くない。数分間にもわたる魔法や小銃、石弓の集中砲火を難なく耐えきったその獲物は、一瞬の隙をついて反撃を始めたのだ。
 包囲の前方では斬り込んできた騎士が縦横無尽に暴れまわっている。焦った味方による誤射も起きている様だ。つい今しがたもピエールのすぐ横を魔装弾式小銃の弾が掠めて飛んで行った。乱戦で小銃を撃つなんて馬鹿じゃないのかとピエールは毒づく。
 あれだけの攻撃で仕留めきれなかった相手を、この状況からどうにかできるわけがない。もはやこの仕事は失敗だろう。上級冒険者や傭兵共が殺されている間にさっさと逃げ出すべきである。
 ピエールが見切りをつけて馬首を返そうとしたその時、視界の端にが映り込んだ。
 乱戦の中、激しく動き回る騎兵や騎士の人影がひとつ。踏み台にされたそれらの頭は、まるで熟れた果実の様にぽろぽろと落ちてゆく。
 人々の頭上を優雅に走るその姿は、鎖帷子に青いサーコート、胸元には6つの星が白く染め抜かれている。騎士としては多少小柄だが、それがなんの慰めになろう。兜の奥に光る目は捕食者のそれであった。
 ピエールは絶望の中で悟る。皆殺しにされるのは自分たちの方である事を。


 フレッチーリ王国首都フォートマルシャンの王城。謁見室の豪奢な王座で、国王シャルル13世は大きくため息を吐いた。こめかみには血管が浮き上がり、周囲をねめつける視線は餓えた獣の様に爛々と輝いている。35歳の若き王の怒りに、周囲に控える重鎮たちは、判決を待つ罪人のごとくうなだれて目を伏せるばかり。
 2日前に刺客を撃退した使節団が、もうすぐこの城へと到着するのだ。目撃者もない荒野での襲撃ならばいざ知らず、首都にたどり着かれてしまってはもはや打つ手がない。
 魔族共は用意周到にスポールト王国他、人間国家の使節を引き連れていた。しかも使節団の代表はスポールト王国である。国王からの書状を持ち出されては、無下に扱うわけにもいかない。対応を誤れば国際問題への発展もあり得るのだ。
 シャルル13世はついに我慢の限界に達して、声を荒げる。
「200の手勢が全滅だと? 相手をただの1騎すら屠れずにか!? おかしいだろうが!」
 問いかけの様にも取れる王の言葉である以上、誰かが答えねばならぬ。周囲の目線が集まるのを感じ、フレッチーリ王国の騎士団を束ねるオランド将軍が渋々と口を開いた。2メートル近い巨躯もまるで小鹿のように見える。
「恐れながら申し上げます。2度の襲撃において、双星の魔女はいちども姿を見せなかったため、まさか使節団に参加しているとは考えが及びませんでした。使節団自体、王都への途中で殺される事を前提に、出兵の口実とするためのものだとばかり……」
「そこよ! そこが余にも解せぬのだ。魔族共の軍はすでに動き始めておる。ならばなぜ使節団のようなものを派遣するのか……この事に何の意味がある? 皆殺しにされる事でスポールトやらスノーランドをこの戦に巻き込もうという魂胆なのか?」
 単純な兵力差で言えば魔族はフレッチーリ王国の敵ではない。しかしスポールト王国とフレッチーリ王国は国境を接しているため、スポールト王国が魔族に協力すれば無視できない脅威になるだろう。とはいえ魔族に与したとなれば、人間の国家から敵と認定される事は必至である。そんな危険を冒す価値があるだろうか。
 ここ数日の間、散々議論を交わしたこの状況に、ついに結論は出なかった。最も無難な解決策として、首都までの道中で賊の仕業に見せかけての鏖殺が採用される。使節団の諸国から抗議を受けたとしても、知らぬ存ぜぬでかわせるはずであった。
 しかしついに使節団は首都へたどり着いてしまった。双星の魔女自らが出向いた以上、王への謁見が目的とみていいだろう。いかに双星の魔女相手とは言え、いざとなれば万の兵ですり潰す事も不可能ではない。シャルル13世はこのまま目通りを許すべきかどうか決めあぐねる。
「よもや、余をこの場で暗殺するのが目的ではあるまいな」
 王の漏らしたひと言に、宰相リコールが異を唱えた。
「いくら魔族とは言え、他国の使節が同席する状況でそのような蛮行に及ぶとは考えられませぬ。記録する手段も発信する手段もある現在、無法な真似はいたずらに敵を増やすのみかと」
「しかし相手は所詮魔族、余さえ消せば我が国が崩壊すると思い込んでおるやも知れぬ」
 基本的に魔族を蛮族と見下しているフレッチーリ王国の重鎮たちは、王の言葉を否定する事が出来ない。相手は卑しい魔族である。高度な政治的駆け引きなど望むべくも無いだろう。そして、その思い込みこそが、今回の使節団の目的を理解する妨げとなっていた。
 重苦しい沈黙の中、オランド将軍が声を上げる。
「陛下、我々騎士団も厳重な警戒態勢を取っております。奴らの護衛は全て市外に留め置き、各国の使節のみを非武装にて入城させる手筈であります。加えてこの謁見室に騎士団の精鋭を配置し、さらに剣聖ゴーモン殿にも控えてもらっております」
 オランド将軍が指し示す先は、壁際に控える騎士たちの末席。王の御前であるにもかかわらず、ひとり丸椅子に腰かけたまま、何やら書物を読んでいる白髪まじりの男。齢56にして老いて益々壮ますますさかんなり、剣聖ケヴィン・ド・ゴーモンであった。
 鎖帷子を部分鎧で補強した、軽装にも見えるその装備は、見る者が見ればエルフ銀ミスリル製の逸品だとわかる。腰にいた剣も、華美な装飾こそ無いものの、中身は恐るべき業物であろう。
 オランド将軍の咳払いを聞いてようやく本から顔を上げた剣聖は、王を見やるとへらへらとした笑顔で会釈を返す。不敬極まりない態度ではあるが、この場においてはむしろ異様な安心感があった。
「剣聖ゴーモンよ、そなたの腕は信頼しておる。汚らわしい魔族共の指一本たりとも余に触れさせるでないぞ」
 王の言葉に、剣聖は本を閉じもせず、座ったまま顔だけをそちらへ向けて答える。
「まあ値段分の仕事はさせてもらいますよ。王の護衛はご心配なく」
 剣聖ゴーモンは騎士爵を賜ってこそいるものの、これはあくまで名誉爵位であって、フレッチーリ王国の正式な臣下ではない。むしろフレッチーリ王国側が剣聖の威を借っているようなものである。不遜な態度が許容されているのもそれ故の事であった。
 剣聖の存在による安心感からか、今度は勇者の不在について王が不満を口にする。
「それにしても、勇者の方はどうなっておるのだ! そもそも彼奴が魔王軍を壊滅させておれば済んだ話であろうが!」
 勇者が魔王軍を急襲してはや1週間がたつ。魔王軍が何事も無かったかのように進軍を開始した以上、勇者が無事であるとは考えにくい。この事は魔王軍との開戦を前に大きな不安材料であった。
 つい先ほど、勇者の安否を確認した情報官オベールが口を開く。
「春の女神の神殿経由で、大司教ラビからの伝言が届いております。勇者は魔王との戦闘で瀕死の重傷を負い、現在も治療中の様子。療養と魔王軍の追撃をかわすため、今しばらくは身を潜める必要があるとの事でございます」
 勇者の不甲斐ない顛末に、反勇者勢から失笑が漏れた。反勇者筆頭のオランド将軍が、ここぞとばかりに当て擦る。
「あの小童、常日頃は陛下から過分なる恩寵を受けておきながら、肝心な時に役に立たぬとは! 所詮は田舎育ちの成り上がりでありますな。私ならばたとえ満身創痍であろうとも、陛下の御前に馳せ参じますぞ。それを魔族の追手に怯え、隠れ震えておるとは武人の風上にも置けぬ振舞い。そもいかような術にて従えたかもわからぬ龍種の威を借り好き放題していた、その化けの皮がはがれたのでありましょう。女をたぶらかす手腕だけは一流のペテン師だったという事ですな!」
 勇者の技能スキルには『カリスマ』が含まれているにも関わらず、その影響力の大きさに対し反発する人間は多い。利害が対立するならばなおさらである。その上「僕、また何かやっちゃいました?」などとカマトトぶった物言いや、慣習や禁忌、暗黙の了解などといったものを平気で無視するその振舞いが、反発する勢力をさらに苛立たせていた。
 日頃は勇者を甘やかし、王城の尖塔に個室まで与えていたシャルル13世も、此度の失態に関しては激怒していた。勇者への期待が高かった分、不甲斐ない結果によりその評価は大きく失墜してしまったのだ。
「この大事に登城せぬとは、余としても勇者の処遇を考え直さねばなるまいな……」
 一時は第1王女を正室として娶らせようかとすら考えていたシャルル13世であったが、ここへ来て勇者の株の大暴落に歯止めがかからぬ状態である。よほどの大手柄でもなければ、汚名返上とはいかないだろう。
 ひとしきり勇者への悪罵が盛り上がり、やがてその熱も冷めた頃、ついに使節団が王城へと到着した。
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