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第四章 魔破衆

宴の夜

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 魔破の里はおおむね九頭竜風の家屋や公共施設で成り立っており、ナナシが案内されたのは大型種族が楽に入れる共同浴場であった。
 骨休めと言いつつも、湯浴みでは湯女ゆなを断ったナナシに、今度は様々なタイプの魅力的な男性が三助さんすけとしてサービスしようとやってくる。
 それを丁寧に断り、時にブッ飛ばしながらようやく湯から上がると、今度は湯上りのマッサージはいかがとばかりにまたまた妖艶な美男美女が現れる。
 そこに割って入ったのが浴衣姿も頼もしいレジオナであった。手には湯上りのフルーツ牛乳だ。
「ナナシたんにサービスぅ~? 10年早いんだにゃ~! ど~してもというなら、この私たちを倒すがよい!」
 浴衣の懐から将棋盤(将棋の歴史は古く、当然異世界にも将棋は存在する)を取り出したレジオナは、それを10面並べるとクイクイと指で招く。
 10面差しという挑発に気色ばむ魔破衆。腕に覚えのある猛者たちが盤の前に陣取る。
 そして始まったナナシへのサービス権をかけた勝負は、一進一退を繰り返しつつ、宴の直前でレジオナの全勝となって幕を下ろした。
 この勝負に動員されたレジオナの個体数は実に2兆。1面につきそれぞれ2千億体が脳細胞として盤面を解析し、ぎりぎりの勝負を演出して時間を稼いだのだ。
 『無限収納』と全にして個たるレジオナの特性を生かしたチート技であった。
 湯浴みをなんとか切り抜けたナナシだったが、宴においても過剰な接待は続く。ナナシの前後左右には肌もあらわに着物を着崩した美女たちがはべり、酒を注いだり料理を口に運んだりと至れり尽くせりのおもてなしである。中にはナナシの手を胸や太ももに誘導しようとする不埒者までいて、ナナシは全く気が休まらない。
 ロジーナ姫とカレンはそれぞれ藻屑と美強に捕まり、ナナシに助け舟を出す事も出来ない。アヤメはすでに龍河洞へ赴いた後だ。
 ナナシの向かいではレジオナが宴の料理を喰らい尽くすかのごとく一心不乱に食事を続けている。時たまナナシの方をちらりと見るものの、これくらいはナナシにとっても経験の範疇だろうと特に注意する事も無い。
 やがて料理も酒も尽き、宴はお開きとなった。ナナシは大型種族でも楽に入れるよう、大きめに作られた離れに案内される。
 板の間に厚手の絨毯を敷いた和洋折衷の部屋に通されると、そこには巨大な布団が用意されていた。
 ナナシは転生後初めて出会った、自分のサイズでも使える寝具にすっかり気分が良くなり、うきうきと布団にもぐりこむ。昼間の試合と気の休まらない接待で疲れ果てたナナシは、すぐにまどろみ始めた。
 しかしそんなナナシのもとへ十数名の美女が訪れる。布団の横へ並んで正座をすると、深々と頭を下げナナシに訴え始めた。
「オーカイザー様、精力旺盛なオークに拒絶されたとあっては、我ら一同里の笑いものでございます。そうなれば最早里にて生きていくこともかないませぬ。どうか我らを哀れと思い、なにとぞお慈悲を賜りたく」
 とうとうナナシの情に訴え始める産土女たち。頭を下げるその姿は、扇情的な着こなしの肌襦袢からたわわな胸がこぼれそうでナナシの股間も危うい。
 半身を起こし、下半身は布団に隠したままほとほと困り果てるナナシ。自分のせいで彼女たちの立場が悪くなるのは可哀そうだが、そんな理由でしとねを共にするのはどうしても抵抗がある。
 逃げ出すのは簡単とはいえ、それでは結局彼女たちを拒絶した事に変わりはない。進退窮まるナナシ。と、その時突如として部屋にふにゃふにゃと声が響き渡る。
「浜の真砂はつきるとも~、世にオ~カイザ~の子種は尽きまじ~!」
 産土女たちは即座に立ち上がり陣形を組む。手には暗器が握られ、声の主を探し警戒する。
「何奴! ここを魔破の里と知っての狼藉か! 神妙に姿を現せ!」
 すると部屋の片隅にぼわんと煙が立ち上り、その中から巨大なカエルに乗った豪奢な衣装のレジオナが現れた。顔には隈取が施され、赤い髪は大百日おおびゃくにちかずらに結上げられている。
「やあやあ我こそは~稀代の大盗賊レジライヤなるぞ~! そこなナナシはもらいうける~!」
 もはや石川五右衛門なのか自来也なのかわからぬレジオナが、カエルの上で見得を切る。次の瞬間、カエルの舌がヒュッと伸びてナナシを捉え、4メートルの巨体をぱくりと飲み込んでしまった。
 一瞬の出来事に全く反応できなかった産土女たちを尻目に、レジオナは高笑いをしながら煙と共に消え失せる。後には真っ赤な紅葉が1枚ひらひらと舞い落ちるのみであった。
 はっと我に返った産土女たちが慌てて部屋を飛び出してゆく。「曲者じゃ! であえ、であえ!」と声が響き渡り、屋敷は騒然となる。
 やがて人気の消えた寝所で、落ちた紅葉がピクリと動く。葉から真っ赤な虫へと形を変えたそれは、通常の3倍の速度で部屋を抜け出した。


 ロジーナ姫とカレンは、屋敷の賓客用に設えられた部屋で、レジオナにナナシとの旅の様子を聞いていた。ナナシの冒険を間近で見て来たレジオナの、擬音多めの語りにロジーナ姫は大興奮である。
 ところが、にわかに屋敷内が騒がしくなったかと思うと、部屋の障子の前に人影が現れる。
「お嬢、夜分に失礼する」
 そう声をかけて部屋に入って来たのは藻屑であった。藻屑は部屋にレジオナがいるのを見つけると、鬼の形相で睨み付ける。
「やってくれたのうレジオナ。魔破の里でよくもまあ舐めた真似を。ただで済むと思っておるなら大間違いぞ」
 怒りのあまり口調も「のじゃ」を通り越し本当の素に戻ってしまっている。しかしレジオナはふにゃふにゃと笑い返す。
「あはは、舐めた真似はどっちだにゃ~。ただの夜這いならまだしも、ナナシたんの人柄につけこむとかサイアク~。恥を知れっての~」
「おのれ、スライム風情が図に乗りおって! 一族郎党7代先まで呪い殺してやろうか!」
「やれるもんならやってみな~。私たちが15年間遊んでばっかりだったと思うなよ~!」
 ふたりの間に緊張が走る。藻屑の濃密な殺意にカレンが思わずロジーナ姫を庇う。
 レジオナにとってもこの状況は綱渡りであった。今や世界中に存在するレジオナを剣や魔法で殺し切るのは不可能である。しかし数千年を生きる妖弧の呪いとなれば話は別。続柄や世代を超えてまで効果を及ぼすほどの呪いは、基本的に単一個体の集合であるレジオナにとって天敵といえる。世界中のレジオナに呪いが伝播し殺される可能性は高い。
 一方レジオナの対抗策は神域150まで上げた精神力による抵抗レジストと、数千兆を超える個体数による圧倒的な試行回数である。極端な話を言えば、たった1体でも呪いに打ち勝てば、それがレジオナ全体の勝利となる。世界のどこかで生き残ったレジオナが再び増えるのを阻止する事は藻屑にも不可能であろう。
 そして藻屑にも迷いがあった。なぜなら強力な呪いにはそれに応じた反動があり、対象が拡大すればその反動も大きくなる。通常は儀式や生贄によってその反動を減らすのだが、レジオナの総数いかんでは反動を相殺しきれなくなるだろう。
 藻屑はレジオナの総数を多く見積もっても数万だと考えていた。レジオナが群体である事を見抜いてはいたものの、まさか目の前のレジオナが百億を超える個体によって構成されているとは夢にも思わない。ましてや無限収納を介して世界に散らばるレジオナの総数が数千兆であるなど、完全に想像の範疇を超えていた。
 それでも、藻屑は嫌な予感を覚えていた。数万ならば呪い殺せるであろうが、この得体のしれぬスライムが本当にそれほど簡単な相手だろうか。藻屑の経験が激怒する思考の奥で警鐘を鳴らす。
 結果的にそれが藻屑を救う事になる。数千兆もの相手への呪いの反動は、数千年を生きた妖弧であっても耐えきれるものではない。存在そのものを滅ぼされ復活する事も叶わなくなっていただろう。
 とはいえここは舐められたら殺すが信条の異世界である。己の縄張りで好き勝手をされたままでは面子に関わる。藻屑はレジオナに真意を問いただす。
「なぜそこまであのオークにこだわる? 伴侶や所有物という訳でもあるまいに」
 レジオナは藻屑の目を見据え、ふにゃふにゃと答える。
「べつに~、理由なんてムカついたからでじゅうぶんでしょ~。ナナシたんの扱いが無礼すぎるんよ」
「何を言うかと思えば、これほど手厚くもてなしておるのにどこが不満か。おのれのお気に入りに寄って来る女たちが気に入らぬだけであろうが」
「自覚が無いのがタチわるいよね~。ナナシたんをもてなす~? やってることはナナシたんを子種の付属品として扱ってるだけじゃん」
「強大な雄へのもてなしに性を使うのが許せぬと?」
「ほらも~、そういうトコだにょ~。話がかみあわないよね~。そもそもナナシたんが嫌がってなかったら私たちも放っといたんよ。ナナシたんだってお年頃なんだからさ~」
「あんなのは初心うぶなだけであろうが。経験してしまえばタガが外れるに決まっておる」
「そりゃそうでしょ~よ。だ~か~ら~、それがナナシたんを子種の付属品としてしか見てないっていってんの~!」
「つまり肉体ではなく精神を評価しろと? よくぞ世界を救った英雄よと涙を流して崇め奉って欲しいと?」
「評価なんてしなくていいんよ~。ただの客としてもてなせばいいでしょ~。今夜のナナシたんに必要だったのは、あったかいお風呂と柔らかい布団だけだったのにさ~」
「本当に嫌ならば断わるか逃げればよかったろうに」
「気軽にそんなことできるタイプじゃないでしょ~。わかってやってたんじゃないの~?」
「脆弱な。頑強なのは肉体だけということか」
「脆弱だね~。でも今はそれでいいんよ。生まれて何日目だとおもってんの~」
「スライム風情が、すっかり保護者気取りか」
「気取りじゃなくて保護者だかんね~」
 問答を続けるうちに怒りも多少収まって来た藻屑は、次の一手を考え始める。あのオークの肉体をこのまま手放すには惜しい。ならばこの保護者気取りのスライムも納得するしかない手段で子種を搾り取ればよい。
「よかろう、今回はお嬢の知り合いという事で特別に見逃してやる。さっさと出ていくがよい」
「そりゃ~ど~も~。もうナナシたんの事はあきらめな~」
「そうはいかん。オーカイザー殿が本気で惚れてしまえばおぬしも口出しはできまい。魔破衆を甘く見るでないぞ」
「なにそれ~。黙ってやればいいのにわざわざ宣戦布告とか、よっぽど悔しかったんだね~」
 けらけらと笑うレジオナに、藻屑も苦笑いを返す。何千年生きても、未だにやられっぱなしというのは性に合わない。達観できるような連中はそもそも何千年も生きたりはしないのだろう。
「いずれ痛い目に合わせてやるからのう、この腐れスライム」
 捨て台詞を残し、部屋を出る藻屑。いかにも負け犬らしい仕草を取るのは藻屑の悔しさの表れであった。ここで我慢して大物ぶった態度を取るのはいたずらにストレスを溜めるだけである。次に勝てば良いのだ。
「ま~、御前ごぜんのそゆとこきらいじゃないにょ~。ナナシたんのお相手選びがんばんな~」
 去り際の藻屑にふにゃふにゃと声をかけるレジオナ。そのままロジーナ姫たちに「ほんじゃまたね~」と手を振ると、部屋に飛び込んできた真っ赤な虫をキャッチしてそのまま外へと飛び出す。
 ロジーナ姫たちが外に出て空を見上げると、赤いフクロウが月明かりの下を飛び去るところであった。


 ナナシはレジオナの『無限収納』の中にいた。
 果ての見えぬその空間の中央には、巨大な塊が鎮座しており、そこから無数の紐のような触手のようなものが伸びて空中に消えている。
 その塊の周りでは様々な姿のレジオナが、思い思いに好きな事をして暮らしていた。
 様々な家具や魔道具も揃っており、中々快適そうな空間である。遠くの方では料理をしているレジオナもいた。本の山に埋もれているレジオナもいる。意味があるのかないのか、筋トレをしているレジオナまでいた。
 ナナシのそばに赤い髪のレジオナが寄ってくる。別にどんな姿でもよいが、ナナシの見慣れた姿で安心させようというのだろう。
「いらっしゃいナナシたん、私たちの秘密の場所へ!」
「これが……これがレジオナの本当の姿なんだね」
 周りを見まわし感嘆の声をあげるナナシ。レジオナが照れ臭そうに笑う。
「あはは、ま~ここの事はみんなにはナイショだよ。今回は特別だかんね~。ホント、今回だけだよ!」
「うん、助けてくれてありがとう。それより藻屑さんと喧嘩しちゃって大丈夫?」
「あのメギツネはいっかいシメとかにゃ~と思ってたんで、ちょ~どいい機会だったんよ。ナナシたんは気にしないで~」
「まあ、悪い人じゃないと思うんだけど、押しが強すぎるよね」
「だまされやすいタイプだよね~ナナシたん」
 話すふたりの元へ他のレジオナがマットレスと衝立ついたてを持ってくる。
「今夜は泊まっていきな~。お部屋は用意してないから、こんなんでかんべんしてね~」
 四方を衝立で囲い、床にマットレスを敷いて簡易なベッドルームに仕立てる。ナナシはホッとひと息ついてレジオナに礼を言う。
「十分だよ、ありがとう。それじゃあ、おやすみ」
 レジオナもふにゃふにゃと笑い、ナナシにおやすみの挨拶をする。
「じゃ~ね~、ナナシたん。良い夢を!」
 レジオナたちが気を利かし、ナナシ周辺の明かりをそっと消した。
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