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第三章 長い道程
死霊たちの夜
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空中で『反物質召喚爆破』を投げ飛ばしたナナシは、皆さまお馴染みの拳を打ちつけるポーズで着地した。もはや慣れたものである。
新品の服を着たレジオナがトコトコと駆け寄り、ポケットから取り出した翻訳魔道具をナナシに渡してふにゃふにゃと労をねぎらう。
「ナナシたんおつかれ~。いや~、『防御壁』ってつかんで投げられるんだね~。初めて知ったよ~!」
「さっきエネルギー生命体が云々って言ってたから、魔法もエネルギーなら掴めるのかなってやってみたら出来たよ!」
拳を握って嬉しそうに答えるナナシにレジオナが拍手する。褒めて伸ばすタイプである。
「ところで、さっきのエルフは?」
ナナシの問いかけに逡巡するレジオナ。ままよと話せる部分だけ正直に話す事にする。
「アレは~、私たちが捕まえて~~う~~あ~~、……魔王のとこにおくりました!」
結局面倒くさくなって魔王の事を言ってしまう。何事も正直が一番である。
「魔王!? あ~、なんだっけ、エンドローザ―? えっ、じゃあレジオナは魔王の手下で、放逐されたオークキングに捕まってた?」
「魔王のてしたじゃないんだにゃ~。なんていうか、ちょっとフシギないそうろう~? いやいや食客ですしょっかく~!!」
カッコよさ気に言い換えてみても居候は居候である。
「そういえばさっき転生恩寵の事を知ってたし、もしかしてレジオナも……」
ナナシの指摘に、両手をバツの字に組んで首を振るレジオナ。
「ナナシたん! そこから先は禁則事項ですっ。ま~転生者だけどさ~、女の子には色々ひみつがあるんだにゃ~。みんなにはナイショ! ナイショだよ!」
「でも魔王って人間と敵対してるんじゃ?」
「ナナシたんはさ~、まだこの世界に生まれて5日目くらいだから知らないのはしょうがないけど~、魔族とヒューマンにはいろんな歴史があんのよね~」
「単純な善悪じゃ無い?」
「まあね~、前世でもあったでしょ~先住民族のはくがいとかさ~。っていうか、あんまりどっちにも肩入れしたくないんだよね~。私たち基本ノンポリだし~」
レジオナの言葉に、腕組みをして考え込むナナシ。オークとして生まれてしまった自分はどちらの立場に立つべきなのか。判断しようにもあまりにこの世界の事を知らなさすぎる。
悩むナナシにレジオナがふにゃふにゃと笑いかける。
「あはは、ナナシたんまだ悩むにははやすぎるよ~。だって~生まれて5日ってまだあかちゃんじゃん! おまたもまるだしだしさ~」
「あっ!」
レジオナの指摘に慌てて股間を隠すナナシ。スパイダーシルクのふんどしは雷撃で黒焦げ状態である。
「あ~んなこうきゅうひんはさすがに持ってないけど~。あったあった、キャ~ラ~グッ~ズ~」
ポケットからいつもの調子で反物を取り出すレジオナ。それは藍色の綿織物で、『Gファイ! ドライフィーア』の主人公ゴーレム獣王丸とヒロインゴーレム椿姫が様々なポーズで白く染め抜かれたキャラクター商品用の生地であった。
「見本用にもらってたんよ~。綿だけどがまんしてね~」
にこにこと差し出される生地に、ナナシも嫌とは言えない。いかついオークがキャラクター商品のふんどしを締めているのも中々シュールではあるが、凶悪なものをぶらつかせているよりはましだろう。
「あっ、獲物……」
ふんどしを締めなおして、ひと息ついたナナシが重要なことを思い出す。まだ日は高いとはいえ、あんな事があった以上は一旦皆の所に戻るべきだろう。手ぶらなのは仕方がない。
「う~ん、今夜はいそがしくなりそうだし~、魔王城(仮)からかっぱらってくるよ~」
ナナシの頭によじ登ったレジオナが胸を叩いて請け負う。
「魔王城から……大丈夫なのそれ?」
「ふふっ、魔王城(仮)で私たちを阻めるものなどそうそういないんよ! もうすぐ魔王もでかけるし~。怪盗レジオナに盗めぬものはないんだにゃ~!」
「全っ然大丈夫じゃないよねそれ。っていうか、今から魔王城へ?」
「私たちはね~どこにでもいるしどこにもいないんよ! いや、どこにもいないってのはウソだけど~」
「そういえば、さっきも空からふたりいたのがちらっと見えたような」
「ナナシたん目がいい! ムダに!」
そんな他愛もない会話を交わしつつ、ナナシとレジオナは皆の待つ野営地へ帰るのだった。
レジオナがポケットから取り出した牛の腿枝肉の塊は、マドレーヌによってナナシ用の超厚切りステーキ数十枚とレジオナご要望のチーズインハンバーグへと調理された。
チーズの伸び具合を競い合いながらの夕食も終わり、空が夕焼けに染まる頃、レジオナがふにゃふにゃと重大発言をする。
「あのさ~、とある筋からのじょうほうなんだけど~、今夜ね~死霊王のぐんだんがぶりゅっけしゅたっとを襲うんだってさ~」
両手の人差し指をこめかみに当て、難しい顔をして何かを受信しているようなそぶりのレジオナに、キーラが真剣な表情で聞く。
「どこ情報か知らねえけど、その死霊王は今どの辺にいるんだ? まさかもう町を襲ってんじゃねーだろうな」
「いまはね~大森林を抜けて~だーぬびうす川沿いをぶりゅっけしゅたっとに向けて曲がったとこだって~。深夜から明け方に向けてまちにとうちゃくするもよう~」
「大森林を抜けてだと? まさか……神殿跡に埋葬した遺体にちょっかい出してねーだろうな」
「う~ん、それがね~すけるとんうぉりあーの材料にされちゃったみたい~」
夕暮れの野営地に甲高い金属音が響く。キーラの左手の中で鋼鉄製のマグカップがひしゃげていた。普段は食器の扱いに厳しいマドレーヌも黙って自分のカップに視線を落したままである。
キーラが怒りに表情を歪め、絞り出すように言う。
「クソが……ウチらで止めるぞ。仲間の体をぶっ壊すなんてつらい真似は、ウチらだけで十分だ」
「学問としての死霊術の知識体系は重要だけど、仲間の体で実践されるとムカつくわねえ」
モニカもそう言うとカップの中身を飲み干す。腰に差した魔法戦用回転式短杖のシリンダーに込められた魔晶石をチェックすると、予備シリンダーに魔晶石を込め始める。
フリーダは、ナナシのふんどしの残骸から回収したスパイダーシルクの切れ端でバンダナを縫いながらため息をつく。
「大森林にオークだの死霊王だのが我が物顔でのさばってたの、エルフにも責任があるわよねえ。自分たちの庭くらいちゃんと管理しないと」
マドレーヌが料理神の加護である『食糧庫』から金属製の水筒を4本取り出す。2リットル入りのその水筒にまとめて料理神の祝福である『浄化』をかけると、中の水は聖水へと変化する。
「死霊相手ならちっとは効果があんだろうさ。皇帝の分はモニカが持っていきな」
そう言ってマドレーヌが水筒を配っていく。受け取ったフリーダが縫い上げたバンダナを聖水で洗おうか本気で迷っていると、マドレーヌに後頭部をはたかれる。
「聖水で洗いたきゃ死霊王を倒してからにしな! 残ってたら好きに使えばいいさね」
フリーダはバンダナを大切に畳むと、戦いで破れたり無くしたりしないようマドレーヌに預ける。
ナナシはレジオナから鬼切玉宿を受け取ると、鞘についたベルトを肩から斜め掛けにして背負う。それを見たキーラがナナシに助言する。
「スケルトン系の相手にゃ斬撃より粉砕の方が効果あっからよ、棍棒とか鎚矛がありゃあそっちの方がいいな。まあ、おめーのパワーなら関係ねえ気もすっけど」
それを聞いてレジオナがポケットから何やら武器を取り出す。
「ト~ゲ~バッ~ト~!」
ポケットから出て来たそれは、全長3メートルの鋼鉄製のバットの表面にトゲが無数に生えているという凶悪な代物だった。野球協会に飾られている、三本のバットに球を組み合わせたディスプレイの試作品である。この世界の野球がどれほど凶悪かうかがい知れよう。
なお実際の試合では魔力を通しやすい素材で出来た普通のバットが主流であり、トゲバットは乱闘以外で使用される事はない。
その雄々しくそそり立つバットにキーラの目が輝く。
「おいレジオナ! あんだろヒューマン用のも! ほら、早く!」
「も~、キーラちん私たちがなんでも持ってると思ってるよね~。ま~あるけどさ~」
そう言ってレジオナがポケットから鋼鉄製のトゲバットを取り出す。長さ85センチの乱闘用である。
キーラはそれを受け取ると、左手1本で数回素振りをする。最後に手首だけでくるくるとバットを振り回し、すとんと肩口に乗せる。トゲは先端から3分の2あたりまで生えており、肩に担いで構える分には問題ないように出来ている。
「よーし、ちょっくら借りとくぜ。壊れたら後で弁償すっから」
「いいよいいよ~、あげるからさ~、私たちの分までぶん殴ってきてね~」
「ああ、まかせとけ。死霊王の野郎ボッコボコにしてやるからな!」
全員の準備が整ったのを見て、ナナシが言う。
「それじゃあ、行ってきます」
トゲバットを右肩に担いだナナシの左腕と肩にそれぞれモニカとキーラが座り、フリーダは走るナナシの横を飛んで追従する。
「朝飯までには帰るんだよ!」
マドレーヌの声にキーラが片手をあげて答える。レジオナも両手をぶんぶんと振って出撃する4人を見送るのであった。
星が瞬き始めた夜空の下、川べりを千体のスケルトンウォリアーが行軍していた。人型と魔獣型が混在するその軍団の先頭を、豪華な法衣をまとった上半身だけの骸骨が滑るように浮遊する。死霊王バイロン・ベイリーである。
真紅の法衣が翻るその周りでは、草や虫、小動物たちが生命を吸われ死んでゆく。軍団が通ってきた後には黒々とした死の道が続いていた。
その軍団の後を、音も無く追う赤毛の狼が1頭。死霊王バイロンは時たまそちらを振返り、忌々しげに眼窩の奥の炎を揺らめかせる。大森林の中から追跡されているのは気付いていたが、森を抜けてからは姿を隠しもせず堂々と後を追ってくる。
死霊王バイロンは狼に向かって『雷撃』を放つ。しかしその『雷撃』は赤い毛並を放電で明るく彩るものの、そのまま地面へと流れ痛痒を与えない。高度な抵抗か、あるいは雷耐性を持っているのだろう。
「何者の使い魔か知らんが、これだけ強力な使い魔を従えながらただ追跡しているだけとは。王都あたりで迎撃態勢を整えておるのか?」
死霊王バイロンは考えを巡らせるも、答えは出ない。ブリュッケシュタットに勇者でもいるなら少々厄介だが、特級冒険者程度ならばいい死霊兵の素材でしかない。
「まずはひと当て様子を見てみるか」
そうつぶやくと、死霊王バイロンは追ってくる狼を無視して行軍を続ける。あと3時間もすればブリュッケシュタットに到着するだろう。
その時、川の方から風切り音と共に何か巨大なものが軍団の中央へと飛来した。
その巨大なオークはスケルトンウォリアーを数体踏み潰しながら着地すると、手に持った凶悪な鉄の棒をひと薙ぎする。トゲに覆われた長さ3メートルの鋼鉄がスケルトンウォリアーを10体粉々に粉砕し、その表面を濡らす聖水によって憑代を失った魂を次々に浄化してゆく。
さらに踏み込みながら、振り切ったその鉄の棒を逆側にもうひと薙ぎ。それだけで合計20体のスケルトンウォリアーが粉砕、浄化されてしまう。
「何事だ!?」
突然の事態に死霊王は上空へと浮遊し相手を見極めようとする。軍団の中心では4メートルの巨体を持つオークと、人間の女らしき冒険者が3人、手当り次第にスケルトンウォリアーを破壊していた。
ほんの一瞬で50体以上のスケルトンウォリアーが粉砕、浄化されている。実に損耗率5パーセント。こんな短時間に失っていい数ではない。
「ふざけるなあああ!」
死霊王バイロン・ベイリーは激昂して叫びながら、突如乱入してきた不埒者どもに向けて『爆炎』を叩き込んだ。
「おらあああああ!」
キーラは雄叫びを上げながら、左手1本でトゲバットをフルスイングする。狙うは肋骨に守られた体幹部分である。
美しいフォームから繰り出されたトゲバットはスケルトンウォリアーの肋骨、胸骨、脊椎をジャストミートし粉々に粉砕する。そして飛び散る聖水が呪縛された魂を浄化してゆく。
スケルトンウォリアーは多少のダメージや骨の欠損ならば、他のスケルトンと部品を共有して補うことができる。また少々頭蓋骨を叩き割った所で、頭が割れたスケルトンウォリアーになるだけである。
しかし体幹部分が欠損してしまうと、手足だけでは体を構成することができない。2体分の体幹部品を共有して1体のスケルトンとなるか、魂がふたつ残っているならば2頭4臂のツーヘッドスケルトンになる事もある。
すなわち、スケルトンウォリアーを行動不能にするには、体幹部品を粉砕するのが最も効果的なのである。さらに憑代を失った魂は、少量の聖水でも容易に浄化される。聖水付きトゲバットはまさに理想的な対スケルトン武器であった。
星明りの下、暗闇を見通せるナナシとフリーダ、メガネの視覚補正で暗視可能なモニカ、そして身体強化により星の光程度でも周りがはっきりと見えるキーラは次々とスケルトンウォリアーを破壊してゆく。
暗闇の中、突如上空から巨大な火の玉がナナシたちを襲う。しかしその火の玉はあらかじめ展開されていたモニカの『防御壁』と相殺し散逸する。さらに2発、3発と『爆炎』が降り注ぐも、モニカの回転式短杖を使った『防御壁』の連続展開によって相殺されてゆく。知識の女神の加護『高速演算』による魔法詠唱の速度は死霊王にも負けていない。
聖水をケチったフリーダは最初に攻撃魔法『崩壊』を使用するも、周囲の魔素が死霊王によって汚染されており思うように魔力が集まらない。『崩壊』は威力に比例して魔力も多く使うため、周囲の魔素が使えないとなるとコストが高すぎる。
フリーダは泣く泣く自前のトゲバットを内部拡張収納袋から取り出すと(エルフの国技は野球であり、自前のバットを持っているのはエルフにとって常識である)スケルトンウォリアーの胸部を無駄のないスイングで粉砕し、水の精霊に命じて聖水を1滴ずつ露出した魂へ撃ち込んでゆく。
「なかなか器用じゃねーか! あたいの聖水が切れたら魂の処理はたのまあ!」
キーラが聖水を振り切ったトゲバットへ豪快に聖水を注ぐ。いちど濡らせば5体程度は浄化できるが、この分だと後1回注いで終わりだろう。普通の戦いならばスケルトンウォリアーを15体も倒せば十分だが、今回の相手は千体のスケルトンウォリアーである。まだまだ先は長い。
地面にこぼれて行く聖水を、血走った目で精霊に命じ空中で集めるフリーダ。その後ろではモニカがナナシのバットに2リットル分の聖水を丸々振りかけていた。ひと振り10体と思えば安いものともいえるが、全100体でナナシの方も浄化は打ち止めである。
浄化しきれなかった魂は他のスケルトンウォリアーへと憑依し、ツーヘッド、さらにはスリーヘッドスケルトンとなる。その分戦闘力も跳ね上がり、通常の冒険者ならば圧倒的不利になるところだが、ナナシたちの前では焼け石に水である。
魔法戦では防御に徹し、とにかくスケルトンウォリアーを破壊してゆく相手に対し、焦れた死霊王バイロンは肉弾戦を選択する。
命あるものならば近づくだけで生命エネルギーを吸われ死に至る死霊王の『生命力奪取』と直接接触による『死の抱擁』は、通常武器では傷すらつかぬ死霊王の性質と相まって接近戦において恐るべき強さを発揮するのだ。
モニカの展開する『防御壁』を『解呪』で無効化しながら死霊王が襲いかかる。とっさに割り込んだキーラのフルスイングが死霊王の顔面をとらえるも、クリーンヒットした聖水付きのトゲバットは、死霊王の頭部を1ミリたりとも揺らせない。
「今、何かしたか?」
死霊王の地獄から響くような声がキーラの背筋を凍らせる。相対してるだけで体から力が抜けていくようだ。
スッと伸ばされる死霊王の手に、反射的に身を引こうとしたキーラだったが、死霊王からの『硬直』の呪文への抵抗に失敗してしまう。
死霊王の手に腕を掴まれた瞬間、キーラの体から生命エネルギーがごっそりと抜き取られる。キーラはその場にくずおれると、激しく嘔吐した。
死霊相手ならと事前に秋の女神の祝福『生命力強化』を賜っていたおかげで、辛うじてほんのわずかだが抵抗する事が出来た。祝福が無ければ今のキーラといえど即死だったろう。
「ほう、我が『死の抱擁』に耐えるとは特級冒険者の域をはるかに超えているな。貴様らいったい何者だ?」
軽く驚きつつも、とどめを刺そうとキーラに手を伸ばす死霊王にモニカの『雷撃』が直撃する。しかしその魔法は完全に抵抗されてしまい全くダメージを与えられない。
同時にナナシのバットが死霊王の体に叩き込まれる。しかし聖水付きの巨大なトゲバットですら、死霊王の体を止める事が出来ない。
ナナシはとっさにキーラに覆いかぶさり、死霊王の手からキーラを守る。
「愚かな」
死霊王の手がナナシに触れる。『死の抱擁』により、ほとんど無抵抗のままナナシの生命エネルギーが死霊王に吸い取られてゆく。しかしいつまでたってもナナシの生命エネルギーは尽きない。
死霊王の虚ろな眼窩の奥で、炎が驚愕に揺れる。
「馬鹿な……すでに人間千人分は吸い取ったはずだ。なぜ死なない? なぜまだ生命エネルギーが尽きぬのだ!?」
うずくまっていたナナシの手が死霊王の腕をつかむ。霊体の影であるはずの死霊王の腕は、ナナシの手にガッチリと掴まれ振りほどく事が出来ない。
死霊王はあり得ない事態に混乱する。こうしている間にも、掴まれた腕からでさえ生命エネルギーを吸い取っているのだ。なのにこの巨大なオークは死ぬ気配すらない。あり得ぬ。こんなことはあり得ぬ。
ナナシに気を取られていた死霊王の側頭部に、フリーダの拳が叩き込まれる。3メートルのトゲバットですら微動だにしなかった死霊王が、エルフのパンチ1発で頭をのけぞらせる。
「つまりこういう事よ」
フリーダがドヤ顔で死霊王を見る。エネルギー生命体であるエルフは霊体を直接殴る事が可能なのだ。今の接触でエルフのバカ高い魔法抵抗力をもってしても生命エネルギーを半分持っていかれたが、フリーダにとって今の1撃はその価値があった。常識人ぶっていても所詮は舐められたら殺す世界の住人である。
そして、エルフに可能という事は、原初のオークにも可能なのだ。
「小娘が図に乗りおって!」
フリーダに向けて攻撃魔法を放とうとする死霊王に、フリーダは半笑いで忠告する。
「ちゃんと前を見てた方がいいわよ?」
振り向いた死霊王の眼前には、ナナシの巨大な拳が迫っていた。腕を掴まれていてはもはや避ける事もかなわない。とっさに『防御壁』を展開できたのはさすが死霊王と言うべきだろうが、ナナシの絶対筋力の前には全く無意味だった。
次の瞬間、死霊王の霊体はナナシの拳によって爆散した。
新品の服を着たレジオナがトコトコと駆け寄り、ポケットから取り出した翻訳魔道具をナナシに渡してふにゃふにゃと労をねぎらう。
「ナナシたんおつかれ~。いや~、『防御壁』ってつかんで投げられるんだね~。初めて知ったよ~!」
「さっきエネルギー生命体が云々って言ってたから、魔法もエネルギーなら掴めるのかなってやってみたら出来たよ!」
拳を握って嬉しそうに答えるナナシにレジオナが拍手する。褒めて伸ばすタイプである。
「ところで、さっきのエルフは?」
ナナシの問いかけに逡巡するレジオナ。ままよと話せる部分だけ正直に話す事にする。
「アレは~、私たちが捕まえて~~う~~あ~~、……魔王のとこにおくりました!」
結局面倒くさくなって魔王の事を言ってしまう。何事も正直が一番である。
「魔王!? あ~、なんだっけ、エンドローザ―? えっ、じゃあレジオナは魔王の手下で、放逐されたオークキングに捕まってた?」
「魔王のてしたじゃないんだにゃ~。なんていうか、ちょっとフシギないそうろう~? いやいや食客ですしょっかく~!!」
カッコよさ気に言い換えてみても居候は居候である。
「そういえばさっき転生恩寵の事を知ってたし、もしかしてレジオナも……」
ナナシの指摘に、両手をバツの字に組んで首を振るレジオナ。
「ナナシたん! そこから先は禁則事項ですっ。ま~転生者だけどさ~、女の子には色々ひみつがあるんだにゃ~。みんなにはナイショ! ナイショだよ!」
「でも魔王って人間と敵対してるんじゃ?」
「ナナシたんはさ~、まだこの世界に生まれて5日目くらいだから知らないのはしょうがないけど~、魔族とヒューマンにはいろんな歴史があんのよね~」
「単純な善悪じゃ無い?」
「まあね~、前世でもあったでしょ~先住民族のはくがいとかさ~。っていうか、あんまりどっちにも肩入れしたくないんだよね~。私たち基本ノンポリだし~」
レジオナの言葉に、腕組みをして考え込むナナシ。オークとして生まれてしまった自分はどちらの立場に立つべきなのか。判断しようにもあまりにこの世界の事を知らなさすぎる。
悩むナナシにレジオナがふにゃふにゃと笑いかける。
「あはは、ナナシたんまだ悩むにははやすぎるよ~。だって~生まれて5日ってまだあかちゃんじゃん! おまたもまるだしだしさ~」
「あっ!」
レジオナの指摘に慌てて股間を隠すナナシ。スパイダーシルクのふんどしは雷撃で黒焦げ状態である。
「あ~んなこうきゅうひんはさすがに持ってないけど~。あったあった、キャ~ラ~グッ~ズ~」
ポケットからいつもの調子で反物を取り出すレジオナ。それは藍色の綿織物で、『Gファイ! ドライフィーア』の主人公ゴーレム獣王丸とヒロインゴーレム椿姫が様々なポーズで白く染め抜かれたキャラクター商品用の生地であった。
「見本用にもらってたんよ~。綿だけどがまんしてね~」
にこにこと差し出される生地に、ナナシも嫌とは言えない。いかついオークがキャラクター商品のふんどしを締めているのも中々シュールではあるが、凶悪なものをぶらつかせているよりはましだろう。
「あっ、獲物……」
ふんどしを締めなおして、ひと息ついたナナシが重要なことを思い出す。まだ日は高いとはいえ、あんな事があった以上は一旦皆の所に戻るべきだろう。手ぶらなのは仕方がない。
「う~ん、今夜はいそがしくなりそうだし~、魔王城(仮)からかっぱらってくるよ~」
ナナシの頭によじ登ったレジオナが胸を叩いて請け負う。
「魔王城から……大丈夫なのそれ?」
「ふふっ、魔王城(仮)で私たちを阻めるものなどそうそういないんよ! もうすぐ魔王もでかけるし~。怪盗レジオナに盗めぬものはないんだにゃ~!」
「全っ然大丈夫じゃないよねそれ。っていうか、今から魔王城へ?」
「私たちはね~どこにでもいるしどこにもいないんよ! いや、どこにもいないってのはウソだけど~」
「そういえば、さっきも空からふたりいたのがちらっと見えたような」
「ナナシたん目がいい! ムダに!」
そんな他愛もない会話を交わしつつ、ナナシとレジオナは皆の待つ野営地へ帰るのだった。
レジオナがポケットから取り出した牛の腿枝肉の塊は、マドレーヌによってナナシ用の超厚切りステーキ数十枚とレジオナご要望のチーズインハンバーグへと調理された。
チーズの伸び具合を競い合いながらの夕食も終わり、空が夕焼けに染まる頃、レジオナがふにゃふにゃと重大発言をする。
「あのさ~、とある筋からのじょうほうなんだけど~、今夜ね~死霊王のぐんだんがぶりゅっけしゅたっとを襲うんだってさ~」
両手の人差し指をこめかみに当て、難しい顔をして何かを受信しているようなそぶりのレジオナに、キーラが真剣な表情で聞く。
「どこ情報か知らねえけど、その死霊王は今どの辺にいるんだ? まさかもう町を襲ってんじゃねーだろうな」
「いまはね~大森林を抜けて~だーぬびうす川沿いをぶりゅっけしゅたっとに向けて曲がったとこだって~。深夜から明け方に向けてまちにとうちゃくするもよう~」
「大森林を抜けてだと? まさか……神殿跡に埋葬した遺体にちょっかい出してねーだろうな」
「う~ん、それがね~すけるとんうぉりあーの材料にされちゃったみたい~」
夕暮れの野営地に甲高い金属音が響く。キーラの左手の中で鋼鉄製のマグカップがひしゃげていた。普段は食器の扱いに厳しいマドレーヌも黙って自分のカップに視線を落したままである。
キーラが怒りに表情を歪め、絞り出すように言う。
「クソが……ウチらで止めるぞ。仲間の体をぶっ壊すなんてつらい真似は、ウチらだけで十分だ」
「学問としての死霊術の知識体系は重要だけど、仲間の体で実践されるとムカつくわねえ」
モニカもそう言うとカップの中身を飲み干す。腰に差した魔法戦用回転式短杖のシリンダーに込められた魔晶石をチェックすると、予備シリンダーに魔晶石を込め始める。
フリーダは、ナナシのふんどしの残骸から回収したスパイダーシルクの切れ端でバンダナを縫いながらため息をつく。
「大森林にオークだの死霊王だのが我が物顔でのさばってたの、エルフにも責任があるわよねえ。自分たちの庭くらいちゃんと管理しないと」
マドレーヌが料理神の加護である『食糧庫』から金属製の水筒を4本取り出す。2リットル入りのその水筒にまとめて料理神の祝福である『浄化』をかけると、中の水は聖水へと変化する。
「死霊相手ならちっとは効果があんだろうさ。皇帝の分はモニカが持っていきな」
そう言ってマドレーヌが水筒を配っていく。受け取ったフリーダが縫い上げたバンダナを聖水で洗おうか本気で迷っていると、マドレーヌに後頭部をはたかれる。
「聖水で洗いたきゃ死霊王を倒してからにしな! 残ってたら好きに使えばいいさね」
フリーダはバンダナを大切に畳むと、戦いで破れたり無くしたりしないようマドレーヌに預ける。
ナナシはレジオナから鬼切玉宿を受け取ると、鞘についたベルトを肩から斜め掛けにして背負う。それを見たキーラがナナシに助言する。
「スケルトン系の相手にゃ斬撃より粉砕の方が効果あっからよ、棍棒とか鎚矛がありゃあそっちの方がいいな。まあ、おめーのパワーなら関係ねえ気もすっけど」
それを聞いてレジオナがポケットから何やら武器を取り出す。
「ト~ゲ~バッ~ト~!」
ポケットから出て来たそれは、全長3メートルの鋼鉄製のバットの表面にトゲが無数に生えているという凶悪な代物だった。野球協会に飾られている、三本のバットに球を組み合わせたディスプレイの試作品である。この世界の野球がどれほど凶悪かうかがい知れよう。
なお実際の試合では魔力を通しやすい素材で出来た普通のバットが主流であり、トゲバットは乱闘以外で使用される事はない。
その雄々しくそそり立つバットにキーラの目が輝く。
「おいレジオナ! あんだろヒューマン用のも! ほら、早く!」
「も~、キーラちん私たちがなんでも持ってると思ってるよね~。ま~あるけどさ~」
そう言ってレジオナがポケットから鋼鉄製のトゲバットを取り出す。長さ85センチの乱闘用である。
キーラはそれを受け取ると、左手1本で数回素振りをする。最後に手首だけでくるくるとバットを振り回し、すとんと肩口に乗せる。トゲは先端から3分の2あたりまで生えており、肩に担いで構える分には問題ないように出来ている。
「よーし、ちょっくら借りとくぜ。壊れたら後で弁償すっから」
「いいよいいよ~、あげるからさ~、私たちの分までぶん殴ってきてね~」
「ああ、まかせとけ。死霊王の野郎ボッコボコにしてやるからな!」
全員の準備が整ったのを見て、ナナシが言う。
「それじゃあ、行ってきます」
トゲバットを右肩に担いだナナシの左腕と肩にそれぞれモニカとキーラが座り、フリーダは走るナナシの横を飛んで追従する。
「朝飯までには帰るんだよ!」
マドレーヌの声にキーラが片手をあげて答える。レジオナも両手をぶんぶんと振って出撃する4人を見送るのであった。
星が瞬き始めた夜空の下、川べりを千体のスケルトンウォリアーが行軍していた。人型と魔獣型が混在するその軍団の先頭を、豪華な法衣をまとった上半身だけの骸骨が滑るように浮遊する。死霊王バイロン・ベイリーである。
真紅の法衣が翻るその周りでは、草や虫、小動物たちが生命を吸われ死んでゆく。軍団が通ってきた後には黒々とした死の道が続いていた。
その軍団の後を、音も無く追う赤毛の狼が1頭。死霊王バイロンは時たまそちらを振返り、忌々しげに眼窩の奥の炎を揺らめかせる。大森林の中から追跡されているのは気付いていたが、森を抜けてからは姿を隠しもせず堂々と後を追ってくる。
死霊王バイロンは狼に向かって『雷撃』を放つ。しかしその『雷撃』は赤い毛並を放電で明るく彩るものの、そのまま地面へと流れ痛痒を与えない。高度な抵抗か、あるいは雷耐性を持っているのだろう。
「何者の使い魔か知らんが、これだけ強力な使い魔を従えながらただ追跡しているだけとは。王都あたりで迎撃態勢を整えておるのか?」
死霊王バイロンは考えを巡らせるも、答えは出ない。ブリュッケシュタットに勇者でもいるなら少々厄介だが、特級冒険者程度ならばいい死霊兵の素材でしかない。
「まずはひと当て様子を見てみるか」
そうつぶやくと、死霊王バイロンは追ってくる狼を無視して行軍を続ける。あと3時間もすればブリュッケシュタットに到着するだろう。
その時、川の方から風切り音と共に何か巨大なものが軍団の中央へと飛来した。
その巨大なオークはスケルトンウォリアーを数体踏み潰しながら着地すると、手に持った凶悪な鉄の棒をひと薙ぎする。トゲに覆われた長さ3メートルの鋼鉄がスケルトンウォリアーを10体粉々に粉砕し、その表面を濡らす聖水によって憑代を失った魂を次々に浄化してゆく。
さらに踏み込みながら、振り切ったその鉄の棒を逆側にもうひと薙ぎ。それだけで合計20体のスケルトンウォリアーが粉砕、浄化されてしまう。
「何事だ!?」
突然の事態に死霊王は上空へと浮遊し相手を見極めようとする。軍団の中心では4メートルの巨体を持つオークと、人間の女らしき冒険者が3人、手当り次第にスケルトンウォリアーを破壊していた。
ほんの一瞬で50体以上のスケルトンウォリアーが粉砕、浄化されている。実に損耗率5パーセント。こんな短時間に失っていい数ではない。
「ふざけるなあああ!」
死霊王バイロン・ベイリーは激昂して叫びながら、突如乱入してきた不埒者どもに向けて『爆炎』を叩き込んだ。
「おらあああああ!」
キーラは雄叫びを上げながら、左手1本でトゲバットをフルスイングする。狙うは肋骨に守られた体幹部分である。
美しいフォームから繰り出されたトゲバットはスケルトンウォリアーの肋骨、胸骨、脊椎をジャストミートし粉々に粉砕する。そして飛び散る聖水が呪縛された魂を浄化してゆく。
スケルトンウォリアーは多少のダメージや骨の欠損ならば、他のスケルトンと部品を共有して補うことができる。また少々頭蓋骨を叩き割った所で、頭が割れたスケルトンウォリアーになるだけである。
しかし体幹部分が欠損してしまうと、手足だけでは体を構成することができない。2体分の体幹部品を共有して1体のスケルトンとなるか、魂がふたつ残っているならば2頭4臂のツーヘッドスケルトンになる事もある。
すなわち、スケルトンウォリアーを行動不能にするには、体幹部品を粉砕するのが最も効果的なのである。さらに憑代を失った魂は、少量の聖水でも容易に浄化される。聖水付きトゲバットはまさに理想的な対スケルトン武器であった。
星明りの下、暗闇を見通せるナナシとフリーダ、メガネの視覚補正で暗視可能なモニカ、そして身体強化により星の光程度でも周りがはっきりと見えるキーラは次々とスケルトンウォリアーを破壊してゆく。
暗闇の中、突如上空から巨大な火の玉がナナシたちを襲う。しかしその火の玉はあらかじめ展開されていたモニカの『防御壁』と相殺し散逸する。さらに2発、3発と『爆炎』が降り注ぐも、モニカの回転式短杖を使った『防御壁』の連続展開によって相殺されてゆく。知識の女神の加護『高速演算』による魔法詠唱の速度は死霊王にも負けていない。
聖水をケチったフリーダは最初に攻撃魔法『崩壊』を使用するも、周囲の魔素が死霊王によって汚染されており思うように魔力が集まらない。『崩壊』は威力に比例して魔力も多く使うため、周囲の魔素が使えないとなるとコストが高すぎる。
フリーダは泣く泣く自前のトゲバットを内部拡張収納袋から取り出すと(エルフの国技は野球であり、自前のバットを持っているのはエルフにとって常識である)スケルトンウォリアーの胸部を無駄のないスイングで粉砕し、水の精霊に命じて聖水を1滴ずつ露出した魂へ撃ち込んでゆく。
「なかなか器用じゃねーか! あたいの聖水が切れたら魂の処理はたのまあ!」
キーラが聖水を振り切ったトゲバットへ豪快に聖水を注ぐ。いちど濡らせば5体程度は浄化できるが、この分だと後1回注いで終わりだろう。普通の戦いならばスケルトンウォリアーを15体も倒せば十分だが、今回の相手は千体のスケルトンウォリアーである。まだまだ先は長い。
地面にこぼれて行く聖水を、血走った目で精霊に命じ空中で集めるフリーダ。その後ろではモニカがナナシのバットに2リットル分の聖水を丸々振りかけていた。ひと振り10体と思えば安いものともいえるが、全100体でナナシの方も浄化は打ち止めである。
浄化しきれなかった魂は他のスケルトンウォリアーへと憑依し、ツーヘッド、さらにはスリーヘッドスケルトンとなる。その分戦闘力も跳ね上がり、通常の冒険者ならば圧倒的不利になるところだが、ナナシたちの前では焼け石に水である。
魔法戦では防御に徹し、とにかくスケルトンウォリアーを破壊してゆく相手に対し、焦れた死霊王バイロンは肉弾戦を選択する。
命あるものならば近づくだけで生命エネルギーを吸われ死に至る死霊王の『生命力奪取』と直接接触による『死の抱擁』は、通常武器では傷すらつかぬ死霊王の性質と相まって接近戦において恐るべき強さを発揮するのだ。
モニカの展開する『防御壁』を『解呪』で無効化しながら死霊王が襲いかかる。とっさに割り込んだキーラのフルスイングが死霊王の顔面をとらえるも、クリーンヒットした聖水付きのトゲバットは、死霊王の頭部を1ミリたりとも揺らせない。
「今、何かしたか?」
死霊王の地獄から響くような声がキーラの背筋を凍らせる。相対してるだけで体から力が抜けていくようだ。
スッと伸ばされる死霊王の手に、反射的に身を引こうとしたキーラだったが、死霊王からの『硬直』の呪文への抵抗に失敗してしまう。
死霊王の手に腕を掴まれた瞬間、キーラの体から生命エネルギーがごっそりと抜き取られる。キーラはその場にくずおれると、激しく嘔吐した。
死霊相手ならと事前に秋の女神の祝福『生命力強化』を賜っていたおかげで、辛うじてほんのわずかだが抵抗する事が出来た。祝福が無ければ今のキーラといえど即死だったろう。
「ほう、我が『死の抱擁』に耐えるとは特級冒険者の域をはるかに超えているな。貴様らいったい何者だ?」
軽く驚きつつも、とどめを刺そうとキーラに手を伸ばす死霊王にモニカの『雷撃』が直撃する。しかしその魔法は完全に抵抗されてしまい全くダメージを与えられない。
同時にナナシのバットが死霊王の体に叩き込まれる。しかし聖水付きの巨大なトゲバットですら、死霊王の体を止める事が出来ない。
ナナシはとっさにキーラに覆いかぶさり、死霊王の手からキーラを守る。
「愚かな」
死霊王の手がナナシに触れる。『死の抱擁』により、ほとんど無抵抗のままナナシの生命エネルギーが死霊王に吸い取られてゆく。しかしいつまでたってもナナシの生命エネルギーは尽きない。
死霊王の虚ろな眼窩の奥で、炎が驚愕に揺れる。
「馬鹿な……すでに人間千人分は吸い取ったはずだ。なぜ死なない? なぜまだ生命エネルギーが尽きぬのだ!?」
うずくまっていたナナシの手が死霊王の腕をつかむ。霊体の影であるはずの死霊王の腕は、ナナシの手にガッチリと掴まれ振りほどく事が出来ない。
死霊王はあり得ない事態に混乱する。こうしている間にも、掴まれた腕からでさえ生命エネルギーを吸い取っているのだ。なのにこの巨大なオークは死ぬ気配すらない。あり得ぬ。こんなことはあり得ぬ。
ナナシに気を取られていた死霊王の側頭部に、フリーダの拳が叩き込まれる。3メートルのトゲバットですら微動だにしなかった死霊王が、エルフのパンチ1発で頭をのけぞらせる。
「つまりこういう事よ」
フリーダがドヤ顔で死霊王を見る。エネルギー生命体であるエルフは霊体を直接殴る事が可能なのだ。今の接触でエルフのバカ高い魔法抵抗力をもってしても生命エネルギーを半分持っていかれたが、フリーダにとって今の1撃はその価値があった。常識人ぶっていても所詮は舐められたら殺す世界の住人である。
そして、エルフに可能という事は、原初のオークにも可能なのだ。
「小娘が図に乗りおって!」
フリーダに向けて攻撃魔法を放とうとする死霊王に、フリーダは半笑いで忠告する。
「ちゃんと前を見てた方がいいわよ?」
振り向いた死霊王の眼前には、ナナシの巨大な拳が迫っていた。腕を掴まれていてはもはや避ける事もかなわない。とっさに『防御壁』を展開できたのはさすが死霊王と言うべきだろうが、ナナシの絶対筋力の前には全く無意味だった。
次の瞬間、死霊王の霊体はナナシの拳によって爆散した。
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