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第二章 王と皇帝

狂騒

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 夜空に響き渡るオークの叫び声は、怒声や悲鳴も混じっているものの、その大半は歓声だった。
 オークは結局の所、強い者が群れを統べる種族である。ましてや王を皇帝が下したのならば、皇帝に従うのに何の問題もない。
 だが、。モニカは足音を忍ばせ、熱狂しているオークたちの後ろに回り込む。まだオークどもは70体も残っている。大半がオークウォリアーとはいえ、ナイトも十数体いるし、何よりオークジェネラルがまだ生きているではないか。
 オークキングが早々に一騎打ちを選択した事が、結果として群れの被害を最小限に食い止めていた。そうはいくか。お前たちにはもっともっと踊ってもらわねば。モニカは知識の女神の加護『高速演算』を使い、無詠唱で火球を撃つ。そして着弾と同時に悲鳴を上げた。
「いやあああああ! 助けてえええええ!」
 皇帝が振り向くのが見えた。視線の先にはオークメイジが映り込むはず。
 さあ踊れ。


 死闘の余韻に茫然と立ち尽くすナナシの背中へ火球が着弾する。我に返ったナナシは火球の飛んで来た方へ振り向き、杖を持ったオークと目が合う。あれは確かオークメイジ。まだ戦いは終わっていない。
 ナナシはここがオークの巣窟である事を思いだす。さっきまでは耳に入っていなかったオークたちの怒号が空気を震わせている。オークメイジの後ろでは、メガネ姿の女が恐怖に顔を歪ませるのが見えた。
「危ない!」
 ナナシは砕けた石畳のかけらを拾うと、オークメイジに投げつける。かけらとはいえ50センチほどもある石の塊は、とっさに展開された防御壁をあっさりと破壊しオークメイジの頭部を跡形もなく粉砕する。
 その瞬間、ナナシは女の顔にゾッとするような笑みが浮かぶのを見たような気がした。
 しかしそれもナナシに向かって殺到するオークたちにまぎれ、すぐに見えなくなってしまう。オークたちの目は真っ赤に充血し、口の端からよだれを垂らしたり泡を吹いている者もいて、ほとんど狂乱状態といった様相でナナシに襲い掛かる。
 ナナシにとって、いくら数が多かろうとオークナイトやオークウォリアーなどなんの脅威にもならない。それよりもさっきの女性のようにオークたちの中に囚われた女たちが紛れていたら、うかつに攻撃を加えれば巻き込んでしまうかもしれないという心配があった。
 ナナシは石柱に食い込んだままの鬼切玉宿をすらりと引き抜くと、オークたちの首から上を薙ぎ払う。オークウォリアーでも身長2.5メートルはある。首から上への攻撃ならば女たちに当たる心配もない。後は衝撃波を出さない程度かつ相手に避けられない程度の剣速を慎重に見極めるだけである。
 もはやそういった作業のごとく、右へ左へ丁寧に剣をふるうナナシであった。


「モニカちんえげつねぇ~~~~! 汚い、さすが人間汚い!」
 レジオナが両手で肩を抱きしめ身震いする。
 王と皇帝の決着がついた後、場の空気は完全にオークたちが皇帝に服従し、新たな長へと祭り上げる流れだった。それをモニカが火球一発で完全に消し飛ばしたのだ。
 さらにモニカは熱狂状態を利用して『狂暴化』バーサークを範囲化し後ろの方のオーク20体にかけている。『狂暴化』は強化魔法であり、かけられている事に気が付かないと非常に抵抗しづらい。結果、オークたちはナナシへの恐怖心が消え去り、暴力への欲求のまま襲い掛かる事となった。
 オークは群れの習性として集団行動に流されやすいという特徴を持つ。後方の20体が群れを押し上げながら突進すれば、その気が無かった個体も攻撃に加わってしまう。ましてや極度の興奮状態にあったオークたちは何の疑問も持たず流されるままナナシに襲い掛かり、次々に首を落とされてゆく。
「あんなふうに味方を利用するのって~、キーラちん的にはどうなの~?」
「まだ味方とは決まってねえだろ、しょせんはオークなんだしよ。けどよ……まあ、あんなのはあたいの流儀じゃあねえな」
「まだ味方扱いしてもらえないとかナナシたんカワイソス~。でも~キーラちんの流儀は見てみたいにゃあ」
「まあ、そん時が来たらな」
 キーラはそう答え、ナナシの振るう剣を凝視する。一振りごとにオークたちの首がころりころりと落ちていく様に、キーラの背筋を冷や汗が流れた。
「なんだありゃ、気持ち悪りぃ剣筋だな」
 一言でいえば戦いの剣筋ではない。早すぎず遅すぎず、まるで野菜でも刻むかのような正確で丁寧な動き。オークの生き死にに何の興味もなく、ただ作業として反復されているかのような剣の動きである。しかも恐ろしい事に、キーラにはそれを全く避けられる気がしないのだ。
 速度は目で追えている。体も反応するだろう。しかし最終的にどう動こうが剣は首筋に吸い込まれ、ころりと首が落ちる。そう思わせる何かがその動きにはあった。
 やがて、戦況を見つめるふたりの元へモニカが帰還する。
「くっくっくっ、しょせんはオーク、人間様の叡智にかかればこんなものよ」
 悪い笑みを浮かべてそんなセリフを口にしている。
「おめーなぁ、そんなんだから残念だのなんだの言われんだよ」
 キーラが呆れたように突っ込む。
「モニカちんのねらい通りにいきそう~?」
 レジオナの問いにモニカが真面目な顔になり、メガネに手を当て戦いの様子を見やる。
「オークジェネラルに『狂暴化』を抵抗レジストされたのが痛いわね。あれだけは倒しておきたかったけど残念。ウォリアーとかナイト、メイジはひっくるめて半分には減らせると思うけど、その後はどうなるか」
 キーラがふと疑問を抱く。
「オークジェネラルに抵抗されたんなら、術者がおめーだって気付いたはずだろ。なんで襲ってこなかったんだ?」
「たぶん、私に構うと皇帝に攻撃される可能性が高いと思ったんでしょうね、オークのくせに。あのオークジェネラル結構頭が切れそうよ、オークのくせに。今もこの場を収める方法を考えてるはず、オークのくせに」
「そんなに抵抗されたのが悔しかったのかよ……」
「ベっ、別に悔しくなんかないんだからねっ! あんなのちょっと運が良かっただけよ!」
「モニカちんあざといにゃ~。でもそゆとこきらいじゃないにょ~」
 レジオナにそう言われ少し赤面するモニカ。ちょっとノリすぎた自覚はある。とはいえオークジェネラルを残してしまったのはいかにも失敗だった。甘く見ていたつもりはなかったが、いっそ神聖干渉を使ってでも抵抗を完全に無効化するべきだったと今更ながら思う。どんな抵抗判定セービングスローにも完全成功クリティカルは発生しうるのだ。
 モニカはオークジェネラルの動きを注視しながら、次善の一手を考え続ける。


 まるで儀式のようにオークの首が落ちてゆく異様な光景の中、オークジェネラルのウォークライが響き渡った。その瞬間、オークたちの『狂暴化』は無効化されオークジェネラルによる統率が回復する。
 獣の狂気が兵士の狂気によって上書きされたのである。
「下がれ! 防御態勢!」
 オークジェネラルは命令を発しながらナナシへと突撃した。ナナシはオークジェネラルに斬撃を向けるものの、衝撃波を生まないようにという心理的制約が剣速を鈍らせる。その一瞬の遅滞がオークジェネラルの踏み込みを一歩許してしまう。
 オークジェネラルはナナシに密着すると、両手でナナシの肘と手首を制しながら腕の振りを受け止める。いくらか加減されているナナシの怪力はオークジェネラルの技と膂力によって相殺され、オークジェネラルは石畳を削りながらも踏みとどまった。
 ナナシは躊躇なく鬼切玉宿を大上段に振りかぶり、オークジェネラルを両断しようとする。しかし、オークジェネラルがとった行動はナナシの予想を超えるものだった。
 オークジェネラルはその場に片膝をつくと首を差し出すかのように頭を垂れ、ナナシに奏上する。
「皇帝陛下! 我ら一同陛下に降伏し恭順いたします! どうか剣をお納め下さいますよう!」
 続いて全てのオークが同様に跪き、喧騒がぴたりと止んだ。静寂が神殿跡を支配する。そしてナナシの剣がオークジェネラルに振り下ろされる事は無かった。


 ナナシは夢から覚めたように剣をゆっくり脇に下ろすと辺りを見回した。首のないオークの死体が累々と横たわっている。それまで何の感慨もなかった死の臭いが突然意識され、ナナシは自分の行為にゾッと背筋が寒くなる。
 単に力に溺れたというわけでもない。死に対する感覚が麻痺していたと言うべきか。ナナシは転生前の自分と今の自分は決定的に何かが違ってしまったと痛感した。もしまた戦いが起これば、自分は同じように躊躇なく相手を殺すだろう。
 だが、それでもこのもやもやとした気持ちを忘れないでおこうとナナシは思った。
 そして、今は悩むよりもまずやらなければならない事がある。ナナシは自分の前に跪くオークジェネラルを見下ろした。殺しまくったとはいえまだオークたちは30体ほど残っている。
 ナナシは一旦落ち着こうと玉座に向かうが、そこはオークキングだったモノで血化粧されておりとても座る気になれない。仕方なく立ったまま鬼切玉宿を体の前で地面に突き立て、その柄頭に両手を置いて威厳を演出する。
 この場を収めるためには皇帝として振舞うべきだろう。ナナシは緊張しながらオークジェネラルに告げた。
「許す、面を上げよ」
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