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第一章 転生
名無し
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彼は4メートルの巨体を軽快にジャンプさせながら、森の上空を移動していた。
一度の跳躍で高さ200メートル、水平方向には1キロメートルもの移動を、時速360キロメートルで繰り返していると、なんだか空を飛んでいるような気分になってくる。
「空気を踏み台にして二段ジャンプしたらホントに飛べそうだよな」
そんな事をふと思いつき、跳躍の頂点でもう一度足を踏ん張った瞬間、ちょっと体が浮くのを感じてしまった彼はあわてて自重する。
「いやいやいや、ありえないからそういうの!」
しかし好奇心には抗えず、次の跳躍で本気の二段ジャンプを試みる。
足の裏が空気というより空間そのものを踏みしめるような感覚と共に、跳躍の頂点からさらに斜め前への加速が発生する。それと同時に足の裏の空間で爆発が起きた。
「断熱圧縮と爆発……? いくらファンタジー世界だからってあるのか? いやいや、これは観測された事実なんだよ! 気にしたら負けだ!」
オークの語彙に無い言葉は日本語をそのまま使えば良いという開き直りから、カタカナ言葉で喋るどこかのコンサルタントのように、もはやオークにすら理解不能な日本式オーク語で呟きながら、彼は空中を疾走する。
やがて森の終わりが見えてきた頃、時速500キロメートルを超えて進む彼の耳に、風切り音に交じってほんのかすかに怒声や悲鳴が聞こえた気がした。
ふと音の方を見やると、何か燃えているのか、街道らしき開けた場所にかなりの黒煙が上がっている。
もしも火事でも起きているのなら、今の自分なら何らかの助けになるだろうと、彼は空中で方向転換を行う。風の抵抗の受け方を変えると、面白いように旋廻できた。その感覚にちょっと楽しくなってしまい、いやいやそんな場合じゃないと頭を振って前方に目を凝らす。
黒煙の上がっている場所へ達するまでの十数秒の間に、彼の驚異的な視力は人影が戦っている様子を捉える。所々で爆発や魔法のような輝きも見えた。
転生してから、彼の眼は単に視力が良いというだけでなく、人間の可視域を超えた電磁波やエネルギーの流れまで見えるようになっていた。転生直後からその視界だったため、すでに違和感は無くなっており、人間だった頃に世界がどう見えていたかを想像するのももはや難しい程である。
その戦場でひときわ大きなエネルギーが2箇所に集まっていた。
近づくにつれ、そのうちの片方は巨大なオークと小柄な少女だとわかる。しかもオークの前で少女が服を脱いでいるではないか。彼の脳裏に(オーク+少女)×戦場=凌辱という計算式が閃いた瞬間、その巨大なオークに向けて、彼は空中から秒速140メートルのドロップキックを見舞っていた。
ロジーナ姫が、バウンドしながらはるか彼方へ吹き飛んでゆくオークキャプテンを呆然と見送っていると、オークキャプテンを吹っ飛ばしたその巨大な何かは空中で一回転し、ふわりと姫の前に着地した。
振り向いたロジーナ姫の目にまず飛び込んできたのは、先ほどのオークキャプテンの物が爪楊枝に思えるくらい巨大な一物だった。だらりと垂れさがったそれは、ロジーナ姫の胴体をも上回るサイズである。元気になった時の大きさなど想像するのも恐ろしい。
「大丈夫かい?」
頭上から野太い声をかけられ我に返ったロジーナ姫は、声の主を見ようと視線を上げるが、あまりの大きさによろよろと後ずさってしまう。そうしてようやく、それが4メートル程もある超巨大なオークだと認識した。
「なんじゃこれは……もはやどこぞの装甲騎兵? なみのデカさなんじゃが……」
ロジーナ姫が見上げていると、そのオークは顔をそらしながら慌てたように手をパタパタと振りながら、
「はっ、早く服を着た方がいいよ!」と言った。
ロジーナ姫は一瞬、眼前の巨大で凶悪な全裸のオークと、そのオークに言われた内容が結びつかず目を瞬かせ、やがて盛大に噴出した。
「ぶははっ! おっ、オークが女に服を着ろじゃと! ふつうオークは服を脱がすもんじゃろ!?」
そう言って腰に手を当てると、薄い胸をつんとそらして仁王立ちする。
「いやいやいや、そういうのいいから! 目のやり場に困るし。セクハラ! セクハラです!」
「セクハラじゃとう……? おぬし、名はなんという?」
未だこの世界には存在しないセクハラという概念が、オークの口から飛び出した事に違和感を覚えたロジーナ姫は、彼に名を訪ねる。
「名前は……わからない。覚えてないんで」
「ふうむふむ。覚えてないか……ならばよし、わらわがおぬしに名を授けてくれよう。感謝するがよい」
「えっ……それは……ありがとう?」
「そうじゃのう、名が無いならナナシと名乗るがよい!」
「ええっ!? ……それはちょっと……」
「なあに、礼には及ばぬぞ! ナナシよ、特別にこの場を守護する名誉を与える! いらんオークどもが寄ってきたらブッ飛ばしておくがよい!」
そう言い放つと、ロジーナ姫は踵を返し、カレンとアヤメが治療中の荷馬車へと歩き出す。おろおろと様子をうかがっていた守護騎士たちが、脱ぎ捨ててあったドレスを拾い上げロジーナ姫に追従する。
「あっ、あの、貴女はいったい?」
ナナシの問いかけにロジーナ姫は肩越しに振返り、告げる。
「わらわはジルバラント王国第二王女、ロジーナ・フォン・ルートヴィヒ! 歌って踊れるのじゃロリ姫なるぞ! ナナシよ、おぬしにはわらわを救った褒美として、ロジーナ姫と呼ぶことを許す!」
ロジーナ姫はとりあえず下着とドレスを適当に身に着けると、カレンとアヤメの様子を確かめる。
「アヤメよ、具合はどうじゃ」
「私の肩は回復薬とフレディ殿の治癒魔法でなんとかなりましたが、カレンは手持ちの方法では手の施しようがありません」
横たえられたカレンの両腕は無残に捻じくれたままであり、筋肉は断裂し骨も粉々に粉砕している。腰から下はピクリとも動かない。
「姫様……」
ロジーナ姫の匂いをかいで、カレンが意識を取り戻す。ロジーナ姫の金髪を愛でようと腕を動かそうとするが、ぐにゃりとした腕は全く反応しない。
そこへマーティンの治療を終えたフレディがやってくる。
「すみませんな、王女殿下。我々もマーティンの治療に精一杯の有様で」
「なに、気にすることはないぞフレディよ。貴重な魔法をアヤメに使うてくれたこと礼を言う。マーティンは無事であるか?」
「はっ、一命は取りとめました。全く、よく生きていたものですよ。なんとか近くの街までは持つでしょう」
「それは何より。こちらはわらわに任せて、体勢を立て直すがよい」
それを聞いてフレディは、少し離れた場所であたりを睥睨する巨大なオークをちらりと見て、問いかける。
「王女殿下、オークキャプテンを一撃で吹き飛ばしたように見えたあのオークと何やら話しておられたようですが、一体あれは何なのですか? あれほど巨大なオークは見たことも聞いたこともありません。そもそも、あれは我々をどうするつもりなのでしょうか?」
「ああ、安心するがよい。あのオーク、わらわを見てなんと言ったと思う?」
「さあ、オークの考える事と言えば口に出すのもはばかられる様な事かと」
「ところがあやつ、わらわに服を着ろとぬかしよった! オークが! 服を着ろと! あれはオークであってオークではない何者かじゃ。わらわがナナシと名付けてやったゆえ、しばらくはわらわに従うじゃろう。見た目に反して押しに弱そうじゃからの」
色々と説明が面倒だと思ったロジーナ姫は、とりあえず名付けを持ち出して、暗に使役したことを匂わせる。実際には何の主従関係も発生していないが、神や魔法が実在するこの世界の住人にとって、名付けは場合によって重要な意味を持つ。
「それは……とりあえずは味方という事でしょうか」
「うむ、そう認識するがよい。ともあれ、ナナシ以外のオークどもを追い払うのが先決じゃ」
「それでは、仰せのままに」
フレディはそう答えるとロジーナ姫に一礼し、冒険者たちの方へ戻ってゆく。
アヤメは、フレディが十分離れるのを確認して、ロジーナ姫に小さな声で話しかけた。
「オークであってオークでない……姫様はあの者が『王の試練』の鍵だとお考えですか」
ロジーナ姫がニヤリと笑ってアヤメに指示を出す。
「ナナシの様子を録画しておくのじゃ。急げ」
アヤメがナナシに目線を送ると、録画魔道具を装備した蜘蛛が二匹、音もなく移動してゆく。それを見送り、ロジーナ姫は話を続ける。
「あやつ、十中八九転生者じゃな。わらわは技能で聞き取れてしまうゆえ日本語という確証はないが、セクハラなどとのたまいおった」
「日本語……姫様の同郷人がオークに転生したのですか。確かに『王の試練』でもなければ、姫様が友好的に出会える可能性は考えられませんね」
「ナナシに助けられたことで、此度の『王の試練』は達成じゃろ。わらわの存在力もマシマシになっておるはず。神聖干渉『蘇生』を使うぞ」
死者をも蘇えらせる奇蹟『蘇生』は、春の女神の大司教でなければ祈念すら届かぬ神聖干渉である。
ロジーナ姫はかつて『王の試練』により春の女神の特別な寵愛を受けることとなった。そのため、正式な位階こそ持たぬものの、大司教と同じレベルの恩寵を賜ることができる。
「……『再生』でよろしいのではありませんか?」
「カレンはさっき、あの大怪我を『再生』で治しとるからのう。もう一回はさすがに無理じゃろ」
通常の祝福である『再生』は無から有を作り出すことはできない。欠損した部位が再生した分、体内の栄養素が消費されてしまうのだ。カレンは怪我や骨折の治癒に加え、かなりの量の内臓を再生してしまった。それに加え、肉体の限界を超えた力を使っている。もはや『再生』に耐えるだけの余力は残っていないだろう。
しかし、真なる神の力の顕現である神聖干渉『蘇生』は、無から有を生み出す。
『蘇生』はその名の通り死者を蘇生する奇蹟であるが、その前段階として身体の完全なる修復が行われる。対象者の体がほんの一部でも残っていれば、残りの部分は一瞬にして再構築されるのだ。過去には指1本から蘇生した記録も存在する。
ロジーナ姫は、『蘇生』の修復作用によってカレンの体を回復させようというのである。
ただし、『蘇生』には、難易度を上げる要素として蘇生対象の存在力がある。死する運命を覆す事は、対象の存在力(=世界への影響力)が高ければ高い程困難になる。一般市民と勇者では、『蘇生』に必要なエネルギーに大きな差があり、祈念者が消費することになる存在力もそれに比例して大きくなってゆく。
それゆえロジーナ姫は、『王の試練』を乗り越え、自身の存在力が高まった今を好機ととらえたのだ。
「ほれ、アヤメよ、おぬしもさっさとカレンの横に並ぶのじゃ」
「姫様、私はもう大丈夫ですが……」
「何を言うておる。蜘蛛の足がちぎれたままではないか」
「これは2回も脱皮すれば元通りに生えますので」
「脱皮なぞ早くても3ヶ月から半年に1回じゃろが。その間にまた『王の試練』でも始まったらどうする。お主の足4本で掴める運命もあるじゃろ。ぐだぐだ言っとらんで早う並べ」
「はっ、それでは謹んで奇蹟を賜ります」
アヤメはそう言ってカレンの枕元に正座し、カレンの乱れた髪をそっと梳いた。見下ろしたカレンの表情は、ロジーナ姫の奇蹟をその身に受けられる喜びから、とろとろに蕩け切っていた。とても今にも死にそうな人間の表情ではない。
「では行くぞ。春の女神フワレヤよ、わが祈りを聞き届けたもう」
ロジーナ姫の口から歌うように滔々と祈念の言葉が流れ出す。しかし実際には神聖干渉に複雑な呪文は必要ない。これは完全に『姫様うきうき半生放送』用の過剰演出である。録画もロングショット、ティルトアップ、バストアップと完璧な布陣だ。
15秒ほどの祈念が終わると同時に、天空からまばゆい光の柱がカレンとアヤメに降り注ぎ、一瞬にして二人の体を修復する。
次の瞬間、神速ではね起きたカレンがロジーナ姫に抱き着こうとするのを、アヤメが蜘蛛糸縛りで拘束する。糸でぐるぐる巻きにされたカレンがロジーナ姫に哀願する。
「ひっ、姫様ぁ~~! 姫様成分を補充しないと私、蘇生しきれません~~!」
ロジーナ姫は、カレンの涙と鼻水でぐちゃぐちゃな笑顔を見ながら、この顔はさすがにモザイクをかけるべきかと悩む。
「わらわに抱き着きたくば、まずその鼻水だけでもなんとかせい。マジで」
一度の跳躍で高さ200メートル、水平方向には1キロメートルもの移動を、時速360キロメートルで繰り返していると、なんだか空を飛んでいるような気分になってくる。
「空気を踏み台にして二段ジャンプしたらホントに飛べそうだよな」
そんな事をふと思いつき、跳躍の頂点でもう一度足を踏ん張った瞬間、ちょっと体が浮くのを感じてしまった彼はあわてて自重する。
「いやいやいや、ありえないからそういうの!」
しかし好奇心には抗えず、次の跳躍で本気の二段ジャンプを試みる。
足の裏が空気というより空間そのものを踏みしめるような感覚と共に、跳躍の頂点からさらに斜め前への加速が発生する。それと同時に足の裏の空間で爆発が起きた。
「断熱圧縮と爆発……? いくらファンタジー世界だからってあるのか? いやいや、これは観測された事実なんだよ! 気にしたら負けだ!」
オークの語彙に無い言葉は日本語をそのまま使えば良いという開き直りから、カタカナ言葉で喋るどこかのコンサルタントのように、もはやオークにすら理解不能な日本式オーク語で呟きながら、彼は空中を疾走する。
やがて森の終わりが見えてきた頃、時速500キロメートルを超えて進む彼の耳に、風切り音に交じってほんのかすかに怒声や悲鳴が聞こえた気がした。
ふと音の方を見やると、何か燃えているのか、街道らしき開けた場所にかなりの黒煙が上がっている。
もしも火事でも起きているのなら、今の自分なら何らかの助けになるだろうと、彼は空中で方向転換を行う。風の抵抗の受け方を変えると、面白いように旋廻できた。その感覚にちょっと楽しくなってしまい、いやいやそんな場合じゃないと頭を振って前方に目を凝らす。
黒煙の上がっている場所へ達するまでの十数秒の間に、彼の驚異的な視力は人影が戦っている様子を捉える。所々で爆発や魔法のような輝きも見えた。
転生してから、彼の眼は単に視力が良いというだけでなく、人間の可視域を超えた電磁波やエネルギーの流れまで見えるようになっていた。転生直後からその視界だったため、すでに違和感は無くなっており、人間だった頃に世界がどう見えていたかを想像するのももはや難しい程である。
その戦場でひときわ大きなエネルギーが2箇所に集まっていた。
近づくにつれ、そのうちの片方は巨大なオークと小柄な少女だとわかる。しかもオークの前で少女が服を脱いでいるではないか。彼の脳裏に(オーク+少女)×戦場=凌辱という計算式が閃いた瞬間、その巨大なオークに向けて、彼は空中から秒速140メートルのドロップキックを見舞っていた。
ロジーナ姫が、バウンドしながらはるか彼方へ吹き飛んでゆくオークキャプテンを呆然と見送っていると、オークキャプテンを吹っ飛ばしたその巨大な何かは空中で一回転し、ふわりと姫の前に着地した。
振り向いたロジーナ姫の目にまず飛び込んできたのは、先ほどのオークキャプテンの物が爪楊枝に思えるくらい巨大な一物だった。だらりと垂れさがったそれは、ロジーナ姫の胴体をも上回るサイズである。元気になった時の大きさなど想像するのも恐ろしい。
「大丈夫かい?」
頭上から野太い声をかけられ我に返ったロジーナ姫は、声の主を見ようと視線を上げるが、あまりの大きさによろよろと後ずさってしまう。そうしてようやく、それが4メートル程もある超巨大なオークだと認識した。
「なんじゃこれは……もはやどこぞの装甲騎兵? なみのデカさなんじゃが……」
ロジーナ姫が見上げていると、そのオークは顔をそらしながら慌てたように手をパタパタと振りながら、
「はっ、早く服を着た方がいいよ!」と言った。
ロジーナ姫は一瞬、眼前の巨大で凶悪な全裸のオークと、そのオークに言われた内容が結びつかず目を瞬かせ、やがて盛大に噴出した。
「ぶははっ! おっ、オークが女に服を着ろじゃと! ふつうオークは服を脱がすもんじゃろ!?」
そう言って腰に手を当てると、薄い胸をつんとそらして仁王立ちする。
「いやいやいや、そういうのいいから! 目のやり場に困るし。セクハラ! セクハラです!」
「セクハラじゃとう……? おぬし、名はなんという?」
未だこの世界には存在しないセクハラという概念が、オークの口から飛び出した事に違和感を覚えたロジーナ姫は、彼に名を訪ねる。
「名前は……わからない。覚えてないんで」
「ふうむふむ。覚えてないか……ならばよし、わらわがおぬしに名を授けてくれよう。感謝するがよい」
「えっ……それは……ありがとう?」
「そうじゃのう、名が無いならナナシと名乗るがよい!」
「ええっ!? ……それはちょっと……」
「なあに、礼には及ばぬぞ! ナナシよ、特別にこの場を守護する名誉を与える! いらんオークどもが寄ってきたらブッ飛ばしておくがよい!」
そう言い放つと、ロジーナ姫は踵を返し、カレンとアヤメが治療中の荷馬車へと歩き出す。おろおろと様子をうかがっていた守護騎士たちが、脱ぎ捨ててあったドレスを拾い上げロジーナ姫に追従する。
「あっ、あの、貴女はいったい?」
ナナシの問いかけにロジーナ姫は肩越しに振返り、告げる。
「わらわはジルバラント王国第二王女、ロジーナ・フォン・ルートヴィヒ! 歌って踊れるのじゃロリ姫なるぞ! ナナシよ、おぬしにはわらわを救った褒美として、ロジーナ姫と呼ぶことを許す!」
ロジーナ姫はとりあえず下着とドレスを適当に身に着けると、カレンとアヤメの様子を確かめる。
「アヤメよ、具合はどうじゃ」
「私の肩は回復薬とフレディ殿の治癒魔法でなんとかなりましたが、カレンは手持ちの方法では手の施しようがありません」
横たえられたカレンの両腕は無残に捻じくれたままであり、筋肉は断裂し骨も粉々に粉砕している。腰から下はピクリとも動かない。
「姫様……」
ロジーナ姫の匂いをかいで、カレンが意識を取り戻す。ロジーナ姫の金髪を愛でようと腕を動かそうとするが、ぐにゃりとした腕は全く反応しない。
そこへマーティンの治療を終えたフレディがやってくる。
「すみませんな、王女殿下。我々もマーティンの治療に精一杯の有様で」
「なに、気にすることはないぞフレディよ。貴重な魔法をアヤメに使うてくれたこと礼を言う。マーティンは無事であるか?」
「はっ、一命は取りとめました。全く、よく生きていたものですよ。なんとか近くの街までは持つでしょう」
「それは何より。こちらはわらわに任せて、体勢を立て直すがよい」
それを聞いてフレディは、少し離れた場所であたりを睥睨する巨大なオークをちらりと見て、問いかける。
「王女殿下、オークキャプテンを一撃で吹き飛ばしたように見えたあのオークと何やら話しておられたようですが、一体あれは何なのですか? あれほど巨大なオークは見たことも聞いたこともありません。そもそも、あれは我々をどうするつもりなのでしょうか?」
「ああ、安心するがよい。あのオーク、わらわを見てなんと言ったと思う?」
「さあ、オークの考える事と言えば口に出すのもはばかられる様な事かと」
「ところがあやつ、わらわに服を着ろとぬかしよった! オークが! 服を着ろと! あれはオークであってオークではない何者かじゃ。わらわがナナシと名付けてやったゆえ、しばらくはわらわに従うじゃろう。見た目に反して押しに弱そうじゃからの」
色々と説明が面倒だと思ったロジーナ姫は、とりあえず名付けを持ち出して、暗に使役したことを匂わせる。実際には何の主従関係も発生していないが、神や魔法が実在するこの世界の住人にとって、名付けは場合によって重要な意味を持つ。
「それは……とりあえずは味方という事でしょうか」
「うむ、そう認識するがよい。ともあれ、ナナシ以外のオークどもを追い払うのが先決じゃ」
「それでは、仰せのままに」
フレディはそう答えるとロジーナ姫に一礼し、冒険者たちの方へ戻ってゆく。
アヤメは、フレディが十分離れるのを確認して、ロジーナ姫に小さな声で話しかけた。
「オークであってオークでない……姫様はあの者が『王の試練』の鍵だとお考えですか」
ロジーナ姫がニヤリと笑ってアヤメに指示を出す。
「ナナシの様子を録画しておくのじゃ。急げ」
アヤメがナナシに目線を送ると、録画魔道具を装備した蜘蛛が二匹、音もなく移動してゆく。それを見送り、ロジーナ姫は話を続ける。
「あやつ、十中八九転生者じゃな。わらわは技能で聞き取れてしまうゆえ日本語という確証はないが、セクハラなどとのたまいおった」
「日本語……姫様の同郷人がオークに転生したのですか。確かに『王の試練』でもなければ、姫様が友好的に出会える可能性は考えられませんね」
「ナナシに助けられたことで、此度の『王の試練』は達成じゃろ。わらわの存在力もマシマシになっておるはず。神聖干渉『蘇生』を使うぞ」
死者をも蘇えらせる奇蹟『蘇生』は、春の女神の大司教でなければ祈念すら届かぬ神聖干渉である。
ロジーナ姫はかつて『王の試練』により春の女神の特別な寵愛を受けることとなった。そのため、正式な位階こそ持たぬものの、大司教と同じレベルの恩寵を賜ることができる。
「……『再生』でよろしいのではありませんか?」
「カレンはさっき、あの大怪我を『再生』で治しとるからのう。もう一回はさすがに無理じゃろ」
通常の祝福である『再生』は無から有を作り出すことはできない。欠損した部位が再生した分、体内の栄養素が消費されてしまうのだ。カレンは怪我や骨折の治癒に加え、かなりの量の内臓を再生してしまった。それに加え、肉体の限界を超えた力を使っている。もはや『再生』に耐えるだけの余力は残っていないだろう。
しかし、真なる神の力の顕現である神聖干渉『蘇生』は、無から有を生み出す。
『蘇生』はその名の通り死者を蘇生する奇蹟であるが、その前段階として身体の完全なる修復が行われる。対象者の体がほんの一部でも残っていれば、残りの部分は一瞬にして再構築されるのだ。過去には指1本から蘇生した記録も存在する。
ロジーナ姫は、『蘇生』の修復作用によってカレンの体を回復させようというのである。
ただし、『蘇生』には、難易度を上げる要素として蘇生対象の存在力がある。死する運命を覆す事は、対象の存在力(=世界への影響力)が高ければ高い程困難になる。一般市民と勇者では、『蘇生』に必要なエネルギーに大きな差があり、祈念者が消費することになる存在力もそれに比例して大きくなってゆく。
それゆえロジーナ姫は、『王の試練』を乗り越え、自身の存在力が高まった今を好機ととらえたのだ。
「ほれ、アヤメよ、おぬしもさっさとカレンの横に並ぶのじゃ」
「姫様、私はもう大丈夫ですが……」
「何を言うておる。蜘蛛の足がちぎれたままではないか」
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「脱皮なぞ早くても3ヶ月から半年に1回じゃろが。その間にまた『王の試練』でも始まったらどうする。お主の足4本で掴める運命もあるじゃろ。ぐだぐだ言っとらんで早う並べ」
「はっ、それでは謹んで奇蹟を賜ります」
アヤメはそう言ってカレンの枕元に正座し、カレンの乱れた髪をそっと梳いた。見下ろしたカレンの表情は、ロジーナ姫の奇蹟をその身に受けられる喜びから、とろとろに蕩け切っていた。とても今にも死にそうな人間の表情ではない。
「では行くぞ。春の女神フワレヤよ、わが祈りを聞き届けたもう」
ロジーナ姫の口から歌うように滔々と祈念の言葉が流れ出す。しかし実際には神聖干渉に複雑な呪文は必要ない。これは完全に『姫様うきうき半生放送』用の過剰演出である。録画もロングショット、ティルトアップ、バストアップと完璧な布陣だ。
15秒ほどの祈念が終わると同時に、天空からまばゆい光の柱がカレンとアヤメに降り注ぎ、一瞬にして二人の体を修復する。
次の瞬間、神速ではね起きたカレンがロジーナ姫に抱き着こうとするのを、アヤメが蜘蛛糸縛りで拘束する。糸でぐるぐる巻きにされたカレンがロジーナ姫に哀願する。
「ひっ、姫様ぁ~~! 姫様成分を補充しないと私、蘇生しきれません~~!」
ロジーナ姫は、カレンの涙と鼻水でぐちゃぐちゃな笑顔を見ながら、この顔はさすがにモザイクをかけるべきかと悩む。
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