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チュートリアル編(過去)

第二十六話『チュートリアルの終わり』

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 右腕の延長上に灰が漂う。
 迫る黒迅は真正面。
 そのままからの右手を振るった。

 一拍遅れて、硬質同士がぶつかり合う音。
 無音の広場に一際高く打撃音が鳴り渡る。

 私の右手にはすでに白の剣が握られていた。
 体組織同様に骨で作られた長剣。
 エナメル質を中心に生成された骨の強度は想像を遙かに超える。
 人体で最も硬い組織の剣は黒いナイフを容易く弾いた。

 専門店街の中心、人の消えた広場では二つの足音だけが響いていた。

 ナイフを払った勢いそのままに私は一歩を踏み込む。
 黒ローブは態勢を崩しながらも即座に対応。
 硬質の音が再び響く。
 三度、四度、五度。

 繰り返される衝撃音が互いの刃の苛烈さを示している。
 黒と灰は霧雨きりさめの数だけ斬撃を応手した。
 実力は五分。
 互いに息も乱さず一心に刃を振るう。

 本来のライラ・リルレイラートにここまでの身体能力は備わっていない。
 全ては魔灰の首飾りによる効果だった。
 魔法行使が難しいこの世界であっても、魔道具だけは十全の力を発揮する。
 結果、引き起こされたのが、人外の動きをもって繰り広げられる死闘。

 灰と黒はその身を刃の速度に転じて、互いを喰らい合っていた。
 達人であっても目視することさえ叶わない戦闘の中にあって、灰と黒は無傷を保ち続けている。

 卓越した技がそれを為した。
 言い換えれば、魔灰の首飾りに蓄積された技の巧みが人のごうに等しいということ。
 数多あまたのリルレイラートに携わる人間が魔道具を使い、己の欲望をことごとく成就させてきたのだろう。

 対する黒ローブ、サヤに関しては生来の強さか、はたまたその黒剣の効果か、魔灰に迫る力を誇示こじしている。
 突きを基本形にしつつ、斬撃を合間に挟む。時には柄で打撃すら行った。
 変幻自在のその動きは、欲を食らい切った魔灰にすら驚異であった。

 だが、戦況は依然として五分である。

 私に不利があるとすれば、床に転がったミナとアケノカムイの存在。
 防戦時に意識して彼女らが居る場所から離れるようにはしていた。
 その甲斐あって戦場は最奥の宝飾品売り場まで移動している。
 ここが異空間結界の端のようで、そこから先は透明の壁が行く手を塞いでいた。

 幸いにもサヤは私以外に興味を示すことはなかった。
 殺意の籠った斬撃が常に私を狙っている。
 もしかしたら、倒れた段階で彼女の中では二人は終わった存在になっているのかもしれない。

 真偽は定かでないが憂いがなくなったことも事実。
 骨の剣を目線上に構え、戦闘は第二段階へと移行する。

 一転して攻勢はサヤばかりになる。
 当然故意によるもの。

 互いの腕前が互角であるのならば、戦況を変えるのは大技の一撃を相手へと如何に先手で打ち込めるかのみ。

 灰色の騎士にはただ一つだけその大技に該当するものが秘められていた。
 ただし、発動にはいくつかの条件が必要となる。

「……ッ……!」

 防戦に回った途端、私の左腕が切断される。
 黒のナイフによるおお振りの一刀だった。
 ……だが、足りない。

 灰が舞い、左腕が再生していくそのいとまさえ許さず、黒の衣を着たサヤが刺殺を試みる。
 一の突きに三以上の突き技が隠れ、そのまま灰色の鎧に複数の穴を穿うがつ。

 今更だが魔灰の首飾りに蓄積された経験の中に、防戦という文字は存在しなかったようだ。
 極端にこの髑髏どくろの身体は守りが苦手であると理解した。
 自身の特性を考えれば皮肉ではあるが、文句を言っている暇はない。

 灰を舞い散らし、灰色の騎士はサヤの追撃を何とかさばいていく。
 その間にも、身体から散る灰の数は増えていき、光沢の少ない白銀の鎧はひび割れていった。
 鎧の隙間から骨の身体がのぞき、いよいよもって自身の限界が近づいていく。

 それでも私は好機を待つ。
 ギリギリまで粘り、自身の大技に全てを賭けていた。

「…………」

 おそらく音は洩れていなかった。
 けれど、その無音が黒い衣のサヤによる吐息だと私は何故だか理解する。
 窮地きゅうちに追いやられたことで嗅覚、聴覚が増していたかもしれない。

 ここが唯一の好機だろう。

 骨の剣の刀身は真下を向き、逆正眼の構えで私は対峙する。

 黒のローブは全身でもって弦を引くようにしならせ、最大級の突攻撃の構えを取った。
 これで終わらせるつもりだろう。
 神速かつ重さの乗った最高の一突きが目の前の騎士へと放たれる。

 ……それを狙っていた。

 口元だけで笑い、私は唯一の大技を解放する。
 赤き騎士と二分する口頭術式がいち

 黒き斬撃が目の前へと迫る。

 その幾瞬間か前、私の術式はすでに完了していた。
 高等技能にして騎士の最奥に位置する至高の法。
 相手の力をその力量ままに返す魔灰の奥義。
 すなわち。



「──髑髏スカル・カウンター」



 黒の刺撃と白の骨剣が触れたその刹那せつな、黒き技の勢いが正反対へと返される。
 全てを模倣し、サヤの放った一撃はそのままサヤへと襲い掛かった。
 合間は存在せず、成す術なくサヤはその激流へと身を飲まれることになる。

 髑髏スカル・カウンターとは待ちの奥義。
 名の通り相手の力をカウンターとして跳ね返す技であった。
 相手の一撃が強力であればあるほど力は増し、返せるのであれば一撃必殺の大技となってくれる。

 極めてリスクの高い技であったが、ひとまず成功したことに安堵あんどしよう。

 私を仕留めるために放たれた極上の技だったからか、黒い斬流をまともに喰らったサヤはえぐれた床の上で仰向けに倒れていた。

「……ようやくその姿を見せてくれたわね、サヤ」

 強烈な一撃は黒いローブの前半分を粉みじんにしている。
 その外套がいとうが身を守ったのか、サヤの生来の強靭さなのか、彼女の身体は驚異なことに五体満足を保っていた。

 私のまとう魔灰の鎧が灰となって崩れていく。
 残った身体は骨ではなく以前の私そのままの姿だった。

 後ろを振り返ると、未だに倒れ伏しているミナとアケノカムイの姿。

「あちらを狙われていたら多分私の負けだったわ。でも、勝負は勝負。私の勝ちね」

 フードはすでに失われ彼女の顔がはっきりと見て取れる。
 サヤは虚ろな目をしてピクリとも動かない。
 絶命の間際か、元々意識がなかったか。
 ……今となってはどちらでも良いことだった。

 私は記憶上で都合五度この世界を繰り返していた。
 五度目に至り本来の自身が偶発的に目覚め、物語は先へと進んだ。
 だが……だから、と言ったほうが適当か。
 これは恨み言だった。

「ミナとアケノカムイを目の前で殺された、その恨みは忘れていないわ。それを繰り返したことも、まぁ良い思いはしていないわ」

 恨みの感情があったことに自身でも驚きつつ、続ける。

「だけど、こうしてここに至ってみると、あなたの姿に哀れみさえ感じてしまう。……所詮、私たちは舞台装置にしか過ぎないから、なのでしょうね……」

 最後は自分に言い聞かせるような言葉となった。
 感慨とも呼べない感情を抱きつつ、サヤの終わりの姿を見つめていると、

「……驚いた。まだ動くのね、あなた」

 虚ろな表情はそのままに、サヤは黒いナイフを握っていた右手を弱々しく天に掲げる。
 短刀の頑強さから考えればそちらが魔道具の本体だったのかもしれない。

「……そう。最期は自分自身の手で終わらせたいと言うのね」

 サヤのつたない意志を感じ、私は代わりに言葉へと変換する。

介錯かいしゃくは必要かしら? そう、要らないの」

 この選択はある意味で間違いなのかもしれない。
 だけど、彼女を道化のままで終わらせないためには必要なことだった。
 あるいは、私自身のためなのかもしれない。

 直後。

 サヤは最期の力を振り絞り、その黒い刀身を自身の胸へと突き刺していた。

 巧みなるその右手は見事に心臓を貫いており、彼女は絶命する。



 そして──今周の世界は終わった。



 ……さようなら。また会いましょう。






***

 カチコチと音が鳴る。

 チクタクと針は回る。

 回る、鳴る。

 鳴る、回る。

 奏でる音色は戻り続け、やがて音を止める。

 絶え間なく針は動き出し、今度は正しい時を刻み始めた。



 ──針と共に、*****の運命もようやく動き出す。






*****

 記憶が抜けていく感触。
 今まで覚えていたことが全てバラバラになっていく、そんな不快な感触に身じろぎする。

 ──目を開けると、色の浅い夕焼けが浮かんでいた。

「ライラ様。お目覚めでしたか?」

 夕焼け、窓の外の景色。
 窓の内側、懐かしい机の並ぶ室内には、私と美少女の二人だけが居て……

「って、えぇっ!?」

 二度見した。
 思わず二度見してしまった。

「ごめんなさいごめんなさい! 私なんかが話しかけてしまってごめんなさい!」

 ぺこぺこと頭を下げまくる美少女。
 その姿は間違いなく──

「サヤ!?」

 なんでサヤがここに居るの!?
 だってサヤが現れる時期って……あれ?

「ここって教室? そんでサヤが居るってことは……もしかして共通ルートの学校生活編に入っているってこと!?」

「きょ、きょうつうるーと、ですか? ご、ごめんなさい……ライラ様のご質問に答えることの出来ない私をどうかお許しください……」

「わあっ! 涙目にならないでよ!」

 どぅどぅとなだめる私。
 そうだった。
 サヤは貴族に対して物凄く引け目を感じていて最初はこんな感じで弱気の化身のような状態なんだった。

「ええと……」

 ここまでにあったことを思い出そうとするが、どうしても記憶がかすれていく。

 はっきりと覚えているのは私がライラになった日のことだけ。
 そう、私が乙女ゲームの世界に入り込んだ初日の日だけはくっきり覚えていて、翌日はとても不透明になってしまう。その先は当然過ごしていないのだから覚えているはずもない。

 あとは……その不透明な翌日の部分で、何度か同じ時間を繰り返していたことは何となく覚えていた。

「サヤ。いじめないからこの質問には答えて」

「は、はい! わ、私にお答えできることなら何なりと!」

 見ていて可哀相なくらいビクビクしているわね……。
 でも、それは一旦放置の方向で。ごめんね。

「今は何月、というより私がこの世界に来てからどれくらいの時間が経っているか分かる?」

 正直サヤと学校に居る段階である程度察しは付くんだけど、一応は聞いてみないといけないだろう。
 サヤは割とあっさりと答えてくれて、

「今は五月で……ライラ様がこちらに来られてから確か、今日で丁度ひと月だとカムイ様は仰っていましたが……?」

 五月!?
 やっぱり、というかマジでか……。

 私やミナ、カムイ様がこの世界に来たのは四月の上旬、ツミビが始まる少し前の時期である。

 つまり……つまりは、一ヶ月もの時間がすでに経過してしまっているわけで──



 私はループするどころか、未来に来てしまったってことになるの!?



 ──こうしてチュートリアルは終わり、ライラにとっての長い本編がここから始まる。






                      チュートリアル編・終







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