悪役令嬢の姉は異世界転移しない~ツミビトライク・ループ~

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チュートリアル編(過去)

第二十五話『終わりにしましょう』

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*****

「お姉様、お姉様! こちらの赤のお召し物もお似合いでしてよ!」

「もう十分買ったからそれはまた今度ね」

「残念ですわ……」

 シュンとするミナの左手を握ると、すぐにパッと笑顔を振りまいてくれた。
 現金というか扱いやすいというか、全く可愛らしい妹君であること。

 もう一度だけ頑張ってみようと決めた私は、出来うる限り本来の流れから逆らわないように物事を進めていた。
 理由は二つ。
 一つは、カムイ様に前回のような最期を迎えて欲しくなかったこと。
 もう一つは、過去の再現性の確率を少しでも上げたかったこと。

 前者に関しては言うまでもなく、私が余計な真似をしたから引き起こしてしまった過ちである。
 後者に関しては、記憶にはないがおそらく一周目と二周目の世界でも今と同様にこのショッピングルートを選んだに違いない。
 言い換えれば、私かミナが悲惨を迎えてしまう予定のルートを辿った、辿っているということ。同様に、黒ローブと遭遇した可能性も非常に高いルートであった。

 今回において一番恐ろしかったのは、未知の第三ルートを選択することによって黒ローブとの遭遇日時を不確定にしてしまうことである。
 要するに今まで選択しなかったルートを選んでしまい、あの殺人鬼と出会うのが明後日以降になるのだけは避けたかった。
 気を張って警戒するには限度があるため、予測がある程度立つ本日中が個人的にはベストと言える。

「ライラ、ミナ。こちらです」

 集合場所にしていた一階広場にはすでにカムイ様の姿があった。
 柱時計の時刻を見ると正午少し前。前回黒ローブが出現した時間帯でもある。
 気を引き締めながら私はカムイ様のもとへと向かって行く。
 ミナが何かを察したのかギュッと私の右手を握ってくれて、少しだけ心強かった。

「申し訳ありません。お待たせしてしまいましたか?」

「いえ、僕も今来たばかりです。実を言いますと、ハイドの買い物が少し長引いておりまして、僕だけが少し早めに伝令役も兼ねてこうして抜けてきました」

 カムイ様の居るベンチにはニ、三の荷物が既に置かれていた。
 中身は生活必需品のはずなので結構かさばっているものも多い印象である。

「カムイ様聞いてくださいまし! お姉様ったらお買い物の達人なのですわ!」

「み、ミナちょっと恥ずかしいって……」

 買い物袋を誇らしく持ち上げて、カムイ様に聞いて聞いてアピールするミナの姿に思わず赤面してしまう。
 セール価格で衣服の数を揃えたことにミナはどうやら感動してくれているようだった。
 微笑ましい光景ではあるけど、これくらい日本で生活していれば当たり前のことなのでどうにも気恥ずかしい気分になってしまうのだ。

「なるほど、ライラの新たな一面ですね。午後からの僕の買い物はライラに見てもら──!? まさかッ!?」

 カムイ様が途中で台詞を切り上げ、緊迫した様子へと一変する。
 ……このタイミングでやって来るわけね。
 律儀にも引きこもりルートと全く同じ時間ってことは、あらかじめ監視でもされていたか、あるいは──

「これは……結界、ですわよね?」

 専門店が多々入っている百貨店の一階、その光景はそのままに人と私たち以外の音が綺麗さっぱり消え去っていた。

「おそらくは異空間結界です」

「異空間、結界ですの? 普通の結界と何が違いまして?」

「結界は力づくで破壊出来ますが、異空間結界は文字通り結界を異界空間へと変化させるため術師の意思がなければ出ることさえ叶いません。──あなたがその術師ですね?」

 カムイ様の視線の先で、音もなく影がい出る。
 黒い外套がいとう、ローブを羽織った何者かの姿だった。
 ローブの中身に該当する部分は黒塗りのような影になっており、その姿の詳細は依然として不明なままである。

 一方で分かっていることも確実にあって、

「カムイ様! その黒ローブの剣技はカムイ様さえ遙かに凌駕りょうがしています!」

 とあらかじめ考えていた台詞を叫んだ。
 賢い彼なので今の言葉だけでも最良を見つけてくれると信じている。
 ……本当は巻き込みたくなかったというのが本音だけど、これが本来の歴史の流れなら仕方がないか。

「"つるぎなり" ──助言感謝いたします、ライラ」

 聖水剣が作られるのとほぼ同時に、黒の短剣がカムイ様を急襲した。
 金属音が鳴り響き、黒ローブは後退、カムイ様は僅かに右へと位置を移動する。
 それが始まりの合図だった。

 黒刃と輝刃が激流のように交差していく。
 アニメとかでしか見たことない激しい斬撃の応酬、これがおそらく剣戟けんげきと呼ばれるもの。
 幾多の刃が目に追えない速度で重なり合い、カムイ様と黒ローブは一進一退の攻防を繰り広げる。
 カムイ様の切り札を用いて尚、互角の勝負だった。

「強い、ですわね……」

 すぐ隣でミナが冷静に呟く。
 彼女も何だかんだでファンタジー世界出身、こういう言った戦闘には免疫がある。

「お姉様のおっしゃった通り、このままではカムイ様が危ないですわ。……少しだけ行ってまいりますので、お姉様はここでお待ちになってくださいまし」

 手を放そうとするミナ。
 私はそれを許さなかった。

「お姉様?」

「……正直私はこういうのに詳しくないからよく分からないけど、勝機はあるから言っているんだよね?」

「もちろんですわ。わたくしの唯一の望みはお姉様と共に居ることですもの。それを自ら捨てるような真似は致しませんわ」

 嘘は言っていない、と思う。

「……分かった。それなら、カムイ様をお願いね」

「はいですの!」

 ミナは自身の太ももに隠し持っていた小型の杖を取り出し、駆けて行く。
 硬いだけが取り柄のロッドは原作でも事あるごとにミナが使っていた得物である。
 伸縮がある程度利くそれを構えて、ミナは黒ローブとの戦闘に参加した。
 その頃合い。

「隙は必ず生まれます! それを見逃さないでください!」

 私はミナとカムイ様に向けて、最も重要なことを大声で伝える。
 これが私の唯一の策。
 足りない頭で精一杯考えた結論。
 ミナとカムイ様から短い返答の声が聞こえた。

 戦闘は激化していく。
 ミナが参戦したことでこちら側の手数は一気に増え、素人目には黒ローブの防戦が目立つようになる。
 でも、相手はあの人。
 二対一の不利でさえことごとく覆すことを私は知っている。

 私が今周頑張ることを決意したところで出来ることは限られていた。
 かと言って、助言を誰かに頼れば前回のような悲惨な結末を迎えるかもしれない。
 取捨選択がどうしても必要だった。
 無力な自分が勝機を掴むならば、捨てるものは極限まで捨てないとたどり着くことさえ出来ない。
 だから、ここまでの流れを、黒ローブと遭遇するところまでの流れを切り捨てることにした。

 身の丈にあった隙間に勝機をねじ込むのであれば、一点以外の全てを捨てなければいけなかったのだ。
 その結果、カムイ様もミナもこうして戦闘に参加しているし、一瞬先にはこれまでの周回のような死が存在していることも事実だろう。
 仁義に反する私の我がままを貫いて、今のこの状況は作られていた。
 ゆえに、私は私の我がままの成果を見せなければならないのである。

 たった一度の勝機を私は見つけ、その手札を切った。

「黒いローブの人! よく聞きなさい!」

 叫ぶ。三度目なので流石に喉が痛い。
 弱音を吐いている場合じゃない。

「私は知っているよ! あなたの正体を!」

 ピクリと黒ローブが反応したように見えた。
 ホッとする。それで良い。
 ちょうどカムイ様とミナも黒ローブに対して攻勢に立った場面だった。
 ドンピシャだ!

「あなたは──」

 ここ一番の大声で私は叫ぶ!



「──サヤでしょ!! そうなんでしょう!?」



 つたない手であることは自覚していた。
 それでも効果はてきめんで、間違いなく黒ローブの動きは一瞬止まっていた。

 しかし、その一言がこちら側にも影響することを、私は全然考えていなくて……

 動いたのはミナのみ。
 彼女は固いだけのロッドで黒ローブを殴りつけようとするが──
 黒い影は前触れなく消える。

 そして、現れたと思った頃には……

「……え……?」

 地面に二人倒れていた。
 血が、流れている。

 また余計なことをしてしまった……。

 そう気付いたのは全てが終わった時。

 ミナとカムイ様は黒ローブのナイフに切り裂かれて、白い床の上にうつぶせで倒れ伏している。
 立っていたのは黒ローブ、ツミビトライクの主人公サヤと思われる人物のみ。

 ──私は味方へのトドメを、自らの一言で決してしまっていた。

「あ、ああ……」

 重なる。
 前回の最期と、記憶にない一周目と二周目の最期に。
 だから、仕出かした愚行と、心を包む絶望に圧し潰されて、私は獣のような声を上げ──

「あぁぁあああああああぁあぁぁぁぁッ!!」

 叫んだ。












 ──そして、かせは容易に外れる。

 鍵は二人をうしなうこと。

 思い出す。
 二人を喪ったことで、プロテクトされていた記憶はようやく思い出された。

 ああ、そうだった。
 私は──
 私は、



 生まれ落ちたその瞬間ときから、ずっと死にたかったんだ。



 頭の中に欠けていたピースがはめ込まれる。
 思考が冴え渡っていく。
 かつてないほどに状況が見えていく。
 だから、これは偶発的な事故なのだと理解する。

 倒れた二人は負傷していたものの、息はあるようだった。
 その証拠に僅かなながらに上体が上下している。
 ライラが"それ"の名前を呼んだことは必ずしも不幸ばかりを呼んだわけではないようだ。
 ”それ"の手元がいくらか狂ってしまったらしい。
 "それ"が微かであっても正気を取り戻しでもしなければ、命の摘み忘れなど起こるはずはなかったのだから。



 ──灰が舞う。
 ──濁った白の小さな結晶が宙を漂う。



 ……せっかく"それ"が呆けてこちらを眺めているのだから、少しだけ自分語りでもしましょうか。

 私はかつて未来が恐ろしかった。
 未来は不安で、恐ろしくて、考えるだけでも何もかもが嫌になってくるし、放り出したくもなってしまう。
 辛いことが待ち受けているだろう未来に、そんなものが存在している世界に、私は生まれ落ちたくなかった。
 生まれてしまえば困難に満ちた恐怖だらけの明日がきっと私を襲ってくるに違いないのだから。
 苦痛の日々に身を投じなければならないのなら、消えてなくなるほうが遙かにマシなことに思えた。

 だけど私は、あの時から愛情と憧憬どうけいを知ってしまった。
 それがツミビトライクによって擬似的に植え付けられたものであったとしても、生まれた感情は私にとって本物でしかない。
 感情という大嵐を自身の中に招き入れてしまった段階で回避は不可能だったのだろう。

 私はこの世界で二人と出会い、愛情と憧憬を加速させていく。

 これはここに居るライラ・リルレイラートのお話。

 一方的な無償の愛を注がれ、自分の中にある理想を容易く越えられて、愛情と憧憬は早々に私の中で確固たるものと化していた。
 たった数日、繰り返しを入れてもその範囲内、それだけしか体験していないというのに自分の何ともチョロいことよ。……失礼。

 要するに物語に都合の良い展開など何一つ存在していなかった。
 私も彼女も彼も、そうなるように調整されていただけの話。

 これはライラ・リルレイラートの物語。

 私はうに思い出していた。
 自身に課せられた使命を。その役割を。……その想いを。



 ──魔灰の力が身体中を巡っていく。



 悪役令嬢があちらの物語で使用した首飾りは、持ち主の空虚くうきょに反応して力を引き出す魔道具。
 おそらくあちらのミナは最初から自身に勝ち目がないことを知っていた。
 恋敵への嫉妬以上に、彼に求められていない事実への心の空白があったのだろう。
 だから、魔灰の首飾りは力を貸した。

 赤き騎士はその鎧を使用するために自身の魔法リソース全てを魔道具に費やしていたと言う。
 リルレイラート家も同じ宿命を背負った家系だった。
 嫉妬に狂った一族と言っても良い。
 そうでもなければ、これほど害悪に満ちた魔道具を受け継いでこないのだから。

 地位も欲するものも力で手に入れてきたリルレイラート家。
 人道に反することも歴史の中で何度も行ってきたことだろう。
 魔法を捨てて、魔なる道具に全てを頼るということはそういうことだった。

 だが、

 今はその悪意に感謝しよう。
 おかげで道を切り開くことが出来る。

 魔道具の力は最後に手足の先へと流れて、その奇跡を全うした。






*****

 私は自身の右手を見下ろしていた。
 鈍い銀色の手甲が、はめられている。
 視線の先でも同じ色の甲冑が見て取れる。

 鎧に覆われた自身の左手で頬に触れた。
 顔だけは未だに生身のようで肉の感触がした。
 黒刃が迫ってくるのを視界で捉え、頭を覆っていた兜のバイザーを下ろす。
 同時に刃は右手で防いだ。
 まだ速さに慣れていないのか、手首から上を切断されてしまう。
 痛みはない。
 瞬時に失われた部分が灰をまとっていく。
 出来上がったのは骨の腕。
 肉を失った手は何ら不自由なく動いた。
 そのまま顔に下ろされた仮面を触ると、腕と同じ感触がした。
 きっとこの仮面も骨で出来ていて、最もわかりやすい形を取っている。

 髑髏どくろ

 白の骨で構築された骸骨がいこつの姿となり、私は立っていた。
 その異形の身は灰色の鎧で全身が覆われている。
 やがて骨の右手も手甲が修復した。

 ──ツミビトライクでの黒幕の姿がここに存在している。

 赤き騎士に匹敵する作中最強の騎士の一角、灰色の騎士。

 髑髏姿の騎士は私となり、今、再誕を果たしていた。

 灰色の騎士は黒い外套がいとうの者を見遣みやる。
 視線の先で黒は動き、私もそれに呼応した。
 今度は目が慣れ、完全に彼女の動作を捉えている。

 黒の刃と右の手甲がぶつかり合うその刹那、私は彼女に笑いかけささやく。



「ねぇ主人公サヤ、いい加減終わりにしましょう」



 ──直後、灰と黒の激闘が幕を上げた。





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