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チュートリアル編(過去)
第二十三話『誓った言葉は』
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「それじゃあ、なるべく早く戻ってくるつもりだが、オレの居ない間のことは兄さまに任せるからな」
「分かりました。アケノカムイ・マイソディエルの名に懸けて二人を守ると誓いましょう」
「おうよ。んじゃ、行ってくるぜ」
「いってらっしゃい、オヤジさん」
「わたくし甘い果物が欲しいですわ」
「うっせぇよ! 娘っ子はこの飴玉でも舐めてろ」
「……ころころ。シュワッとはじけますわよコレ!?」
オヤジさんがお店から出て行くのを私たち三人は見送った。
今日は私の記憶にほとんど残っていない日、要するにライラとなった日の翌日である。
昨日お茶をした後も話し合いは繰り広げられ案は色々挙げられたのだが、最終的な結論は『皆で引きこもりをするよ!』案で可決となった。
簡単に言えば、外出をして何かに巻き込まれた可能性があるのなら、逆に一歩も外に出なければ良いんじゃね? そんな極めて単純な解である。
世帯が一気に四人に増えた影響で食事とかの買い出しは必要であったけど、それはオヤジさんが代表して先ほど行ってくれたので問題なし。
この案自体は、リルレイラート姉妹の身を守ることが最優先として考えられているので、私とミナの傍には必ずカムイ様かオヤジさんが付き添っていただけるようになっている。
今はオヤジさんが十分くらいの買い物に出ているので、傍らのカムイ様が私たち姉妹を見守ってくださっている。なんて心強い!
本当はカムイ様たちとオヤジさんはもう少し取れる手段があるのではとその後も模索してくれたのだが、元々が私の曖昧な記憶をベースにするしかなかったため、結局は今の形に落ち着くことになった。
「お姉様お姉様! 今度はこちらのご本を一緒に読みましょう! ……ころころ」
泡々玉を口の中で転がしながらミナが新たな本を持ってくる。
お店の一階のフロア奥はイートインスペースになっているため、少なくはない書籍が常設されていた。
テーブル席で私、ミナ、カムイ様は現在読書タイム中。
何もしないのも暇だし、ファンタジー組が知識共有魔法で不足している経験的なものを学ぶのには言語体系を学べる読書はうってつけなのだ。
まさに一挙両得って感じ?
「しかしながら、流石はハイドが暮らしている住居ですね。改めてここは防衛と脱出が良く考えられている造りになっていると実感させられます」
カムイ様が器用に私たち姉妹と近くの窓をどちらも見ながら話しかけてくださる。
「そうですわね。真ん中にあるレジカウンターという遮蔽物がありますので、侵入者が来ましたら時間を稼げますわ。この奥まった場所も魔法で狙う場合は手こずることになりますわね」
貴族というか王族なことだけあってミナもカムイ様の言葉に頷いていた。
お城で暮らす場合はいざという時のことを頭に入れておかなければならない、乙女ゲームで学んだ知識だ。
こうして引きこもる場所をお店のテーブル席に特定したのはそう言った理由だったんだとミナの言葉に感心もする。
素人考えでも、例えば地震とか火事とかが起きてもすぐ傍の窓から逃げることが出来るのは凄いアドバンテージだと分かるからね。
「お姉様。こちらはどのように読みますの?」
改めてミナが本を差し出してくる。
へー、絵本もあったんだ。ファンタジー世界の人には丁度良さそうな本だった。
「白雪姫だね。でも、これくらいミナも読めるよね?」
「知識共有魔法は意外と不便ですのよ? お姉様。 白と雪と姫の意味が一遍に頭の中に出てきますもの」
「あー、そんな感じになるんだ? 私は元々日本の知識があるからそういう不便に遭遇していないだけだったのかな?」
オヤジさんも知識共有魔法はあくまでもサポート程度だって言っていたもんね。
「幸いにして文字体系は似通っていますから、僕もミナもある程度慣れればその辺りの不便は解消出来ることと思います。……書物を読んでいると実感できますが、二つの世界の共通点は本当に興味深いことばかりです」
ツミビでファンタジー組がすぐに日本語の読み書きが出来るようになっていた理由はまさにそれ。
二つの世界に関しては色々と仄めかしがあったけど、確か明確な答えは出ていなかった気がする。
会話はその辺りで途切れ、束の間の沈黙が訪れる。
ペラペラ本をめくる音と共に、ゆったりとした時間が流れていった。
柱時計を見ると正午まであと少し。
もうそろそろオヤジさんが帰って来ると思われる。
当然ここまでの間、何も行る気配すらなかった。
このまま平和なまま一日が過ぎていきそうだなぁ……。
──そんなことを考えて気を抜いてしまったのが悪かったのだろうか。
「二人とも逃げてください!」
突然響いた、カムイ様の緊迫した声。
「お姉様! こちらに!」
真っ先に窓を開けて、ミナが焦った顔で私に手を伸ばす。
あまりにも唐突過ぎて、状況すら掴むことが出来ない。
私はミナに言われるがまま手を伸ばすが──互いの指が触れることはなかった。
ミナの姿が消える。
瞬きすらしていない。
なのに最初から居なかったかのように、一瞬で消え去ってしまった。
開いた窓の光景だけが目の前に広がっている。
え……? え……!?
「これは……まさかッ! 異空間結界!?」
カムイ様の声が聞こえた。
すぐ隣に彼は居る。
ホッと息を洩らすが、カムイ様の顔にはいつもの余裕が一切なかった。
だから、私もようやく異常事態が起こっているのだと理解する。
カムイ様は即座に冷静を取り戻すと、真剣な表情を私に向けた。
「……ライラ、今すぐ逃げてください。この空間の外にはミナが居るはずですから彼女との合流を最優先に」
有無を言わせない硬い声。
理解出来たのはミナが無事らしいことだけ。
カムイ様が言うなら間違いはないよね?
安堵するが、カムイ様は代わりに別の不安を口にする。
「侵入者です。おそらく異空間結界魔法の使い手でしょう」
カムイ様が見つめる先、雑貨屋部分の入り口が音もなく開く。
黒いローブ姿の誰かが影のように湧き出していた。
ズキン
偏頭痛のように頭が痛む。
知らないのに知っている。知っているのに思い出せない。
おそらく"アレ"はミナが絶望顔を浮かべた何かに関わっている気がした。
焦燥感が異常なまでに胸の中を駆け巡る。
──未来は未だ変えることが出来ていなかった。
黒外套の存在が現れるのと同時に、カムイ様が私だけに聞こえる声で「時間を稼ぎます」とささやいた。
私は何か返そうとしたが、声が出てくれない。
身体中が震えている。
歯がガタガタと音を立てていた。
心に刻み付けられた自覚のない恐怖が、私を行動不能にしているのだろうか?
ジワリと炙るように、心の中に絶望が広がっていく。
駄目だ! 何とかしてカムイ様を止めないと……!
一緒に逃げましょう、その一言すら今の私は発することが出来ない。
カムイ様は距離をとって侵入者と対峙していた。
「異空間結界、通常を遙かに超えた性能の結界を作り出す至高の法です。それは空間の賢人だけが使える魔法であり、数百年前を境に姿を消してしまった幻の賢人と記録にはありました。──あなたは空間の賢人ですね?」
カムイ様は黒いローブに向かって問いかける。
ローブは答えない。
歩いているようには見えないのに、確実にこちらに近づいて来ているのが不気味だった。
細長い部屋と言えども、距離がそれほどあるわけではない。
もうじき"それ"はこちらに辿り着いてしまうことだろう。
身体が震えを増し、足が崩れてしまう。
床に座り込み、私は正真正銘の足手まといと化した。
己に対する叱責の言葉さえ浮かんでこないほどの無力さだった。
「答えないのですか? それとも応えられないのですか?」
カムイ様は黒に問う。
ゆっくり、ゆっくりと、影は近づいてくる。
オヤジさんがよく座っている中央レジカウンターまでローブがたどり着いた。その刹那。
影が消える。
否、消えたように見えた。
カムイ様が前へと踏み出す。
「"其は剣なり!!"」
ローブはカムイ様のすぐ真正面に居て、黒い大型ナイフを突き立てている。
ガキンという金属音が鳴り響く。
カムイ様の右手から半透明な長剣が延びていた。
原作でも切り札となった聖水型の魔道具である。
現状魔法の使えないカムイ様はたった一度の切り札を躊躇なく切っていた。
瞬時に作られた聖水媒体の剣は黒のナイフを受け流す。
「ライラ! 立ってください!」
後背で告げるカムイ様の声は切迫している。
なのに私の足は上手く動いてくれない。
どうして……どうして!?
金属音が再度響き渡る。
「緩急の動き!? ──くっ……!」
ラスボスと化したミナですら打ち倒したことのある聖水の剣が、明らかに圧されている。
周囲の本棚や雑貨もろとも半透明の斬撃は切り裂いたが、黒い影は余裕のある動きであっけなく受け止めていた。
誰、なの……? あれは……?
カムイ様が追い詰められて、ふとそんな疑問が浮かぶ。
そして、ようやくここで、足手まといの私が居るから彼が追い詰められているのだと悟った。
動いて! お願いだから動いてよ! 私の足ッ!!
情けなく泣き叫びながらも、私はカムイ様の指示に従うために身体を動かした。
それでも力が入ってくれない。
カウンター席があっさりと黒のナイフによって切断され、半透明な剣の切っ先もそのまま失われる。
剣技がカムイ様のそれを大幅に上回っていた。
……まさか……まさかッ!?
この窮地の場面。
役立たたずの私がその思考に行きついてしまった。
ありえない……。
自分の中で否定しようと思っても該当するのはそのただ一人だけ。
感情があふれ出してどうにかなりそうだ。
実際に叫び出そうとした、その瞬間。
一際激しい金属音が大きく響き渡る。
カムイ様は叫んでいた。
「逃げてくだ──逃げろぉッ!! ライラぁー!!」
聞いたことのない彼の怒声に、私の身体が弾けた。
震えて動かなかった足が嘘のように床を踏む。
──意志を受け取ったからだ。
立ち上がり、私は反対方向にふら付きながら足を進めた。
──ここで動かなければ想いは無駄になってしまう。
ミナが開けてくれた窓がすぐ目の前にあった。
逃げないと。
逃げないと!
カムイ様の"意志"を無駄にしちゃいけないんだ!
絶対に無駄にしちゃいけないのよーッ!!
──先ほどの光景は見えていた。音も聞こえていた。
三歩の距離が永遠のように感じられる。
それでも、たどり着く。ようやくたどり着いた。
ここから出ればミナが待っているのだろうか?
不意の雑念を払い、窓から身を乗り出そうとして──え?
気付く。
……うそ……でしょ……?
「……進め、ない。なんで!? どうしてよ!?」
激昂に等しい癇癪。
透明の壁のようなものがそこにあり、私は窓から出ることが出来なかった。
事態に追い詰められ、思わず振り返ってしまう。
振り返ってしまった。
無意識に助けを求めていたのかもしれない。
黒い影がすぐ近くに居た。
顔は見えないが、”その人"だと理解する。
ローブは黒いナイフを私に振るおうとしていた。
──この記憶はきっと引き継がれることはないだろう。
黒の影の、その真後ろを見る。
大好きな人が、多分人生で初めて好きになった人が……ズタズタに、切り裂かれて……転がっていた。
無残に、あまりにも無機質に散り、精悍だったその面影も最早失われている。
なのに……
それなのにッ!
『アケノカムイ・マイソディエルの名に懸けて二人を守ると誓いましょう』
私を助けようとするように右腕だけは伸ばされていて、最期の瞬間まで約束を守ろうとしてくれていたのだと……痛いほど分かってしまった。
「……かむい、さまぁ……」
崩れ落ちた私から泣き叫ぶ童女のような声が洩れる。
──それが最後の記憶だった。
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