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学校生活編1
第十三話『罪人ライク』
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「泣いているのですか? ガルガ」
「……なんでだよ……」
アケノカムイがガルガを見下ろす。
平常と変わらない表情を浮かべる金髪の王子に対し、赤髪の青年は膝をつき、彼女の傍で茫然自失の涙をこぼしていた。
共に無手で、アケノカムイの聖水剣はライラを貫いた際、赤の液体となって溶け消え失せている。同様に、ガルガの拳鍔も疾うに地の上で転がっていた。
「人形遣いを倒した結果がここに存在しているだけです。見てください。あの黒装束の動きが緩慢になっているのが分かります。直に、動きを止めることでしょう」
跪く男はかけられた言葉も耳に入っていないのか、
「……ああ……そうだ……手当てだ……。傷の手当てをして……それで……それで……」
告げる内容とは裏腹に、未だにライラを眺めているだけの彼。
アケノカムイはすぐに状況判断をして、
「治療をするという思考までは至りましたか。思っていたよりも我を取り戻すのが早いですね。……しかしながら、あなたにそれをさせるわけにはいきません。今は大人しく黙していてください。──せっかく、僕の推測の正当性が証明される間近なのですから」
小刻みに震えていた大柄の身体がピタリと静止した。
音のない結界内で、聞こえるのは二人の呼吸のみ。
無言は束の間で破られる。
「……推測、って言ったのか……今?」
「言いました。ライラが人形遣いであるという十割の確証など持ちうるはずはないのです。正直な話をすれば、生涯でただの一度しか発動出来ない聖水剣が無駄にならずに済み、安堵しています」
平常を途切れさせることなく、アケノカムイは吐露した。
安堵と告げた際に、感情の色が僅かに表れていたのは本音だからこそだろう。
そこに動かなくなった彼女を思いやる文言は欠片も存在せず、対面の相手は一気に感情を爆発させる。
「──ふざけんなよ、てめえ……!」
伏せていたガルガの顔が目前を仰いでいた。
アケノカムイに向ける瞳は、激情に、怒りに満ちているのは当然のことだろう。
「……本気のガルガと対峙するなど何年ぶりのことでしょうか。呆けたままのほうが都合は良かったのですが、仕方がありませんか……」
「黙れよ」
「あなたが暫しさえ黙せないと言うのなら、この身が、僕が、アケノカムイ・マイソディエルがお相手しま──」
「黙っていろと……言っただろうがよォッ!!」
塞き上げる怒声が、激突の合図だった。
水の叩きつけられるような爆発音が鳴り、苛烈さが結界内を充満する。
立ち上がる際に拾い嵌め直されたナックルダスターと、新たに作り出された即席の水流剣が正面からぶつかっていた。
「てめえをさっさとあっちに送ってやるよッ!!」
「ここで僕を殺すと告げられないのが、あなたの弱さなのでしょうね」
感情が先走る一方に対して、もう一方はあくまでも冷静に場を観測している。
アケノカムイは初撃で使いものにならなくなった水流剣を即座に破棄し、再度詠唱を短く述べる。
新たな刃は迫っていた凶器の拳をいなした。
ガルガの逸らされた攻撃は、傍らのライラを向く。
咄嗟に持ち前の反射神経が反転を試み、全身をもって、勢いは前方の敵への体当たりと転じる。
受け流しに焦点を絞ったアケノカムイの思惑と重なり、二人の戦場は動くことのない彼女の隣から、距離を大きく空けていた。
無理な体勢から身体をよろめかすガルガとは対照的に、冷静な男は自然体を崩さずにただ声だけを際立せている。
「ライラはもう手遅れです。あなたが膝をつき、座していた時間が致命となりました。癒しの魔法を用いたところで、助からないのは最早明白でしょう」
淡々と告げられる事実。
ライラの胸からは赤の色が流れ溢れており、その顔も驚きの表情のままで瞳孔が開き切っている。彼女だけが時を止めているようで、今にも停止しようとしている黒の衣の者より、深い終わりを感じさせた。
一目で絶命と分かる悲惨な光景が、誰の目にもはっきりと分かる死を体現していた。
それでも、諦めきれないのか、あるいは懇願にも似た動機なのか──
「だとしても! 俺が助けるんだよ!!」
忘れられていた涙は、二筋流れ落ちる。
普段言葉で繕ってはいるが、誰よりも優しい男が彼だった。
強く断言された言の葉に、溢れこぼれる想いが募っていたのだろう、対峙する細い男にも僅かであれど感情は伝播する。
「助からないと言っているのです!」
優しい男の涙は二筋だけで終わりだった。
烈火の表情でガルガが吠える。
「てめえがやったことだろが! そんなてめえが──俺の邪魔をしているんじゃねえよッ!」
互いの想いの代弁だと言わんばかりに、剣と拳が激しく交差されていく。
友であったはずの二人の戦いは、苛烈さを増しながらも、未だ始まったばかりだった──。
『この世界には明確なルールがある』
ライラの死によって世界が巻き戻ることは決してない。
本来死とは不可逆的なもの。
死によって巻き戻ること自体が、自然の摂理に対する大きな侮辱であるのだ。
事切れた彼女は当然初めての経験であり、彼女自身はその道理を理解さえしていなかったことだろう。
死を迎えた者の感情はどうであれ、世界は終わりか継続かの二択を必然的に選択した。
ゆえに今の時間は、選択を終えた世界の延長上に存在している。
──世界が後者を選んだことに弛緩を覚え、思考に寄り道の余裕が生まれてしまったらしい。
──死闘を眺めながら、別途の思考が流れてゆく。
──真っ先に思ったことは、あのアケノカムイの豪胆さ……否、異常さの際立ちだった。
──まさかライラに、ああも懐いていた彼女に、ためらいなく一刀を入れることが出来るなど想像していない。
──また、振るわれたタイミングも絶妙で、想定外を突くものであったことも否定は出来ないだろう。
──あの男はどこまでを想定していて、何手先まで読んでいるのか。
──これも予測の範囲外のため、一切の詳細が知れない。
──底知れぬ思いは間違いなくあるが、「だが」とも思う。
──アケノカムイが描いた物語は、どこまでも茶番に過ぎない。
──茶番だからこそ、今回は、今回だけは、lieによって未来が確約されている。いいや、確約させた。
──それでも、思考はそこに行きついてしまい、問いは結局浮かび上がる。
──この先、同様の事態が発生した時。あの男は何を思い、その後、どう行動するつもりなのだろうか?
傍観者の問いに答える者は、今はまだ、ここに存在していない。
*****
「おう、目が覚めたか?」
……ううん? ガルガ?
目を開けるとドアップの赤毛の大男。
意外にまつ毛が長いのだなと、月並みの感想を思わず浮かべてしまう。
身長がそれなりに離れている私たちなので、彼がしゃがみ込んでいるのだと推測した。
私はどうも寝転がっているようだ。
「……とりあえず、生きていやがったわけだな……」
上体を起こしていたら、ガルガにいきなり酷いことを言われてしまう。
起き掛けで「生きていやがった」は流石にない。
口が悪いところが彼の欠点であり可愛いところだが、その台詞はあまりにも人に向けるのに適していなくて……って、あれ?
自身の両手をパタパタ動かして、思わずその場でバンザイの姿勢を作る。自由に身体を動かすことが出来た。
「私生きているし!?」
「おう! ばっちりとな。──てなわけで、殴らせろや! このクソカムイ!」
「……ええ、約束は約束です。いいで──がはっ!」
カムイ様が「がはっ!」って言った!
カムイ様が「がはっ!」って言った!?
思わず二回繰り返してしまうくらいには衝撃的な台詞と光景だった。
よく見ると二人とも服がボロボロで、傷もいっぱいあるような……?
「正直物足りねえが……そこそこスッキリはしたかもな」
手をパンパンと叩き、ガルガがサラッと宣う。
「何やってるの!? ガルガ!」
驚きと共に立ち上がり、ガルガのことを『何やってるの!? このバカ!』みたいな目で見てしまう。
多分、私の目は真ん丸にもなっているだろう。
だって、ガルガの腰の入ったパンチは吹き飛ばす勢いで放たれていて、あのカムイ様が! あのカムイ様が、尻もちをついてしまっているのだ!
左頬に拳の跡が残っているようにも見えてとても痛々しい。すぐにでも腫れてきそうだなと思い──なんとーっ!?
間抜けな心の声でビックリの度合いを表現してしまった。
カムイ様の倒れた、そのすぐに隣には──と言うかもっと早く気付きなさいよ私!
「河野橋さん!?」
河野橋涼香さんが先ほどの私と同じく仰向けに倒れていた。
眠っているのか、意識がないのか、目をつむって呼吸だけが一定のリズムで行われている。
私の上げてしまった大声に、何故だか肩をグルグル回していたガルガが、
「お前も知り合いだったのか? アレが黒野郎の正体だったぞ?」
とんでもないことをサクッと言われてしまったが、黒野郎ってあの黒ローブのことでしょう!?
「えぇーっ!? 河野橋さんが黒ローブだったの!? ……ん?」
一度驚いていてなんだけど……それほど意外な感じはしなくて、むしろしっくりくるような?
首をひねっていると、答えはすぐに分かる。
今まで全く未知の人の可能性を考えていたから錯綜していたものの、ツミビの名有りキャラに絞ってみれば、黒ローブの適当な該当者は彼女くらいしか消去法で残らないのか……。
我ながらメタ的な答えの導き出し方だったが、自己解決は出来たので一人でウンウン頷いてみた。
……原作知識を役立てることが出来るとか昨日断言しておきながら、この体たらくで泣きたくなってくるね。
「……お前、実はまだ記憶の整理が出来ていないだろ?」
ガルガが半目を向けてくるのが不思議だったので反論してしまう。
「え? 河野橋さんで合っているよね? あ、周囲の音がしないから結界はまだ解けていないんだ? サヤミナも居ないんだっけ?」
思い浮かんだ言葉を手当たり次第に述べてしまっていた。
脈絡というものがないような台詞が完成したので、ガルガの指摘はごもっともかもしれない。
「今更、黒野郎とか結界のことはどうでも良いんだよ。──お前、クソカムイに何されたのか覚えていないのか?」
「カムイ様に……? ──はっ!? 私生きているし!?」
驚いて、また驚いて、徐々に実感が湧いてきた。
私、とんでもない目に、もしかして遭ってない?
「その台詞は最初の時に既に言っていただろうがよ……。だがまあ、そう言うことだ。そこのクソにライラ──お前は殺されたんだよ」
遂にクソ扱いだけになってしまったカムイ様。
その瞳はすっごく申し訳なさそうにしているけど……ようやく思い出した!
私の平たい胸、多分心臓辺りをカムイ様に貫かれたんだった。
……って、心臓!?
何てことをしてくれたんですか!? カムイ様!?
私死んじゃいますって!
……でも、こうして生きている?
ハッとする。
「まさか! ここが死後の世界!?」
ガルガに半目を重ねられた。
流石に失礼だよ! プンプン! ……なんかキャラがブレているな、私。
「やけに高揚しているなお前……」
ガルガも同じことを思ったらしい。
だけど、それ以上は指摘されずに彼は続けた。
「俺もそこのクソも死んじゃいねえし、黒野郎の中身だってしっかり生きているさ。──当然ライラもな……。詳しい説明はそこのクソ野郎にでもしてもらえ。そんでクソをクソ思いっきし殴るなり刺すなりしやがれ」
「なんて物騒!? ……でも、全然状況が呑み込めません。カムイ様、ご説明お願いしても大丈夫ですか?」
ひとまず皆生きていることは分かったけど、現状に至った理由がさっぱりである。
いつもの調子でカムイ様に説明を求めてみた。
……私を殺した人? らしいけど特に嫌悪感とかは抱かない。
なんだかんだで、私の中では永遠のヒーロー、ツミビのメインヒーロー様だからなのだろう。
「……いえ、むしろ説明するのが僕の責任と義務であり、その後、あなたに何をされても文句は言えない立場です」
口調はいつも通りのカムイ様だけど、いつもよりも更に殊勝になっている気がする。
本当に何が起きてしまったのだろう?
戦々恐々したところで、ガルガが口を挟む。
「……本気でやるつもりだった奴が今更責任と義務ねえ……。まあいいさ、その後付けの説明をライラに聞かせてやれよ」
「……ガルガ、その件で誤解されているのは当たり前でしょうが、決して僕は──」
その瞬間、空気が一気に緊張感を持つ。
ガルガの瞳は冷静に冷たくて、まるでカムイ様を睨んでいるかのようだった。
「今は流してやると言っているんだ」
「…………」
二人の視線が交錯する。
カムイ様からの反論は、今度はなかった。
何、この雰囲気は?
ガルガは芯の通った声でもう一言だけカムイ様に告げる。
「──次はない。腹は決まった。てめえが覚えておけば良いのはそれだけだ」
「……分かりました。覚えておきましょう」
「……ふん」
え? え?
対面の二人の空気が一触即発で最悪なんだけど……本当に何があったのよ!?
今自身で分かることは、一応カムイ様に心臓を突きさされたっぽい事実で、でも、胸に傷さえなくて……。
服とかにも"血は付いていないんだよね"。
でも、やっぱり、カムイ様に刺された記憶はある感じだし……
「その……緊迫している雰囲気の中、すみません。やっぱりわけが分からないので、説明を何とかお願いします……」
控え目に言ってみた。
自分のキャラがブレている感じはまだ残っているのかも。
「……はい、そのつもりでした。ただ、長話になることだけはあらかじめご了承ください」
そう前置きをして、カムイ様は説明を開始した。
ガルガは腕組をして、興味なさげに私とカムイ様を見ている。
何となく臨戦態勢にも見えるのは私の気のせい?
「まず、昨日から続いた黒装束のドールによる襲来の件です。この発端にして、事の真相に当たるものが……」
カムイ様がいきなり本題に斬り込む。
……内容が内容だけに河野橋さんの意識がなかったことは、幸いだったのかもしれない。
私の心臓は一気に跳ねる。
想像すらしていなかった台詞だったからだ。
金髪の王子様は確かに述べた。
「──ツミビトライクと呼ばれるものです」
「ツミビ!?」
何でカムイ様がツミビトライクなんて言葉を発しているの!?
その言葉を知っているのは、この世界で私だけのはずじゃないかったの!?
頭の中が疑問で占められる。浮かぶ言葉はシンプルなのに、あまりにも困惑が深かった。
「ツミビトライクです。聞きなれない言葉なのも無理はありません」
いつもの略称を使っていたからか、カムイ様は勘違いをしてくれた。
私が上手く聞き取れなくて、単語を反芻しているのだと思われたようだ。
好都合だけど、私の頭の中の混乱は磨きがかかり、何が何だか心底意味が分からない。
まさかカムイ様もツミビユーザーだったりするの!?
続く説明は想像以上で、予想外が過ぎた。
「罪人ライクとは歴史の中に葬り去られた歴史上三人目の偉人です。彼は建国の祖、賢人アケノと英雄カムイに肩を並べた、彼らのかつての盟友でした。……ですが終戦後、大罪を犯し、永遠にマイソディエルの国からは存在を抹消されることになります。そして、今やその名を知っている者は、国主に近しいごく一部の人間だけです」
ツミビト……ライク?
もしかして、罪人ライク?
……まさか人の名前なの!?
そんな……そんなはずはない!
ライクなんて名前は原作にチラリとも出て来なかったし……いや、カムイ様がその理由を今教えてくれたところけど、そう言うことじゃなくて!
ツミビトライクは『罪日とlike』の意味のはずで、そのタイトルはグランドエンディングの最終独白である『あの罪の日を好きになれるかもしれない』に由来している、はずなのに……。
何で……何で! 大昔の偉人で更には罪人の名前なんかになっちゃっているのよ!?
私の怒涛の勢いで流れる感情などつゆ知らず、カムイ様は見当外れの気遣いをしてくれた。
「僕たちの世界の歴史を覆す事実なのです。ライラの混乱は無理もないことでしょう。しかしながら、これはあくまでも説明する上での前提でしかありません」
私は雰囲気に圧されて息を呑む。
「……心して聞いてください、ライラ」
あまりにも真剣な表情でカムイ様は説明を継続した。
ガルガに助けの視線を一度投げかけてみたが、黙して口を挟む意思はないようだった。
「歴史から抹消された罪人ライクは、賢人アケノと英雄カムイに断罪された後、その所在が知れなくなっています。王室に一冊だけ残されている記録にも、はっきりとその後の消息は不明と書かれていました。……罪人を逃した可能性に考慮して、後の世で歴史から葬り去られたのかもしれませんね。今は詮無きことです」
そこで一息吐き、彼は真っすぐに私の目を、その奥を見てきた。
ゾクリとする。
今、カムイ様に恐怖を抱いたの私……?
「結論から言いましょう。罪人ライクはこの世界、日本あるいは地球と呼ばれる場所に、その存在を僕たちと同じく転移させていたのです。そして──」
静かに、私にとっての結論は述べられる。
「罪人ライクは──ライラ、あなたでした」
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