【完結】少女は勇者の隣で"王子様"として生きる

望田望

文字の大きさ
上 下
35 / 54
●強制イベント

星を見上げる夜①

しおりを挟む
 お茶を楽しんで夕食を取る。ヒダカは少し疲れていたようだけど、丁寧に妹たちに接した。

 食後のお茶も飲み干した頃、妹たちが困ったように時計を見だした。そろそろ帰らなきゃいけない時間だ。従兄とはいえ、未成年の二人が外出するにはそろそろ遅い時間だった。

「ヒダカ兄さん……」

 困ったような、ねだるような声で呼びかける。あわよくばこのまま泊まるように言わせたいのだろう。分かってしまう自分が嫌になる。

「ああ、もうこんな時間か。魔導車を用意するから、気を付けて帰るんだよ」
「でも、私、エイデンさんが心配です。よかったら、その……」
「ありがとう。その気持ちだけで充分だよ。今日はいい気分転換になった」

 その言葉で二人は引き下がるのを止めたようだ。渋々と玄関に向かい、帰り際には本当に名残惜しいとばかりにヒダカと抱き合う。

「じゃあ、ヒダカ。また明日ね」

 僕も妹たちに続いてヒダカの肩を叩いて出て行こうとした、腕を、強く握られる。

「ヒダカ?」
「ルメル、もう少し付き合って?」
「え、と……」

 咄嗟に妹たちの様子を伺ってしまう。当然嫌そうな顔をしている二人のことが気になるけど、嬉しいと思ってしまうのも否定できない。

「ルメル」

 どうせ答えは決まっているのに、一瞬だけ迷ってしまう自分が理解できない。後押しするかのように名前を呼ばれて、いつも通りに口角を上げる。

「疲れてるみたいだけど、飲めるの?」
「勇者舐めるなよ? 久しぶりに飲みたい気分なんだ」
「僕はまだ飲み慣れてないんだから、お手柔らかにね」

 ヒダカの隣に立つと、振り返って妹たちを見送る。二人は兄に向けるとは到底思えないような鋭い目つきで僕を見ていた。罪悪感と少しの優越感。それから、あの子たちはもしかしてずっとあのままなのかもしれないという恐怖が入り混じった。



 今日は泊まる約束をしてしまったので、寝る準備を終えてからヒダカの部屋に行く。コンコンコン。叩いた音がやけに廊下に響く。

「ヒダカ、入るよ?」
「ああ」

 扉を開くと、部屋の奥にある大きな窓の前に立ったヒダカがいた。外は星々の明かりが煌めき、逆光になって影だけが見える。

「明かりくらい付けたら?」
「いや、今日はこのままで頼む」

 手近な照明に魔力を通そうとした手を止める。

「……ん、分かった」

 廊下よりも深い毛足のカーペットを踏みつけてゆっくりとヒダカの隣に並び立つ。室内に伸びる影が、まるで大人と子供のようにも見える。

「飲んでなかったの?」
「乾杯はするものだろ?」
「そうだね、じゃ」

 星を見ながら酒を飲むためだけに用意された透明な小さいテーブルの上から、すでに酒で満たされているグラスを取って差し出す。

「ありがとう」
「ん」

 僕もグラスを取ると立ったまま乾杯する。グラスがぶつかるカチン、という音。お互いに一口飲む。

「僕はこっちの方が好きだな」
「乾杯の仕方か?」
「そう。こっちの方が簡単じゃない?」
「俺は昔ながらのやつも好きだけどな。このグラスだとやりにくいけど」

 こんな格言がある。「酒の飲み方に文化が出る」と。

 この国ができてもう何千年と経っているから、今さら三種族の文化に大きな違いはない。

 だけど細かく探せば、残留した東の国の文化や、地方に行けばその分だけ違う文化がある。文化毎に乾杯の仕方はあると言っても、きっと嘘じゃない。

 ここ十年ほどの流行りは正に今のような、ドロップが持ち込んだグラスを持ち上げ軽くぶつける方法だけど、その前はヒダカの言う方法が普通だった。

「あれ、いいよな。信頼してる感じがする」
「物は言いようだよね。やりたくない相手ってあるじゃない?」
「そうか? 俺は気にしないけど」
「んー?」

 僕は首を傾けた。多分、これは僕が女だから感じるのかもしれない。ヒダカが言っているのは人間族の乾杯の仕方だ。正式にしようとすると色々と手順や作法があって面倒くさいのだけど、そこは省略する。

 僕が一番気になるのは、お互いに相手のグラスから一口もらわないといけないことだ。これは男性だけの風習で、要は毒など盛っていませんよってことなんだけど、よく知らない人が口を付けたグラスを進んで使いたくはない。

 さらに一口飲む。まだお酒の味の良し悪しは分からない。闇色の飲み物は、グラスを揺らせば空に輝く星々の光が映り込む。

「ビアってのが、あった」
「なに?」

 急にヒダカが口を開いた。

「俺がまだ向こうにいた頃、大人はよくビア……ビール? どっちか忘れたけど、よくそれを飲んでたんだよな」
「どんなお酒なの?」
「薄い黄色で、ポップスみたいに泡があって、苦いって言ってた」
「まあ、確かに。お酒って甘いものは少ないよね」

「俺の周りの大人は……多分、父親とか母親はそのビアをよく飲んでた。俺が飲んでみたいって言うと、決まって『まだ早い!』って笑われてたな」

 ヒダカがグラスに視線を落とす。目の奥が何だか自信なさそうに揺れている。隠したかったのかもしれないけど僕からは丸見えだ。

「こっちに来てしばらくしてから、グランパに話したことがあるんだ。そんな酒があったんだって。グランパさ、かなりの酒好きでさ。夕食後はよく一人で飲んでた。グランマはお茶飲んでたけど、たまに誘われて飲んでた。俺は温かいジュースとか、甘いミルクとか出してもらった」

 僕は黙ってヒダカの顔を見つめた。彼はお酒に浮かぶ星をぐるりと交ぜて、パチパチと瞬く。

「三人で全然別のもの飲みながらその日あったこととか、明日の予定とか、近所のちょっとした噂とか、嬉しかったこととか、嫌だったこととかを話したんだ」
「……楽しそう」

「楽しかった。楽しかったんだよな、今思えば。あのときはそれが当然だと思ってたし、ずっと続くって信じてたから。何もかも無くしたことがあるのにバカだよなぁ。明日も明後日も、学校行って、友達と遊んで、帰ってご飯食べて、グランパの酒に付き合いながら色々話をして、ちょっとだけ夜更かししてまた明日が来る。将来なんて考えたこともなくて、毎日あったことだけが全部だった」

 握りしめたグラスの細い部分にヒビが入る。自分のグラスをテーブルに置くと、そっとその手を緩めさせる。

「そんなものじゃないかな。僕もそうだったよ。劇団で、上も下も関係ないような、みんなの中でいつも走り回ってた。勉強と、劇団の手伝いと、ご飯と。みんなで遊ぶのが毎日楽しかったなぁ。ヒダカと違うのは、将来が決まってたことくらいじゃない?」

「役者になるつもりだったんだろ?」
「裏方でも良かったんだけど、僕、ほら、可愛かったから。みんなが放っておかなかったんだ」

 満面の笑顔を浮かべて、わざと茶化したような言い方をした。

「ルメル」

 ヒダカはそれに答えることなく、体ごと僕に向き直ると、一歩こちらへ踏み出した。

「ヒダカ?」

 最初から僕らの距離は人一人分も無かった。一歩進めばそれはつまり、もう体と体がくっ付いてしまう。

「ひだ……」

 ヒダカがジッとこちらを見る。

 熱い。あんまり熱くて、僕の目も熱くなってきた。

 ……あ、これ、逃げられないヤツだ。

 ジッと見返していると、ジリジリと彼の顔が近づいてくる。

 え? え? 何?

 目から気持ちが読み取れない。何をしたいのか分からない。ヒダカは鼻と鼻がくっ付いてしまいそうな距離で止まる。思わず無様に両目を強くつぶった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!

珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。 3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。 高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。 これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!! 転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

処理中です...