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第三章 ゲームは動き出す

今の僕たち①

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 昨日の夜は少し冷え込んだから、いつも比べて空気が綺麗な気がする。大きく吸い込むとジワリと肺が冷えて心地いい朝。僕は住んでいる首相官邸の門戸を潜って大通りに出る。周辺のほとんどが豪華な住宅ばかりで、フサロアス家はその中の半分ほどを占めている。

 最近道が平坦に整備されてきたコナト大通りにはたくさんの人が行き来している。急ぎ足で職場に向かうのであろう使用人風の女性。ゆったりと散歩しているのであろう裕福そうな男性とその護衛らしき子供。子供に見えるけど、あれは多分悪魔族なのだろう。

 僕の立場で堂々と大通りを一人で歩くのは少し危ない。能力的にはある程度のことは対処できるけど、反対勢力はたくさんいるのでどんな手段に出るか分からない。それに、騒ぎになってしまったら色々な人に迷惑をかけてしまう。本来なら魔導車で移動しなければならないところを断って、簡単な変身魔法を使って身軽に歩く。

 商業エリアの方からは、朝市特有のざわめきが届く。きっと「今日はダダアが安いよ!」とか「熟れたサジナリだよ! どうだい!」とか快活な掛け声が飛び交っているのだろう。

 その声に背を向けて中央議事堂に向かって十分ほど行くと、真新しい堅牢な建物にたどり着く。ここは開所から毎日のように通う場所で、様々な人たちの修練の場でもある。

 出来上がったのは僕が十六歳になった頃で、僕たち勇者パーティーは開所式にも列席した。

 中には様々な施設があって、天啓があった日からすぐに設立案が出て建てられたにも関わらず、この一年半、不備を感じたことは一度もない。大した期間もなかったのに神試合への力の入れ方がよく分かる。

 門戸は正門と裏門の二つだけ。両方に優秀な警備が三人ずつ立っている。僕は正門に着くと、魔力感知器に手を翳して魔力を流す。魔力の質は一人一人違うので、こうして本人確認を行っている。バイレアルト教授の発案だ。あの人は素晴らしい魔導士であり、発明家であり、魔道具家でもある。本当にすごい人だ。

 その後も二回身元確認を行って初めて施設に入ることを許される。中は最新の魔導研究所を兼ねた場所や、東の国の情勢をまとめた資料があったり、神試合への戦闘士・魔導士選定試験が行われていたりするので、どうしても守りは厳重になる。

 一階に用はないので、すぐに二階へ向かう。この階には魔導士のための修練用具が揃っている。例えば集中して魔力を高めるための個室や、コントロールを鍛えるための部屋。魔力に関する研究をするのもこの階だ。

「ルメル様、おはようございます!」
「おはよう」
「おはようございます」
「うん、おはよう」

 人とすれ違う度に立ち止まって声を掛けられる。それだけ僕は有名になった。つい先日、中央政府は勇者パーティーが完全に決定したことを大々的に公表した。メンバーに追加はなく、ヒダカ、エルゥ、セナ、僕の四人だ。他にもたくさんの方面からメンバー追加のアプローチがあったけど、ヒダカは増やそうとしなかった。

 そう言えば、ヒダカが強くなったことで誘拐騒ぎのようなことはあれ以来一度も起こっていない。反政府組織や東の国からヒダカに接触することは多々あったけど、彼は一度も揺さぶられることはなかった。少なくとも、僕から見える範囲では彼は変わらず西側の味方で、出会ってから六年間ずっと僕の親友だった。

 目的の部屋に向かっていると、研究室の一室から「エルウア様が」と聞こえてつい足を止める。研究室は、完全に防音になる部屋と開放的な部屋と様々だ。アイデアを浮かばせるためには開放的な部屋の方が好都合で、集中して実験するためには防音が向いているらしい。気になって続きに聞き耳を立ててしまう。

「とうとうこの前、プロフェッサー・バイレアルトの病気を鎮静化させたらしい」
「プロフェッサーはもうかなりの御歳だろう? 想像もつかないな」
「この五十年、人間族以外の寿命はほとんど伸びていないが、エルウア様の存在で光明が見えたと言っても過言じゃない」
「光魔法の研究にも訓練にもとても熱心だしな。ご自身の体を題材に研究を進められる自己犠牲には頭が下がるよ」

「聖女様か……。これほど似合うお名前もない」
「愛らしいしな……」
「あの大きな瞳に見つめられたら、何も言えなくなってしまうに違いない」
「妄想は口に出すな」
「せめて一人のときにしろ」
「お前らだって似たようなこと考えてるだろ!」

 深く息を吐く。もし悪く言われていたりしたらとつい立ち聞きしてしまったけど、何のことは無い。彼女は誰からも愛されているという事実が分かった。はしたない真似をしたことを誰にともなく謝ると、そっとその場を離れる。


 そのまま長い廊下を一番奥まで歩いて行くと、他とは一線を画す存在感の部屋がある。その部屋だけは使用者が固定されていて、漏れ出る魔力量が桁外れだ。それに、他の部屋は内鍵を掛けられるとしても、基本的に誰でも出入りができる造りだけど、この部屋には正門で手を翳した魔道具と同じ物が付けられている。つまり決まった人間しか出入りが許されていない。

 僕はさっきと同じように手を翳して魔力を流す。

「登録確認。施錠を解除します」

 どこかで聞いたことがあるような声が入室許可を出して開錠してくれる。そっと扉を押すと、そこには目的の人物がいた。皺だらけになった研究着の袖をグルグルと二の腕まで捲って、新しい魔道具の中を弄っている。髪はボサボサだし、目は充血している。

「セナ、またここに泊まったの? ほどほどにしなよ?」

 当然セナは答えない。無視しているわけじゃなくて、本当に聞こえていないほど集中しているのだ。

「セナ? ご飯は食べたの?」

 やはり返事は無い。ため息を付くと、机の後ろにある接客用と言われて用意したソファーの上に視線を向ける。案の定そこにはエルゥが贈ったひざ掛けが無造作に置かれていて、隅の方には丸めて凹んだ外套がある。今日はソファーで寝ただけマシな方だろう。酷いときは机に突っ伏していたり、床に転がっていたりする。

 その手前にあるローテーブルの上には食べ散らかされたフルーツや、最近流行りの『ウーバー』で取り寄せたのだろう持ち帰り用の料理の空容器が乱雑に乗っかっている。

「ごはん、食べたんだね。偉い偉い」

 ウーバーはセナの生命維持の救世主だ。前はお腹が空いても買いに行くことすら億劫がって何食も食べないこともあったのに、ボタン一つで馴染みのご飯屋に連絡がいく魔道具を開発してからは、かなり食べる頻度が上がった。たまに冷えたまま忘れ去られていることもあるけど、食べようとする努力が見られるだけでホッとする。空腹は勝利の巨大な敵の一つなのだから。

 僕は簡単にローテーブルとソファーを整えると、部屋の主より来客の方が頻繁に使っているティーマスターに茶葉と水をセットして電気を流す。

 こんな風にセナの世話をすることを、僕らは身内でセナ係と呼んでいる。そして本日のセナ係は僕というわけだ。本当はもう少し自分のことは自分でして欲しいけど、これでも何かに熱中しているとき以外はしっかりしてきたので、多少のことは仕方ないと笑うしかない。

 何せ、それをして余りある結果を出すのだから、誰も強くは言えないのだ。彼女は知り合ってからの三年半で、革命的とまで言われる魔道具を実用に耐える形として造り、新たな攻撃魔法を創造し、さらに数文字の詠唱短縮を成功させようとしている。

 僕らとしては、そんな素晴らしい結果のあれこれより、セナ自身がとても楽しそうなので、まあ、いいか。と言う気分にさせられている。

 ソファーに座って魔導端末を開き、新しく歩兵入りした戦闘士の人数や、諜報士から入ってきた東の国の様子などを流し読みする。


 僕らは、まだ十六になったばかりのエルゥを除いた全員が全ての教育課程を修了した。日々行うのは自己鍛錬と、模擬訓練、自分の立場に沿った情報収集に対外活動などだ。


 神試合の開戦まで残り半年ほどだと予測されている。我が国は決戦に向けて、仕上げの段階に入っていた。
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