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第二章 ゲームの始まり

静寂と喧騒

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 静かだ。カチ、カチとナイフが肉を切る微かな音だけがたまに響く。使用人は一言も話すことなく定位置に立って目を伏せている。何か不測の事態が起こらない限り、自分の職務まで彼らは一切動かない。そう言い付けられている。

 僕は一流のシェフが作った豪華な食事を淡々と口に運ぶ。部屋を出てすぐの頃こそ素晴らしい味付けや素材の贅沢さに感動したけど、それも一ヶ月もしたら飽きた。

 あの小さな部屋では一人の食事が当たり前だったから気付かなかったのだ。共有する相手のいない寂しさに。コクのあるスープも、肉汁の溢れる肉詰めも「美味しいね」の一言さえ言う相手がいない。

 本当に先ほどの騒がしさが嘘のようだ。ヒダカの家に行ったときには夕食をご馳走になることも多いけど、今日は彼女たちと同時に彼の家を出た。少し冷静になりたかったからだ。彼の家とこの家の温度差はひどく苦しかったけど、僕には救いでもあった。目的を思い出すためには冷静になる時間が必要だからだ。

 追い立てられるように血の契約をしたあの日から早いもので二年以上が経った。僕はもうすぐ十五歳になる。子供じゃなくなってきて、分かったことがある。

 あの日、多分僕は騙された。血の契約をする必要はなかったのだ。学べば学ほど、逃げようと思えば逃げられたことが分かってしまった。僕は、本当は逃げられたのだ。だけどあのときは、人が、明かりが、優しさが恋しかった。あの部屋から一生出られないのではないかと思ってしまっていたのだ。

 酷い後悔が押し寄せる。ガチッとナイフとフォークが皿の上を滑る。

 恐らく、僕は、ううん、私は、ヒダカを恋しく思っている。大切な友人。それは間違いない。でも、今日珍しく苛々していたのは、ヒダカがエルウアを受け入れたからだ。彼女はヒダカの内側に入ることができる人となったかもしれない。

 いやだ、と心臓が叫ぶ。苦しい、苦しい。心臓をぶちまけたい。

 でも、僕は同じステージに立つことすらできない。ヒダカの大事な友人だからだ。彼のことを一番に考える唯一の理解者でなければいけないからだ。契約を結んでいる以上、性別を明かすことはできない。

 悩んでいてもお腹は空く。肉詰めを完食すると、少しして冷やしたゼリーが出て来た。透明に光る四角の向こうに久しぶりに見る義母のシャリエの顔が見えて、咄嗟にルメルの仮面を被った。

「ルメル、話があります」
「こんにちは、母さん。お久しぶりです」
「挨拶は不要です。ルメル、あなた聖女と賢者を勇者との訓練に誘ったと聞きました。本当ですか?」
「お耳が早いですね。その通りです」
「何でそんなことをっ! 勇者は賢者を疎んでいたと言うじゃありませんか! そのままにしておけばいいものを!」

 シャリエが目を見開いて僕を見下ろす。反射的に心音が早くなった。何か、何か答えなければ。僕は弾かれるように答えを用意した。

「でも勇者は聖女を特に気に入っているようでしたっ……」
「それがなんです」
「知らない内に距離を詰められるより、近くで監視できるほうがいいと判断しました」
「また減らず口を。まったく、仕方ありませんね。くれぐれも聖女には気を付けなさい。勇者の相手はこちらで慎重に選びます」
「……妹たちですか?」

 ポツリと口から思っていたことが零れ落ちてしまった。怒鳴られるかもしれない。お腹に力を入れて衝撃に耐える。

「お前には関係のないことです。でも勇者には近いうちにあの子たちを会わせます」

 力強い言葉の全てがきっと現実になるんだろう。僕はただ淡々と「分かりました」と答える以外の選択肢を持っていなかった。




 合同授業と訓練の申し出は意外なほど簡単に通った。エルウアはともかくキリセナは絶対に嫌がると思っていたけど、どうやら教授がかなり口添えしたらしい。

「と、いう事で。来月から週に三回。一緒に授業と訓練をすることになったから」
「ふーん?」

 翌週ヒダカの元を訪れると、恐ろしく機嫌が悪かった。こうなるだろうとは思っていたけど、あからさま過ぎて逆に笑えてくる。認めたくないけど、優越感を満たされているという後ろ向きな感情もあると思う。

「ヒダカ、そんなに拗ねなくてもいいんじゃない?」
「拗ねてるよ」
「み、とめるんだね……」

 素直に認められて心臓が音を立てる。誤魔化すように笑って言った。

「週に三回なんだし、機嫌直しなよ。そんなに僕と二人がよかったの?」
「いつもそう言ってるつもりだけど?」
「ああ……うん、そうだね」

 そうだった。彼は僕と二人で毎日を過ごしたいと、言葉と態度でそう伝えてくれていた。少し俯く。それでも今後のためにもエルウアとキリセナとは仲良くなっておいたほうがいい。そう自分に言い聞かせた。

 数学の授業が終わって、次の語学の授業との合間。午前中のまだ涼しい時間。ヒダカは数学の教本から目を離さない。その横顔を、頬杖を付いて見つめた。

 こんなにも好かれていることが嬉しくて、苦しい。けど、きっとあと数年もしたら僕はよくて二番目になるのだろう。それが怖い。

「俺さ」

 急に視線を向けられて目を瞬く。何? と聞くように首を傾けた。

「誰よりも強くなりたいんだよ。勇者にはさ、別になりたいわけじゃなかったけど、でも努力すれば誰よりも強くなれる可能性があるのはラッキーだと思ってる。それから、頭もよくなりたい。バカじゃダメだと思ってる」
「そうなんだ」

 ヒダカが口を開いて、一度閉じる。続きを話そうとしたのだろう。でも閉じたまま口を開いてくれない。彼がここまで強さにこだわっているのは初めて知った。何かきっかけや理由があるのだろうか?

 聞こうとして、僕もまた口を閉じた。その理由を聞いてしまったら戻れなくなる。そんな気がして、そっと目を逸らす。瞼の裏に視線を感じたけど、そのままにしておいた。

 コンコンコン。その内に扉をノックする音がする。語学の授業を担当している教授が来たのだろう。

「どうぞ」

 この家の人間であるヒダカが許可を出す。僕たちは揃って背筋を正して、授業に向けて集中した。




 合同訓練は魔法学を中心に行われることになった。女性陣は剣を使わないので、剣術の訓練中は基礎体力を上げる運動をしているからだ。体を伸ばしたり、走り込みをしたりしている二人を遠目に見ながら僕らは剣を振るう。最近は冬に向けて気温が下がってきているので、体が温まるまでに時間がかかる。準備運動は念入りにした。

「あの二人はどこまで行軍訓練を修了しているの?」

 素振りが終わったところで、行軍訓練の引率も兼ねている馴染みの兵士に聞いた。

「おい、まさかかと思うけど、行軍訓練まで一緒にする気じゃないだろうな?」

 ドリンクを飲みながらヒダカが話に割って入る。言いたいことは分かったけど、これに関しては本当に早めに対処した方がいいと思う。

「でもさ、あの二人と神試合に行くなら最低限の訓練はしておいてもらわないと困るのは君だよ?」
「何も俺たちが訓練まで面倒見ることないだろ」
「知っておいた方がいいことって、あると思うんだよなぁ」
「どういう意味だ?」
「ルメル様は、何かご存じなのですか?」

 探るような視線がただの噂を確信に変える。

「ああ、うん。小耳に挟んだ程度だけど……」
「なんだ? どうした?」
「賢者様と聖女様の行軍訓練のことだよ」
「……ああ」

 ヒダカと手合わせをしていた兵士も寄ってきて微妙な顔をする。僕は遠くを見て聞いた。

「進んでいないんだね?」
「はい。全く」
「はぁ? エルウアはともかく、キリセナは? だって、あいつ!」
「うん、言いたいことは分かるよ」

 キリセナは年齢で言えば僕たちのかなり年上だ。悪魔族であることを差し引いても、一つも修了していないのは大問題なのだ。ヒダカの肩に手を置くと、兵士の二人も同意するように頷いた。

「でもね。あの性格だし……。生活力がないことで有名だって聞くでしょ」

 呆然としている。僕もそうしたい気持ちだ。

「いや、待て。おかしいだろ。あいつ最年少の天才魔導士だろ? 最低でもサピリルの森くらい行ってるんじゃないのか?」
「プロフェッサーってさ、キリセナに甘いよね……」

 その言葉で全てを察したのだろう。ヒダカがすごく嫌そうな顔をした。ああ、その顔を見るのはいつぶりかな。

「あんのじじい……」
「久しぶりに聞くね、それ……」
「俺たちに会わせたかった理由って、まさかそれじゃないよな?」
「え、えぇ。さすがにそれはないと思いたいけど……」
「分からないだろ、あいつの考えてることなんて」

 視線で兵士たちに問いかけても首を横に振られた。真相は闇の中だ。
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