【完結】少女は勇者の隣で"王子様"として生きる

望田望

文字の大きさ
上 下
18 / 54
第二章 ゲームの始まり

静寂と喧騒

しおりを挟む
 静かだ。カチ、カチとナイフが肉を切る微かな音だけがたまに響く。使用人は一言も話すことなく定位置に立って目を伏せている。何か不測の事態が起こらない限り、自分の職務まで彼らは一切動かない。そう言い付けられている。

 僕は一流のシェフが作った豪華な食事を淡々と口に運ぶ。部屋を出てすぐの頃こそ素晴らしい味付けや素材の贅沢さに感動したけど、それも一ヶ月もしたら飽きた。

 あの小さな部屋では一人の食事が当たり前だったから気付かなかったのだ。共有する相手のいない寂しさに。コクのあるスープも、肉汁の溢れる肉詰めも「美味しいね」の一言さえ言う相手がいない。

 本当に先ほどの騒がしさが嘘のようだ。ヒダカの家に行ったときには夕食をご馳走になることも多いけど、今日は彼女たちと同時に彼の家を出た。少し冷静になりたかったからだ。彼の家とこの家の温度差はひどく苦しかったけど、僕には救いでもあった。目的を思い出すためには冷静になる時間が必要だからだ。

 追い立てられるように血の契約をしたあの日から早いもので二年以上が経った。僕はもうすぐ十五歳になる。子供じゃなくなってきて、分かったことがある。

 あの日、多分僕は騙された。血の契約をする必要はなかったのだ。学べば学ほど、逃げようと思えば逃げられたことが分かってしまった。僕は、本当は逃げられたのだ。だけどあのときは、人が、明かりが、優しさが恋しかった。あの部屋から一生出られないのではないかと思ってしまっていたのだ。

 酷い後悔が押し寄せる。ガチッとナイフとフォークが皿の上を滑る。

 恐らく、僕は、ううん、私は、ヒダカを恋しく思っている。大切な友人。それは間違いない。でも、今日珍しく苛々していたのは、ヒダカがエルウアを受け入れたからだ。彼女はヒダカの内側に入ることができる人となったかもしれない。

 いやだ、と心臓が叫ぶ。苦しい、苦しい。心臓をぶちまけたい。

 でも、僕は同じステージに立つことすらできない。ヒダカの大事な友人だからだ。彼のことを一番に考える唯一の理解者でなければいけないからだ。契約を結んでいる以上、性別を明かすことはできない。

 悩んでいてもお腹は空く。肉詰めを完食すると、少しして冷やしたゼリーが出て来た。透明に光る四角の向こうに久しぶりに見る義母のシャリエの顔が見えて、咄嗟にルメルの仮面を被った。

「ルメル、話があります」
「こんにちは、母さん。お久しぶりです」
「挨拶は不要です。ルメル、あなた聖女と賢者を勇者との訓練に誘ったと聞きました。本当ですか?」
「お耳が早いですね。その通りです」
「何でそんなことをっ! 勇者は賢者を疎んでいたと言うじゃありませんか! そのままにしておけばいいものを!」

 シャリエが目を見開いて僕を見下ろす。反射的に心音が早くなった。何か、何か答えなければ。僕は弾かれるように答えを用意した。

「でも勇者は聖女を特に気に入っているようでしたっ……」
「それがなんです」
「知らない内に距離を詰められるより、近くで監視できるほうがいいと判断しました」
「また減らず口を。まったく、仕方ありませんね。くれぐれも聖女には気を付けなさい。勇者の相手はこちらで慎重に選びます」
「……妹たちですか?」

 ポツリと口から思っていたことが零れ落ちてしまった。怒鳴られるかもしれない。お腹に力を入れて衝撃に耐える。

「お前には関係のないことです。でも勇者には近いうちにあの子たちを会わせます」

 力強い言葉の全てがきっと現実になるんだろう。僕はただ淡々と「分かりました」と答える以外の選択肢を持っていなかった。




 合同授業と訓練の申し出は意外なほど簡単に通った。エルウアはともかくキリセナは絶対に嫌がると思っていたけど、どうやら教授がかなり口添えしたらしい。

「と、いう事で。来月から週に三回。一緒に授業と訓練をすることになったから」
「ふーん?」

 翌週ヒダカの元を訪れると、恐ろしく機嫌が悪かった。こうなるだろうとは思っていたけど、あからさま過ぎて逆に笑えてくる。認めたくないけど、優越感を満たされているという後ろ向きな感情もあると思う。

「ヒダカ、そんなに拗ねなくてもいいんじゃない?」
「拗ねてるよ」
「み、とめるんだね……」

 素直に認められて心臓が音を立てる。誤魔化すように笑って言った。

「週に三回なんだし、機嫌直しなよ。そんなに僕と二人がよかったの?」
「いつもそう言ってるつもりだけど?」
「ああ……うん、そうだね」

 そうだった。彼は僕と二人で毎日を過ごしたいと、言葉と態度でそう伝えてくれていた。少し俯く。それでも今後のためにもエルウアとキリセナとは仲良くなっておいたほうがいい。そう自分に言い聞かせた。

 数学の授業が終わって、次の語学の授業との合間。午前中のまだ涼しい時間。ヒダカは数学の教本から目を離さない。その横顔を、頬杖を付いて見つめた。

 こんなにも好かれていることが嬉しくて、苦しい。けど、きっとあと数年もしたら僕はよくて二番目になるのだろう。それが怖い。

「俺さ」

 急に視線を向けられて目を瞬く。何? と聞くように首を傾けた。

「誰よりも強くなりたいんだよ。勇者にはさ、別になりたいわけじゃなかったけど、でも努力すれば誰よりも強くなれる可能性があるのはラッキーだと思ってる。それから、頭もよくなりたい。バカじゃダメだと思ってる」
「そうなんだ」

 ヒダカが口を開いて、一度閉じる。続きを話そうとしたのだろう。でも閉じたまま口を開いてくれない。彼がここまで強さにこだわっているのは初めて知った。何かきっかけや理由があるのだろうか?

 聞こうとして、僕もまた口を閉じた。その理由を聞いてしまったら戻れなくなる。そんな気がして、そっと目を逸らす。瞼の裏に視線を感じたけど、そのままにしておいた。

 コンコンコン。その内に扉をノックする音がする。語学の授業を担当している教授が来たのだろう。

「どうぞ」

 この家の人間であるヒダカが許可を出す。僕たちは揃って背筋を正して、授業に向けて集中した。




 合同訓練は魔法学を中心に行われることになった。女性陣は剣を使わないので、剣術の訓練中は基礎体力を上げる運動をしているからだ。体を伸ばしたり、走り込みをしたりしている二人を遠目に見ながら僕らは剣を振るう。最近は冬に向けて気温が下がってきているので、体が温まるまでに時間がかかる。準備運動は念入りにした。

「あの二人はどこまで行軍訓練を修了しているの?」

 素振りが終わったところで、行軍訓練の引率も兼ねている馴染みの兵士に聞いた。

「おい、まさかかと思うけど、行軍訓練まで一緒にする気じゃないだろうな?」

 ドリンクを飲みながらヒダカが話に割って入る。言いたいことは分かったけど、これに関しては本当に早めに対処した方がいいと思う。

「でもさ、あの二人と神試合に行くなら最低限の訓練はしておいてもらわないと困るのは君だよ?」
「何も俺たちが訓練まで面倒見ることないだろ」
「知っておいた方がいいことって、あると思うんだよなぁ」
「どういう意味だ?」
「ルメル様は、何かご存じなのですか?」

 探るような視線がただの噂を確信に変える。

「ああ、うん。小耳に挟んだ程度だけど……」
「なんだ? どうした?」
「賢者様と聖女様の行軍訓練のことだよ」
「……ああ」

 ヒダカと手合わせをしていた兵士も寄ってきて微妙な顔をする。僕は遠くを見て聞いた。

「進んでいないんだね?」
「はい。全く」
「はぁ? エルウアはともかく、キリセナは? だって、あいつ!」
「うん、言いたいことは分かるよ」

 キリセナは年齢で言えば僕たちのかなり年上だ。悪魔族であることを差し引いても、一つも修了していないのは大問題なのだ。ヒダカの肩に手を置くと、兵士の二人も同意するように頷いた。

「でもね。あの性格だし……。生活力がないことで有名だって聞くでしょ」

 呆然としている。僕もそうしたい気持ちだ。

「いや、待て。おかしいだろ。あいつ最年少の天才魔導士だろ? 最低でもサピリルの森くらい行ってるんじゃないのか?」
「プロフェッサーってさ、キリセナに甘いよね……」

 その言葉で全てを察したのだろう。ヒダカがすごく嫌そうな顔をした。ああ、その顔を見るのはいつぶりかな。

「あんのじじい……」
「久しぶりに聞くね、それ……」
「俺たちに会わせたかった理由って、まさかそれじゃないよな?」
「え、えぇ。さすがにそれはないと思いたいけど……」
「分からないだろ、あいつの考えてることなんて」

 視線で兵士たちに問いかけても首を横に振られた。真相は闇の中だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!

珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。 3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。 高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。 これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!! 転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

処理中です...