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●閑話休題 チュートリアル

サピリルの森①

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「今日は森へ行きましょうか」
「森?」

 教授が授業の始めにそう言い出した。僕もヒダカもお互いの家に行く道のりにも慣れて、たまにどちらかの家に泊まることすらある。そんなある日のことだった。

「エイデンがとても頑張っていますから、野外活動にしましょう」

 見た目はすっかり馴染んでいるけど、ヒダカはまだこの国に来て五年しか経っていない。たまに突飛なことをしたりして、一般教養に欠けているところがある。大まかな部分は専属の家庭教師にチクチクと注意を受けていて、小さな部分を訂正するのは専ら僕の仕事だ。住み込みの家庭教師と毎日のように会う僕に見張られているようなものなのに、大して文句も言わずに過ごしている。

 ついでに言うと、僕はこの年齢では一般教養のエキスパートな自信がある。小さい頃は劇団で市井の常識を身に着けてきたし、それ以降は上流階級の教養を叩きこまれた。

「チートじゃん」

 とヒダカは言った。彼のお陰で僕はドロップの世界の言葉にもかなり詳しくなった気がする。チートは余りいい意味じゃないらしいけど。

「森ってもしかして、サピリルの森ですか?」
「おや? さすがルメル。よく勉強していますね」
「ありがとうございます」
「ひいきはよくないと思いまーす」
「そんなに私に褒めて欲しいんですか? さっきも褒めたのに、甘えん坊ですねぇ」

 困った、困った。なんて嬉しそうな顔で言うのが本当によく似合う人だ。ヒダカが本気で嫌そうな顔をしている。

「ルメル、俺、本当にこいつ腹立つんだけど……」
「ヒダカ、百近く離れた人に勝とうとすることが間違ってるんだよ……」

 そうは言うものの、聞こえる程度の声でこんなことを話しているのに余裕そうな顔をしている相手に負けたくないと思ってることがすごいと思う。大体の人は面倒になって勝負することを止めるだろう。そもそも国一番の実力者で年齢もかなり上の人なんだし。

「ヒダカって負けず嫌いだよね」
「そうか?」
「そうでしょ?」
「場合によるかな」
「そうなんだ?」
「まあな」
「はい、もういいですか?」
「すみません!」

 コソコソと話していて夢中になってしまった。教授の声も真面目に戻っていて、二人そろって背筋を伸ばした。

「よろしい。さっきルメルが言った通り、行くのはサピリルの森です。エイデン、聞いたことは?」
「あります。首都の東の端にある一番大きな森の名前です。子供が一人で行くことは禁止されていると教わりました」
「よく学んでいますね。ではルメル。禁止されている理由は?」
「はい。まずは純粋に広大だからです。遭難する危険性があります。また、昔から魔力場の強い所が多く、子供がその場所に長くいると魔力暴走を起こすから、と読みました」
「ありがとう。二人ともその通りです」

 魔力場とは、体内にある魔力を活発にする要素のある場所のことで、魔導士などが訓練のためによく訪れる。逆に魔力の基礎操作が下手な内に行くと、活発になった魔力をうまくコントロールできずに高熱や嘔吐を引き起こし、その状態で魔法なんか使おうものなら確実に暴発する状況になる。

 だから、あの森に行くには基礎教育を修了して証書をもらうか、体が成熟したとされる成人してからになる。一般的に基礎教育が終わるのが十四歳なので、僕らは少し早くお許しが出たことになる。

 知らず胸がワクワクと高鳴る。普段行けない場所に、しかも人より早く行けるのだ。隣をチラッと見ると、ヒダカの目もキラキラと光っている。気持ちは同じだ、と思うとすごく嬉しい。
「ルメル」
「ヒダカ」
 二人、顔を見合わせてニヤけるのを抑えられない。僕が拳を上げると、ヒダカの拳がゴツンとぶつかった。
「それで! プロフェッサー! いつ行くんですか!」
「来週か? 明後日か? 明日でもいいぜ!」
 意気込んで畳みかけると、教授は優しそうな顔で微笑んだ。
「だから、さっき言ったじゃないですか。今日、これからですよ」
「へ?」
「さあ、制限時間は今から一時間です。一週間分の必要な物を準備してくださいね」
「はぁぁぁぁぁぁ!」
 百歳のじじいの語尾にハートマークが見えた。僕らの目は目いっぱい水を入れた水槽に浮かぶ小魚のようだったと思う。

 僕らは走った。魔法の授業で走ることなんてまずない。体力的な訓練は別に行うからだ。でも今は急がなければならない。使用人たちの眦が吊り上がろうと、家庭教師の叫び声が響こうと、なりふり構わず僕らは走った。

「ルメル! 俺の服貸すから!」
「ヒダカ! 下着も! タオル、石鹸、食事……食事は? 食事ってどうするの!」
「ルメル落ち着け! とにかく着替えとブラシだ!」
「待って、魔導書……だから基礎教本持ってくるように言ってたんだ!」
「あんの、くそじじぃー!」
「僕、魔導書と魔道具まとめるから!」
「俺は生活に必要そうなやつな!」
「あとっ!」

 二人で顔を見合わせた。

「剣っ!」

 同時に叫んで大きく頷く。

 つい先日、剣の講師に勧められた小ぶりの双剣をホルダーに差す。ヒダカは両刃の大きな剣を背中に差している。

 東の国がどうかは知らないけど、この国の子供はみんな基礎教育を終える頃には何かしら見合った武器を教師に選んでもらう習わしがある。色々な事情で学校に行けない子や行かない子もいるけど、基礎魔法と基礎剣術は学ぶのが一般的だ。

 武器は本人の実力と才能、性格などを踏まえて、最終的には術式で選ばれる。そこに金持ちだからとか、勇者だからとかは関係ない。そんな中、剣を選んでもらうのは男の子の憧れでもあるのだ。

 ヒダカに両刃の剣が選ばれたのは必然かもしれないけど、僕にも剣が選ばれたのは正直に言えば少し驚いた。僕は、契約によって側にいるだけのオマケだと思っていたし、女性が剣を選ばれることは少し珍しい。

 ホルダーを腰に巻いて、硬い持ち手を軽く撫でる。これから相棒になるかもしれない相手だ。一日でも練習しないと腕が鈍る。持って行かない選択肢は無かった。

「よし、ルメル」
「うん、ヒダカ」

 もう一度顔を見合わせて、また準備に戻る。

「こっちはもうすぐ終わるけど、間に合う?」
「なら、そっち終わったらこっち手伝ってくれ」
「分かった」

 魔導書と魔道具などの二人分の教材を詰め込んだ鞄の口を閉じて、ヒダカの隣へ向かう。一週間分の洋服が二人分となると結構な量だから、話し合って三日分に減らす代わりにタオルを多めに持っていくことにした。

「食べ物はプロフェッサーを信じよう」
「そうだな。さすがに食い物ないとかはしないだろ」
「あ、あと水筒とか、あった方がいい気がする」
「確かに。途中で厨房に寄ろう。他、ほか……他に何がいるんだ?」
「わ、分かんない……」
「森の中で寝るんだよな? テントとかいるんじゃないか?」
「てんと? って何?」
「え、テントないの? 寝袋は?」
「どっちもヒダカの世界の物だと思う。聞いたことない」
「なら、寝るときのことは考えなくていいのか?」
「わ、分かんない……」

 さっきと同じことしか言えないのが情けなくて肩を落とす。

「ごめん、僕……」
「ばぁか」
「いたっ!」

 額を指先で弾かれた。なにこれ結構痛い。

「なんでお前が謝るんだよ。最悪、食い物あればなんとかなるんだし、てか俺はそれで平気だし」
「でも、この世界のことは僕が……」
「だからバカって言ってんだよ。いいから、お前が必要な物を言えよ。それ持っていくから」

 言っている意味が分からなくなってヒダカを見る。彼は久しぶりにそっぽを向いていた。

「俺じゃなくて、お前の必要な物があれば充分だって言ってんだよ」
「僕……?」
「何度も言わない」
「あ、りがとう……?」
「で? 何か他にいるヤツある?」

 何だか随分年上みたいな顔をして改めて聞かれた。この国で野宿をするのに必要な知識を聞かれているわけではなかったのだ。一人で勝手に頑張っていたことが少し恥ずかしい。

「う、ん……」

 一日のスケジュールを想像してみる。きっとほとんどが魔法の訓練と授業に当てられる。その他は食事と睡眠と剣の訓練時間はもらうとして、あとは――。

「あ……」
「何か思いついたか?」
「靴」
「靴? なんで……あ」

 僕たちは何度目になるか分からないけど顔を見合わせた。今度出たのは大きなため息だった。
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