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幕間
幕間③ アウグスト伯爵の手に入れたものと失ったもの
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アウグストは1人部屋の中で胸元にぶら下がった不思議な形のアミュレットを弄びながら、口ずさむようにつぶやいた。
「集まれ」
さささっと亡霊たちが一カ所に集まる。
生きた人間ならば文句の1つも言うのだろうが、彼らは何も言わずにただ折り重なるようにして佇んでいた。
そんな亡霊共の動きには満足しつつ、部屋の片隅に一瞬だけ目を向ける。
そこにはいつもと変わらない、亡き兄がうっそりと佇んでいた。
「散れ。散って、アレを俺から隠せ」
低い声で再び亡霊たちにそう命じる。亡霊たちはアウグストの言葉に従ってアウグストの兄――アーベル・ハーデンの姿を覆い隠す。
そうして、ようやくアウグストはほうっと大きな息を吐いた。
(なぜ、兄上だけがこのアミュレットの命に従わぬ……)
アウグストが手にしたアミュレットはローランの母の墓を暴いて手に入れたものだ。他にも東方の呪術書を初めとした様々な知識を得たが、アウグストにとって一番欲しかったものは、この死人を操るアミュレットだった。
なぜ、それを欲したかと言えば兄の亡霊を見たくなかったからだ。
決して、兄のアーベルを殺めようとしたわけではない。
だが、結果としてそうなってしまった。
兄は魔力を持たない、ヘプトアーキーの貴族としては異質の存在だった。
アウグストはそのことを信じられなかったのだ。いや、受け入れることが出来なかったという方が正しい。
魔力以外は全ての点においてアウグストよりも優れていた兄は完璧な存在でいて欲しかった。
そんな歪んだ望みが、兄を試すという行為になった。
とても単純な事故が起こるように仕組んだ。魔力があれば、魔術を使えれば避けられる罠。それ以外では避けられない罠。
アーベルが生き残れば、アウグストは品行方正な次男として兄を支えたかもしれない。だが、そうはならなかった。
兄は死に、アウグストの周りに現れるようになった。
最初はすぐに消えるだろうと思っていたのだ。
アウグストもヘプトアーキー帝国の貴族だ。亡霊がどのようなものかは理解している。それは生前の未練にしがみついた哀れな残骸だ。
よほどの恨みがなければ、この世に長くは留まることはできない。
だが、それは間違いだった。いつまで経っても兄の亡霊は消えなかった。
いかなる浄化の術も無駄と知った時、アウグストは死者を増やすことを思いついたのだった。
そして、このアミュレットのことを知った。これで兄の亡霊を操れると歓喜した。
しかし、墓を暴いて手にれたアミュレットは不完全だった。
ようやく完全なものに出来たのは、つい最近のことだ。
おかげで、それまでは同時に一体しか操れなかった亡霊の数が飛躍的に増えた。
だが、忌々しいことにまだアミュレットには何かが足りていないようで、なぜか兄の亡霊だけはアウグストの言うことを聞かなかった。
「アウグスト様? どうされたのですか、お1人で」
ノックの音と共に聞こえてくるシルヴィアの声がアウグストの思考を断ち切った。
今日の実験はここまでだと切り替えて、部屋の明かりを灯す。
すでに日はとっぷりと暮れていた。
「少し考えを纏めていた。近く、陛下が直々に催される慰霊会があるのはシルヴィアも知っているだろう?」
「ええ。もちろんですわ。ところでアウグスト様。私、妙な噂を聞きましたの」
婚約してからすっかり妻気取りのシルヴィアはハーデン伯爵家の内々のことばかりか、政事に関わることまで口を挟むようになってきていた。
そして、シルヴィアがこういう声を出すときはだいたい内容は決まっている。
何か気に入らないことがあった時だ。
「ん? どんな噂だ?」
「あの女がなぜか、宮廷魔術師になっているという噂ですわ」
「宮廷ではなく、公国のだな。それがどうかしたのか?」
そういえば、確かローランはカルンブンクルス公国に買われたのだったか。
アウグストはつい先日、塔の試しを終えた赤毛の公子を苦々しく思い出した。
魔術の才能などからっきしの脳筋公国がせっかくの罠を台無しにしたのだ。
それも姑息な方法で。
真っ正面から告発してきたなら、いくらでも足下を引っかけてやれたのに。
あの連中は帝城に噂をばら撒いて、アウグストの動きそのものを封じにかかったのだ。
もう、あの罠は使えまい。
1つ1つ公国の帝冠継承候補者そのものを削り落とせとアマーリアに命じられてはいるものの、この分では他に仕掛けた罠も使うのは難しいかもしれない。
「どうしたのか? ではありませんわ! 奴隷に落ちたはずですのに! しかも、陛下の居られる帝城を闊歩するだなんて、虫唾が走りますわ!」
「落ち着け、シルヴィア。あの女はカルンブンクルス公国に買われたのだ。奴隷の魔術師が公子の補佐では外聞が悪いから、奴隷の証を外しているにすぎぬ。実態は奴隷と変わらぬ」
だが、シルヴィアはまるで納得しなかった。呪いによって蝕まれ、血色を無くした顔でアウグストににじり寄る。かすかな死臭が鼻についた。
「ですが! 許せませんわ! 弱小とはいえ、公国の公子と親しく言葉を交わすなど。やはり、あの女はハーデン家の奴隷とするべきだったのです! あの汚らわしい女の遺したモノはすべて私たちのモノです!」
興奮で衣服が乱れるのもお構い無しのシルヴィアの言葉にアウグストは、ふとアミュレットに足りないものを見つけた気がした。
(そうか。あの娘が何かを知っているかもしれん。そうだ、間違いない。あの女が遺した娘にこそ、死者を完全に操る秘密が隠されているはず)
であれば、あの娘を取り返さなくてはならない。
そして、今度こそ確実に兄の亡霊を消し去るのだ。
(俺としたことが目先のエサに食いついていたとはな……。予定通り、あの娘を妻としておけば全てはとっくに手に入っていたではないか!)
自分の欲するもののためしたことが、自分のもっとも欲するものを失わせていたとは。なんという皮肉なことか。
「だが、まだ遅くはない」
ふと呟いて、良いアイデアを思いついた。
あの娘を手に入れ、カルンブンクルス公国の公子を始末出来ればアマーリアの覚えもめでたくなろう。
そうすれば、この兄の記憶の染みついた伯爵家など棄てても惜しくは無いほどの権力へ一歩近づくことが出来る。
「アウグスト様?」
「いや。あの娘を手に入れるには、まだ遅くないということだ。だが、シルヴィア。そのためには少しそなたにも手伝って貰わねばならん」
「あの女を辱めるためでしたら、ええ。どのようなことも厭いませんわ」
まだ遅くない。
そうアウグストはもう一度呟いた。
「集まれ」
さささっと亡霊たちが一カ所に集まる。
生きた人間ならば文句の1つも言うのだろうが、彼らは何も言わずにただ折り重なるようにして佇んでいた。
そんな亡霊共の動きには満足しつつ、部屋の片隅に一瞬だけ目を向ける。
そこにはいつもと変わらない、亡き兄がうっそりと佇んでいた。
「散れ。散って、アレを俺から隠せ」
低い声で再び亡霊たちにそう命じる。亡霊たちはアウグストの言葉に従ってアウグストの兄――アーベル・ハーデンの姿を覆い隠す。
そうして、ようやくアウグストはほうっと大きな息を吐いた。
(なぜ、兄上だけがこのアミュレットの命に従わぬ……)
アウグストが手にしたアミュレットはローランの母の墓を暴いて手に入れたものだ。他にも東方の呪術書を初めとした様々な知識を得たが、アウグストにとって一番欲しかったものは、この死人を操るアミュレットだった。
なぜ、それを欲したかと言えば兄の亡霊を見たくなかったからだ。
決して、兄のアーベルを殺めようとしたわけではない。
だが、結果としてそうなってしまった。
兄は魔力を持たない、ヘプトアーキーの貴族としては異質の存在だった。
アウグストはそのことを信じられなかったのだ。いや、受け入れることが出来なかったという方が正しい。
魔力以外は全ての点においてアウグストよりも優れていた兄は完璧な存在でいて欲しかった。
そんな歪んだ望みが、兄を試すという行為になった。
とても単純な事故が起こるように仕組んだ。魔力があれば、魔術を使えれば避けられる罠。それ以外では避けられない罠。
アーベルが生き残れば、アウグストは品行方正な次男として兄を支えたかもしれない。だが、そうはならなかった。
兄は死に、アウグストの周りに現れるようになった。
最初はすぐに消えるだろうと思っていたのだ。
アウグストもヘプトアーキー帝国の貴族だ。亡霊がどのようなものかは理解している。それは生前の未練にしがみついた哀れな残骸だ。
よほどの恨みがなければ、この世に長くは留まることはできない。
だが、それは間違いだった。いつまで経っても兄の亡霊は消えなかった。
いかなる浄化の術も無駄と知った時、アウグストは死者を増やすことを思いついたのだった。
そして、このアミュレットのことを知った。これで兄の亡霊を操れると歓喜した。
しかし、墓を暴いて手にれたアミュレットは不完全だった。
ようやく完全なものに出来たのは、つい最近のことだ。
おかげで、それまでは同時に一体しか操れなかった亡霊の数が飛躍的に増えた。
だが、忌々しいことにまだアミュレットには何かが足りていないようで、なぜか兄の亡霊だけはアウグストの言うことを聞かなかった。
「アウグスト様? どうされたのですか、お1人で」
ノックの音と共に聞こえてくるシルヴィアの声がアウグストの思考を断ち切った。
今日の実験はここまでだと切り替えて、部屋の明かりを灯す。
すでに日はとっぷりと暮れていた。
「少し考えを纏めていた。近く、陛下が直々に催される慰霊会があるのはシルヴィアも知っているだろう?」
「ええ。もちろんですわ。ところでアウグスト様。私、妙な噂を聞きましたの」
婚約してからすっかり妻気取りのシルヴィアはハーデン伯爵家の内々のことばかりか、政事に関わることまで口を挟むようになってきていた。
そして、シルヴィアがこういう声を出すときはだいたい内容は決まっている。
何か気に入らないことがあった時だ。
「ん? どんな噂だ?」
「あの女がなぜか、宮廷魔術師になっているという噂ですわ」
「宮廷ではなく、公国のだな。それがどうかしたのか?」
そういえば、確かローランはカルンブンクルス公国に買われたのだったか。
アウグストはつい先日、塔の試しを終えた赤毛の公子を苦々しく思い出した。
魔術の才能などからっきしの脳筋公国がせっかくの罠を台無しにしたのだ。
それも姑息な方法で。
真っ正面から告発してきたなら、いくらでも足下を引っかけてやれたのに。
あの連中は帝城に噂をばら撒いて、アウグストの動きそのものを封じにかかったのだ。
もう、あの罠は使えまい。
1つ1つ公国の帝冠継承候補者そのものを削り落とせとアマーリアに命じられてはいるものの、この分では他に仕掛けた罠も使うのは難しいかもしれない。
「どうしたのか? ではありませんわ! 奴隷に落ちたはずですのに! しかも、陛下の居られる帝城を闊歩するだなんて、虫唾が走りますわ!」
「落ち着け、シルヴィア。あの女はカルンブンクルス公国に買われたのだ。奴隷の魔術師が公子の補佐では外聞が悪いから、奴隷の証を外しているにすぎぬ。実態は奴隷と変わらぬ」
だが、シルヴィアはまるで納得しなかった。呪いによって蝕まれ、血色を無くした顔でアウグストににじり寄る。かすかな死臭が鼻についた。
「ですが! 許せませんわ! 弱小とはいえ、公国の公子と親しく言葉を交わすなど。やはり、あの女はハーデン家の奴隷とするべきだったのです! あの汚らわしい女の遺したモノはすべて私たちのモノです!」
興奮で衣服が乱れるのもお構い無しのシルヴィアの言葉にアウグストは、ふとアミュレットに足りないものを見つけた気がした。
(そうか。あの娘が何かを知っているかもしれん。そうだ、間違いない。あの女が遺した娘にこそ、死者を完全に操る秘密が隠されているはず)
であれば、あの娘を取り返さなくてはならない。
そして、今度こそ確実に兄の亡霊を消し去るのだ。
(俺としたことが目先のエサに食いついていたとはな……。予定通り、あの娘を妻としておけば全てはとっくに手に入っていたではないか!)
自分の欲するもののためしたことが、自分のもっとも欲するものを失わせていたとは。なんという皮肉なことか。
「だが、まだ遅くはない」
ふと呟いて、良いアイデアを思いついた。
あの娘を手に入れ、カルンブンクルス公国の公子を始末出来ればアマーリアの覚えもめでたくなろう。
そうすれば、この兄の記憶の染みついた伯爵家など棄てても惜しくは無いほどの権力へ一歩近づくことが出来る。
「アウグスト様?」
「いや。あの娘を手に入れるには、まだ遅くないということだ。だが、シルヴィア。そのためには少しそなたにも手伝って貰わねばならん」
「あの女を辱めるためでしたら、ええ。どのようなことも厭いませんわ」
まだ遅くない。
そうアウグストはもう一度呟いた。
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