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第二幕
⑬ みんな殿下のために頑張ってるんですから、我慢してください
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「殿下、ご存じですか?」
「何がだ?」
ローランはレオンハルトの肌に筆を走らせながら、そっと顔を覗き込んだ。
「今、帝城で一番の有名人と言えばレオンハルト・カルンブンクルス公子なんだそうですよ」
「……うるさいぞ」
そうローランが笑うと、レオンハルトはローランの予想したとおり露骨に嫌そうな顔を見せた。
好奇の的になるのは不本意だろうが、それでレオンハルトの安全が少しでも買えるというのだから、こればかりは割りきって貰わなくては仕方ない。
曰く、レオンハルトは自棄になって塔の試しに挑むつもりだ。
曰く、カルンブンクルス公国はどうやら塔の秘密を解明したらしい。
曰く、慰霊祭の成功を願う皇帝陛下から直々に塔の試しに挑むように命じられた。
そんな噂が尾ひれをつけて帝城の中を飛び回っている。
噂を流して回っているのは、魔術師団の団長のクラウスと副団長のクルトの2人だ。
先代・先々代の頃から帝城を根城として窓際ライフを満喫していた2人は中央にやたらと顔が広い。
そのツテを使って、あることないこと吹き込んでは帝城を賑わしていると言うわけだった。
「アイツら、魔術師の仕事はからっきしの癖にこういうことだけはやたらと上手くこなすのは何とかならんのか」
ローランも同じことを思わないでもないが、2人のしていることをローランが出来るかと言えば出来はしない。逆にローランがレオンハルトに施している呪術を他の誰が施せるかというと、これもローランの他にはいない。
「適材適所ですわよ、殿下」
という結論に落ち着いていた。
上半身裸になったレオンハルトの背中に、慎重に呪言を書き込んでいく。
この呪言があれば、仮に例の罠が発動しても息が詰まることはない。
これだけ噂が広まり、レオンハルトが注目の的となっている今、そんなことは起こらないとは思うが念には念をというわけだ。
ただ、生きた人間の肌に直接呪言を書き込むというのはなかなか骨の折れる仕事だ。いつもの呪符に使う羊皮紙と違い、生きた肌は他者の呪力を弾いてしまうからだ。
それを防ぐためには呪力の濃度を調整し、呪符としての効果を保ちつつレオンハルトの肌が異物として弾いてしまわない絶妙な加減が必要になる。
ただ、呪言を書けば良いというわけではない。
「なあ、ローラン」
「殿下。今、難しいところですので動かないでください」
ぽたりと汗がローランの額から滴り落ちて、衣服に新たな染みを作る。
すでに施術は数時間に及んでいた。
「だから、だな。少し痒い場所があって……」
「あと少しで難しいところが終わります。そうしたら掻いてさしあげますから」
「要らん! 自分で掻くに決まってるだろう!」
文句を言いつつも、ぐっと我慢して見せるところはなかなか可愛いと思う。
可愛いというと怒るので、もちろん心の中で言うだけだが
ようやく、筆が肌を離れるとレオンハルトは大きく息を吐いた。
「やっと終わったか。もういいか?」
もちろん、痒い場所に手を伸ばしても良いかという意味だ。
ローランとしても、そろそろレオンハルトを解放してあげたいのは山々なのだが、それにはもう一手間必要だ。
いくつかの薬湯を混ぜ合わせ、筆を刷毛に持ち替えてぺたりとレオンハルトの身体に塗りつける。先ほどまでとは異なる感触に妙に可愛らしい悲鳴が飛び出した。
「こ、今度はなんだ!?」
「最後の仕上げです。バレたら元も子もないですから——はい、もう良いですよ」
ペチンとレオンハルトの背中を叩いて、合図を送る。ようやく解放されたレオンハルトはやはり身体に違和感を感じているのだろう。自分の身体のあちらこちらをまさぐっていた。
「字が見えなくなったな。これも東方の魔術か?」
「いいえ、字を消すのは砂漠の民から習いました。結婚した時に部族の入れ墨を消すのに使うんだそうです。その応用ですね。呪術と組み合わせたのは私のオリジナルです」
施術の後片付けをしているローランにレオンハルトはフンと少し羨ましげに鼻を鳴らした。
「本当にお前はあちこちに行っているんだな」
「言われてみれば、そうですね。あの頃は必死だったので、そんなこと考えてるヒマは無かったですけど」
技術だけではない。色々な場所で色々な人々に出会い、色々なことを学んだ。
「子供の頃は必死だったんですよ。覚えられることは何でも覚えました。そうして銀を稼いでご飯や服、それに母様の薬と交換して。知ってます、殿下? 銀はどこの国でも価値があまり変わらないんですよ? 銀貨は最高です!」
「で、がめつくなったと」
そう言って笑うレオンハルトは言葉に反して妙に楽しそうだった。
ローランも腹を立てるよりも先に一緒に笑いがこぼれてくる。
それにちょっぴりガメツイのはローランにとっては自慢の種だったりもするのだ。
「やっぱり、お前は変わっているな。普通、運良く貴族になれたら、そんな生活など忘れたがるだろうに」
「そういうものですか」
「そういうものだ。お前みたいな変わってるヤツを知ってるが、そいつもヘンなヤツだった。そっくりだ」
ローランの知らない誰かのことを思い出し笑いするレオンハルトに少しムッと腹が立つ。
「誰ですか、それは?」
「秘密だ。ローランばかり謎が多いのは不公平だ」
「なんですか、それ」
むうっと膨れるローランを見て、やっぱり似てるとレオンハルトは身体を揺らしながら笑い転げていた。
日が沈めば、いよいよ塔の試しが始まる。
「何がだ?」
ローランはレオンハルトの肌に筆を走らせながら、そっと顔を覗き込んだ。
「今、帝城で一番の有名人と言えばレオンハルト・カルンブンクルス公子なんだそうですよ」
「……うるさいぞ」
そうローランが笑うと、レオンハルトはローランの予想したとおり露骨に嫌そうな顔を見せた。
好奇の的になるのは不本意だろうが、それでレオンハルトの安全が少しでも買えるというのだから、こればかりは割りきって貰わなくては仕方ない。
曰く、レオンハルトは自棄になって塔の試しに挑むつもりだ。
曰く、カルンブンクルス公国はどうやら塔の秘密を解明したらしい。
曰く、慰霊祭の成功を願う皇帝陛下から直々に塔の試しに挑むように命じられた。
そんな噂が尾ひれをつけて帝城の中を飛び回っている。
噂を流して回っているのは、魔術師団の団長のクラウスと副団長のクルトの2人だ。
先代・先々代の頃から帝城を根城として窓際ライフを満喫していた2人は中央にやたらと顔が広い。
そのツテを使って、あることないこと吹き込んでは帝城を賑わしていると言うわけだった。
「アイツら、魔術師の仕事はからっきしの癖にこういうことだけはやたらと上手くこなすのは何とかならんのか」
ローランも同じことを思わないでもないが、2人のしていることをローランが出来るかと言えば出来はしない。逆にローランがレオンハルトに施している呪術を他の誰が施せるかというと、これもローランの他にはいない。
「適材適所ですわよ、殿下」
という結論に落ち着いていた。
上半身裸になったレオンハルトの背中に、慎重に呪言を書き込んでいく。
この呪言があれば、仮に例の罠が発動しても息が詰まることはない。
これだけ噂が広まり、レオンハルトが注目の的となっている今、そんなことは起こらないとは思うが念には念をというわけだ。
ただ、生きた人間の肌に直接呪言を書き込むというのはなかなか骨の折れる仕事だ。いつもの呪符に使う羊皮紙と違い、生きた肌は他者の呪力を弾いてしまうからだ。
それを防ぐためには呪力の濃度を調整し、呪符としての効果を保ちつつレオンハルトの肌が異物として弾いてしまわない絶妙な加減が必要になる。
ただ、呪言を書けば良いというわけではない。
「なあ、ローラン」
「殿下。今、難しいところですので動かないでください」
ぽたりと汗がローランの額から滴り落ちて、衣服に新たな染みを作る。
すでに施術は数時間に及んでいた。
「だから、だな。少し痒い場所があって……」
「あと少しで難しいところが終わります。そうしたら掻いてさしあげますから」
「要らん! 自分で掻くに決まってるだろう!」
文句を言いつつも、ぐっと我慢して見せるところはなかなか可愛いと思う。
可愛いというと怒るので、もちろん心の中で言うだけだが
ようやく、筆が肌を離れるとレオンハルトは大きく息を吐いた。
「やっと終わったか。もういいか?」
もちろん、痒い場所に手を伸ばしても良いかという意味だ。
ローランとしても、そろそろレオンハルトを解放してあげたいのは山々なのだが、それにはもう一手間必要だ。
いくつかの薬湯を混ぜ合わせ、筆を刷毛に持ち替えてぺたりとレオンハルトの身体に塗りつける。先ほどまでとは異なる感触に妙に可愛らしい悲鳴が飛び出した。
「こ、今度はなんだ!?」
「最後の仕上げです。バレたら元も子もないですから——はい、もう良いですよ」
ペチンとレオンハルトの背中を叩いて、合図を送る。ようやく解放されたレオンハルトはやはり身体に違和感を感じているのだろう。自分の身体のあちらこちらをまさぐっていた。
「字が見えなくなったな。これも東方の魔術か?」
「いいえ、字を消すのは砂漠の民から習いました。結婚した時に部族の入れ墨を消すのに使うんだそうです。その応用ですね。呪術と組み合わせたのは私のオリジナルです」
施術の後片付けをしているローランにレオンハルトはフンと少し羨ましげに鼻を鳴らした。
「本当にお前はあちこちに行っているんだな」
「言われてみれば、そうですね。あの頃は必死だったので、そんなこと考えてるヒマは無かったですけど」
技術だけではない。色々な場所で色々な人々に出会い、色々なことを学んだ。
「子供の頃は必死だったんですよ。覚えられることは何でも覚えました。そうして銀を稼いでご飯や服、それに母様の薬と交換して。知ってます、殿下? 銀はどこの国でも価値があまり変わらないんですよ? 銀貨は最高です!」
「で、がめつくなったと」
そう言って笑うレオンハルトは言葉に反して妙に楽しそうだった。
ローランも腹を立てるよりも先に一緒に笑いがこぼれてくる。
それにちょっぴりガメツイのはローランにとっては自慢の種だったりもするのだ。
「やっぱり、お前は変わっているな。普通、運良く貴族になれたら、そんな生活など忘れたがるだろうに」
「そういうものですか」
「そういうものだ。お前みたいな変わってるヤツを知ってるが、そいつもヘンなヤツだった。そっくりだ」
ローランの知らない誰かのことを思い出し笑いするレオンハルトに少しムッと腹が立つ。
「誰ですか、それは?」
「秘密だ。ローランばかり謎が多いのは不公平だ」
「なんですか、それ」
むうっと膨れるローランを見て、やっぱり似てるとレオンハルトは身体を揺らしながら笑い転げていた。
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