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幕間
幕間② レオンハルト公子とアーベル・ハーデン
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「殿下。薬湯をお持ちいたしました」
「ああ。もうそんな時間か」
就寝前に成長を止める薬湯を飲むのは帝冠継承候補者として名乗りをあげたレオンハルトの日課だった。
独特の香りの漂うハーブティのようなそれは、飲むものの成長を飲んでいる間停止させる。これをもって、帝国にかけられた呪いから一時的に身を守るのだ。
その反面、変わりゆく身体の時を無理矢理にとどめるの反作用も生じさせる。
飲み始めて20年ほどで、衰弱がはじまり30年はまず持たない。
もっとも、そんなに長期間薬湯を飲み続ける理由は無いのだが。
「それにしても、ここのところお忙しゅうございましたね」
「まったくだ。あいつのおかげでエライ目にあった」
そう言いつつもどこか楽しそうなのは、筆頭侍従の身としてはやはり嬉しい。
口直しの紅茶の準備を整えながら、セバスティアンは次から次へと出てくる主の文句を聞きながら目を細めた。
「アイツときたら、この期に及んで騎士団全員の分の料金を払えだの、任務中の散財も持ってくれだの、どこまでガメツイんだか」
「よろしいではございませんか。騎士団のお役に立ったことには間違いないのでしょうから。それにこの度の武勲の褒美と考えれば、決して高い買い物でもございますまい」
「それはそうだがな。だからと言ってホイホイ払ってやったのでは、図に乗りそうで怖いでは無いか」
顔を顰めながら薬湯を飲み干したレオンハルトは口直しの甘い菓子を頬張ると、紅茶で喉を潤した。
「本国では此度のことで持ちきりだそうでございますよ。大公殿下もことのほか、お喜びだと聞いております。公国の歴史に刻まれる快挙となりましょう」
ヘプトアーキー帝国の帝位は他の大陸諸国と違い皇帝の子から孫へと受け継がれない。
呪いを帝冠と共に受け継ぐため、皇帝は子を生せないからだ。
7つの公国から継承者たらんと名乗りでた公子が、その座を競うことで1000余年の歴史を保ってきた。
必然的に多くの皇帝を輩出する公国もあれば、そうでない公国もある。
カルンブンクルス公国は後者だ。排出した皇帝は今まで、たったの5人。
はっきり言えば最下位である。
それでも他の公国から侮られないのは尚武の気風が色濃く、精強な騎士団をいくつも擁するからだ。戦となれば、カルンブルクスに敵う公国は存在しない。
だが、魔術には弱い。
帝冠の試練を突破するには際だった魔術の力がどうしても必要だ。
1000年も帝国全体を縛り付ける呪いには剣では対抗出来ない。
カルンブンクルス公国が帝位から遠い理由である。
「それにしても……アーベルは何を考えて、あんな糸杉のような女を嫁にと考えたのだか」
ひとりごちるレオンハルトの言葉にセバスティアンはわずかに身体を強ばらせた。
「殿下。そろそろお休みになられては? 明日も激務でございましょう」
「ん? ああ、少し考えを纏めたらそうしよう。もう下がっていいぞ」
レオンハルトが亡き伯爵の嫡子の名前を出すのは、1人で思いを馳せたいという合図だ。レオンハルト自身は意識はしていないようだが、それがわからぬようでは側仕えは務まらない。
※ ※ ※
セバスティアンが退出したあと、レオンハルトは自嘲気味に目を伏せた。
「気を遣わせてしまったか」
アーベル・ハーデン伯爵令息。レオンハルトと一回りも離れた中央の貴族と出会ったのは、レオンハルトが10歳の時だ。
「これが公子か! いや、小さいな!」
それがレオンハルトを見たアーベルの第一声だった。
当時は大公だった父に帝冠継承候補者としての研鑽を積むようにとの命を受けたばかりだった。
アーベルはその教育係としてレオンハルトの前に現れたのだ。
とにかく、中央の貴族とは思えない破天荒な男だった。
優秀なのは間違いないが、それに輪をかけて常識が通用しない。帝都のアチコチでゴザを敷いて乞食の真似などした公子は帝国の歴史の中でもレオンハルトぐらいのものだろう。
「殿下。皇帝になろうっていうのなら、まずは市井の暮らしを覚えないとダメだからな。勉強なんか適当でいいんですよ。そんなのは官僚の仕事です。皇帝の仕事じゃない」
「では、乞食が皇帝の仕事なのですか?」
「そうですよ。民の税金で生きてるんですからね。乞食みたいなもんです。ま、それは冗談ですが、民の顔は覚えておいてください。出なきゃ、呪いを背負ってまで統治なんか出来ませんよ。潰れちまいます」
当時は素直だったので、何でもアーベルの言うことを聞いていた。
その破天荒なアーベルは結婚も破天荒だった。
「殿下。突然ですが、結婚相手を決めましたんで」
「結婚相手? そなた、ハーデン家の跡継ぎでしょう? まだ、結婚していなかったのですか?」
普通、爵位持ちの貴族は20歳を過ぎて独身などということはない。
結婚相手を決めたということよりも、結婚していなかったことに驚いたが、相手を聞いてもっと驚いた。
「この間、とある男爵家の夜会に出席したんですけどね。いやいや、驚きました。1人だけね、黒瑪瑙を溶かしたみたいな髪の娘がいましてね。これがまた可愛いのなんのって。しかも聞けば、東の国から逃げてきたんだとか」
「なぜ、その方が男爵家の夜会に?」
「ああ。彼女の母親が男爵に見初められたんだそうですよ。なかなか目が高い。奥方も美しい方でした。さすがに人妻を盗るわけにはいきませんがね」
「それでは、帝国貴族の血を引いていないではないですか!? 大丈夫なのですか!?」
要するに平民の成り上がりの娘を嫁にすると言い出したわけだ。伯爵家が許すとはとても思えない。
おまけに年はレオンハルトの1つ上。貴族の結婚に年齢差はつきものだが、これは少し離れすぎな気がする。
だが、魔法以外はとにかく優秀だったアーベルは見事に婚約を成立させてしまった。ただ、平民出身の成り上がり男爵令嬢が伯爵の妻となるわけで、少しばかり社交界に与える影響が大きすぎる。
おかげで、当主と約束をしただけでしばらくは当人にも秘密ということになってしまったとアーベルは嘆いていた。
「殿下。嫁さんにも名乗り出られないって切ないもんですよ。はやく結婚したいもんです」
「アーベル。せめて、男爵令嬢が年頃になるまでは待つべきですよ」
などと軽口を叩いていたが、結局、名を明かすこと無くアーベルは死んでしまった。
そして、レオンハルトはアーベルを失い、荒れに荒れた。
セバスティアンが席を外したのも、そういうことだ。レオンハルトの周りでは未だ、アーベル・ハーデンのことは禁句となっている。
アーベルのことを思い出さないようにし、やっとその傷が塞がりかけてきた頃、彼の思い出は思いがけない方からやってきた。
「アーベル。そなはの女の趣味は、やはり少し変わってます」
思わず、当時の口調で呟きながらレオンハルトは黒い髪の少女のことを思い起こす。
アーベルと同じくらいに無礼でレオンハルトをお子様扱いし、金に汚く、見たことも聞いたこともない異国の魔法を操り、レオンハルトが一歩後じさるような凄みを見せる。
それでいて、不思議な包容力を感じさせる。
「そなたとそっくりだ」
まるでつかみ所が無い。
そんなところも、アーベル・ハーデンにそっくりだ。
友とするには心強いが、断じて色恋を語りたいとは思わない。
「アーベル。これで少し、少しはそなたに借りを返せましたか?」
他ならぬ、アーベルが妻と定めた少女が無実の罪で囚われているとなれば、さすがに知らん顔など出来ない話だ。
だが、ローランにレオンハルトの助けが必要だったかというと、それはそれで疑問だったが。
さて、この奇妙な縁を教えたらローランはどんな顔をするだろうか。
イザという時のとっておきとして、この秘密は大事にとっておこう。
その時のことを想像して、にんまりと笑うとレオンハルトは寝台へと潜り込んだ。
亡き友のことを楽しく思い出したのは初めてのことだった。
「ああ。もうそんな時間か」
就寝前に成長を止める薬湯を飲むのは帝冠継承候補者として名乗りをあげたレオンハルトの日課だった。
独特の香りの漂うハーブティのようなそれは、飲むものの成長を飲んでいる間停止させる。これをもって、帝国にかけられた呪いから一時的に身を守るのだ。
その反面、変わりゆく身体の時を無理矢理にとどめるの反作用も生じさせる。
飲み始めて20年ほどで、衰弱がはじまり30年はまず持たない。
もっとも、そんなに長期間薬湯を飲み続ける理由は無いのだが。
「それにしても、ここのところお忙しゅうございましたね」
「まったくだ。あいつのおかげでエライ目にあった」
そう言いつつもどこか楽しそうなのは、筆頭侍従の身としてはやはり嬉しい。
口直しの紅茶の準備を整えながら、セバスティアンは次から次へと出てくる主の文句を聞きながら目を細めた。
「アイツときたら、この期に及んで騎士団全員の分の料金を払えだの、任務中の散財も持ってくれだの、どこまでガメツイんだか」
「よろしいではございませんか。騎士団のお役に立ったことには間違いないのでしょうから。それにこの度の武勲の褒美と考えれば、決して高い買い物でもございますまい」
「それはそうだがな。だからと言ってホイホイ払ってやったのでは、図に乗りそうで怖いでは無いか」
顔を顰めながら薬湯を飲み干したレオンハルトは口直しの甘い菓子を頬張ると、紅茶で喉を潤した。
「本国では此度のことで持ちきりだそうでございますよ。大公殿下もことのほか、お喜びだと聞いております。公国の歴史に刻まれる快挙となりましょう」
ヘプトアーキー帝国の帝位は他の大陸諸国と違い皇帝の子から孫へと受け継がれない。
呪いを帝冠と共に受け継ぐため、皇帝は子を生せないからだ。
7つの公国から継承者たらんと名乗りでた公子が、その座を競うことで1000余年の歴史を保ってきた。
必然的に多くの皇帝を輩出する公国もあれば、そうでない公国もある。
カルンブンクルス公国は後者だ。排出した皇帝は今まで、たったの5人。
はっきり言えば最下位である。
それでも他の公国から侮られないのは尚武の気風が色濃く、精強な騎士団をいくつも擁するからだ。戦となれば、カルンブルクスに敵う公国は存在しない。
だが、魔術には弱い。
帝冠の試練を突破するには際だった魔術の力がどうしても必要だ。
1000年も帝国全体を縛り付ける呪いには剣では対抗出来ない。
カルンブンクルス公国が帝位から遠い理由である。
「それにしても……アーベルは何を考えて、あんな糸杉のような女を嫁にと考えたのだか」
ひとりごちるレオンハルトの言葉にセバスティアンはわずかに身体を強ばらせた。
「殿下。そろそろお休みになられては? 明日も激務でございましょう」
「ん? ああ、少し考えを纏めたらそうしよう。もう下がっていいぞ」
レオンハルトが亡き伯爵の嫡子の名前を出すのは、1人で思いを馳せたいという合図だ。レオンハルト自身は意識はしていないようだが、それがわからぬようでは側仕えは務まらない。
※ ※ ※
セバスティアンが退出したあと、レオンハルトは自嘲気味に目を伏せた。
「気を遣わせてしまったか」
アーベル・ハーデン伯爵令息。レオンハルトと一回りも離れた中央の貴族と出会ったのは、レオンハルトが10歳の時だ。
「これが公子か! いや、小さいな!」
それがレオンハルトを見たアーベルの第一声だった。
当時は大公だった父に帝冠継承候補者としての研鑽を積むようにとの命を受けたばかりだった。
アーベルはその教育係としてレオンハルトの前に現れたのだ。
とにかく、中央の貴族とは思えない破天荒な男だった。
優秀なのは間違いないが、それに輪をかけて常識が通用しない。帝都のアチコチでゴザを敷いて乞食の真似などした公子は帝国の歴史の中でもレオンハルトぐらいのものだろう。
「殿下。皇帝になろうっていうのなら、まずは市井の暮らしを覚えないとダメだからな。勉強なんか適当でいいんですよ。そんなのは官僚の仕事です。皇帝の仕事じゃない」
「では、乞食が皇帝の仕事なのですか?」
「そうですよ。民の税金で生きてるんですからね。乞食みたいなもんです。ま、それは冗談ですが、民の顔は覚えておいてください。出なきゃ、呪いを背負ってまで統治なんか出来ませんよ。潰れちまいます」
当時は素直だったので、何でもアーベルの言うことを聞いていた。
その破天荒なアーベルは結婚も破天荒だった。
「殿下。突然ですが、結婚相手を決めましたんで」
「結婚相手? そなた、ハーデン家の跡継ぎでしょう? まだ、結婚していなかったのですか?」
普通、爵位持ちの貴族は20歳を過ぎて独身などということはない。
結婚相手を決めたということよりも、結婚していなかったことに驚いたが、相手を聞いてもっと驚いた。
「この間、とある男爵家の夜会に出席したんですけどね。いやいや、驚きました。1人だけね、黒瑪瑙を溶かしたみたいな髪の娘がいましてね。これがまた可愛いのなんのって。しかも聞けば、東の国から逃げてきたんだとか」
「なぜ、その方が男爵家の夜会に?」
「ああ。彼女の母親が男爵に見初められたんだそうですよ。なかなか目が高い。奥方も美しい方でした。さすがに人妻を盗るわけにはいきませんがね」
「それでは、帝国貴族の血を引いていないではないですか!? 大丈夫なのですか!?」
要するに平民の成り上がりの娘を嫁にすると言い出したわけだ。伯爵家が許すとはとても思えない。
おまけに年はレオンハルトの1つ上。貴族の結婚に年齢差はつきものだが、これは少し離れすぎな気がする。
だが、魔法以外はとにかく優秀だったアーベルは見事に婚約を成立させてしまった。ただ、平民出身の成り上がり男爵令嬢が伯爵の妻となるわけで、少しばかり社交界に与える影響が大きすぎる。
おかげで、当主と約束をしただけでしばらくは当人にも秘密ということになってしまったとアーベルは嘆いていた。
「殿下。嫁さんにも名乗り出られないって切ないもんですよ。はやく結婚したいもんです」
「アーベル。せめて、男爵令嬢が年頃になるまでは待つべきですよ」
などと軽口を叩いていたが、結局、名を明かすこと無くアーベルは死んでしまった。
そして、レオンハルトはアーベルを失い、荒れに荒れた。
セバスティアンが席を外したのも、そういうことだ。レオンハルトの周りでは未だ、アーベル・ハーデンのことは禁句となっている。
アーベルのことを思い出さないようにし、やっとその傷が塞がりかけてきた頃、彼の思い出は思いがけない方からやってきた。
「アーベル。そなはの女の趣味は、やはり少し変わってます」
思わず、当時の口調で呟きながらレオンハルトは黒い髪の少女のことを思い起こす。
アーベルと同じくらいに無礼でレオンハルトをお子様扱いし、金に汚く、見たことも聞いたこともない異国の魔法を操り、レオンハルトが一歩後じさるような凄みを見せる。
それでいて、不思議な包容力を感じさせる。
「そなたとそっくりだ」
まるでつかみ所が無い。
そんなところも、アーベル・ハーデンにそっくりだ。
友とするには心強いが、断じて色恋を語りたいとは思わない。
「アーベル。これで少し、少しはそなたに借りを返せましたか?」
他ならぬ、アーベルが妻と定めた少女が無実の罪で囚われているとなれば、さすがに知らん顔など出来ない話だ。
だが、ローランにレオンハルトの助けが必要だったかというと、それはそれで疑問だったが。
さて、この奇妙な縁を教えたらローランはどんな顔をするだろうか。
イザという時のとっておきとして、この秘密は大事にとっておこう。
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