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第一幕
⑮ 誰も帰れない、誰も返さないと彼女は言いました。
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男の目にはたして、その少女の骸はどう映っているのだろうか。怯む様子も怯える気配もなく、自然体のままクワを戸口に立てかける。
「はあ、アイラさん。お客さんだべ。さ、お二人さんも中で休むがええだよ」
「お前、正気か!?」
「はあ。オラにもよくわからんべ」
ローランの背中から声を張り上げるレオンハルトに男はとぼけた声で答える。
ここまで来ると、おちょくられているのではないかという気がしてくるが、ローランの見たところ男は本気で困惑していた。
虎穴に入らずんば虎児を得ずとも言うが、飛んで火に入る夏の虫とも言う。
果たして、このあばら屋は好機なのか危機なのか。
思い悩んでいると、カタカタと骨を鳴らして少女の骸が近づいてきた。
「どうして中に入らないの?」
舌も喉も無いというのに骸から出る声は幼い少女の声そのものだった。
「もう日も暮れているのに。入らないと風邪を引いちゃうわ」
「え?」
今の今まで頭上に輝いていた太陽が姿を消して、代わりに針のように細い下弦の月へとすり替わっていた。
蒼い光が足下に影を落とし、背中のレオンハルトは寝息を立てている。
いきなり、夜に変わったのでは無い。
時の流れはそのままで、ローランの意識だけが時間を飛び越えたかのうようだった。
「背中の子が可愛そうよ。中で寝かせてあげてちょうだいな、お姉さん」
「え、ええ。そうね」
カタカタと顎を鳴らす少女に導かれ、ローランはついに家の中へと足を踏み入れた。何かが間違っているのに何が間違っているのかわからない。
そんなもどかしさが心の奥底で警鐘を鳴らしているのに、なぜかそれに危機感を覚えない。
真綿にくるまれたかのような息苦しさと心地よさの中、ローランは少女の骸が薦めるままに寝床を敷いてレオンハルトを横たえた。
「お姉さんはまだ、元気ね」
声と共に紙芝居の頁をめくるように、景色が切り替わった。
いつの間に手に取っていたのか、男が抱えていたのとよく似たクワを片手に提げている。
「ねえ、手伝ってくれる? お姉さん」
少女の骸は月を見上げ、大きく両腕を広げた。
頭骨にへばりついた、元は輝くような金髪だったに違いない髪の毛の残骸が枯れ草のようにカサカサと乾いた音をたてる。
むくりむくりむくりと麦畑が大きく波打ち、幾重にも人の影が立ち上がる。
その手にもクワを提げ、まるで少女の足下から伸びる影法師のように揃った動きでざくりと土にその刃を打ち込んだ。
「さあ! みんな! どんどん掘って! お前達が埋めた分だけ、お前達が殺した分だけ、お前達がうち捨てた骸の分だけ、土塊を取り除き、私を攫った村を掘り起こせ! 掘り起こして人さらいの眠りを妨げるがいい!」
少女の叫びが見えない操り糸のように影法師のような人影たちがざくりざくりと足下を掘り返す。
土が砕ける度に死霊がしみ出すように姿を現して、悲鳴を上げながら窪地の外へと身を捩りながら逃れていくのが見えた。
「やあ、娘さん。一緒に穴を掘りましょうよ」
ローランに話しかけながら、ごくごく当たり前の野良仕事に精を出すという感じで男もさくりと土にクワを打ち込んだ。
グイッと引き上げると、石灰の混ざったような白っぽい塊がボロボロと崩れていく。
「まさか」
「ん? 何か妙なことがあったかね?」
土では無い。
この大地は土では無く、骸で出来ている。白っぽいのは砕けて小石と変わらなくなった誰かの骨だ。
「貴方……ご自分が何をしているのか、理解出来ていますの!?」
死人の中には正常な判断力を失っているものも珍しくは無い。肉体を失えば、現実感覚もまた失われる。
そのあやふやな感覚の中でひたすらに生前の行動を繰り返すのだ。
だが、男は「わかってるだよ」と事もなげにいいながら、サクリサクリと骨と干からびた肉とを耕し続けた。
「アイラさんがそうしろっつうで、そうしてるだけだべ。他にやることもねえべしな」
「アイラ。あの娘のことですね。あの娘が貴方を縛っているのですね?」
過去にこの地で何があったのかはわからない。
だが、古戦場跡にひしめく霊を縛っているのは間違いなく、あの娘だ。
死者達が骸の大地を掘り起こす度に、穴が穿たれ土中から死霊がしみ出していく。
この擂り鉢状の土地はきっと、こうして出来たに違いない。
「お姉さん、どうして手伝ってくれないの? みんな手伝ってくれるのに」
夜の下、操り糸をたぐるように踊っていた少女の骸がクルリとローランに向き直った。少女の動きをまねるようにクワをふるっていた無数の亡霊達も手をとめてローランを見つめる。
崩れた鎧からあばら骨の見えている死者、すでに身体を失った立派な鎧の騎士、粗末な身なりの徴兵されたとおぼしき兵士。
鎧の種類もその古さもバラバラだが、どれもみな戦いで命を落としたに違いなかった。
「アイラ、でいいのかしら? 貴方はなぜ、こんなところでこんなことをしているの?」
「ヘンなことを聞くのね。だって、ここにしか私の居場所はないのだもの。たった1つの私の居場所を埋めたのは兵隊さんよ? だから、こうして掘り返してもらってるの。おかしいかしら?」
カタカタと顎の骨を鳴らしながら、少女の骸はぽつりと言った。
「誰もお家には帰れないわ、お姉さん。誰1人返さないわ。ずっとここで、穴を掘って穴を埋めて、そして誰かが来たら仲間になってもらうの」
「はあ、アイラさん。お客さんだべ。さ、お二人さんも中で休むがええだよ」
「お前、正気か!?」
「はあ。オラにもよくわからんべ」
ローランの背中から声を張り上げるレオンハルトに男はとぼけた声で答える。
ここまで来ると、おちょくられているのではないかという気がしてくるが、ローランの見たところ男は本気で困惑していた。
虎穴に入らずんば虎児を得ずとも言うが、飛んで火に入る夏の虫とも言う。
果たして、このあばら屋は好機なのか危機なのか。
思い悩んでいると、カタカタと骨を鳴らして少女の骸が近づいてきた。
「どうして中に入らないの?」
舌も喉も無いというのに骸から出る声は幼い少女の声そのものだった。
「もう日も暮れているのに。入らないと風邪を引いちゃうわ」
「え?」
今の今まで頭上に輝いていた太陽が姿を消して、代わりに針のように細い下弦の月へとすり替わっていた。
蒼い光が足下に影を落とし、背中のレオンハルトは寝息を立てている。
いきなり、夜に変わったのでは無い。
時の流れはそのままで、ローランの意識だけが時間を飛び越えたかのうようだった。
「背中の子が可愛そうよ。中で寝かせてあげてちょうだいな、お姉さん」
「え、ええ。そうね」
カタカタと顎を鳴らす少女に導かれ、ローランはついに家の中へと足を踏み入れた。何かが間違っているのに何が間違っているのかわからない。
そんなもどかしさが心の奥底で警鐘を鳴らしているのに、なぜかそれに危機感を覚えない。
真綿にくるまれたかのような息苦しさと心地よさの中、ローランは少女の骸が薦めるままに寝床を敷いてレオンハルトを横たえた。
「お姉さんはまだ、元気ね」
声と共に紙芝居の頁をめくるように、景色が切り替わった。
いつの間に手に取っていたのか、男が抱えていたのとよく似たクワを片手に提げている。
「ねえ、手伝ってくれる? お姉さん」
少女の骸は月を見上げ、大きく両腕を広げた。
頭骨にへばりついた、元は輝くような金髪だったに違いない髪の毛の残骸が枯れ草のようにカサカサと乾いた音をたてる。
むくりむくりむくりと麦畑が大きく波打ち、幾重にも人の影が立ち上がる。
その手にもクワを提げ、まるで少女の足下から伸びる影法師のように揃った動きでざくりと土にその刃を打ち込んだ。
「さあ! みんな! どんどん掘って! お前達が埋めた分だけ、お前達が殺した分だけ、お前達がうち捨てた骸の分だけ、土塊を取り除き、私を攫った村を掘り起こせ! 掘り起こして人さらいの眠りを妨げるがいい!」
少女の叫びが見えない操り糸のように影法師のような人影たちがざくりざくりと足下を掘り返す。
土が砕ける度に死霊がしみ出すように姿を現して、悲鳴を上げながら窪地の外へと身を捩りながら逃れていくのが見えた。
「やあ、娘さん。一緒に穴を掘りましょうよ」
ローランに話しかけながら、ごくごく当たり前の野良仕事に精を出すという感じで男もさくりと土にクワを打ち込んだ。
グイッと引き上げると、石灰の混ざったような白っぽい塊がボロボロと崩れていく。
「まさか」
「ん? 何か妙なことがあったかね?」
土では無い。
この大地は土では無く、骸で出来ている。白っぽいのは砕けて小石と変わらなくなった誰かの骨だ。
「貴方……ご自分が何をしているのか、理解出来ていますの!?」
死人の中には正常な判断力を失っているものも珍しくは無い。肉体を失えば、現実感覚もまた失われる。
そのあやふやな感覚の中でひたすらに生前の行動を繰り返すのだ。
だが、男は「わかってるだよ」と事もなげにいいながら、サクリサクリと骨と干からびた肉とを耕し続けた。
「アイラさんがそうしろっつうで、そうしてるだけだべ。他にやることもねえべしな」
「アイラ。あの娘のことですね。あの娘が貴方を縛っているのですね?」
過去にこの地で何があったのかはわからない。
だが、古戦場跡にひしめく霊を縛っているのは間違いなく、あの娘だ。
死者達が骸の大地を掘り起こす度に、穴が穿たれ土中から死霊がしみ出していく。
この擂り鉢状の土地はきっと、こうして出来たに違いない。
「お姉さん、どうして手伝ってくれないの? みんな手伝ってくれるのに」
夜の下、操り糸をたぐるように踊っていた少女の骸がクルリとローランに向き直った。少女の動きをまねるようにクワをふるっていた無数の亡霊達も手をとめてローランを見つめる。
崩れた鎧からあばら骨の見えている死者、すでに身体を失った立派な鎧の騎士、粗末な身なりの徴兵されたとおぼしき兵士。
鎧の種類もその古さもバラバラだが、どれもみな戦いで命を落としたに違いなかった。
「アイラ、でいいのかしら? 貴方はなぜ、こんなところでこんなことをしているの?」
「ヘンなことを聞くのね。だって、ここにしか私の居場所はないのだもの。たった1つの私の居場所を埋めたのは兵隊さんよ? だから、こうして掘り返してもらってるの。おかしいかしら?」
カタカタと顎の骨を鳴らしながら、少女の骸はぽつりと言った。
「誰もお家には帰れないわ、お姉さん。誰1人返さないわ。ずっとここで、穴を掘って穴を埋めて、そして誰かが来たら仲間になってもらうの」
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