1 / 68
プロローグ
プロローグ① 婚約破棄にしては大げさじゃありませんか?
しおりを挟む
「ローラン・フッガー。話がある。ここを開けよ」
冷たい婚約者の声が自室の扉の向こう側から聞こえてきたとローランはちょっと他人様には見せられない緩んだ顔つきで銀貨を数えている真っ最中だった。
遠い東の国から母と共にヘプトアーキー帝国に流れ着いて、はや10年。
義父であるフッガー男爵に見初められた母のおまけで男爵令嬢などと呼ばれるようになって久しいが、未だに貴族のご令嬢という身分に戸惑っている。
そのせいだろうか。社交の贅沢自慢や義妹の散財につきあうのに疲れたときはこうして部屋で1人銀貨を数えるのが癖になっていた。
この部屋にある銀貨は男爵家の財産とは関係無い、ローランがこっそりと自分で稼いだものだ。
ローランにとって財とは浪費するべきものではなく、稼ぐ物。
そんな黒髪の男爵令嬢の趣味は、今のところ彼女だけの秘密だった。
ため息1つ、ローランは銀貨の詰まった革袋を戸棚にしまい込むと嫋やかな笑みを意識しながら扉を開く。
そこに待ち構えていたのは、婚約者のアウグスト・ハーデン伯爵ではなく、鈍く輝く槍の穂先だった。
「え?」
完全武装の兵士達が槍を構えて、ローランの部屋を取り囲んでいる。
その向こうから、他ならぬ婚約者のアウグスト・ハーデン伯爵がじっとローランに冷たいまなざしを注いでいる。
どう贔屓目に考えても、婚約者に向ける視線では無い。
「アウグスト様?」
何がどうなっているのか、さっぱりワケが分からない。
答えを求めるように婚約者の顔を見つめるが、返ってきたのはローランの求める答えでは無く、鋭く叩きつけるような罵声だった。
「ローラン・フッガー。お前との婚約は破棄とする。ローランを捕らえよ!」
伯爵の命に従い、兵士たちが槍をぐいっと前に突き出す。押し込まれるようにローランが部屋の中に逃げ込むと、たちまち兵士達も室内に雪崩れ込んできた。
倒れ込んだローランの喉元に、数条の槍の穂先が突きつけられる。首筋に触れた刃の下から、つっと血の筋が薄く流れた。
「これはどういうことですか、アウグスト様?」
貴族特有の悪い冗談に違いない。
そんな淡い期待を込めて、かすれた声で婚約者に問いかける。
だが、それが冗談でも何でも無いことは、無言の婚約者よりもローランの喉元に槍を突きつけている兵士の怯えた目つきが雄弁に物語っていた。
恐怖、怒り、なけなしの勇気。
それらが混ざり合った視線はローランが幼いころに幾度も見たことのある、戦場にある兵士のそれだ。
つまり、伯爵も兵士達も本気だということだ。
ローランを揶揄っているわけでも性質の悪い冗談でもない。
それを理解したとたん、スッとローランは頭の芯が冷えるのを感じた。
脳裏に砂塵と戦塵に塗れて逃げ惑った幼い日の思い出が蘇る。あの時に比べれば、この程度のことなど窮地のうちには入らない。
あえて、自分にそう言い聞かせながら、ローランは挑むようにアウグストに視線を向けた。
「婚約破棄というには、少し乱暴ではありませんか? 理由をお聞かせ下さいませ」
ローランのことが気に入らないのであれば、ただ一言そう宣言すれば良いだけだ。
男爵家が一方的に伯爵家に婚約破棄を告げることは許されないが、その逆ならば話は別だ。
「理由か。それはお前が一番理解しているはずなのだがな」
「まあ、確かに伯爵家に私が相応しいかと問われれば、自信はありませんが。いずれにせよ、こうして咎人のように扱われる理由にはなりませんよね?」
自信が無いどころの騒ぎでは無い。何しろ、元は異国の平民の娘が何かの弾みで貴族の養女になっただけの話だ。氏より育ちという言葉もあるが、三つ子の魂という言葉の方がローランには相応しい。
が、それをもって罪だと言うほどこの国の貴族社会は狭量ではない。であれば、こうして喉元に槍を突きつけられる理由になっていない。
そんなローランの疑問に答えず、アウグストはちらりと廊下に目をやった。
それを待っていたかのように姿を現したのはローランの母の死後に後妻に収まった女の連れ子の少女だった。
冷たい婚約者の声が自室の扉の向こう側から聞こえてきたとローランはちょっと他人様には見せられない緩んだ顔つきで銀貨を数えている真っ最中だった。
遠い東の国から母と共にヘプトアーキー帝国に流れ着いて、はや10年。
義父であるフッガー男爵に見初められた母のおまけで男爵令嬢などと呼ばれるようになって久しいが、未だに貴族のご令嬢という身分に戸惑っている。
そのせいだろうか。社交の贅沢自慢や義妹の散財につきあうのに疲れたときはこうして部屋で1人銀貨を数えるのが癖になっていた。
この部屋にある銀貨は男爵家の財産とは関係無い、ローランがこっそりと自分で稼いだものだ。
ローランにとって財とは浪費するべきものではなく、稼ぐ物。
そんな黒髪の男爵令嬢の趣味は、今のところ彼女だけの秘密だった。
ため息1つ、ローランは銀貨の詰まった革袋を戸棚にしまい込むと嫋やかな笑みを意識しながら扉を開く。
そこに待ち構えていたのは、婚約者のアウグスト・ハーデン伯爵ではなく、鈍く輝く槍の穂先だった。
「え?」
完全武装の兵士達が槍を構えて、ローランの部屋を取り囲んでいる。
その向こうから、他ならぬ婚約者のアウグスト・ハーデン伯爵がじっとローランに冷たいまなざしを注いでいる。
どう贔屓目に考えても、婚約者に向ける視線では無い。
「アウグスト様?」
何がどうなっているのか、さっぱりワケが分からない。
答えを求めるように婚約者の顔を見つめるが、返ってきたのはローランの求める答えでは無く、鋭く叩きつけるような罵声だった。
「ローラン・フッガー。お前との婚約は破棄とする。ローランを捕らえよ!」
伯爵の命に従い、兵士たちが槍をぐいっと前に突き出す。押し込まれるようにローランが部屋の中に逃げ込むと、たちまち兵士達も室内に雪崩れ込んできた。
倒れ込んだローランの喉元に、数条の槍の穂先が突きつけられる。首筋に触れた刃の下から、つっと血の筋が薄く流れた。
「これはどういうことですか、アウグスト様?」
貴族特有の悪い冗談に違いない。
そんな淡い期待を込めて、かすれた声で婚約者に問いかける。
だが、それが冗談でも何でも無いことは、無言の婚約者よりもローランの喉元に槍を突きつけている兵士の怯えた目つきが雄弁に物語っていた。
恐怖、怒り、なけなしの勇気。
それらが混ざり合った視線はローランが幼いころに幾度も見たことのある、戦場にある兵士のそれだ。
つまり、伯爵も兵士達も本気だということだ。
ローランを揶揄っているわけでも性質の悪い冗談でもない。
それを理解したとたん、スッとローランは頭の芯が冷えるのを感じた。
脳裏に砂塵と戦塵に塗れて逃げ惑った幼い日の思い出が蘇る。あの時に比べれば、この程度のことなど窮地のうちには入らない。
あえて、自分にそう言い聞かせながら、ローランは挑むようにアウグストに視線を向けた。
「婚約破棄というには、少し乱暴ではありませんか? 理由をお聞かせ下さいませ」
ローランのことが気に入らないのであれば、ただ一言そう宣言すれば良いだけだ。
男爵家が一方的に伯爵家に婚約破棄を告げることは許されないが、その逆ならば話は別だ。
「理由か。それはお前が一番理解しているはずなのだがな」
「まあ、確かに伯爵家に私が相応しいかと問われれば、自信はありませんが。いずれにせよ、こうして咎人のように扱われる理由にはなりませんよね?」
自信が無いどころの騒ぎでは無い。何しろ、元は異国の平民の娘が何かの弾みで貴族の養女になっただけの話だ。氏より育ちという言葉もあるが、三つ子の魂という言葉の方がローランには相応しい。
が、それをもって罪だと言うほどこの国の貴族社会は狭量ではない。であれば、こうして喉元に槍を突きつけられる理由になっていない。
そんなローランの疑問に答えず、アウグストはちらりと廊下に目をやった。
それを待っていたかのように姿を現したのはローランの母の死後に後妻に収まった女の連れ子の少女だった。
3
お気に入りに追加
1,376
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
家の全仕事を請け負っていた私ですが「無能はいらない!」と追放されました。
水垣するめ
恋愛
主人公のミア・スコットは幼い頃から家の仕事をさせられていた。
兄と妹が優秀すぎたため、ミアは「無能」とレッテルが貼られていた。
しかし幼い頃から仕事を行ってきたミアは仕事の腕が鍛えられ、とても優秀になっていた。
それは公爵家の仕事を一人で回せるくらいに。
だが最初からミアを見下している両親や兄と妹はそれには気づかない。
そしてある日、とうとうミアを家から追い出してしまう。
自由になったミアは人生を謳歌し始める。
それと対象的に、ミアを追放したスコット家は仕事が回らなくなり没落していく……。
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
義妹ばかりを溺愛して何もかも奪ったので縁を切らせていただきます。今さら寄生なんて許しません!
ユウ
恋愛
10歳の頃から伯爵家の嫁になるべく厳しい花嫁修業を受け。
貴族院を卒業して伯爵夫人になるべく努力をしていたアリアだったが事あるごと実娘と比べられて来た。
実の娘に勝る者はないと、嫌味を言われ。
嫁でありながら使用人のような扱いに苦しみながらも嫁として口答えをすることなく耐えて来たが限界を感じていた最中、義妹が出戻って来た。
そして告げられたのは。
「娘が帰って来るからでていってくれないかしら」
理不尽な言葉を告げられ精神的なショックを受けながらも泣く泣く家を出ることになった。
…はずだったが。
「やった!自由だ!」
夫や舅は申し訳ない顔をしていたけど、正直我儘放題の姑に我儘で自分を見下してくる義妹と縁を切りたかったので同居解消を喜んでいた。
これで解放されると心の中で両手を上げて喜んだのだが…
これまで尽くして来た嫁を放り出した姑を世間は良しとせず。
生活費の負担をしていたのは息子夫婦で使用人を雇う事もできず生活が困窮するのだった。
縁を切ったはずが…
「生活費を負担してちょうだい」
「可愛い妹の為でしょ?」
手のひらを返すのだった。
【完結】彼女以外、みんな思い出す。
❄️冬は つとめて
ファンタジー
R15をつける事にしました。
幼い頃からの婚約者、この国の第二王子に婚約破棄を告げられ。あらぬ冤罪を突きつけられたリフィル。この場所に誰も助けてくれるものはいない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる