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プロローグ

プロローグ① 婚約破棄にしては大げさじゃありませんか?

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「ローラン・フッガー。話がある。ここを開けよ」

 冷たい婚約者の声が自室の扉の向こう側から聞こえてきたとローランはちょっと他人様には見せられない緩んだ顔つきで銀貨を数えている真っ最中だった。

 遠い東の国から母と共にヘプトアーキー帝国に流れ着いて、はや10年。
 義父であるフッガー男爵に見初められた母のおまけで男爵令嬢などと呼ばれるようになって久しいが、未だに貴族のご令嬢という身分に戸惑っている。

 そのせいだろうか。社交の贅沢自慢や義妹の散財につきあうのに疲れたときはこうして部屋で1人銀貨を数えるのが癖になっていた。
 この部屋にある銀貨は男爵家の財産とは関係無い、ローランがこっそりと自分で稼いだものだ。
 ローランにとって財とは浪費するべきものではなく、稼ぐ物。
 そんな黒髪の男爵令嬢の趣味は、今のところ彼女だけの秘密だった。

 ため息1つ、ローランは銀貨の詰まった革袋を戸棚にしまい込むと嫋やかな笑みを意識しながら扉を開く。
 そこに待ち構えていたのは、婚約者のアウグスト・ハーデン伯爵ではなく、鈍く輝く槍の穂先だった。

「え?」

 完全武装の兵士達が槍を構えて、ローランの部屋を取り囲んでいる。

 その向こうから、他ならぬ婚約者のアウグスト・ハーデン伯爵がじっとローランに冷たいまなざしを注いでいる。
 どう贔屓目に考えても、婚約者に向ける視線では無い。

「アウグスト様?」

 何がどうなっているのか、さっぱりワケが分からない。

 答えを求めるように婚約者の顔を見つめるが、返ってきたのはローランの求める答えでは無く、鋭く叩きつけるような罵声だった。

  「ローラン・フッガー。お前との婚約は破棄とする。ローランを捕らえよ!」

 伯爵の命に従い、兵士たちが槍をぐいっと前に突き出す。押し込まれるようにローランが部屋の中に逃げ込むと、たちまち兵士達も室内に雪崩れ込んできた。

 倒れ込んだローランの喉元に、数条の槍の穂先が突きつけられる。首筋に触れた刃の下から、つっと血の筋が薄く流れた。 

「これはどういうことですか、アウグスト様?」

 貴族特有の悪い冗談に違いない。
 
 そんな淡い期待を込めて、かすれた声で婚約者に問いかける。
 だが、それが冗談でも何でも無いことは、無言の婚約者よりもローランの喉元に槍を突きつけている兵士の怯えた目つきが雄弁に物語っていた。

 恐怖、怒り、なけなしの勇気。

 それらが混ざり合った視線はローランが幼いころに幾度も見たことのある、戦場にある兵士のそれだ。
 つまり、伯爵も兵士達も本気だということだ。

 ローランを揶揄っているわけでも性質の悪い冗談でもない。

 それを理解したとたん、スッとローランは頭の芯が冷えるのを感じた。
 脳裏に砂塵と戦塵に塗れて逃げ惑った幼い日の思い出が蘇る。あの時に比べれば、この程度のことなど窮地のうちには入らない。
 あえて、自分にそう言い聞かせながら、ローランは挑むようにアウグストに視線を向けた。

「婚約破棄というには、少し乱暴ではありませんか? 理由をお聞かせ下さいませ」

 ローランのことが気に入らないのであれば、ただ一言そう宣言すれば良いだけだ。
 男爵家が一方的に伯爵家に婚約破棄を告げることは許されないが、その逆ならば話は別だ。

「理由か。それはお前が一番理解しているはずなのだがな」
「まあ、確かに伯爵家に私が相応しいかと問われれば、自信はありませんが。いずれにせよ、こうして咎人のように扱われる理由にはなりませんよね?」

 自信が無いどころの騒ぎでは無い。何しろ、元は異国の平民の娘が何かの弾みで貴族の養女になっただけの話だ。氏より育ちという言葉もあるが、三つ子の魂という言葉の方がローランには相応しい。
 が、それをもって罪だと言うほどこの国の貴族社会は狭量ではない。であれば、こうして喉元に槍を突きつけられる理由になっていない。

 そんなローランの疑問に答えず、アウグストはちらりと廊下に目をやった。

 それを待っていたかのように姿を現したのはローランの母の死後に後妻に収まった女の連れ子の少女だった。
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