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一人より
癒しの声
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ワンドの国、首都グランベルジュにて奏音とヨハナは回転する大歯車のすぐ下にある機巧装具店のドアをまさに開けようとしていた。
低いベルがリンリンと静かになって、モント爺と同い年くらいの老人が出てくる。
「いらっしゃい。お嬢さん方、どんな用向きで」
ヨハナはL字の棒を二本取り出して、お爺さんいるカウンターに置いた。お爺さんは手に取った奏具を見て「ふうん」と唸ってヨハナを見た。
「骨董品だな。良かろう、だが姿形そっくりそのままというわけにはいかないが、いいかね」
ヨハナは少し悩んだが、その後は力強く返事をした。
「よろしくお願いします」
お爺さんは鼻の下のくるっと巻かれた髭を引っ張って離す仕草が癖のようだ。奏音はそれを見て切れた弦のようだと思った。
「お嬢さん、これが何の装具か知ってるかね」
「奏具ではないのですか」
「いやいや、コイツは装具でもあり操具としても使える奏具なんだよ。先人の長耳族の遊び心溢れた作品さ。まさかお目にかかる日が来ようとはな」
「それって、そんなに凄いものなんですか」
嬉しそうなお爺さんを見て奏音はつい聞きたくなった疑問を投げかける。
「そうだな。コレクターたちは欲しがるんじゃないかね。私は生きているうちに見られただけで満足だよ」
お爺さんをは満足そうな笑みを浮かべると再びヨハナに話しかける。
「修理には四日ほどかかるから、四日後にまた来ておくれ、お代は今払うかね」
「はい、そうします。大金を持って出歩くのは気が引けますので」
ヨハナがブラッドチップを換金した十二万ポメの入った袋をカウンターに置き、モント爺から貰った割引券も一緒に差し出した。カウンター越しに、お爺さんは「モントのやつめ」と恨み節で割引券を金庫にしまう。
「六割引で四万ポメだ。これは五千ポメの割引券。次回使ってくれればよい」
奏音とヨハナが店から出る時、お爺さんのため息が大きいような気がした二人だが、見なかったことにしてそそくさと店を出る。
「これからどうしよっか」
「折角ですので、こちらの傭人依頼を受けてみるというのはどうでしょう」
「いいね。やろう、やろう」
二人はグランベルジュの中心に位置する銅像広場を少しいったところにある傭人紹介所ワンド支店にやって来た。内装は特に変っところはないが、依頼の張り出されているボードは、張り紙がスカスカだった。
「・・・これは」
ヨハナはその中の一つの紙を剥がして見つめる。
「よろしければこの依頼にしませんか」
「子供たちの面倒を見てくれる人を募集します。これって、もしかして」
「ええ、私の両親の依頼だと思います。私が出てしまったので手が回らないのかもしれません」
奏音には特に断る理由もないので「いいよ」と二言返事で依頼を受けることになった。
ヨハナのちょっとした里帰りに付き合うことになった奏音だが、ヨハナのウチがどんなところなのか興味があった。ヨハナと出会って数ヶ月とちょっと経っているが、色々なことがあったと彼女は思い返す。
一緒にキーの練習をして、歌を歌って、キーの練習をして、歌を歌って、トリニョロットのブラッドチップを採りにいって、歌を歌って、キーの練習をして、歌を歌って・・・アレ、ほとんど同じことしかしていないと、奏音は思い返してみて初めて気づく。
「ねぇ、ヨハナン」
「なんでしょう」
「私たち、出会ってからほとんど同じことしかしてないことに気づいたよ」
「そうですね。刺激的な毎日でとても楽しいです」
朗らかに微笑むヨハナを見て、奏音は楽しいなら同じことしててもいいかと、考えるのをやめた。そして、ヨハナの家に向かう道中、やはり二人は歌を唄い林道を抜ける。
ルミナスギターは万能なもので、気分次第でギターの種類を変えられるため、この時はフォークギターに似た音色が林道に響き渡る。練習の甲斐あってか、ヨハナも歌うのが上達していた。
もともと聞き取りやすく柔らかい声色のヨハナの声は、緑の香る林の景観にピタリとハマり、奏音を優しく爽快な感覚で包み込むのだった。
「そろそろ着きますよ」
「あの家なの」
「いえ、あれは昔の家です。私が生まれた頃のお家で、今はあちらの二階建ての建物にみんな越しました。子供たちが増えましたので」
そこには大きいとは言えないまでも、アパートメント程の大きさはあるだろう建物があり、奏音には親近感のような親しみやすさが生まれた。
「わあ~」
子供達が庭で駆けっこをして遊んでいるのを遠目からでも見て取れる。ヨハナは慣れた手つきで門の錠を外し、門を軽く押す。すると鉄の車輪とレールが擦れて金属の高い音が辺りに響く。
「どちら様」
玄関のドアからほっそりとした女性が半身でこちらを覗いている。そして薄い唇が驚きとともに開かれる。
「まあ、ヨハナ。それに・・・」
「初めまして、五条奏音と申します」
「どうもご丁寧に、私はヨハナの母のマルカ」
「今日は、ワンドの傭人依頼で来たの」
ヨハナは傭人所に張り出されていた、依頼書をマルカに見せて、さっそく依頼を始めるために袖を帯で結んで、邪魔にならないようにしていく。
奏音は、自分もと上着を畳んでマルカに手渡す。
ヨハナは何をするか聞くでもなく。庭の方へと向かう。その慣れた様子の背中を追って、奏音も続き庭へと向かうため歩き出す。次第に子供たちの声が近づいてくる。
「ああ、ヨハねぇだ」
一人の男の子が、パタパタとヨハナの足元に駆け寄って来て、嬉しそうにはしゃいでいる。それを見た他の子供たちも次々にヨハナの元へやって来た。
「ねぇ、あのお姉ちゃんだあれ」
女の子が奏音を指して、ヨハナに問いかける。
「私のお友達。とっても優しくて、お詩が上手なの」
「詩。よくわかんない」
「聴きたい、聴きたい」
奏音は、苦笑いを浮かべつつもちゃっかりとギターを入れていた風呂敷を取り去り、魔力を通して弦を生成する。
「うわあ、光った。かっけぇ」
奏音は、児童向けに作った曲を思い出しながら弾く。かつて、ボランティアで児童たちが集まるイベントに参加した時に作曲したものだ。
とりわけ、子供向けということもあってか作るのに難儀したことを奏音は、今でも覚えている。
歌い終わり、ギターのレバーを弾き魔力を放出する。その煌めきを見た子供たちの目もまた、うっとりとしたように輝いていた。
「私もやりたい、やりたい」
「ええと、魔力がないとちょっと」
「ほら、奏音お姉さんも困ってるから、それぐらいにして、駆けっこでもしましょう」
「うん、やるやる。ヨハねぇが鬼だよぉ」
子供たちはそう言うと一斉に庭に散って行った。
「私はもう少し、あの子たちと遊んでますから、奏音はゆっくりしてて下さい。中には母がいると思うので」
「でも、一応仕事で来てるし。悪いよ」
「いいえ、そんなことありません。それに子供たちはすばしっこくて、悪戯好きですからね。奏音の手に余ると思いますよ」
悪戯っぽく笑って、ヨハナは子供たちを追いかけ始めた。追いつくか追いつかないかの速さで、子供たちを追うその姿は奏音にとっては眩しく映った。
改めて、ヨハナの家に上がった奏音は、台所でお皿を拭くマルカの背中を見つける。
「お手伝いします」
「ああ、大丈夫ですよ。もう直ぐ終わりますので、お茶を用意しておきましたから、召し上がって下さい」
机には、薄く湯気が立つポットがあった。おそらくもう大分入れてから時間が経っているだろうと思われるものだった。
すると、パリンとマルカが皿を落として「あっ」と弱く息を吐く。
「ごめんなさい。最近よく手から滑り落ちてしまうの。年かしらね」
「私、やっぱり手伝います。マルカさんこそ、休んだ方がいいですよ」
ほらほら、半ば強引にリビングの窓際にある椅子にマルカを座らせて、奏音は台所からぬるくなったポットを持ってきて、カップにお茶を注ぐ。
「ぬるいわ。・・・でも、落ち着くわね」
窓の外では、ヨハナと子供たちが駆けっこをしてはしゃいでいる。その様子を見ると、奏音は何も言わずに台所へ戻り、割れた皿を片付けて、皿拭きはじめた。
台所は小綺麗になった辺りで、一旦終了と布巾を流しに置いてマルカの隣に座る。
「お台所、だいたい終わりました」
「ありがとうございました」
もう冷めてしまったであろうお茶を、まだ熱いかのようにズズッと音を立ててマルカは口に含む。
「あの子が働きに家を出ていくと聞いた時は、私も主人も驚きましたが止めるための言葉も出ませんでした。そして、あなたを連れて戻ってきた時もまた、驚きはありましたが何も言葉をかけてあげられなかった」
俯きながら、カップの縁を指で撫でているが、マルカの目線はカップの中の遠くの方を見つめている。
奏音はマルカを一瞥し、冷たいお茶を喉に流し込んで、外で楽しそうに駆け回る子供たちを眺めた。
「ヨハナは、皆さんのことがとっても愛しいって言ってました。だけどお姉ちゃんだから甘えてちゃいけないとも」
「そう、ですか。あの子がそんなことを」
駆けっこをしている内の一人の子が、地面から頭を出していた岩肌に足を取られ転倒する。もちろんのことながら、その子は泣き出した。その様子を見たマルカさんは、立ち上がろうと腰を浮かせるが、奏音はそっとマルカの肩に手を置きそれを制止する。
子供達がその子を囲み、ヨハナがその子の怪我を見て励ましている。その様子を窓越しに奏音とマルカは見守っていた。
「ヨハナは、私と歌の練習をずっとしてました」
「詩」
窓の外にいる彼女は、優しく穏やかな調べを自らの意志で紡いでいた。それは野に咲く花を撫でる風のような澄んだ水のような。そう感じる声色がマルカの腰を落とさせ、その瞳に映る娘の姿を眺めている。
「あの子が詩人のように詩を歌っているなんて」
「とっても、癒されますよね。私もヨハナの声は大好きなんです」
奏音はそう言うとカーテンの近くに置いておいたルミナスギターを引っ掴んで、庭に飛び出した。
「つい、楽しそうだったから出てきちゃった」
「相変わらずですね」
「えへへ、さあ、もっと歌おう」
奏音とヨハナは、子供たちに囲まれながら歌った。するとさっき転んだ子が声を上げる。
「治った、治ったよヨハねぇ」
それを聞いたみんなは、その子の怪我した膝小僧を見つめる。そこには血の跡もカサブタもなく綺麗なピンクの肌があるだけだった。
「コレは」
不思議そうにヨハナは奏音を見やるが、奏音は首を横に振って「わかんないよ」と言う。
「おしまい、ねぇもうおしまいなの」
奏音はスカートをくいと引っ張られ催促される。
そのあとは散々歌わさせられ、奏音もヨハナもすっかり疲れ果てていた。子供たちはみんなそれぞれのベッドに入っていった後である。
「ただいま、おやお客様かい」
「ええ、傭人の方がいらしてて。本当に助かったわ」
「そうか、それは良かった。それでその傭人の方は」
マルカは夫であるトルクのコートと鞄を持ってリビングに向かう。その間に手洗いを済ませたトルクは、リビングのソファで肩を寄せ合い眠る奏音とヨハナを見て、少しだけ微笑んでズレていた毛布をそっとかけ直してやる。
「お帰りヨハナ。それからお友達方。お疲れ様」
そう言うとダイニングの方へと夕食を食べにリビングを出た。
低いベルがリンリンと静かになって、モント爺と同い年くらいの老人が出てくる。
「いらっしゃい。お嬢さん方、どんな用向きで」
ヨハナはL字の棒を二本取り出して、お爺さんいるカウンターに置いた。お爺さんは手に取った奏具を見て「ふうん」と唸ってヨハナを見た。
「骨董品だな。良かろう、だが姿形そっくりそのままというわけにはいかないが、いいかね」
ヨハナは少し悩んだが、その後は力強く返事をした。
「よろしくお願いします」
お爺さんは鼻の下のくるっと巻かれた髭を引っ張って離す仕草が癖のようだ。奏音はそれを見て切れた弦のようだと思った。
「お嬢さん、これが何の装具か知ってるかね」
「奏具ではないのですか」
「いやいや、コイツは装具でもあり操具としても使える奏具なんだよ。先人の長耳族の遊び心溢れた作品さ。まさかお目にかかる日が来ようとはな」
「それって、そんなに凄いものなんですか」
嬉しそうなお爺さんを見て奏音はつい聞きたくなった疑問を投げかける。
「そうだな。コレクターたちは欲しがるんじゃないかね。私は生きているうちに見られただけで満足だよ」
お爺さんをは満足そうな笑みを浮かべると再びヨハナに話しかける。
「修理には四日ほどかかるから、四日後にまた来ておくれ、お代は今払うかね」
「はい、そうします。大金を持って出歩くのは気が引けますので」
ヨハナがブラッドチップを換金した十二万ポメの入った袋をカウンターに置き、モント爺から貰った割引券も一緒に差し出した。カウンター越しに、お爺さんは「モントのやつめ」と恨み節で割引券を金庫にしまう。
「六割引で四万ポメだ。これは五千ポメの割引券。次回使ってくれればよい」
奏音とヨハナが店から出る時、お爺さんのため息が大きいような気がした二人だが、見なかったことにしてそそくさと店を出る。
「これからどうしよっか」
「折角ですので、こちらの傭人依頼を受けてみるというのはどうでしょう」
「いいね。やろう、やろう」
二人はグランベルジュの中心に位置する銅像広場を少しいったところにある傭人紹介所ワンド支店にやって来た。内装は特に変っところはないが、依頼の張り出されているボードは、張り紙がスカスカだった。
「・・・これは」
ヨハナはその中の一つの紙を剥がして見つめる。
「よろしければこの依頼にしませんか」
「子供たちの面倒を見てくれる人を募集します。これって、もしかして」
「ええ、私の両親の依頼だと思います。私が出てしまったので手が回らないのかもしれません」
奏音には特に断る理由もないので「いいよ」と二言返事で依頼を受けることになった。
ヨハナのちょっとした里帰りに付き合うことになった奏音だが、ヨハナのウチがどんなところなのか興味があった。ヨハナと出会って数ヶ月とちょっと経っているが、色々なことがあったと彼女は思い返す。
一緒にキーの練習をして、歌を歌って、キーの練習をして、歌を歌って、トリニョロットのブラッドチップを採りにいって、歌を歌って、キーの練習をして、歌を歌って・・・アレ、ほとんど同じことしかしていないと、奏音は思い返してみて初めて気づく。
「ねぇ、ヨハナン」
「なんでしょう」
「私たち、出会ってからほとんど同じことしかしてないことに気づいたよ」
「そうですね。刺激的な毎日でとても楽しいです」
朗らかに微笑むヨハナを見て、奏音は楽しいなら同じことしててもいいかと、考えるのをやめた。そして、ヨハナの家に向かう道中、やはり二人は歌を唄い林道を抜ける。
ルミナスギターは万能なもので、気分次第でギターの種類を変えられるため、この時はフォークギターに似た音色が林道に響き渡る。練習の甲斐あってか、ヨハナも歌うのが上達していた。
もともと聞き取りやすく柔らかい声色のヨハナの声は、緑の香る林の景観にピタリとハマり、奏音を優しく爽快な感覚で包み込むのだった。
「そろそろ着きますよ」
「あの家なの」
「いえ、あれは昔の家です。私が生まれた頃のお家で、今はあちらの二階建ての建物にみんな越しました。子供たちが増えましたので」
そこには大きいとは言えないまでも、アパートメント程の大きさはあるだろう建物があり、奏音には親近感のような親しみやすさが生まれた。
「わあ~」
子供達が庭で駆けっこをして遊んでいるのを遠目からでも見て取れる。ヨハナは慣れた手つきで門の錠を外し、門を軽く押す。すると鉄の車輪とレールが擦れて金属の高い音が辺りに響く。
「どちら様」
玄関のドアからほっそりとした女性が半身でこちらを覗いている。そして薄い唇が驚きとともに開かれる。
「まあ、ヨハナ。それに・・・」
「初めまして、五条奏音と申します」
「どうもご丁寧に、私はヨハナの母のマルカ」
「今日は、ワンドの傭人依頼で来たの」
ヨハナは傭人所に張り出されていた、依頼書をマルカに見せて、さっそく依頼を始めるために袖を帯で結んで、邪魔にならないようにしていく。
奏音は、自分もと上着を畳んでマルカに手渡す。
ヨハナは何をするか聞くでもなく。庭の方へと向かう。その慣れた様子の背中を追って、奏音も続き庭へと向かうため歩き出す。次第に子供たちの声が近づいてくる。
「ああ、ヨハねぇだ」
一人の男の子が、パタパタとヨハナの足元に駆け寄って来て、嬉しそうにはしゃいでいる。それを見た他の子供たちも次々にヨハナの元へやって来た。
「ねぇ、あのお姉ちゃんだあれ」
女の子が奏音を指して、ヨハナに問いかける。
「私のお友達。とっても優しくて、お詩が上手なの」
「詩。よくわかんない」
「聴きたい、聴きたい」
奏音は、苦笑いを浮かべつつもちゃっかりとギターを入れていた風呂敷を取り去り、魔力を通して弦を生成する。
「うわあ、光った。かっけぇ」
奏音は、児童向けに作った曲を思い出しながら弾く。かつて、ボランティアで児童たちが集まるイベントに参加した時に作曲したものだ。
とりわけ、子供向けということもあってか作るのに難儀したことを奏音は、今でも覚えている。
歌い終わり、ギターのレバーを弾き魔力を放出する。その煌めきを見た子供たちの目もまた、うっとりとしたように輝いていた。
「私もやりたい、やりたい」
「ええと、魔力がないとちょっと」
「ほら、奏音お姉さんも困ってるから、それぐらいにして、駆けっこでもしましょう」
「うん、やるやる。ヨハねぇが鬼だよぉ」
子供たちはそう言うと一斉に庭に散って行った。
「私はもう少し、あの子たちと遊んでますから、奏音はゆっくりしてて下さい。中には母がいると思うので」
「でも、一応仕事で来てるし。悪いよ」
「いいえ、そんなことありません。それに子供たちはすばしっこくて、悪戯好きですからね。奏音の手に余ると思いますよ」
悪戯っぽく笑って、ヨハナは子供たちを追いかけ始めた。追いつくか追いつかないかの速さで、子供たちを追うその姿は奏音にとっては眩しく映った。
改めて、ヨハナの家に上がった奏音は、台所でお皿を拭くマルカの背中を見つける。
「お手伝いします」
「ああ、大丈夫ですよ。もう直ぐ終わりますので、お茶を用意しておきましたから、召し上がって下さい」
机には、薄く湯気が立つポットがあった。おそらくもう大分入れてから時間が経っているだろうと思われるものだった。
すると、パリンとマルカが皿を落として「あっ」と弱く息を吐く。
「ごめんなさい。最近よく手から滑り落ちてしまうの。年かしらね」
「私、やっぱり手伝います。マルカさんこそ、休んだ方がいいですよ」
ほらほら、半ば強引にリビングの窓際にある椅子にマルカを座らせて、奏音は台所からぬるくなったポットを持ってきて、カップにお茶を注ぐ。
「ぬるいわ。・・・でも、落ち着くわね」
窓の外では、ヨハナと子供たちが駆けっこをしてはしゃいでいる。その様子を見ると、奏音は何も言わずに台所へ戻り、割れた皿を片付けて、皿拭きはじめた。
台所は小綺麗になった辺りで、一旦終了と布巾を流しに置いてマルカの隣に座る。
「お台所、だいたい終わりました」
「ありがとうございました」
もう冷めてしまったであろうお茶を、まだ熱いかのようにズズッと音を立ててマルカは口に含む。
「あの子が働きに家を出ていくと聞いた時は、私も主人も驚きましたが止めるための言葉も出ませんでした。そして、あなたを連れて戻ってきた時もまた、驚きはありましたが何も言葉をかけてあげられなかった」
俯きながら、カップの縁を指で撫でているが、マルカの目線はカップの中の遠くの方を見つめている。
奏音はマルカを一瞥し、冷たいお茶を喉に流し込んで、外で楽しそうに駆け回る子供たちを眺めた。
「ヨハナは、皆さんのことがとっても愛しいって言ってました。だけどお姉ちゃんだから甘えてちゃいけないとも」
「そう、ですか。あの子がそんなことを」
駆けっこをしている内の一人の子が、地面から頭を出していた岩肌に足を取られ転倒する。もちろんのことながら、その子は泣き出した。その様子を見たマルカさんは、立ち上がろうと腰を浮かせるが、奏音はそっとマルカの肩に手を置きそれを制止する。
子供達がその子を囲み、ヨハナがその子の怪我を見て励ましている。その様子を窓越しに奏音とマルカは見守っていた。
「ヨハナは、私と歌の練習をずっとしてました」
「詩」
窓の外にいる彼女は、優しく穏やかな調べを自らの意志で紡いでいた。それは野に咲く花を撫でる風のような澄んだ水のような。そう感じる声色がマルカの腰を落とさせ、その瞳に映る娘の姿を眺めている。
「あの子が詩人のように詩を歌っているなんて」
「とっても、癒されますよね。私もヨハナの声は大好きなんです」
奏音はそう言うとカーテンの近くに置いておいたルミナスギターを引っ掴んで、庭に飛び出した。
「つい、楽しそうだったから出てきちゃった」
「相変わらずですね」
「えへへ、さあ、もっと歌おう」
奏音とヨハナは、子供たちに囲まれながら歌った。するとさっき転んだ子が声を上げる。
「治った、治ったよヨハねぇ」
それを聞いたみんなは、その子の怪我した膝小僧を見つめる。そこには血の跡もカサブタもなく綺麗なピンクの肌があるだけだった。
「コレは」
不思議そうにヨハナは奏音を見やるが、奏音は首を横に振って「わかんないよ」と言う。
「おしまい、ねぇもうおしまいなの」
奏音はスカートをくいと引っ張られ催促される。
そのあとは散々歌わさせられ、奏音もヨハナもすっかり疲れ果てていた。子供たちはみんなそれぞれのベッドに入っていった後である。
「ただいま、おやお客様かい」
「ええ、傭人の方がいらしてて。本当に助かったわ」
「そうか、それは良かった。それでその傭人の方は」
マルカは夫であるトルクのコートと鞄を持ってリビングに向かう。その間に手洗いを済ませたトルクは、リビングのソファで肩を寄せ合い眠る奏音とヨハナを見て、少しだけ微笑んでズレていた毛布をそっとかけ直してやる。
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