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第六章
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しおりを挟む翌日の午後、ざわついたT駐屯地の食堂で同僚と話しながら昼食を取っていた鷹栖は、先に食べ終わって出て行くところだった順平に声を掛けられた。
「鷹栖二尉、お話したいことがあるのですが。お時間を作っていただけますか?」
駐屯地内は親しい陸上部の人間だけがいる場とは違うので、階級を付けて丁寧に呼びかけている。
普段通りの落ち着いた低い声で端的に言った順平の言葉を聞いて、鷹栖は胡乱げに眉をひそめた。他の者は気づかないだろうが、付き合いの長い鷹栖は、その時の後輩の態度のわずかな違いに気づいていた。
テーブルの向かいにいる同僚に違和感を与えないように極力、平然を装って、鷹栖が笑顔で順平に答える。
「……わかった。今はゆっくり話してる時間はないから、勤務が終わってからでいいだろう? 駐車場のオレの車の前で待っていてくれ。車の中で話そう」
「わかりました。ありがとうございます」
順平がきっちり体を折り曲げて頭を下げると、回れ右して食堂から出て行った。
その背中を横目で見送りながら、鷹栖が物憂げに小さな溜息をついた。
(やれやれ……何だろうね、今日のあいつの目つきは。ああいうの、以前にオヤジの部屋に積んであった昭和の任侠映画のDVDで見たな……確か鉄砲玉とか言ったか? まるであんな感じの、”殺気”がダダ洩れじゃねえか……)
さっきまで、すぐそこで立ったまま鷹栖を見下ろしていた順平の顔を思い出す。
日焼けした精悍な顔は冷え冷えとした無表情で、奇妙なくらいに揺らぐことのない漆黒の瞳は、眉ひとつ動かさずに「人を殺せる」人間の目つきに見えた。
そういう物騒な目つきをした男たちを、実際に鷹栖はまだ若い頃、札幌の夜の街で働いていた頃に何人も知っていた。自分が殺されかけたことさえあった。
彼らは一様に貧しい出自を持ち、道徳や倫理感というものを少しも理解せず、ただ「腹が減っていた時に飯を食わせてくれたから」とかいう、そんな理由だけでボスと慕う人間の命令であっさりと人を殺していた。動物を屠殺するように。
鷹栖が食べ終わった食器が載ったトレイを返却口に片付けながら、表情を動かさず冷静に考える。
(……下手に民間の飲食店なんかで、血の雨を降らせるわけにも行かないしな。それなら駐屯地内のほうがまだマシだろう。車に乗って話せば最悪、いざという時はアクセルを全開にして前の車にでも突っ込ませれば、エアバックが作動して、奴の動きを封じるくらいは出来るはず……その間に、騒ぎを聞いて誰か駆けつけてくれることを祈るしかないな……)
順平が、もしも本気で殺しに来たら、自分一人の力では到底、抑えられないことを鷹栖はよく理解していた。自衛隊員として当然、鷹栖も格闘術などは学んでいたが、順平の潜在的な戦闘力というのは、そういうものとは一線を画していた。
――「本能」とでも言おうか。生物として、一対一で戦ったらこいつには絶対に勝てない、と思わされる”何か”が順平にはあった。アメフトとボクシング経験者の、戦地帰りの巨漢の元米兵をすら怯ませるようなものが。
鷹栖は断言してもいいと思っているが。順平は恐らく、自衛隊に入っていなければ、まず間違いなくどこかの時点で、いわゆる「裏社会」に堕ちていただろう。案外、そっちのほうが、本人は生きやすかったのかも知れないが……ともかく、順平が今は”秩序”の側にいるのは、本当に幸運にも、たまたまそうなっているに過ぎない。
(みんなの目からはただの人によく馴れた「犬」に見えているんだろうが……あいつの本質は、飢えた野生の「狼」だ)
両者は似ているようで全く違う。どんなに人の近くにいても、親しげに映る機会があったとしても、永遠に交わることはない。気を抜くと、一瞬で牙を剥いて襲い掛かり、喉笛を食い破られる相手――”捕食者”の側にいる存在だ。
それがわかっていたからこそ、鷹栖はかつて、陸上部を守るために、いつか問題を起こす可能性のある順平を切り捨てることも考えていた。鷹栖自身に不可思議な情が湧いてしまって、それは取りやめたが。
(ああいう、胸の真ん中に大穴が開いてるような奴ってのは、自分の命なんか一ミリも惜しくない。だから怖いんだ。子供の頃から誰かに大事にされたことがない、大事なものを持つこともなく育った奴特有の「欠落感」というか……ブラックホールみたいに近寄る人間は大抵、酷い目に合わされるが。本人には自覚が無いのがな……)
鷹栖は食堂を出て、勤務に戻る途中の廊下の窓からK市がある方角を見上げた。
冬晴れの青空に輪郭のはっきりしない白い雲がいくつか、ゆっくりと漂っている。その空を、薄っすらと優しげな笑みを浮かべて見上げながら鷹栖が小さく呟いた。
「……どこぞの野郎から恨まれて、命を狙われるのは別に初めてじゃないが。今回は女絡みでは、理由に心当たりが全くないってのが地味に困る。とはいえオレはまだ、こんなところで死ぬわけには行かないからな……。まあ、何とかするさ」
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