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第六章

04-2

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 冬の日が暮れかかる頃、順平と共同で借りているワンルームマンションへとやって来た洋太がドアに手を掛けると、不思議なことに鍵が開いていた。
 順平が休暇で来る予定だと知らせてきたのは翌日のはずだったので、掃除でもしておこうかと思っていた洋太は、おかしいな? と思いながらも慎重に扉を開けると、中に見慣れた黒い大きなトレイル用ランニングシューズがあったので少し安心した。
「順平? いるのか……? あれ、おかしいなあ。なんか、さっき声が聞こえた気がするんだけど、部屋の中は真っ暗だし……買い物に行ってるとか? なら靴は履くよなあ……」
 洋太が怪訝そうに小声で呟きながら、玄関のドアを閉めて中に入ってきた。薄暗い部屋の壁を手探りし、エアコンの暖房と天井のライトのスイッチを入れた途端、すぐ横の壁際で片膝を立てて、長い脚を投げ出しながら座り込んでいる順平に気づくと、驚いて飛びのいた。
「うわっ?! なんだよ……いたんなら返事しろよ! あと電気くらいつけろって! もー、心臓に悪いだろ……」
 洋太がどきどきする胸を抑えながら不満げに声を上げた。順平は、それが聞こえているのか、いないのか、押し黙ったまま俯いてフローリングの床を見つめている。
 ダウンコートを脱いでハンガーに掛けている洋太の服装は昼間、実家の玄関で順平が見たものと同じだった。少なくとも、外見上は……。
 思い出したように、洋太が順平に声を掛ける。
「なあ。もしかしてお前、さっきうちに来た? 駐車場に駅前の高い店のプリンの袋が置いてあってさ。一応、お母さんが檀家さんの忘れ物かも知れないからって、賞味期限までは冷蔵庫に入れとくらしいんだけど。もし、お前のお土産なら――」
「捨てろ。そんなもの……」
 ゆらり、と順平が体を起こすと、頭でも痛むのか、片手で目の上あたりを覆いながら、洋太のすぐ前に壁のように立った。
 黒いカーゴパンツにスポーツ用の薄手の黒いフリースの前を胸元まで開けて、ぬっと空間を塞ぐように目の前に立たれると、今さらながら順平の筋肉質で大柄な体と、洋太の華奢な体との体格差が際立った。
「えっ? でも……」
 低い声で吐き捨てるような順平の言葉に、普段と違う刺々とげとげしさを感じて、洋太はわずかに緊張した。こんなことは初めてだった。順平といる時の感覚は、全面的に守られているような、温かさと安心感ばかりだったので、あまりの違いに戸惑っていた。
「ど、どうしたんだ……順平? どっか具合いでも悪いのか?」
 心配そうに声を掛ける洋太に対して、頭を押さえた手の影からのぞく順平の眼は、真っ黒で光が無くて、まるで別人のように冷たく見えた。
 順平が重々しく口を開くと、低い声が、普段よりもさらに地を這うような、陰鬱な響きで洋太の耳に届いた。
「お前こそ……オレに何か、があるんじゃないのか……?」
「順平に、話すこと……?」
 そこまで言って、急にハッ、とした顔になる洋太。気まずそうに俯いて黙り込んでしまった恋人を見て、順平が頭を押さえた手の下で、ぎりりと唇を血が出るほど噛みしめた。聞こえないくらいの低い声を、やっと絞り出す。
「……、そうなのか……?」
「え? 何が――」
 次の瞬間、唐突に順平の頭を押さえていた手が動いて、洋太の腕をガッ、と鷲掴みにした。
「痛っ……?!」
 驚いて目を見張る洋太の顔のすぐ前に、覆いかぶさるようにして、照明を背に影になった順平の顔があった。その表情は、薄暗い陰りの中で白目をぎらつかせ、奥歯を噛み締めて静かな怒りに燃えているような、最も恐ろしい面の羅刹らせつ像のようだった。
「……順平……?」
 呆然とした声で、洋太が呟いた。順平が敵意を向けた相手に見せる峻烈しゅんれつな表情を、洋太はこの時、自分にそれと近いものを向けられて、初めて見た。
 比喩ではなく、本当に、血に飢えた野生の巨大な狼に、今まさに喉笛のどぶえを喰い破られようとしているような、そんな凄まじい恐怖を感じた。
 深い洞窟の奥の漆黒の世界を思わせる、底知れない闇の色をした眼に縫い付けられたように、足が小刻みに震えて一歩も動けない。
 順平が洋太の両腕をきつく掴んで引き寄せると、牙を剥いた猛獣にも似た、荒々しい噛みつくような口づけをしてきた。
 いつもより数倍も激しく、舌の付け根を強く吸われ、口中を熱い舌で犯すように、くまなく舐め回される間、洋太の心臓は普段のときめきとは違う速さで鳴っていた。――それは警戒感だった。
 肉体的に弱い側の本能なのか、目の前の順平に対して、危険だ! と頭の中の何者かが洋太に知らせていた。凄い力で自分を捕まえている、この相手から早く逃げないと八つ裂きにされて、食べられてしまう。逃げないと、早く、早く……
「や、やだ……やめてくれ、順平……っ」
 弱々しく抵抗する洋太の脚を払って、低いテーブルの上に押し倒すと、順平は腰のベルトを素早く引き抜き、無理やり頭の上にまとめた洋太の両手をベルトで拘束して、テーブルの脚に縛り付けてしまった。
「あ、痛った……な、何するんだよ……?! 放せよ!」
 普段の順平ならば考えられないことだが、この時は、体の下になった洋太の抗議の声を平然と無視した。それどころか、生贄いけにえの羊のように縛られ、テーブルの上に横たわった洋太の胴体の脇に片膝をつくと、順平は獣のように舌なめずりしながら、どこか暗い愉悦ゆえつをたたえた眼つきで見下ろしていた。
「黙れ。自分がしたことは、わかっているだろう……洋太?」
「は? 何言ってるんだよ? さっきから、わけがわからな――」
「そうか……なら、”体”に訊いて、思い出させてやる」
 暗い笑みを浮かべたまま、順平は低い声でそう呟くと、脚にまたがるように膝立ちしてテーブルの上に縫い付けた洋太の衣服を、強引にはだけさせた。
 明るいライトの真下で、オレンジ色のパーカーを鎖骨の辺りまで押し上げ、手荒く露出させられた白い胸の両側で、ピンク色の突起がわずかに震えている。
 洋太が驚いて、顔を赤らめながら小さく叫んだ。
「や、やめろってば……! 玄関、鍵あいたままだし、窓だってまだカーテンが……?!」
「ちょうどいいじゃないか。お前は恥ずかしいほうが、興奮するんだろう? ほら、こんな風に……」
 順平のいかつくて長い指がなめらかな肌をなぞって、円を描くように突起をわざとゆるく刺激すると、早くも震えながら薄紅色に立ち上がってきた。
「いやらしい体だな……洋太。窓の外から丸見えの部屋で、オレに無理やり触られて、こんなに感じてるなんて……」
「あっ……や、やめ……これは……っ、違う……感じて、なんか……あ……っ」
 剥き出しの胸に覆い被さって、舌と唇でねぶったり、指先でね回したりと、執拗な愛撫を加えられながら、洋太は、いつもと違う順平の暗い目つきが怖くてたまらないのに、そう思いながらも腰が跳ねて、喘ぎ声が洩れるのを止められなかった。
 強すぎる快感に震えながら息を弾ませ、目に涙を溜めた洋太を、順平が覗き込む。
「……そうやって、もっとな顔で……”他の男”のことも誘ったのか……?」
 順平は洋太の胸に顔を寄せながら、低い声で血を吐くようにして呟いた。苦しげに眉間にしわを寄せて、憎悪にも近い感情と、抑えようもない愛おしさとの狭間はざまで激しく揺れ動きながら、暗い瞳の奥が燃えるようだった。
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