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第六章
03
しおりを挟む順平は正月休みで監督の家に泊めてもらった数日後に、地元から戻っていた鷹栖からK市に隣接するY市の繁華街のカラオケ店に呼び出されていた。現地に行ってみると、勤務の関係から集まれる範囲で、他の陸上部員たちも顔を揃えていた。
洋太とのデートで色んな店に入ったことはあったが、カラオケだけは未経験だった順平は、ほとんど防音が機能していない薄い壁越しに周囲から響いて来る、がなり立てるような歌声に笑い声、謎の嬌声などに度肝を抜かれていたが、周りの人間は誰一人驚いていなかったので、顔をしかめつつ、こういうものなのだろうと思った。
集められた名目は陸上部の新年会ということだったが、それにしては少しタイミングが早いような気もした。皆もそれは感じたようで、外で誰かと電話している鷹栖が戻って来るまで、どことなくそわそわとした雰囲気で、隣の人間と会話したり、室内のインターホンでドリンクを注文したりしていた。
「おっし、じゃあそろそろ始めるか。……あ、最初に少しだけ真面目な話するから、まだアルコールは頼むなよ」
部屋に戻ってきた鷹栖がそう釘を刺したが、すでに注文してしまった気の早い者がが数人いたことが判明し、苦笑いした。
「まあいい……さてと、せっかく集まってもらったわけだが。さっきも言った通り、新年会の前にちょいと重い話をしなきゃならん。……じつは、オレがつかんだ情報では『陸上部が縮小される』という噂がある。まだ確定じゃないが……」
それを聞いて、室内にどよめきが起こった。陸上部に所属している者は、その多くがスポーツという特殊技能を評価されて入隊した人間であり、部の活動が出来なくなるということは、自分の最も得意とする技能を活かす場を失う――つまり、自衛隊での居場所を失うことに等しいからだ。当人にとっては、この仕事を続けられるかどうかに直結する重大問題だった。
皆の動揺にも、鷹栖が冷静な表情を変えずに続ける。
「まあ落ち着け。まだ正式には何も決まってないらしい。そういう噂があるっていうだけで……どうした神崎?」
ふと鷹栖が、急に深刻な顔をして自分のほうを凝視している順平に気づいて、声を掛けた。やっと絞り出すような声で、青ざめた順平が質問する。
「もしかして……オレのせい、ですか……?」
一瞬、その場がしん、と静まり返った。前年の春の終わりに、順平がK市の海水浴場で元米兵と乱闘未遂騒ぎを起こして警察沙汰になったことを知らぬ者はいなかった。あの時は警務隊にも連行されて、完全に順平は除隊か、よくても降格処分は免れないだろうと思われていたのだが。予想外に軽い処分で済んで、今でもこうしていられるのが不思議なほどだった。
「……そうだったら、むしろ手の打ちようもあったんだが……安心しろ、お前のせいじゃない。これは、お前の件のもっと以前から進んでいた話らしいからな……」
鷹栖は、不安げな後輩の胸中を気遣うように、目を細めて穏やかな口調で答えた。その言葉には他の者から同様の疑念が出ないように、先回りして否定しておくという配慮も滲んでいるようだった。
「オレは今日までに、各地に転勤して行った元同僚の陸上部員と連絡を取っていたんだ。その多くが、自分の地区で陸上部の活動が縮小されるかも知れない、という噂を耳にしていた。――つまり、これは一つの駐屯地や、一部の地区の問題じゃなくて、自衛隊全体の方針、という可能性が高い。恐らく、将来的な予算配分の関係か……」
部屋の入口付近に座っている順平の近くにいた部員が、不服そうに声を上げた。
「な、何でそんなことに……?! 陸上部だけ縮小なんて、納得行きませんよ!」
「オレが現時点で確認できたのが陸上部だけって話だ。恐らく今後は、他のスポーツ関係の活動でも同じことが進むだろう。残るのは自衛隊体育学校くらいかな」
「だから、何で……!」
「知らねえよ。おおかた『海外情勢急迫の時局に鑑み……』ってことだろうさ。そうなりゃ軍事以外の予算は、どのみち削られる運命にある。雲の上のお偉い方々が決めることだ。それ自体は、オレ達にはどうしようもない」
「……っマジかよ……」
部屋のあちこちから唸るような不満げな声が漏れた。先行きのことを考えて、早くも落ち着かない表情をしている者もいた。順平も同じ気持ちだった。
その空気を察して、鷹栖がぱん、と手を打つ。一斉に自分に注目する部員達を、悠々と見回しながら言った。
「とはいえ、まだ何も正式に決まっていないんだ。ここからひっくり返せる可能性もある。少しくらいは悪あがきしておきたいじゃねえか。……ということで、この先のレースでは、せいぜいオレ達の存在意義を発揮してやろうぜ。具体的に言うと、勝つのがもちろん一番良いわけだが、とにかく目立つことだ。メディアに取り上げられて新隊員募集に貢献しまくる。部を残すには、これしかない」
その言葉に少し明るい空気が流れたが、別の部員が遠慮がちに声を上げた。
「メディアに露出、と言っても……うちが今、出られるレースは大きくても県単位ので、全国区のニュースにでも載らない限りは、これ以上の宣伝効果は……」
「だから、これから一年かけて目指すんだよ。新年最初にやってる、全国区のデカい駅伝レースをな。テレビで見たことあるだろ?」
鷹栖が不敵に笑いながら言った。急に周りがざわざわし始める。不安げな声のほうが多かった。
「あの正月に上州路でテレビ中継やってるレース? 出場してるのって、有名企業の実業団の強豪チームばっかりで、自衛隊体育学校のチームですら、毎年は出られないらしいぞ……そもそも駐屯地のチームが出場なんかできるのか……?」
「でも、どっかの材木店とか、病院とかのチームが出場してるの見たことあるぞ」
「馬鹿。それ地方の話だろ。関東はチーム数が多いからどう見たって激戦区なんだ」
「確か、関東地区の駅伝予選会で上位15チームに入らないとなんだろ?」
「MGC出場選手が所属するチームは、特例措置で自動的に本選出場できるって……」
好き勝手なことを話しつつも、次第に陸上選手としての挑戦する意欲が湧いてきたようで、部員たちの表情が活気を取り戻してきた。
長椅子にもたれて、黙って微笑しながら皆を眺めている鷹栖の姿に、こうなることを計算して話を誘導して行ったのだろう、と順平は過去の経験から思った。
そうは言いつつ、順平自身も皆の居場所である陸上部を存続させるために、出来ることがあるなら、自分の持てる実力を全て使って、大レースでの勝利を目指すために貢献したいと考えていた。久々に血が滾る思いがした。
頃合いを見て鷹栖からアルコール注文の解禁が出たのを機に、その場は深刻な話から、新年会の宴会ムードに移行していた。酒は飲めないことはないが、特に好きでも嫌いでもない順平はウーロン茶を飲みながら周囲の会話を聞くともなく聞いていた。
いつしか、酒の入った部員同士の「パートナーの浮気問題」とかいうセンシティブな話題になっていて、涙ながらに「妻と休みが合わなくて離婚されそう」だの「彼女とラブラブだったのに他に男がいた」だの、気まずい話を聞かされる羽目になった。
救いを求めるように鷹栖のほうへ目をやると、そちらの席では一体どういう会話の流れなのか「同性に誘われたらエッチ出来るかどうか?」などという、とんでもない話題で盛り上がっていた。酔って赤い顔の一人の部員が同僚に絡んでいる。
「いやー……でもさあ、最近は化粧してるような、綺麗めな男の子も多いじゃん? ああいうのなら、どうよ?」
「オレは正直ちょっと……鷹栖さんはどうなんです? 男もイケる感じですか?」
(な、何て話をしているんだ……面白がることじゃないぞ?)
順平が苦い顔をしつつ、それでも鷹栖の答えが気になるので無意識に聞き耳を立てていると。鷹栖が普段通りの物柔らかな口調で、酔っ払い達に向かって嗜めるように言い聞かせていた。
「お前ねえ……そういうことは今の時代、冗談にするような話じゃないよ。自衛隊も最近はセクハラ裁判とかされて、コンプライアンス凄くうるさいんだから……。まあでも、ぶっちゃけオレは、可愛い子ならどっちでも”あり”だけどね」
途中までは良いことを言ってる、と頷きながら鷹栖の答えを聞いていたが。最後の爆弾発言に順平が眼を剥いてそちらを見ると、何故かたまたまこちらを見た鷹栖と目が合ってしまい、あわてて顔を明後日のほうに向けた。
唐突に、うさんくさい笑顔を貼りつかせた鷹栖が順平に話を振ってきた。
「……な? そうだよな、神崎?」
「はっ? な、何が、ですか……?」
「ほら、あんまり”重たい男”になると嫌われるぞ、って話。お前も覚えとけよ?」
「……はあ……?」
順平は内心で(そんな話してたっけ?)と混乱しつつ、それ以上この手の話題に深入りしたくなかったので、どうにか適当な相槌を打ってその場をやり過ごした。そんなことよりもさっきの驚きで、いまだに心臓が盛大に鳴っている。
(え……鷹栖さんって、そうなのか? どっちでもイケるって、どういうことだ? そういう風に出来ている人間もいるのか……?)
信じられないものを見たような表情で頬を赤らめたまま俯いている順平を、頬杖をついた鷹栖が面白そうに笑って眺めていることに、気づいた者は誰もいなかった。
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