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第六章
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しおりを挟む年末年始、ことに大晦日から元旦にかけて、寺は案外と忙しい。本堂や境内の大掃除だけでなく、最近は新しい住民からの騒音の苦情などもあって、除夜の鐘を昼間に参拝客につかせる地区もあったりして、対応する必要が生じたりする場合もある。
他にも、檀家や関係先への年の瀬のあいさつ回りや、正月になれば開運・厄除けの護摩法要に初詣客の対応、年始のあいさつ回りなど……一般家庭のようにおせち料理を囲んでゆっくりするのは、正月の期間がやっと終わる頃というのが常だった。
この年も、一連の年頭行事を無事に終えて、代々御用達の仕出し屋の謹製を届けてもらった精進料理のおせち重箱を囲んで、洋太の家族がようやく正月気分を味わおうとしていたところに、予想よりも早く意外な来客があった。
隣の市の大きな寺に住む大叔母こと、志のぶが、次男で僧侶の元海の運転する車で尋ねて来たのだ。
「まあ、志のぶ叔母さま……! いつもの年通り、こちらからご挨拶に伺うつもりでいましたのに……」
洋太の母が恐縮しながら玄関に正座して、亡き父親で先代住職の妹である足の悪い大叔母を出迎える。
「いいんですよ、るり子さん。あたしが来たくて来たんだから。すぐ帰るから、あんまり構わないでちょうだいね」
息子の手を借りながら座敷に上がった大叔母は、仏壇に手を合わせた後、おせちの重箱が並んだ座卓の上座に案内された。膝が痛い大叔母のために歩美が小さい椅子を持ってくる。
「ありがとね、歩美さん。相変わらずよく気がつく子ね……さて。今日、話があるのは、あんたですよ、清海さん。ちょっとそこへお座りなさい」
「えっ……オレ……ですか?」
清海という僧侶の名前で呼ばれた洋太がびっくりした顔で、大叔母の脇に控えている叔父の元海のほうをちらっと見る。アウトドアで健康的に日焼けした丸坊主の叔父が、珍しく心配そうな渋い顔をして洋太に目配せしてきた。(何だろう?)と洋太がごくりと唾を飲み込む。
八十に手が届くかという年の、昔は美人だったのだろう面影の残る大叔母は、いつも眉間に皺を寄せた厳しい表情といい、寺を守る血筋を思ってのこととはいえ親族の結婚や家庭のことに色々と口を出すところといい、洋太は少し苦手な相手だった。
この小柄な老婦人が、ためらう祖父に家のためだと強く迫ったせいで、自分の父と母が離婚することになり、父が一人で出て行くきっかけを作ったと思っているので、父のことが大好きだった洋太にとっては複雑な思いがあったのだ。
青鈍色の唐草縞文の小紋に、白地に手描きの竹の模様の帯を締めた、きりりとした着物姿の大叔母がまぶたが垂れた眼でじろりと洋太を睨みつつ、おごそかに言った。
「清海さん。あんたね、春になる前に、しばらく本山へ修行に行っていらっしゃい。あちらの偉い人には、うちの長男の住職を通してもう話をつけてあるから」
「え……はっ? しゅ、修行?! そんな……いきなり?!」
防寒用にヒートテクスの肌着を着こんだ上に、寺の仕事用の作務衣を身に着けた洋太は、正座していた座布団から思わず身を乗り出して問い直した。そこには、ほんの少しだが勝手に決められて納得が行かない、という抗議も含まれていた。
「そうですよ。暖かくなって、また忙しい時期になる前に、お坊さんとしての性根を、本山の厳しい修行でしっかり叩き直してもらって来なさい。……ちゃんと知ってますよ。あんた、このところ、休みのたびに外泊したりして、遊んでばっかりらしいじゃないの?」
「うっ……そ、それは……」
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「いつでも近所の人や、檀家さんの目があることを忘れちゃいけません。そんなことでは、由緒あるこの寺の格式に傷がついてしまいますよ。……死んだ兄さんも娘にはそりゃあ甘かったけど、るり子さんも可愛い息子に強く言えないだろうから、あたしが代わりに言ってるの」
俯いて何も言えない洋太をかばって、あわてた様子で母が会話に割って入る。
「叔母さま、申し訳ありません! 洋太には私からも後でちゃんと言って聞かせますので。ですから修行の件はまた改めて、というわけには……」
「るりちゃんの言う通りだよ、母さん。洋太くんだって、もう子供じゃないんだし、他の家のことにそんな口をはさまなくても……」
元海も母に味方して助け船を出してくれたが。大叔母は表情一つ変えず却下した。
「何を言っても駄目よ、るり子さん。元海さんも黙っておいで。もうあちらと相談の上で決めたことですからね。遅くとも今月のうちには、本山に向けて出発してもらいます。……清海さん、わかりましたね?」
洋太が黙ったままなので、大叔母が眉をひそめた。どことなく探りを入れるような口調で洋太に尋ねる。
「清海さん? あんた、もしかして何か……長いこと家を空けられない事情でも? 別に無いわよね? せっかく両家の顔合わせまでした、お見合い話だって断ったんだから。僧侶の大事な修行を妨げる理由なんて、何も無いわよね?」
垂れた瞼の下から見つめてくる鋭い視線に、洋太はやっと大叔母が、見合いを断ったことに腹を立てているのだと気づいた。あの時は、真矢の機転のお陰で無事に乗り切ったと安心していたのだが……とんだしっぺ返しが来てしまった。
「……わかりました。でも、出発の時期は少しだけ……考えさせて下さい」
洋太が小さな声で答えると、大叔母は満足したように目を細めて頷いた。
「いいでしょ。じゃあ、決心が出来たら連絡しなさいな。本山に取り次いであげますから。るり子さんもいいですね?」
「は、はい……いつもお気遣いありがとうございます、叔母さま……」
「ああ、これで一安心だわ。あんたがいない間は、うちの元海をまた手伝いに寄越しますから安心なさい。修行は何か月掛かるかわからないけれど、帰って来る時は立派に僧侶の位が上がっているはずですからね。あんたにとってもよいことなんですよ、清海さん。しっかり励んで来なさいね」
「……はい……」
やれやれと腰を伸ばしながら、また息子の手を借りて早々と帰って行く大叔母を、母が玄関まで見送りに出て行った。和室の座卓には叔母が手を付けなかったお茶と、座布団に座り込んだまま俯いて考え込んでいる洋太の姿があった。
姉の歩美がちょっと心配そうに洋太の顔を伺うが、洋太はそれにも気づかない様子で、深刻そうにじっと畳を見つめている。いつもは明るい茶色の眼が、今は伏せた長い睫毛の下で憂いの影を帯びていた。
(本山で修行に入ったら、家に帰れるまで何か月掛かるかわからない、とか……順平に一体何て言えばいいんだろう……? そんなに長い間会えないなんて……)
今でさえ、大きな演習開けで久しぶりにワンルームマンションで会う時の、恋人に会いたさが募りすぎて性欲が凄まじいことになっている順平を思うと、洋太は不安で胸がぎゅっと締め付けられるような気がした。
(いや……順平だけじゃなく、オレ自身が……そんなに長い間、順平と会えないことに耐えられるのかな……?)
ほんの少し前。クリスマスイブの夜に、この実家の二階にある洋太の部屋のベッドで、順平と過ごした濃密な一夜を思い出して、洋太はつい赤らんだ顔を隠すために、ますます俯いた。
順平の、激しく口中を暴くようなディープキスや、いかつい見た目によらず繊細な愛撫をしてくる男らしい長い指。大きくはだけたガウンの胸元から覗いていた、褐色の筋肉で引き締まった胸板。洋太の中を貫いて何度も突きあげ、揺さぶる熱くて硬い芯の生々しい感触など……それらに与えられる狂おしいような快楽を思い出して、洋太は一人、思わず甘い吐息とともに目を閉じた。
早くも下半身が疼き、今すぐにでも順平に会いたくて、あの熱い両腕に抱きしめられたくて、たまらない気持ちになっているというのに……。いつ帰れるかわからない修行になど、洋太には自分から行ける自信がまるでなかった。
こんな僧侶にあるまじき肉欲の煩悩に濡れた胸の内を、あの鋭い大叔母には見透かされてしまっているのかも――?
そんな一抹の不安を覚えながら、洋太が苦悩する顔をあげて窓の外を見やる。叔父の運転する車のエンジン音が敷地を出て行くところで、冬の冷たく晴れた空から降り注ぐ透明な日差しが、庭の寒椿の緑の葉につやつやと照り返していた。
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