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第五章

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 薄暗い灰色の空からちらちらと小雪が舞う夕暮れの街を、順平は片手に赤と緑のリボンを巻かれた細長い紙包みを抱えて、足早に洋太の家に向かっていた。
 前シーズンの冬に洋太が選んでくれたボア素材のダークグリーンのプルジップパーカーに、グレーのタートルネックのセーター、下は鷹栖のおさがりのビンテージのブラックジーンズに、いつものごつい黒のトレイルランシューズといういで立ちで、冬でもあまり薄くなっていない日焼けした精悍な顔には、どこか居心地の悪そうな表情を浮かべている。
 駐屯地を出てからここへ来るまでの間、駅といい街中といい、どこもかしこもクリスマスムード一色で、電飾で目はチカチカするし、同じような曲がエンドレスで掛かり続けていて洗脳されるかと思った。
 普段なら、こんな時に用もない街へなど絶対に足を踏み入れない順平だったが。今日は、洋太から頼まれて、少し離れた商店街で頼んでいたクリスマス用の菓子を受け取りに行ってきた。ラグビーボールのように脇に抱えているのがそれだ。
 そのシュトーレンとかいう菓子を作ったのが、例の、洋太に命に関わる怪我をさせるかもしれなかった元米兵の大男だと知って、順平は露骨に嫌な顔をしたが、洋太に強く頼まれて仕方なく、まだ内装の新しい整体の診療所を訪ねた。
 佐野という通訳の男性を介して対面した元米兵は、緊張した面持ちで順平の前に現れると、無言で向かい合った。全身で敵意を表している順平との間で、あたかも野生のグリズリーと、牙を剥きだした狼との死闘が再び始まりそうに思われたが。
 次の瞬間、相手がカールした金髪の頭を深々と下げて、真摯な口調で言った。
「……マコゥト二、ソノ、セツゥハ、ゴメン、クゥダサイ……デ、ゴザル……」
「……?」
 冗談か本気か測りかねて順平が怪訝な顔をしていると。通訳の佐野が、眼鏡の奥で申し訳なさそうに目を細めて釈明した。
「すまないね……。これでも彼なりに、本気で謝罪の気持ちを表してはいるんだよ。ちょっとその日本語はおかしい、と言ったんだけど……このほうが”武士らしい”って聞かなくて……」
「はあ……」
 何となく拍子抜けした表情の順平に、金髪の大男マクレガーがビー玉のような青い目を上げて許しを請うような様子を見せる。そこにいたのは威圧的な巨漢ではなく、どことなくジャガイモ農家にでもいそうな、優しそうで純朴なただの男だった。
 もちろん順平の中では、大切な洋太を傷付けたことを一生許すつもりはない。それでも、洋太自身の口から聞かされた、彼がアフガニスタン帰還兵であり、現在も戦場のPTSDに苦しんでいるという話は、同じ軍人の身としては重く迫るものがあった。
 数秒間の躊躇の後、順平は直立不動の姿勢を取り、その場で陸上自衛隊式の敬礼をした。相手が驚いたような表情を見せる。
「洋太のことは許せません。しかし……あなたの経歴には、敬意を表します。自分の振る舞いも、あの時は冷静さを欠いていた……」
 佐野が通訳すると、マクレガーも万感こもった表情を浮かべてから、その場で踵を鳴らし、ゆっくりとアメリカ陸軍式の敬礼をした。マクレガーが差し出した手を順平が握ると、万力かと思うような物凄い力で握り返された。
(……もう一度やり合ったら、次は痣だけじゃ済まなそうだな……)
 その常人離れしたパワーに、思わず順平は胸の中でひっそりと呟いた。そんなことは知らずに、相手は青い目に涙を浮かべて、嬉しそうに握手した腕をぶんぶん何度も振っている。佐野が微笑ましそうに身長差のある二人を見守っていた。
 診療所を出る時、マクレガーが赤ん坊を抱くようにして大事そうに差し出した白いワックスペーパーの包みは、赤と緑のラメ加工のくるくる巻いたリボンで丁寧にラッピングされていて、真ん中あたりにあるピンク色のシールには小さな薔薇のマークとともに、メリークリスマス!と乙女チックな書体で印字されていた。
 順平はまじまじと、作者である金髪の大男と、可愛らしいラッピングとを見比べてから、無言で受け取ると一礼して退出した。

 細い坂を上り切った高台にある洋太の家についた頃には、うっすらと地面が白くなる程度に雪が積もり始めていた。自衛隊員は傘を差す習慣がないので、頭や肩に雪を乗せたままチャイムを鳴らすと、ドアを開けて顔をのぞかせた洋太に驚かれた。
「うわっ?! 雪、積もってるじゃん! 電話してくれれば迎えに行ったのにー」
「雪道は危ないから、必要ない」
 平然と体から雪を払い落とすと、順平が濡れないように上着の中に隠して持ってきた紙包みを渡した。
「お、サンキュー! 二人ともいい人そうだったろ?」
「……かもな。あまり話はしていないが……」
 そっけない答えだが、順平の穏やかな表情から”和解”は成功したようだと判断し、洋太は後で佐野さんにお礼の連絡しておこうと思いながら、ひっそり喜んでいた。
 順平が脱いだ上着を抱えて、暖房が効いたリビングに入ると、対面式のキッチンでは洋太の母と姉が料理を何種類作っているのか知らないが、何やら楽しそうに、こまごまと動き回っていた。
「いらっしゃい、順平くん。もう少しでご馳走の準備が出来るから、ソファで洋太と待っててね」
「はい。今日はお招きいただいて、ありがとうございます……」
 堅苦しいお辞儀をした後、順平が部屋を見回すと、リビングのテーブルの上には、クリスマスツリーを模しているのか、籐籠にエバーグリーンの葉や赤い姫りんご、松ぼっくりなどを、金モールや色とりどりの丸いオーナメントとともに飾り付けたオブジェが、赤いローソクと並べて置かれていた。
 さっそくシュトーレンの包みを開けていた洋太に順平が素朴な疑問を投げかける。
「……お前の家は寺なのに、クリスマスを祝ってもいいのか?」
 洋太がきょとん、として質問し返した。
「え? 逆にダメなのかな? うち普通に毎年やってたから何とも思ってなかった」
 食卓に足高のグラスを並べていた歩美が少し皮肉っぽい笑みを浮かべつつ答えた。
「それはねー、うちでは”知り合いの大工の息子さんの誕生日をついでにお祝いする日”っていうていでやってるから。うちのお母さん、寺の一人娘のくせに愛読書は『赤毛のアン』『ジェイン・エア』『風と共に去りぬ』っていう、洋物ロマンス大好き人間なんだもん。こんな絶好のイベント我慢できるわけないじゃない」
「ちょっと歩美! よ、よその方に何てこと言うの……?!」
 サラダにドレッシングをかけていた母親が真っ赤な顔をしながら娘に抗議した。
「本当のことじゃないの。……大丈夫大丈夫。イスラム教ではイエスも預言者の一人だし。そのへんは結構、融通効くもんよ」
 そう言って歩美がおほほほと笑った。順平には会話に出てくる単語も、どこからが冗談なのかも理解出来なかったが、相変わらず楽しそうな親子だな……とは思った。
 と、洋太が急に、口をもぐもぐさせながら大きな声を上げた。
「姉ちゃん! このシュトーレンまじで美味いよ‼ もう一本頼めばよかった!」
「あっ?! こら洋太、何でもう食べてんのよ! 年越しまで持たないじゃないの!」
 などと言いつつ、親子三人で小さくカットしたシュトーレンのかけらをつまみ食いしながら、そのバターと乾燥フルーツたっぷりの濃厚な美味さに感動の声を上げた。
「んまあー、本当に美味しい……! マクレガーさんて器用なのねえ」
「名前からすると多分あの人、アイルランド系だと思うんだけど。そのわりにはフランスパンもドイツ菓子も美味しく作れるのって、ある意味、才能よねー」
「これ、ご自宅で焼いてるんでしょう? アメリカ式のガスオーブン作り付けの物件なんて、一体どうやって見つけたのかしら?」
「今度さ、メロンパンとかクリームパンも焼いてもらおうよ! あっ、オレあんぱん用のあんこ買って差し入れしてあげようかなあ」
「洋太、それナイスアイディア! いつもの和菓子屋さんに訊いてみたら――」
 放っておけば電線の雀のように果てしなくおしゃべりしていそうな親子を横目に、順平がリビングの窓際に何気なく目をやると。そこには、暖房で温まり過ぎないようにか、贈り物らしいリボンを巻かれた鉢植えの花が置かれていた。
(この花の色には、見覚えがある……ああ、そうだ。初めて寺に来て洋太に会った日に、駐車場の隅に植えられていた花か……)
 順平が懐かしそうに目を細めた先には、いつかの上品な大人の女性を思わせるような、くすんだピンク色の花が、控えめに首を垂れて咲いていた。
 小さなカードが差してあるところを見ると、今日にでも届いたばかりらしい。植物に疎い順平には未だに何という名前かわからないが、不思議と印象に残る花だった。
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