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第四章

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 お宮の敷地に入ると、境内に続く小道のそこここに様々な図案の色鮮やかな手描きの絵や書を映し出す、ほの明るいぼんぼりが灯されていた。
 ぼんぼりには作者の名前も墨書されていて、そこに知っている有名人の名前を見つけた人々が、笑いさざめきながらスマホで写真を撮ったりしている。洋太も好きなお笑い芸人の名前を見つけて喜んでいた。
 広い境内には両側に一列ずつ、まばらに食べ物などを売る露店が立っていて、それぞれの店に何人かの客が並んでいた。
 さっそく店の一つで嬉しそうにパックのたこやきを買ってきた洋太と、石段の下のぼんぼりの近くで食べる。
「ほら、順平。たこやき入れるから口大きく開けてー」
 洋太がいつものように笑顔でたこやきを食べさせようとしてくる。
 順平は、赤くなった顔がぼんぼりの暖色の光であまり目立たないことが有り難いと思いつつ、照れをごまかすように口の端についたソースを無造作に指で拭った。
 それにしても……と思いながら順平がそっと周囲の雑踏を見回す。
 このあいだの七夕の時とは違う場所のように、見物客が大勢ざわついていて、人肌の温もりを思わせるぼんぼりの灯りの効果もあってか、どこか猥雑なムードだった。
「オレ、かき氷も買ってくるから。順平、これ残り食べてて」
 そう言って順平にたこやきが三分の二ほど残ったパックを渡すと、浴衣姿の洋太がかき氷の店のほうへ小走りに駆けて行った。受け取った瞬間からものの十秒もたたずにたこやきを完食し、空パックをゴミ箱に放りながら、洋太に向かって
「……気をつけろよ」
 念のため、そう声を掛けつつ順平が行列から少し離れて見守っていると。かき氷を買った洋太の横に、何やらニヤついた男二人が近寄って声を掛けている。きょとん、として洋太が返事をしているのを見た時には、既に順平の体が動いていた。
 洋太に話しかけたチャラい顎ひげの若い男が、猫なで声で話しかける。
「君さあ、浴衣かわいいね。一人で来たの? なら帰り、車で送って上げようか?」
「え? いや、友達と来てるんだけど……」
「へー……でも、オレらと遊んだほうが、ハイになれて絶対楽しいよ。どう?」
「ハイって? でもなあー……」
 少し困ったような顔でかき氷をつついている洋太とそこまで話した時、ふと洋太の背後に目をやった男の一人の顔が、半笑いのまま凍りついた。
 そこには、店の照明で逆光に照らし出された、服の上からもわかる筋肉質で短髪の大柄な男が、明確に”殺意”のこもった眼をギラギラ底光りさせながら、まるで地面にいる鼠を狙う巨大な猛禽類のように、無感情に彼らを見下ろしていた。
 男が「ひっ」と小さく叫ぶと、すぐに隣にいる仲間をひじで押して合図する。相手も急に青くなって、そのまま洋太に挨拶もそこそこに逃げるように立ち去った。
 背後にいる順平の、地獄の悪鬼のような形相を見ていない洋太は、突然一人で取り残されて首を傾げていた。
「洋太。気をつけろとあれほど言っただろう……?!」
「あれ? 順平、いつからそこにいたの?」
「さっきからだ。……変な奴らと軽々しく口をきくんじゃない。危ないだろう?」
「大丈夫だってー。こんなに周り中、人が一杯いるんだから……」
 そう言ってけらけら笑っている洋太が、内心は不安でたまらない順平。
 きっと、あの実家の寺がある、平和で上品な住宅街の、温室のように清潔な空間でのびのび育ってきた洋太には、わからないのだろう。
 他人を、自分の欲望の充足のための”道具”としか考えない、そういう類の人間が、この世の中には山ほど存在している、ということが。
「とにかく、約束してくれ。こういう人が多いところでは、あまり知らない人間とは気安く関わるな」
「んー……わかった……」
 何となく腑に落ちない様子で、上目遣いに順平を見つめながら洋太が、かき氷用のスプーン型のストローを咥えて小さく頷いた。
 ぷっくりした紅い唇が、ストローを咥えながら軽く吸い込む形を作ると、ぼんぼりのオレンジの灯りに照らされて、昼間よりも生々しく、肉感的に見える。洋太本人が意図せず見せる、可憐でありつつも官能的な表情に、順平は思わず喉を鳴らした。
(これだから……全く、安心出来ないというんだ。こんなエロい表情を、そのへんの通りすがりの誰にでも見せるなんて……!)
 順平が赤くなった顔をぼんぼりに照らされた小道の脇に向けると、木や建物の陰などあちこちの暗がりに、恋人同士らしき人影がひっそりと体を寄せ合っている。急にまた順平の鼓動が速くなった。
(え……もしかして、”そういうイベント”で有名だったりするのか? この祭りって……やたら暗いのも……?)
 かあっと頬に血が上ってきて、隣の洋太を否応なく意識してしまう。何も知らずにかき氷を食べていた洋太が、食べきれなくなったのか順平に声を掛けた。
「うー、口が冷たくなっちゃった。順平、これも残り食って」
「……」
 順平は無言で半分以上残ったかき氷のカップを受け取ると、ざらざらと飲み物のように口に流し込んで三秒で食べ終えた。そのままカップを握りつぶしてゴミ箱に放り込むと、驚いている洋太の手をつかみ、大股で歩き出した。
「え? 順平、どこ行くんだ?」
「いいから、黙ってついて来い……」
「何なんだ、急に……?」
 洋太を軽く引っ張るように歩きながら、順平はぼんぼり祭で賑わう境内を、少しでも人が少ない、落ち着ける場所を探して歩いていた。
 せっかくの洋太の浴衣姿をじっくり味わう余裕もないし、何よりも、群れの中で他のオスが気になって”つがい”に集中できない動物のように、本能的な警戒感が邪魔をして、やっと両想いになってからの初デートをあまり楽しめない自分が嫌だった。
 本殿から延びる長い石段の真正面に、広々と続く境内を抜けようとするあたりで、ふと順平はぼんぼりが途切れた角から続く通路を発見した。何かの展示を説明する看板から、資料館的な建物があるらしいとわかる。
「こっちだ、洋太」
 ぼんぼりに照らされながらのろのろと動く人波に逆らうように、順平は洋太の腕を引いて、看板が立つ角の先の暗がりのほうへ進んで行った。
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