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第四章
04-3
しおりを挟む今日の課業が終わって隊舎の居室に戻った時、順平は自分の勉強用の机の上に一枚の封書があるのに気づいた。
所在不明の実の母親以外、ほぼ天涯孤独に近い順平には、自衛隊に入ってから郵便物が来たことなど役所関係の通知以外には、ほとんどなかった。
(何だ……手紙? 一体、誰からだ……?)
不審に思いつつ差出人を見ると、そこに書かれた「荻谷洋太」という名前に、順平は思わず目を見開いた。
(……洋太……?!)
急に心臓の鼓動が早くなって、封書を掴む手がかすかに震えた。
ずっと抑え込まれていた恋しい人との思い出の数々が、洋太の手書きの署名を見て一気に溢れ出してくるようだった。焦りを落ち着かせるように深呼吸してから、順平が慎重にカッターで封を開く。
中には便箋などは入っておらず、ただ、緑とピンクの不思議な植物の葉の形をした色紙のようなものが、二枚一組で入れられていた。裏返すと、そのうちの一枚に短いメッセージが添えてある。
『祭の日、境内で待ってる。洋太』
順平は途方に暮れた。……これは、どういうことだろう? 祭といっても、場所も、日付も時間も、何も書いていないのだ。洋太がこんなものを、いたずらで送って来るとも考えにくいが……何か深い意味でもあるのだろうか?
いや、そもそも自分は、もう洋太には会わないと決めたのだ。それなら、集合場所を表しているらしいこのメッセージが読み取れなかったところで、何一つ困ることはない……はずなのだが。順平の顔には深い迷いが浮かんでいた。
当日、どこかわからない場所で、洋太が自分を待っているとして。……そこへは、一人で来るのだろうか? 周囲に危険なことはないのだろうか? 雨が降ったらどうする? もし何時間も待っていて、そのまま日が暮れたら……?
順平には今から、その日の自分が何一つ手につかない状態に陥っているであろうことが、ありありと想像できた。既に今、もう他の事など何も考えられなくなっているのだ。洋太をたった一人で待たせておくことなど、自分に出来るはずがない。
(……とりあえず、現地には行こう。行って、洋太に帰るように言おう。その時に、もう会わないことを伝えれば――)
順平の顔に一瞬、苦痛の陰りがよぎったが、目をつぶってそれを振り払う。洋太を守るために自分で決めたことだ。
手掛かりは緑とピンクのセットで色紙に印刷された、装飾の多い三又の鉾のような不思議な形の植物の葉しかなかったので、順平はネットでそれらしい植物を、片っ端から調べた。二時間ほど掛けて、やっと「梶」という植物の葉らしいとわかった。
今度は「梶の葉」の意味するものを調べるのに、また一時間ほど掛かった。ここで消灯時間が来てしまい、順平は珍しくベッドの中にスマホを持ち込んで、毛布の中に隠れながら検索を続けた。
「梶の葉」は、その昔においては歌を書き記す紙の代わりに使われ、笹よりも古くから、星祭と融合した「七夕の飾り」として貴族階級の間で用いられていた、という歳時記系の記事をようやく見つけた時には、とうに日付が変わっていた。
(七夕……境内とあるからには、寺か神社なんだろうが。自分の家の寺ではなさそうな書き方だよな……)
小さな画面を凝視しすぎてこめかみがジンジンと痛んできたが、順平はまだ諦めずに情報を探し続けた。ふと今さらのように、全く見なくなって存在を忘れかけていたメッセージアプリを起動してみる。洋太がそこに何か情報を載せていないかと考えたのだが――。
「……!」
そこには、あの日から未読のまま放置されていた洋太からのメッセージが、延々と何十件も連なって表示されていた。
『順平、今何してる?』
『いないのか?』
『おーい』
『返事してよ』
『頼むから』
……
順平はスマホをぎゅうっと握りしめて、額に押し当てた。洋太が順平のことを思い浮かべながら、こんなに沢山のメッセージを打ち込んでいたのかと思うと、嬉しさと、それに気づかなかった自分のうかつさ、洋太を一人にしてしまった済まなさで、胸を掻きむしられるような気持ちがした。
洋太に会いたい。会って、ずっと返信出来なかったことを詫びて、思う存分、安心させてやりたい。――そして力一杯、抱きしめたい。
それが叶わなくても、最後にもう一度だけ、洋太に会って話す必要がある。
「もう二度と会わない」と伝えるために。もう洋太に、こんな寂しいメッセージを送らせないために。
順平は、延々と表示されるメッセージの列を指で滑らせ続けた。
一番最後に、色とりどりのくす玉や吹き流しを飾り付けた、風格のある大きな神社の境内と思しき写真が表示された。
(これか? この長い石段には、見覚えがある……確か、洋太の住んでる市内にある一番大きな宮の……)
検索結果には、その由緒ある宮の名前と、毎年七月一日から九日までの期間が七夕祭とされ、七日には神事が執り行われるという情報が記されていた。緑とピンクの「梶の葉の色紙」も、この神社で七夕祭に絵馬のように配布されるものとわかった。
(期間中の、どの日の、どの時間帯に……? いや、そもそもオレはその間に、休みを取れるのかどうか……)
勤務表と祭の日程を睨むようにして見比べながら、いつしか順平は、毛布を頭からかぶって自分のスマホと「梶の葉の色紙」とを抱いたまま、眠りに落ちていた。
その夜、順平は本当に久しぶりに洋太の夢を見た。
幸せそうにただ笑っている洋太が、色とりどりのくす玉や、梶の葉の七夕飾りの下で、気持ちよさそうに風に吹かれている……たったそれだけの夢だった。
朝の光で目を覚ました時。とても幸福な気持ちで、順平が自分の頬に手をやると、何故かそこには、涙が流れたらしい一筋の濡れた跡があった。
悲しい夢でもないのに、涙が流れた理由は順平にはわからなかったが。不思議と、とてもすがすがしい気分だった。
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