上 下
44 / 87
第四章

03-2

しおりを挟む

 謹慎の期間中は、訓練のない休暇の日でも外出が許可されない。普通の人間なら、厳しい訓練に耐えてようやく羽根を伸ばせるはずの一日が消滅するなど、考えるだけで気が滅入るだろう。しかし順平は、まるで最初からそんなものはなかった、とでもいうように、淡々と同じ日課のトレーニングを繰り返していた。それどころか、普段よりも走る距離が大幅に増えていた。
 それは、少しでも順平という人間を知っている者の眼には、自分を”罰する”ために走っている、という風に見えた。
 恐らくだが、自分のせいで”生命の危険”に晒してしまった、と考えている相手……一般人の”友人”に対しての償いのために、自らの肉体を痛めつけているのだろう、と感じた。いかにもストイックで、クソ真面目な順平らしい、とは言える。
 しかし、それだけではなかった。
 元々、何を考えているのかわからないところのある順平だったが、あの事故以来、すっかり他者に対して心を閉ざしているように見えた。――というか、”心がない”かのようだった。
 謹慎が明けてからも、大きな演習を挟みつつ粛々と任務を遂行していたが、その眼には光がなく、どこか精巧に作られたロボット兵士のようで、直属の上官である胃弱な同僚が「ますます何考えてるかわからん」と言って気味悪がっていた。
(何も考えてないんだろう……というか、考えるのを放棄した、というところか?)
 気に入らない、という表情で鷹栖が順平を見下ろす。
 あまりにも辛い経験をした時、自分の心がこれ以上傷つかないために何も考えない状態を選択することは、人間誰しもある。それは一種の防衛本能であり、一定期間の後には、また心を取り戻して自分らしく生きられるようになるだろう。
 しかし今の順平からは、そんな将来の回復の希望のようなものは、全く感じられなかった。むしろ、「もう心なんていらない」とでも思っているような、絶望の沼の底に沈殿して、それを平穏だと思い込もうとしているような、静かで頑なな、”拒絶”の意思めいたものを感じた。
 今、目の前で一人走り続けている順平は、命令されたことを忠実に遂行するだけの、心のないロボットだ。
(……お前が、もし”一兵士として”だったら、機械みたいでも悪くはないだろうさ。でも、それじゃ駄目なはずだろ……?)
 自衛隊高等工科学校を出た順平に将来期待されているのは、曹以上の下士官として、上にいる士官と、下にいる兵とを円滑に繋ぐ役割だ。そのために国は、養成機関の組織を通じて順平という個人に、相応の”投資”をしてきたことになる。
――しかし本当に”心をなくした”人間に、果たしてついてくる部下がいるだろうか?
 鷹栖が、順平にこれまで「もっと他人の気持ちを推し量れるようになれ」と言ってきたのは、上官として部下を指導する時に、それが必ず必要になることを経験上、知っていたからだ。それでも、まだ若い順平のこと、いずれ成長して行けば、自ら学んで行くことになるだろうと考えていた。
 なのに、この段階で順平が完全に外に対して心を閉ざしてしまって、自分の傷ついた内面だけを見続ける生き方を選んでしまうとすれば……そこから先は、かなり厳しい、と言わざるを得ないだろう。
「何があったか知らねえが……お前、本当にこのままじゃ、この先、自衛官を続けて行けないぞ……わかってんのか?」
 間違った道を進みそうになっている弟を本気で心配する兄の表情で、走る順平を見つめながら鷹栖がひっそりと呟いた。
 と同時にごく最近、情報収集のために久しぶりに連絡して会った、Y市の大きな病院に勤務する看護師の女性と交わした話を思い出していた。
 バチバチに濃い勝負メイクで現れた彼女は、嬉しそうに頬を染めて興奮しながら、途中までは大層機嫌よく、一緒に食事などをしていたのだが……。
 鷹栖が先日の海水浴場の事故でドクターヘリで緊急搬送された患者のことを訊こうとすると、とたんに盛大にむくれてしまった。
「……はあ? そんなこと訊くために私を呼び出したの?! 何よ、せっかくヨリ戻してくれるのかと思って気会い入れて来たのに!」
「落ち着いて、真矢ちゃん。オレ達、元々つきあってないでしょ。……それよりさ、どんな”絶世の美女”がヘリに乗ってたか、教えてくれない?」
 鷹栖がご機嫌を取るように柔和な表情で笑いかけると、シティホテルのベッドから降りて下着を身に着けていた真矢が、急に振り返って、イーッとしかめっ面をしながら恨めしそうに文句を言った。
「そんなの、知ってても個人情報保護義務があるから教えられませんっ‼ フンだ、よその女に鼻の下伸ばしてるとこ残念だったわね、可愛い”若い男の子”ですから!」
 ぷんぷん怒りながらクッションで「体の関係はあっても片思いの男」を叩いてくる女性の攻撃を慣れた様子でいなしながら、鷹栖は、あれっ? と思っていた。
(順平が助けた”友達”って、男だったのか? ……そりゃまた、意外だな……)
 回想から現実に戻り、管理棟の窓辺から体を起こした鷹栖。休憩を終えて勤務に戻る前に、もう一度、グラウンドで走り続けている順平のほうを見やった。水溜まりに順平の走った跡が波紋になって点々と残っている。
「……もしかすると、あいつが自暴自棄になってる原因って、”そういうこと”だったのか? だったらなおさら、外野がどうにかしてやれることじゃないけどな……」
 遠くの順平を見ながら、どこか気の毒そうに呟いた後で、鷹栖が管理棟の廊下を歩いて勤務に戻って行った。
 俯いたまま走り続ける順平の頭上の空は、もうすぐ雨が上がるのか、うっすらと光を透過させながら徐々に灰色の雲の密度が低くなってきているようだった。
 じきに梅雨が明けて、夏が来ようとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

処理中です...